第12話


 研究所等が立ち並ぶサウスエリア内にある、数少ない食事や休憩ができる食堂にいる刈谷はそんなに美味しくないラーメンを仏頂面で啜っていた。


 そんな彼の体面に座っているのは、屈強な身体の坊主頭の、悪人面の刈谷とは対照的である徳の高い僧侶のような優しく、精悍な顔立ちの青年・大道共慈だいどう きょうじは蕎麦を啜っていた。


 悪人面で趣味が悪いほどのド派手な外見の刈谷、聖人君子のような顔立ちで品行方正な空気が全身から溢れ出ている大道――対照的な二人だが、一応は友人関係だった。


「しっかし、このラーメン不味いな。醤油ベースで具もゴテゴテしてないシンプルイズベストなのはいいんだけど、麺が若干伸びてるし、麺の硬さがゴムみたいだし、スープが温いし、スープの出汁に化学調味料が入ってダメだ」


 食べているラーメンに対して不平不満を漏らす刈谷に、大道は咎めるような視線を送る。


「せっかくの飯にケチをつけるな。飯が不味くなる」


「飯代は客の俺が出してるんだ。文句をつけても別にいいだろうが」


「お客様は神様ではない。客は要望があって店に向かい、店は客の要望に応える――つまり、我々客と店は対等の関係だ。文句を言うな」


「いい子ちゃんぶってんじゃねぇよ。お前だって不味いって思ってんだろ?」


「ここはサウスエリアで働く研究員のための食堂だ。彼らにとって研究が第一であり、食事は二の次ということだ。それに、最初からあまり期待はしていなかった」


「てことは、お前も不味いって思ってんだろうが」


「元々期待はしていなかったと言っただろう。……不味いと言いつつ、完食しているお前に文句は言えないぞ」


「どんなに不味くても飯は飯。腹が減っては戦ができないっての」


「だったら、文句を言うな。バカモノめ」


 話している間にしっかりスープまで飲み干して、不味いラーメンを完食している刈谷に大道は呆れたようにため息を漏らした。


「それにしても、ここには甘いものとかないのかよ」


「入口に食品自販機があっただろう」


「栄養食品の味気ないクッキーとチョコと栄養ドリンクを俺は菓子と認めねぇ――クソッ! ただでさえ、ヤローの裸を見て心身ともに疲労してるってのにここには甘いものもねぇのかよ!」


「騒ぐな――まったく、それならこれをやろう」


「おはぎ? それも手作りっぽいな……まさか、お前の手作りじゃねぇだろうな」


「勘違いするな。女性が作ったものだ」


「あー、そういえばお前、婚約者がいるんだってな、コンチクショウ! こうなりゃ、味わわないで貪り食ってやる!」


 大道に渡された、最近になって知った彼の婚約者の手作りだという拳大の大きなおはぎをがつがつと嫉妬に満ちた表情で意地汚い咀嚼音を立てて貪り食いはじめる。


 ラーメンとは比べ物にならないほど美味しかったのか、文句を垂れることなく味わい、あっという間に完食し、素直に「悪くねぇ」と褒めた。


「あーあ、どうせだったらパフェ的なものが食いたかったな」


「人のものを食べておいて、文句を言うな」


「あー、クソッ! 今日はホントに厄日だぜ。飯は不味いし、パフェ的なものも食えねぇし、薫ネエさんに騙されてヤローの裸を見ないといけなくなったし! 最悪だよ、まったく!」


「邪な考えを持つお前が悪い。大体、萌乃さんの言葉には必ず裏があると過去の経験で身に染みているだろう」


 今まで堪えてきた鬱憤を晴らすかのように、食堂内に響き渡るほどの怨嗟に満ちた声を上げて不満を口にする刈谷を大道は呆れ果てた様子で見つめる。


「検査の手伝いをするって聞いたら、誰だってラッキースケベ的な展開を望むのが当然。というか、男として妄想を抱かなければならないだろうが! それなのに……それなのに俺は男の裸を見る羽目になっちまったんだぞ! この苦しみがお前にはわかるか! わからないだろうな! 婚約者のあられもない姿を毎晩眺めてるお前には」


「ひ、人聞きの悪いことを言うな! 婚約しているだけであって、まだ結婚していない身であるのに、営みは早い――というか、何を言わせるんだ!」


「知るか! 勝手に一人で盛り上がってるだけだろうが! このムッツリハゲが!」


「男女関係の話になると卑猥な妄想しかできない未熟者めが!」


「未熟はお前だろうが! このムッツリチェリーハゲ!」


 椅子から立ち上がって口論に発展してヒートアップする二人の様子に、食堂にいた研究員たちは巻き込まれないようにそそくさと立ち去ってしまい、食堂に残っているのは刈谷と大道の二人きりになった。


 食堂内が静まり返り、響いているのは怒りで興奮している二人の荒い息遣いのみだった。


「……やめようぜ、なんだかむなしくなってきた」


「ああ……すまない、少し感情的になってしまった」


 自分たちの荒い息遣いが耳に届くと、不毛な口論をしていることに気づいた二人は一気にクールダウンして、椅子に座りなおした。


「……それで、検査の方はどうなっている」


「ああ、もう大方の検査は終わってる。次はヴィクターが検査するらしい」


「午前中の検査で何か――」


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! ここにいましたか!」


 幸太郎の検査について話している刈谷と大道だったが、静かになった食堂内に響き渡るご機嫌な笑い声が二人の会話を遮った。


 その笑い声に刈谷は忌々し気に大きく舌打ちをして、大道はやれやれと言わんばかりに深々とため息を漏らして笑い声の主――貴原康に視線を向けた。


 貴原は軽快な足取りで二人に近づくと、「どうも、こんにちは」とわざとらしいほど慇懃な態度で頭を深々と下げて挨拶をする。


「随分ご機嫌だな、貴原。――で? 何の用だ」


「サウスエリアにセラさんがいるという『噂』を聞いたので来てみたんですよ。昼休みの時間なので食堂にいるかと思ってきてみれば、いるのは刈谷さんと大道さん――どうやら、噂は本当のようですね」


「……貴原君、その噂について詳しく教えてくれないかな?」


 若干の警戒を込めて尋ねた刈谷の質問に、過去に色々あって苦手意識を抱いている刈谷相手に機嫌よく答える、セラのことしか頭にない貴原。


 貴原の口から出た『噂』に興味を抱くと同時に、危機感を覚えた大道は鋭い視線を彼に向けて続けざまに質問する。


「理由はわかりませんが、学内電子掲示板でサウスエリアにトップクラスの実力を持つ輝石使いたちが集結しているという興味深い噂があったんですよ。健康診断中にいなかったセラさんがサウスエリアにいると考えた僕は、いても立ってもいられずに来たわけですよ」


「おいおい、せっかく秘密裏に動いてたのにもう動きがバレてんのかよ」


「それよりも、刈谷さん。セラさんは今どこに?」


「お前も相当なストーカーだな」


「人聞きの悪いことを言わないでください。愛を抱いて歩む者と呼んでください」


「略して愛歩あほ――だな」


 セラのことしか頭にないアホの貴原を放って、秘密裏に動いていたのにもかかわらず、周囲に自分たちの動きが悟られていることを知って刈谷は深々とため息を漏らした。


「秘密裏であっても今回鳳グループや教皇庁の人間が派手に動いているんだ。ある程度こちらの動きが周囲に悟られても仕方がないだろう」


「その原因の一つに、いきなり予定を狂わせたヴィクターのバカの責任も加えろ」


「……だが、幸いにも動いている理由に気づかれないんだ。それで良しとしよう」


 最初から予定を狂わせたヴィクターに対して苛立つ刈谷に心の中では同意をしながらも、周囲に幸太郎のことが気づかれていないので安堵していた。


「それにしても、随分と具体的な噂が出回るのが早いな……なあ、貴原。今出回っているサウスエリアの噂について、詳しく教えてくれ」


「噂については先程述べた通りですよ。好き勝手な憶測も飛び交っていますから、何が正しいのかよくわからないのが現状です」


「噂の出所についてはわかるか?」


「セラさんたちのような美しく、そして、強い輝石使いがサウスエリアに集合しているのです。目撃者の一人や二人いてもおかしくはないでしょう」


「……まあ、そうだけどよ」


 噂について尋ねる刈谷のために偉そうな態度で貴原は説明していると、「そういえば――」と何かを思い出したかのように、上機嫌だった貴原の表情が不機嫌なものへと一変する。


「信じたくはありませんが、セラさんたちに混じってあの七瀬幸太郎もサウスエリアにいるという噂もあります。……大体、どうしていつもいつもアイツはセラさんと一緒にいるんだ。千歩譲って一緒の風紀委員だから仕方がないとはいえ、暮らしている寮の部屋も近いし、新年度がはじまってから教室にいる時以外は一緒にいるし、それに、セラさんだけではなく大勢の強く、美しい輝石使いが集まっているのは納得できん!」


「男の嫉妬は醜いぞ」


「か、勘違いしないでいただきたい! この僕があの落ちこぼれの男に嫉妬なんて抱くわけがない! 絶対にありえない!」


「お前って中々かわいい奴だな」


「か、からかわないでください!」


「幸太郎、お友達なんだろ? だから、少しは素直になってもいいんじゃないの?」


「あんな落ちこぼれが友人なわけがないでしょう。こっちから願い下げだ!」


「お前なぁ、幸太郎と、幸太郎の周りにいる奴らくらいしか友達いないんだから、もうちょっと大切にしてやれって」


 ニヤニヤと意地の悪い刈谷の言う通り、憧れのセラや、大勢の仲間たちに囲まれて特別扱いをされている幸太郎に対して明らかな嫉妬をしている貴原だが、必死になって否定する。


 そんな貴原の素直じゃない態度を見て、萌乃に騙されたことでたまっていた鬱憤を晴らすかのように刈谷はニヤニヤ笑いながらからかう。


 しばらく刈谷は貴原をからかっていたが、それに見かねた大道が止めた。


 そして、その後しつこく貴原はセラの居場所について尋ねてきたので、刈谷が少しだけオシオキをして黙らせた。

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