第11話

 幸太郎が実験中の研究所周辺を、いつにも増して身に纏う空気が冷たく、険しい面持ちのティアは巡回していた。


 いつでも研究所を襲われてもいいように、ティアはチェーンにつながれた自身の輝石を握り締めて臨戦態勢を整えていた。


 そんなティアの全身から緊張感と殺伐とした空気が放たれており、彼女を中心とした周囲の空気は張り詰め、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


「あまり気負いすぎるなよ、ティア。返って周りから怪しまれるぞ」


「相手が相手だ。気負いすぎるくらいがちょうどいい」


「確かにそうだけど、少しはリラックスしないと心身が持たないぞ」


 張り詰めた空気を身に纏うティアに恐れることなく、フランクに話しかけるのは――白髪交じりの黒髪、少し幼さが残る整った顔立ちの、細身の体躯の青年・久住優輝くすみ ゆうきだった。


 険しい顔つきの幼馴染に爽やかな微笑を浮かべる優輝の隣には、三つ編みお下げの、眼鏡をかけて地味目な顔立ちをしているが、スタイルがとてもよく、よく見れば美しい顔立ちをしている、白衣を着ている少女――水月沙菜みづき さなはティアの雰囲気に気圧されながらも、「ど、どうも」と頭を下げて挨拶をした。


 二人の登場に、身に纏っていた張り詰めた空気を僅かに柔らかくさせるティア。


「それで、突然何の用だ。何か問題でも起きたのか?」


「だから気負いすぎるなって言ってるだろう? まったく……健康診断が終わって、お昼休みで少し時間が空いたから、沙菜さんと昼食を食べるついでにそっちの様子を見に来たんだ」


 若干の警戒心も込めて、自分たちを不審そうに見つめながら質問してくるティアに呆れつつ、優輝は答える。


 優輝の答えを聞いたティアは、今度は沙菜に視線を移す。


「水月、お前は学生ボランティアで診断の手伝いをしているだろう。勝手に抜け出してもいいのか?」


「は、はい。半分以上の生徒の診断も終わりましたし、優輝さんの診察も終わったので、少しだけ休憩をいただきました」


「……優輝の具合はどうだった?」


「何も問題はありません。完全に力が戻ってから体調も良好のようです。後半年もすれば定期的に診察しなくても良さそうです」


 最近まで事件に巻き込まれた影響で長年力をまともに扱えずに自分であることができなかった優輝の具合を聞くティアに、沙菜は嬉しそうに微笑みながらそう答えた。


 優輝の具合が万全だということを聞いて、ティアは満足そうに頷いた。


「お前が俺の心配をしてくれるなんて珍しいな、ティア」


「万全の状態でのお前と、本気で戦いたいだけだ」


「万全の状態でも、まだ一応病み上がりなんですけど……」


「沙菜さん、この脳みそプロテインの戦闘狂に何を言っても無駄だよ」


 本気で優輝とぶつかり合えることを想像し、期待に満ちた微笑を一度浮かべたティアに、呆れる優輝と沙菜。


「すべて水月のおかげだな」


「え、えっと、その……そ、そんなことはありません。最後まで優輝さんが諦めなかったおかげです。それに、私だけじゃなくて、ティアさんやセラさんたちのような優輝さんのことを思う友達の方々の支えがあってこそです」


「謙遜しないで。みんなのおかげでもあるけど、それ以上に沙菜さんがずっと付き添ってくれたおかげでここまで回復できたんだ」


「優輝さん……」


 自分を褒めてくれたティアの言葉に嬉しさで気恥ずかしそうにする沙菜を、優輝は深い感謝と熱い感情を宿した真剣な瞳で見つめながら、自分の本心を口にする。


 優輝の本心からの言葉に沙菜は嬉しそうに瞳を潤ませ、優輝と同じく熱い感情を宿した目で見つめ返す。


 優輝と沙菜――二人の視線が交錯し、二人が宿している熱い感情が絡み合う。


 沙菜と自分の視線が合っていることに気づいた優輝は気恥ずかしそうに頬を赤らめて、視線をそらせようとするが、自身の中に滾る情熱的な感情がそれをさせない。


 沙菜も優輝と同様、普段奥手であるにもかかわらず、彼から目を離せないでいた。


 二人の熱い視線が交錯し、二人の間に熱く、甘い空気が流れはじめる。


 時間が制止したかのように、二人は見つめ合ったまま何も語らなかった――が。


「……どうした?」


「あ、い、いや、何でもない、何でもないから」


 二人だけの世界をティアの声が干渉すると、数秒遅れて優輝と沙菜は反応する。


 頬を赤く染め、何も問題ないと言っている優輝だが動揺を隠しきれておらず、沙菜も気恥ずかしさで真っ赤に染めた顔を俯かせて押し黙っていた。


 そんな二人の様子を見たティアは何も察していないにもかかわらず、異変を察する。


「黙ったまま見つめ合って、何か気になることでもあったのか?」


「え、えっと、その……あの……」


「まるで、発情した動物のような目をしていたようだったが?」


「ち、違います! そ、そんなことはありませんから!」


「しかし、公衆の面前でそんな目で見つめ合うとは妙だ。何か悩みでもあるのか?」


「そ、それよりもティア! 幸太郎君のことだけど、彼の力について何かわかったのかい?」


 空気の読まない朴念仁のティアに追い詰められ、何も答えられない沙菜の代わりに、優輝は話を自分たちの当初の目的である幸太郎に強引に替えた。優輝たちの態度を怪訝に思いつつ、ティアは「そのことについてだが――」と、幸太郎について話しはじめる。


「萌乃の診察では特異な点は何も見当たらなかった。今、ノエルを救った時の状況を再現するために大和と教皇が幸太郎にティアストーンとアンプリファイアの力を流しているが、一時間以上経過しても何も変わった様子はない」


「い、一時間以上も力を流し続けて、七瀬君の身体は大丈夫なんですか?」


「御子である大和と、教皇のエレナが煌石の欠片の力を上手く制御しているおかげで今のところは何も問題はないが、大事を取って後三十分ほどで検査は終了するようだ」


 一時間以上もアンプリファイアとティアストーンの力を受け続けている幸太郎のことを心配する沙菜だったが、幸太郎の無事を知って「そうですか……」と安堵の息を漏らす。


 しかし、そんな沙菜とは対照的に、元々険しかったティアの表情がさらに険しくなると、「水月」と不意に沙菜を呼んだ。


「この国最古の輝石使いの一族・『天宮』の分家である『水月』の人間のお前は、幸太郎が持っているかもしれないとされている賢者の石について何か知っているか?」


「その……七瀬君の力について聞いた後、大道だいどうさんと私は春休みの間一度お互いの実家に戻って賢者の石について調べましたが――……文献によって賢者の石の力が異なっているので、明確な答えは何も見当たらず、実在するかどうかも定かではありませんでした」


 同じく天宮の分家である『大道』の一族である大道共慈とともに賢者の石の力に、自分たちなりについて調べた結果を沙菜は申し訳なさそうに答えた。


「お前は賢者の石が本当に実在すると思うか?」


「七瀬君の力を実際に目の当たりにしたわけではないので何とも言えませんし、私の家は教皇庁寄りの一族だったので多少の贔屓目もありますが――実在すると思います。ノエルさんたちの存在が何よりの証明ですし、敵ではありますが輝石や煌石研究の第一人者であったアルトマン博士が実在すると豪語しているので間違いないと思います。ですので、博士の言う通り賢者の石が生命を操る力を持っているとするならば、ノエルさんの命を救った七瀬君も賢者の石の力を持っていると思います」


「俺も沙菜さんには同意見だ。前に力を求めるために賢者の石について調べていた身としては、幸太郎君の力を見て、彼が賢者の石の力を持っていると思っているし、賢者の石も実在すると考えてる」


 賢者の石が実在し、その力を幸太郎が沙菜と優輝の答えを聞いて、ティアは「……そうか」と曇った面持ちで納得した。


「ティアは賢者の石についてどう思っているんだ?」


「眉唾物だと昔から思っていたが――幸太郎の力を目の当たりにして、信じざる負えなくなっている。もちろん、半信半疑だが」


「……幸太郎君のこと、不安か?」


 自分の質問に答えたティアから優輝は確かな不安を感じ取り、ティアに尋ねた。


 自分の心を見透かした優輝の一言に、ティアは何も言わずに頷いて素直に認めた。


「幸太郎の力の全容が掴めず、アルトマンは自分の協力者たちを特区から脱走させて何かを企んでいる――賢者の石、アルトマンたちについて何の情報も得ていない現状でアイツを守れるのか、私にはわからない……だから、不安だ」


 プライドの高いティアが珍しく、自身の不安を吐露する弱気な姿を優輝は珍しそうに、それ以上に驚いたように見つめていたが、いつものように茶化すことなく、「そうか」の一言で幼馴染の不安を受け止めた。


「言われなくともわかっていると思うが、幸太郎君を守っているのはお前一人じゃない。セラたちはもちろん、俺や沙菜さんだって同じだ」


「無論、百も承知だ」


「だったら気負いすぎるな。最近のお前やセラ、それに麗華さんたちは気負いすぎている。セラたちがそんな状況なのに、お前がしっかりしないでどうするんだ」


「……そうだな」


「ここの警護はお前一人だけじゃなくて、巴さんや刈谷君もいるんだろう? それに、セラたちだっている。みんなを信用してもう少し肩の力を抜くんだ」


 口調は優しいながらも、厳しさが含んだ優輝の言葉をティアは素直に受け止めた。


 自身の心の内を見透かし、不安で凝り固まった心身に喝を入れるような幼馴染の言葉のおかげで、ティアの身に纏っていた刺々しい空気が一気に柔らかくなった。


「ティアさん、七瀬君のことを大切に思っているんですね」


 幼馴染同士、お互いの心が通じ合った様子の二人を羨ましそうに眺めていた沙菜は思っていたことを口にすると、ティアは「……そうなのか?」と理解していない様子で小首を傾げた。


「そ、そうですよ。理解していないだけで、きっとティアさんは幸太郎君のことをすごく大切に思っているんですよ」


「幸太郎には色々と借りがあるし、それに、鍛錬しているから弟子のようなものだから、放っておけないだけだと思うのだが……」


「それを沙菜さんの言葉通り、大切に思っているっていうんだろ、ティア」


 沙菜の言葉にピンと来ていないティアを、優輝は深々と呆れたようにため息を漏らす。


「なるほど……それなら私は幸太郎のことを大切に思っているということか」


 ため息交じりの優輝の一言に、ようやく沙菜の言葉を理解し、自分が幸太郎のことを大切に思っているということを悟るティア。


 そんなティアに、沙菜と優輝は深々とため息を漏らした。

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