第一章 忘れられた者たち

第1話

 食欲を刺激する香ばしく焼けた肉のにおいが充満し、鉄板の上で油と肉が軽快に跳ね踊る音が響くステーキハウス。


 近寄りがたいほど強面で立派な髭を生やしたマスターが営む、開拓時代の酒場風の建物であるステーキハウスは、不思議な力を持った輝石きせきと呼ばれる石を扱える人間が集まるアカデミー都市の、アミューズメント施設が立ち並ぶイーストエリアの人気がない裏通りの近くにある隠れた名店なのだが、客が来ても一言も喋らない不愛想な強面マスターのおかげで常に閑古鳥が鳴いており、客は僅かしかいなかった。


「いいか、貴原たかはら。よく言われてることだけど結婚ってのは人生の墓場なんだ」


「人生の新たなる一歩、幸福への道程、愛の誓い、心の新たな拠り所なのでは?」


「新婚ほやほやアツアツ夫婦はそう思うかもしれねぇけど、結婚生活や夫婦ってのは賞味期限があるし、経年劣化するもんだ」


「しかし、刈谷かりやさん! 愛があればなんでもできるでしょう!」


「あのなぁ、浮気や不倫が跳梁跋扈する世の中でそんなのはまやかしだっての。『幸せ』なんて線を一本引けば『辛く』なるんだよ。結局人が求めるのは自分に都合がいい『幸福』。つまり、結婚なんてしても無駄に終わるだけなんだ。クロノ、お前はどう思うよ」


「興味ない。――七瀬ななせ、落ち着いてゆっくり食べろ。口の中を火傷するぞ。口にソースがついてる」


「貴原みたいに色恋に縛られてガッツいてるのも問題だけど、お前みたいに淡白なのも問題だぞ! さっき言ったように愛だの恋ってのはある意味幻想に近いもんだ。でもな、その幻想を追い求めることによって人生に厚みが増すんだよ」


「オマエ、つい先程色恋を否定していただろうが……意味がわからん」


 空席が目立つ静かな店内で、胸元が大きく開いた蛍光ピンクのシャツと合成皮革でテカテカ輝くズボンを履き、金色に染め上げた髪をオールバックにした、二枚目の顔立ちをすべて台無しにする服装の青年・刈谷祥かりや しょうは自身の結婚観を偉そうに話していた。


 刈谷の偏見に溢れた話を対面に座るアカデミー高等部男子専用の白を基調にしたブレザータイプの制服を着た、『恋人ができたこともなければ、色恋に奥手な男が何を言っているんだ』とツッコみを入れそうな顔をして、嫌味なほど無駄に整った顔立ちの少年・貴原康たかはら こうは聞いていた。


 そんな貴原の隣にいるのは、少女と見紛うほどの美しく可憐な外見の華奢な体躯の長い髪を後ろ手に結った少年・白葉しろばクロノは刈谷の話を軽く受け流し、自身の隣に座る一心不乱に5ポンドのステーキ食べている地味な顔立ちの少年・七瀬幸太郎ななせ こうたろうの頬についたソースをハンカチで拭った。


 四人は――特に刈谷と貴原は、昨夜起きたのを思い返して恋愛話で盛り上がっていた。


「愛は不滅です。それを否定しているのは刈谷さんがまともな色恋をしていないからでは?」


「同感だ。刈谷が色恋を語ってもまったく説得力はない」


「い、今は俺のことなんてどうでもいいだろうが! 話を戻すぞ!」


 グサリと来る貴原とクロノの発言を強引に流す、恋愛経験のない憐れな刈谷祥。


「お前は前からセラが気になっているみたいだが――確かにアイツは良い女だ。顔だけじゃなくて、性格もいい。だけど、俺から見ればアイツは結構面倒な女だぞ」


「せ、セラさんを侮辱するのは刈谷さんであっても許せません!」


 憧れの女性を『面倒』だと言い捨てる刈谷に、今まで億劫そうに話を聞いていた貴原は机を勢いよく叩いてヒートアップする。そんな貴原を、刈谷は「まあ、落ち着けよ」と諫める。


「そんなつもりはねぇ。これは色恋に縛られてるお前へのアドバイスだ。お前がセラに相手されないのは、お前はアイツを神聖視し過ぎているからだ。相手と同じ目線にいないと、相手が何を見て何を思ってるのかを理解できねぇ。つまり、第三者の客観的な意見で現実突きつけられると同時に相手の理解も深まり、自ずと相手と同じ目線でいられるってことよ」


 恋愛経験がないにもかかわらず、的を射るような刈谷の言葉から感じられる説得力に「た、確かに……」と納得してしまう恋に縛られる憐れな貴原。


「それでは、刈谷さんからセラさんはどのように見えますか?」


「さっきも言ったが容姿も性格もセラは完璧。でも、誰にも相談しないで一人で思い詰めて暴走しちまうんだ。一人で抱え込むのは男女問わず面倒だ。よく考えてみろ? 明らかに悩んでるオーラが出てるのに相談しないし、何も言わないんだぞ? 軽い構ってちゃんで面倒だし、本音を語らないのは次なるステップに進むのに大きな痛手になる。それに自分勝手でわがままな一面もある」


「で、ですが、一緒に障害を乗り越えることによって得られるものもあるはずです」


「それができるのは余程のお人好しだな。つまり、セラの相手をするにはお人好しか、自分勝手なわがままを許容できる器が広い人間にしかできないってわけよ」


「な、なるほど……それでは、他の女性について刈谷さんはどう思うのですか?」


 モテない男から放たれる薄っぺらい言葉の魔術にすっかり虜になってしまった青春真っ盛りの貴原は、座っている椅子から立ち上がって身を乗り出して質問を続ける。


 クロノはすっかり興味をなくした様子で、メロンフロートをちびちび飲んでいた。


「例えば――お嬢の麗華れいか。傍若無人のお嬢様を手懐けるにはセラ以上の器が必要だし、あのハイテンションについていける体力がなけりゃ、一緒にいて疲れるぞ。それと、大和やまとだ。ろくでもないことばかり考えてる腹黒女のアイツは、常に油断できねぇからお嬢以上に疲れる。ティアの姐さんの場合だけど、姐さんはセラと同じような感じだな。まあ、セラよりも思考が少し単純なのがありがたいけど。それと、ともえのお嬢さんだが……お嬢さんは完璧に近いが、親父があの克也かつやさんだからな。それがネックになってるな」


 本人たちが聞いたら激怒必至の評価をスラスラと述べる、このままだと一生独身になりそうな憐れな男・刈谷の言葉を熱心に聞く憐れな貴原。


 自分の言葉を熱心に聞き入っている貴原を満足そうに見る偉そうな刈谷は、話がはじまってから一言も会話に入らず、ただ一心不乱に巨大なステーキを食べている幸太郎に視線を向けた。


「幸太郎、今後のためにお前もちゃんと俺の話を聞いておくべきだぞ。最近アカデミー都市トップクラスの美女に囲まれて青春してるんだからな」


 恋愛マスターを気取っている刈谷の偉そうな言葉に、巨大ステーキ最後の一欠けらを咀嚼して飲み込み、「そうですね」と適当な相槌を打つ幸太郎の明らかに人の話を聞いていない態度に、不機嫌になる自惚れ恋愛マスター刈谷。


「刈谷さん、放っておきましょう。色恋に疎いどころか、一生縁のなさそうなこの凡人に何を言っても、無駄。馬の耳に念仏というものです」


 色恋の話よりもステーキに集中する幸太郎を貴原は冷たく見下ろし、吐き捨てるようにそう言い放つと、「それは失礼だよ、貴原君」と幸太郎はムッとして反論する。


「僕だって好きな人とイチャイチャしたいし、チョメチョメしたい」


「それならちゃんと俺のありがたい言葉をしっかりと脳みそに焼きつけねぇとな!」


 自分を頼りにする人間が増え、大いに胸を張って偉そうにする刈谷。


「それで――どこまで話したんですか? 大道だいどうさんに婚約者がいるのを刈谷さんが嫉妬しているところまで聞いていたんですが……」


「人の話をまったく聞いてねぇどころか、適当なこと言ってんじゃねぇ!」


「なるほど、それが嫉妬という感情なのか」


「別に嫉妬なんてしねぇよ!」


 人の話を聞いていないのはもちろん、自分よりも異性に人気があったが、女っ気がなく、自分の方が早くに結婚すると思っていたのに実は婚約者がいた友人のことを思い出させる幸太郎に、偉そうに恋愛を語って悦に浸っていた憐れな刈谷は醜い嫉妬の炎を燃やす。


 そんな刈谷を見て、嫉妬という感情を学ぶクロノ。


 結婚話から、今度は刈谷の怨嗟に満ちた嫉妬の話に変化した。




 ――――――――




 人気のない山奥にある、鬱蒼とした木々に囲まれた洋館は不気味であり、朝日が昇りきっていない薄暗い空に照らされてより一層不気味さが際立っていた。


 高級ホテルとまではいかないが、値段の張るホテル並みに整えられた洋館の一室を、痣と擦り傷だらけの精悍な顔立ちを焦燥感で険しくさせた短髪の青年・村雨宗太むらさめ そうたは苛立っていた。


 数日前から村雨は快適に眠れるフカフカのベッド、風呂とトイレがあり、一日にちゃんと三食+デザートが出るこの部屋に、丁重にもてなされて監禁されていた。


 寝食ができる空間で監禁されながらも、村雨は罠かもしれないのでベッドで睡眠することも、食事もまともに取らなかった。


 村雨の体力は確実に衰えていたが、彼の中にある強い意志はまったく衰えていなかった。


 自分のことよりも、村雨には気がかりなことがあるからだ。


 涼子りょうこさんと、光陽みつはるさん……

 二人は大丈夫なのだろうか……


 自分と行動していた仲間が村雨は何よりも心配であり、弱っている場合ではなかった村雨は監禁されてから何度も脱出を試みた。


 舐められているのか、それとも簡単に出れないと思割れているのか、この部屋には鍵がかかっておらず、すぐにでも部屋から出ることができた――しかし、輝石を奪われた状況で、ここから簡単に出ることはできなかった。


 もちろん、それでも何度も部屋から抜け出したが、その都度失敗して痛い目にあっていた。


 ――クソ! 抜け出そうと思えば抜け出せるのに……


 思うように動けない今の状況に苛立っていると、軽快にノックする音が響いた。


「グッモーニング! 村雨君! 今日もいい日だね! と言っても、まだ朝日が昇っていないんだけどね☆ HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 重厚な扉を豪快に開いて躍るような足運びで部屋に入って、爽やかな朝を無駄にする暑苦しく、芝居がかった口調で挨拶してくるのは村雨を監禁するように命じた、この洋館の主だった。


 純白と派手なほどの金の色を基調とした王子様風のファッションで身を包み、肩まで伸びたしなやかそうな美しい髪、鼻につくほど整った中性的な顔、スラリと伸びた高身長と長い手足の妖艶でナルシシズム溢れる雰囲気漂う美少年だった。


 ここ数日でだいぶ見慣れたが、派手な衣装を好む自身の友人と同レベルなほど、整った顔立ちを台無しにするほどのどぎついファッションに村雨は一瞬気圧されてしまう。


「ちゃんと食事や睡眠を取っているのかい? 三食ちゃんと食べてからぐっすり寝ないと身体を壊すよ? 君の部屋に食事を運んでいるかわいい女の子のメイドちゃん、君が好みみたいで、食事を用意しても手をつけない君をかなり心配しているんだ! いやぁ、モテる男は違うね! HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


空木武尊うつぎ たける――こんな朝早くから何の用だ」


 世間話に応じることなく、身体は弱っても心はまったく折れていない射貫くような目を美少年――空木武尊に向ける村雨。


「そろそろまた性懲りもしないで大暴れする頃だと思ってね! どうかなどうかな? 図星ついちゃったかなぁ? この腕白さんめっ!」


「涼子さんと光陽さんは無事なんだろうな」


「こんな状況になっても自分よりもお友達のことを心配するとはなんて天晴だ!」


 自分よりも仲間を思う村雨の姿に賞賛の拍手を送る武尊。


 武尊の余裕な態度に苛立ちと脱力感を覚えつつも、村雨は警戒を怠らない。


「安心してよ。二人はちゃーんとアカデミー都市に送り返したよ」


「……そんなことを信じられると思うのか?」


「御三家の『水月みづき』と『銀城ぎんじょう』の二人は後々に役に立つし、メッセンジャーとして解放しただけだよ。いきなり我々が来てもきっと相手は混乱するからね――ほら、証拠にこれを見て。送り届けた部下に証拠として二人がアカデミー都市に到着する映像を撮ってきてもらったんだ」


 そう言って、武尊は村雨の仲間たちがアカデミー都市にいる様子が映し出された映像を携帯で見せると、険しい表情のままだったが村雨は小さく安堵の息を漏らした。


「恩を作るためだけに二人を解放したのか?」


「もちろんさ。御三家の人間にケンカを売りたくはないし、それ以上に無用な争いを避けたいからね。ラブアンドピースさ」


 力強いピースサインをして、いたずらっぽく微笑みながらラブアンドピースを謳う、胡散臭さ全開の武尊への不信感がさらに強くなる村雨。


「私はただ先代当主の悲願である、一族の再興をしたいだけだよ。そのためにはどーしても天宮たかみや家の力が必要なんだ。君は僕がおおとりに恨みがある天宮の人間を集めて何か謀反を起こそうと考えているみたいだけど、それは違う。私は天宮と話し合って平和的に解決しようとしてるんだ」


「天宮家の人間を集めていると俺たちが知るや否や襲いかかってきたお前が、平和的な解決をしようとするとはな」


「そう言われると何も言い返せないなぁ。うーん、取り敢えず……ごめんね?」


 もっともな言葉で反論され、痛いところを突かれて取り敢えず謝罪をする武尊に村雨は脱力感を覚えてしまう。しかし、復讐心に溢れた『天宮家』と手を組む武尊への警戒心は薄れない。


「まあ、とにかく。もう少し村雨君にはここにいてもらうからよろしくってことを、君が逃げ出さないよう監視のついでに言いに来たんだ」


「……これから何をするつもりだ」


「アカデミー都市に向かう。平和的な解決のためにちゃんと挨拶をして話し合いをしないと。それじゃあね、村雨君! ちゃんとご飯と睡眠を取るんだよ!」


 下手糞なウィンクをして部屋から出ようとする武尊。


 自分に背を向け、優雅な足取りで部屋から出ようとする武尊は隙だらけだった。


 そんな武尊に飛びかかり、脅してこの屋敷から脱出しようという考えが一瞬浮かぶ村雨だが――その行動を部屋の隅から放たれた殺気が止めた。


 ――……彼女か。

 空木武尊と同時にこの部屋に入って、ずっと気配を消していたのか……


 その殺気が自分を監禁し、何度も脱出しようとしたのを阻んだ人物であることを察知した村雨は大胆な真似をすることができず、心の中で忌々しく舌打ちをした。


 下手な真似ができない村雨の前から躍るような、それでいてそんな彼を煽るような足取りで武尊は部屋から出て行った。


 殺気を放った人物は、その身を昇りはじめた朝日に照らされることなく、闇と同化したまま影のように武尊に寄り添って部屋から出て行った。


 相手の目的は理解できたけど……その過程で相手は何をするのかわからない。

 取り敢えずはあの二人がアカデミー都市に戻っていることを安心しよう。

 ……――すみません。


 武尊がアカデミー都市に向かって何をするのかわからない不安が村雨を襲うが、取り敢えずは自分の仲間たちが解放されたようなので安心することにする村雨。


 その途端に張り詰めていた緊張の糸が緩み、激しい睡魔に襲われる村雨。


 倒れそうになり、ソファに腰かける村雨。


 意識を失う寸前に村雨は心の中で深い謝罪をする。


 不甲斐ない自分のせいで迷惑をかけてしまうアカデミー都市にいる仲間たちに向け。


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