第23話

 外は真っ暗に染まり、人が寝静まる頃――僅かな明かりしか照らされていない資料やガラクタなどで埋め尽くされた室内で機嫌良さそうな鼻歌が響き渡っていた。


 鼻歌の主はヴィクターであり、検査が終わって夜が深まる頃になっても研究所内にある自室に残り、リグライニングチェアに深々と座って机の上に足を置きながら、今回の検査結果が記された資料を読んでいた。


 しかし、何度資料を読んでもわからないことばかりであった。


 イミテーションについての理解はそれなりに深まったが、七瀬幸太郎の中に眠る力についてはまったくとわからないでいた。


 自身の優秀な頭を使ってもわからないことに、苛立ちを覚えると同時に旺盛な知的好奇心を刺激されて興奮しているヴィクター。


 だが、何時間も何度も何度も資料を読み直し、頭を使って考えたのでさすがに疲労が回ってきたのか、一旦頭を休めるために持っていた資料を置こうとすると――


「どうやら、何もわかっていない様子だな、ヴィクター」


「やあ、アルバート。こうして二人きりで会うのは久しぶりじゃないか」


 目の前には今まで誰もいなかったというのに、資料から目を離した途端に現れた長めの黒髪の長身痩躯の、整った顔立ちでありながらも内に秘めた狂気を滲ませている青年――アルバート・ブライトが立っていた。


 先日特区から脱走したばかりであり、研究の邪魔をして恨まれている身であるヴィクターだが、旧友の登場に特に驚いた様子はなかった。


 あらかじめ用意してあったマグカップを持ってきて、マグカップに瓶の中に入っている蛍光ピンク色の怪しい液体を並々と注いで突然の来訪者に差し出した。


 差し出されたマグカップを恐る恐るといった様子でアルバートは手に取り、マグカップの中に入っている蛍光ピンクで鼻につく酸っぱいにおいの放つ液体を怪訝な顔で見つめていた。


「私のお手製栄養ドリンクだ。効能は君も昔よく飲んでいたから知っているだろう」


「変なものは入っていないだろうな」


「多分安心したまえ。おそらく、きっと、騙し討ちのような姑息な真似は今更しない。それに、君がここまでスムーズにこれたであろうことを考えれば、私がそんな考えを持っていないことは承知だろう」


 意味深な笑みを浮かべるヴィクターの言葉に納得できたのか、アルバートは「それでは、いただこう」と恐れることなく怪しい液体を口に含んで一気に飲み干した。


 栄養ドリンクを飲み干したアルバートは、ヴィクターを確かな憎しみが宿った目で探るように睨んだ。


「それで? ……わざわざまで与えて呼び出した理由はなんだ」


「さすがは私のベストフレンドだった男だ!」


「昔の話だ。今はお前のすべてを無茶苦茶にしたくて堪らないんだ――さあ、早く目的を言え」


 とっくの昔に破綻した友人関係のことを思い出させるヴィクターに、アルバートの抱いている彼への憎しみと怒りが強くなり、全身から殺気とともに溢れ出す。


 自身への怒りと憎しみに身を焦がすかつての親友の姿をヴィクターは憐れむようでありながらも、真っ直ぐと力強い目で見据えていた。


「正直、私に恨みを持つ君ではなく、我が師が来ると思っていたよ」


「先生は色々忙しいのだ。だから、私がここに来たのだ」


「つまり、アカデミーにはいないということかな?」


「余計な詮索をするのなら、今ここで私の復讐を果たしてもいんだぞ?」


「まあまあ、落ち着きたまえ。私はただ君と――いや、君たちと取引がしたいのだ」


 腹に一物も二持つも抱えてそうな笑みを浮かべてヴィクターの口から出た『取引』という言葉にアルバートは不信を隠そうとしなかったが、同時に興味も生まれていた。


「秘密裏に行われていたというのにわざと検査についての情報を流して、私たちを動かした結果が取引とは――ヴィクター、お前は一体何が目的だ」


 アカデミー都市内に広まっていた、サウスエリアで行われた検査についての噂――アルバートはそれがヴィクターの流したものであると知っていた。


 足跡を辿れないように内部情報を流したヴィクターだったが、アルバートには情報を流した人間がヴィクターであるとわかるのは容易だった。


 まるで、わざと足跡を辿れるようにして自分たちを誘い込んでいるようにも思えるヴィクターの不自然なヒントの残し方に疑問を抱き、罠であると感じていたアルバートだったが、危険を承知でヴィクターに会いに行った。


 その結果、特に警備を用意しているわけでもなく、一人で自分を待ち、取引を持ち掛けてきたヴィクターにアルバートは不信を抱かずにはいられなかった。


 突然取引を持ち掛けられ、動揺して不信を抱くかつての友の様子にヴィクターは意味深に微笑み、覚悟を決めた目で真っ直ぐとかつての友を見つめた。


「単刀直入に言えば、情報が欲しいのだよ。君たちの目的や賢者の石について」


「そのためだけに内部の情報を流したのか? 裏切者の汚名を着せられるのを覚悟で――相当切羽詰まっているようだな」


 危険を冒してまで情報を求めるヴィクターから必死さが伝わったアルバートは、いい気味だと言わんばかりに嘲笑を浮かべた。


「君も知っての通り情報は重要だ。君たちについて我々は何も情報を得ていない。それだけで我々は圧倒的不利な立場だ。確かに私が行っているのは背信行為であるが、糾弾されようとも少しでも我々が有利な立場になれるのなら私は構わない。まあ、覚悟の上というわけだよ」


「わからんな。どうしてそこまでお前は必死になれる」


「アカデミーやアカデミーにいる生徒たちの未来、何よりも我が友のためだからだよ」


「この私を裏切っておきながら言えるセリフではないだろう」


 憎悪を込めた瞳で睨まれながら言い返されたアルバートの言葉に、理由があってもかつての友人を裏切ったのは事実なのでヴィクターは苦笑を浮かべて何も言い返せない。


 しかし、ヴィクターの覚悟は折れることなく話を再開させる。


「過去を蒸し返しても、不毛な時間が過ぎるだけ。さあ、アルバート。私と取引をするのか否か――決めるのだ」


「……取引の材料は?」


「私はモルモット君の検査結果の資料を渡そう、見返りに君には君たちの目的を聞きたい」


 お互いの情報を取引材料にするヴィクターに、くだらないと言わんばかりにアルバートは鼻で笑い、彼の持つ七瀬幸太郎の検査結果が記された資料を興味なさそうに一瞥した。


「お前はついさっき、情報を何も得ていないと言っていた。つまり、七瀬幸太郎の力について結局何もわからなかったのではないか? それでは取引をする意味がないだろう」


 得意気な微笑を浮かべて、七瀬幸太郎についてヴィクターが情報を何も得られなかったことを見透かすアルバートだが――すべてを見透かした気になっているアルバートを見て、ヴィクターはクスリと一度意味深な笑みを浮かべる。


「そうと理解しながら取引に興味を抱いたということは、君たちもモルモット君についての情報を得たいと考えているのではないかな? 興味深い情報が何も記されていないこの資料でも、資料の重要性を理解する者――例えば、我らが師にとっては情報の宝庫となりえる」


 見透かしていると思っていたら、見透かされていたことにアルバートは怒りと悔しさに顔をしかめるが、溢れ出んばかりの激情を抑えて降参と言わんばかりに微笑を浮かべた。


 アルバートはしばらく沈黙し、考える――取引をするのか否かを。


 答えを待っているヴィクターは思考中のアルバートを見つめているが、その目にはいっさいの不安はなく、確信を宿していた。


 しばらくした後――ヴィクターの予想通り、アルバートは「……いいだろう」と取引するのを承諾した。


「お前も気づいての通り、先生は七瀬幸太郎に眠る力について調べている。私と北崎は先生に七瀬幸太郎について調べるように頼まれたのだ。我々の目的を果たすために尽力するという条件をつけて」


「その理由は?」


「我々は協力者であって別に仲間ではない。そこまではわからない。しかし、自分と同じ賢者の石の力を宿している七瀬幸太郎に強い興味を抱いているようだ」


「……我が師が認めているということは、モルモット君の力は賢者の石の力ということか。それにしても、輝石や煌石について詳しい我らが師が、モルモット君の力については何も知らないとは……何か妙だとは思わないかな、アルバート」


「……私に意見を求めるな」


 幸太郎の力が賢者の石の力であると判明すると同時に、新たな疑問が生まれるヴィクターは、その疑問を口にしてアルバートに意見を求める。


 敵対関係であるのにもかかわらず、馴れ馴れしく意見を求めてくるヴィクターをアルバートは睨むと、ヴィクターは軽い笑みを浮かべながら「おおっと、すまないすまない」と軽い調子で謝った。


「私の目的はすでに最終段階に到達しているが、あの少年が持つ賢者の石の力を使えば想像以上の結果になる。北崎も同じことを考えていることに違いはないだろう。そして、世界の未来は安寧に包まれるのだ! ――さあ、ヴィクター。お前が持っている情報をこちらに渡してもらおうか」


「君は賢者の石の存在について、私と同じく懐疑的に見ていたと思っていたが?」


 目的達成を目前として興奮気味のアルバートに、いたずらっぽく微笑みながらヴィクターはそう尋ねると、アルバートは豪快で狂気的な笑みを浮かべる。


「百聞は一見に如かずということだ。私は先生と一緒にいて、先生が持つ賢者の石の力を何度も目の当たりにしたのだ」


「なるほど……それにしても、我が師がモルモット君の力を目の当たりにして、必ずモルモット君を狙うと思っていたのだが、我が師だけではなく君たちも狙っているとは最悪の事態だ」


「さあ、早くお前の持つ情報をこちらに渡してもらおう。今更取引を無碍にしようとしても無駄だ。今の私にはお前を痛めつける準備ができているのだからな」


「ほう、護衛用にガードロボットを用意していたのか。さすがだよ!」


 アルトマンだけでなく、アルバートや北崎も幸太郎の力を狙っていることを知って、ヴィクターは憂鬱なため息を深々と漏らした。


 そんなヴィクターに気遣うことなく、情報を渡すように催促をするアルバートは、窓に目を向けると――闇に染まった外の景色に二つの赤い光が浮かび上がった。


 護衛用のガードロボットをしっかりと用意している抜け目のないアルバートに、ヴィクターは相変わらず余裕そうに豪快に笑うと、アルバートは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「世界の未来のために行動している身としては心外なことだが、一応今の私は犯罪者。それくらいの準備は当然しているさ――さあ、早く渡してもらおう」


「焦らないでも約束はしっかりと果すさ。ほら、これが資料だ」


 特に抵抗することもなく、七瀬幸太郎についての情報が記された資料を渡すヴィクターの素直な態度に疑問と不審を抱くアルバート。


 手渡された資料を不審そうに見つめているアルバートに、ヴィクターは「安心したまえ」と声をかける。


「その資料に偽りもなければ、発信機の類もついていない」


「随分素直に手渡すのだな。お前の『友人』の情報を」


「こちらとしては君たちが彼を狙い、賢者の石を狙い、君の目的が最終段階に入っていることを知れただけでも大きな収穫だ。後は私と彼の友人たちに任せよう」


「理解不能だ。どうしてそこまであの少年を、そして、お前の友人たちとやらを信じることができる


 情報を渡せば友人をさらに危険に晒すことになるかもしれないというのに、ヴィクターは後悔することなく、ただ力強い笑みを浮かべて自分の友人たちを信じていた。


 そんな自分を理解できないといった様子で見つめるアルバートを、ヴィクターは迷いのない真っ直ぐとしていて、遠い未来を見据えている目で見つめた。


 希望に満ちているヴィクターの瞳を見て、アルバートは居心地が悪そうに舌打ちをして彼から目をそらした。


「彼らは私の希望であり、世界の未来だ――世界をより良い未来に導こうとしている君にはわからないのかな? 彼らこそが未来の希望であると」


「輝石使いなど、世界に混乱を招く存在だ」


 輝石使いたちを希望だと言い放つヴィクターをアルバートは鼻で笑う。


 相変わらず輝石使いを危険視しているアルバートに、ヴィクターは「そうだな」と認めつつも、自分の考えは何一つ変えている様子はなかった。


 そんなヴィクターから余裕を感じ取ったアルバートは苛立ちと怒りを募らせる。


「お前が何を考えてるのかはわからないが、私の目的は達成寸前だ。邪魔をしようとしても、もはや邪魔できないところまで到達した――お前が何を仕掛けてこようとも無駄だ」


「同じ言葉を返そう。君たちがどんな行動を仕掛けてきても、モルモット君や、モルモット君の友人たちによって阻まれるに違いないだろう」


「ならばその時が来るのを楽しみにしているぞ、ヴィクター! 貴様の希望、未来が潰えるその時をな!」


 お互いに宣戦布告をして、ヴィクターの前から立ち去ろうとするアルバート。


 埋まることのない溝が開いているかつての友の背中に向けて、ヴィクターは不意に「アルバート」と呼び止め、呼び止められたアルバートは立ち止った。


「久しぶりに二人きりになれたのだ。かつてとはいえ、昔は間違いなく親友同士だったのは間違い。だから、ここは敵味方関係なく朝まで語りつくそうではないか!」


「今更何を語ろうというのだ。私にはお前への怨嗟の言葉しか口にすることしかできないぞ」


「それでもいいではないか。お互いの不満を口にして、スッキリしようではないか。今日くらいはかつての友人に戻ってもいいだろう?」


「語っている間にお前を殴ってもいいのなら考えてやろう」


「中々スリリングでいいではないか! ゾクゾクしてきたよ! さあ、語り明かそうではないか!」


「しかし、断る。今更貴様と語り合うことなど何もない!」


 一人で盛り上がっているヴィクターの提案を無視して、歩みを再開して立ち去ろうとするアルバート。


 もうヴィクターはかつての友の歩みを止めることなく、振り返ることなく離れる背中をじっと眺めていた。


 扉を開けて部屋を出る寸前、アルバートは「ヴィクター」とかつての友を呼ぶ。


「……さらばだ」


 かつての友への別れの言葉を言い残し、アルバートは去った。


 別れの言葉を返すことなく、ヴィクターはかつての友の背中を何も言わずに眺めていた。

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