第19話

 茜色に照らされた鳳グループ本社の社長室には、教皇庁のトップであるエレナと鳳グループトップである大悟が机を挟んで向かい合うようにソファに座っていた。


 巨大な組織を束ねるトップだけの空間は異様な緊張感に包まれており、相変わらずの無表情で感情が伺えない二人だが――二人の表情は僅かだが普段より柔らかくなっていた。


 トップの二人が集まっている理由――それは、先程終わったばかりの七瀬幸太郎、白葉姉弟の検査について話し合うことだった。


「それにしても、今日の検査は何事もなかったようで安心しました」


「噂が出回っているので、何事もなかったとは言い難いがな。お前の検査はどうだった?」


「長い間人格を乗っ取られていましたが、特に何も異常はないとのことです」


「それはよかったな」


「ええ。これでリクトに口うるさく検査をしろと言われなくて済みます」


「息子はお前を心配しているんだろう。少しは息子に従ったらどうだ」


「それはお互い様でしょう。あなたも少しは娘に従うべきでは?」


「耳が痛い言葉だ」


「お互いに」


 世間話をしているつもりの大悟とエレナだが、無表情のまま抑揚のない声で淡々と話し合っているため、何も知らない第三者から見ればお互いが牽制しているようにしか見えない。


 だが、二人の間には確かな信頼関係が存在しており、普段は巨大な組織を束ねる組織のトップとして感情に流されないよう、無表情で感情を表に出さない二人だが、今の二人の雰囲気は普段と比べてだいぶ柔らかくなっていた。傍目から見ればまったくそう感じないが。


「これで完全に仕事復帰してこちらの仕事も集中してできます」


「教皇庁にいる過激派の様子はどうなっている」


もいますが、今のところは何も動きは見せません。そちらは?」


「散り散りになった天宮家の人間は徐々に見つかりはじめている。それに、がありそうだ。村雨むらさめはよくやってくれているよ」


村雨宗太むらさめ そうた――色々あったようですが、元気ですか?」


「ああ。銀城、水月と仲良くやっているようだ」


「それはよかった。彼のような若く、熱い人間がこれからのアカデミーには必要ですので」


「同感だ。――さて、世間話はこれでおしまいにしよう」


 淡々とし過ぎて特に面白みのない世間話を終わらせ、大悟は本題に入る。


「お前と大和が行った検査では七瀬幸太郎に何も異常は見られなかったと報告を受けているが、直接検査に立ち会ったお前に詳しい状況を聞きたい」


「報告の通りです。特に何も異常は見られませんでした」


「そうか。元々賢者の石の存在に懐疑的だったのに加え、実際に彼の力を目の当たりにしていない身としては、今回の検査の結果を受けてあの少年に力があるとは到底思えないのだがな」


「賢者の石の存在についてはあなたと同様あまり信じていなかったのですが、実際に目の当たりにした身としては、あの少年には間違いなく賢者の石、あるいはそれによく似た何らかの力が眠っていると思います。……おそらく、私を遥かに超えた力を」


「教皇であるお前を超えているとは――正直、信じ難いな」


 幸太郎の力が教皇である自分を遥かに超えていると判断しているエレナだが、普段の七瀬幸太郎を知っている大悟は無表情ながらも納得していないようだった。


 そんな大悟を納得させるために、エレナは淡々と説明をはじめる。


「あなたも知っての通り、白葉ノエルを救い出した時の状況は整いすぎていました」


「それに加えて、体内に賢者の石を埋め込んでいるというアルトマンもいた」


「その通り、三つの強い力があの場には集まっていました。そう考えると、何が起きても不思議ではありません」


「なら、あの少年がお前の力を超えるという判断は間違っているのではないか?」


「煌石を扱える資質があるものにしか理解できませんが、それぞれの煌石には癖のようなものが存在します。ティアストーンを扱うのに慣れている私は、無窮の勾玉が持つ癖のせいで、ティアストーンと比べて力のコントロールが難しいのです。逆の立場の伊波大和も同じでしょう」


「その煌石の持つ癖とやらを無視して七瀬幸太郎はティアストーン、無窮の勾玉、そしてアルトマンの持つ賢者の石の力を極限にまで引き出した」


「それに、はじめて触れる賢者の石という伝説の煌石の力さえも引き出した――そう考えると、七瀬幸太郎には強い力が宿っていると考えられます」


「理解しやすい説明だ。それを聞けばあの少年に力があると考えられる、か。しかし、輝石をまともに扱えないあの少年が果たしてそんなに強大な力を扱えるのだろうか」


「それについては同感です。あの少年がどうして力を扱えるのか、どこであの力を得たのか――結局は何もわからずじまいですし、今私が述べたのは推論でしかありません」


 推論であるが煌石を扱い慣れているエレナの説明でようやく七瀬幸太郎の眠る力について大悟も信じはじめたが、新たな疑問にぶつかり、結局何もわからずじまいになってしまった。


 話が一段落して、室内に沈黙が訪れる。


 だが、「――七瀬幸太郎」と幸太郎の名を大悟が口に出し、沈黙は破られた。


「あの少年と接して、どう思った」


「……不思議な少年でした」


 大悟の質問に検査中の七瀬幸太郎の姿を思い浮かべながらエレナは率直な感想を述べた。


 幸太郎との短い会話を思い出しているエレナは、無表情ながらも僅かに楽しそうだった。


「前から思っていましたが、今日改めて不思議な少年だと思い知りました」


「同感だ。何事にも何者にも物怖じせず、マイペースを貫くあの少年は確かに不思議だ」


「終始私のことを『教皇』ではなく、『リクトの母』として接してくれたのは新鮮でした」


「気になるか?」


「ええ、個人的に」


「気に入ったか?」


「ええ。彼は良い人ですから」


「惚れたか?」


 突拍子のないことを真顔で言い放つ大悟に、エレナは無表情ながらも言葉に詰まらせる。


 数瞬の間を置いて我に返ったエレナは、じっとりとした目を大悟に向けて「ありえません」と若干怒気で震えている低い声でそう答えた。


「バカなことを言わないでください」


「冗談なのだが……」


「昔からあなたがたまに口にする冗談は、冗談に聞こえません」


「すまない……猛省する」


 冗談を言ったつもりが、本人にまったく通じなかったことに大悟は素直に謝罪をした。


 下手糞な大悟の冗談で話の腰を折られたので、エレナはわざとらしく「コホン」と咳払いをして話を続ける。


「七瀬幸太郎――確かに彼はアカデミーはじまって以来の落ちこぼれではありますが、誰であっても物怖じせず、自然体でいるのが彼の美点なのでしょう」


「呑気すぎるのが玉に瑕だがな」


「それを含めてリクトやあなたの娘が彼を気に入っている理由の一つなのでしょう」


「……そうなのか?」


 娘――麗華が幸太郎のことを気に入っているというエレナの話を聞いて、大悟は無表情ながらも複雑そうな、それでいて焦っているような表情を浮かべていた。


「ええ。口では色々と言っていますが、あなたの娘は七瀬幸太郎を気に入っています」


「根拠は?」


「あなたの娘と七瀬幸太郎が接している様子を見ていればすぐにわかります」


「……どういう関係だ?」


「強い信頼関係に結ばれています」


「……そうか」


 何も理解していない様子のエレナの回答を聞いて、大悟は安堵の息を小さく漏らした。


 しかし、大悟の表情にはまだ若干の焦燥感が残っていた。


 胸に残った焦燥に突き動かされるまま、大悟は「……エレナ」と弱々しい声音で、恐る恐るといった様子で話しかけた。


「変なことを聞くが、お前から見て麗華と七瀬幸太郎をどう見る」


「まるで二人は――」


「――いや、やっぱり答えなくてもいい」


「突然どうしたのですか? あなたにしては珍しく心が乱れているよう見えるのですが」


「いや、その……何でもない。忘れてくれ」


「そう言われると、気になるのですが――まあ、いいです。聞き流すつもりで聞いてください」


「勘弁してくれ」


「耳を塞ぐことはないでしょう」


 質問に素直に答えようとするエレナを慌てた様子で制止する大悟。


 質問をしておきながら制止し、どこか取り乱している様子の一人の娘を持つ父親の姿を、エレナは不思議そうに見つめながらも、質問の回答を続けようとする。


 無意識サディストのエレナの言葉を、お父さんは耳を塞いで聞かないようにした。

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