第9話

 萌乃の身体検査を終えた幸太郎は、萌乃に研究所の地下にある広間へと連れられた。


 ヴィクターが新たに開発した成果を実験する施設であり、何が起きてもいいように頑丈に作られた薄暗い広い空間の真ん中に幸太郎は立っており、対面には二人の人物が立っていた。


 一人は伊波大和、そして、教皇庁トップの教皇であり、息子と同じ栗色のロングヘア―を三つ編みに束ねた年齢不詳の外見で神秘的な雰囲気を身に纏っている、能面のように無表情の女性――エレナ・フォルトゥスがいた。


 二人の首には薄暗い空間内をぼんやりと照らしている石がついたペンダントをかけていた。


 大和の首に下げているペンダントについているのは、緑白色の光を放つ無窮の勾玉の欠片――アンプリファイア。


 エレナの首に下げているペンダントについているのは青白い光を放つティアストーンの欠片だった。


「……準備はいいですね?」


「ドンと来てください」


「その意気だよ、幸太郎君。それじゃあ、思い切ってやっちゃうからね」


 感情を宿していない淡々としながらもどこか遠慮がちな声音のエレナの問いかけに、特に何も考えている様子のない幸太郎は呑気に頷くと、大和は満足そうに軽薄な笑みを浮かべる。


「天宮加耶、言われなくともわかっていると思いますが、無窮の勾玉の力は良くも悪くも極端です。加減を誤らないように気をつけてください」


「もちろんわかってるよ。幸太郎君のことを心から心配している麗華のためにも、失敗はできないからね。それよりも、病み上がりのエレナさんの方こそ大丈夫なの?」


「――何も、問題ありません」


 つい先日まで長い間人格を乗っ取られたエレナだったが――言葉通り、一瞬の集中の後にエレナの全身にティアストーンの欠片から放たれる光と同じ青白い光が纏う。


 それに同調するように、部屋の隅に置かれた大量のティアストーンの欠片も輝きはじめる。


 まったく力を衰えていないエレナの様子に、「御見それしました」と軽い笑みを浮かべながら謝った後――一瞬の集中の後、大和の全身にアンプリファイアと同じ緑白色の光が纏い、部屋の隅に置かれたアンプリファイアも彼女に同調するように淡い光を放ちはじめる。


 薄暗かった空間が青と緑の光に包まれ、空間全体が二人を中心にして神秘的な空気に一変したのを肌で感じ取った幸太郎は、情けなく大口を開けて感心していた。


 これからはじまるのは、命を失いかけたノエルを救った時と同じような状況を作り出し、幸太郎の中に眠っている力を引き出す実験だった。


 ノエルを救い出した時、幸太郎の目の前にはティアストーンがあり、アカデミー都市中に大和が操る無窮の勾玉の力が充満していたが、二つの煌石を使ってその時の状況を再現すれば、祝福の日のような最悪な事態に陥るかもしれないと考えた結果、部屋の隅に置いてある大量のティアストーンの欠片とアンプリファイアを代用して再現することに決まった。


「さすが『御子』……あなたの力を目の当たりにしたのははじめてですが、大したものです。教皇庁に所属しているのならば、次期教皇最有力候補筆頭の力を持っているようですね」


「それはどうも。でも、エレナさんだってすごいよ。煌石を扱う資質は時間が経てば弱まるか自然消滅するかのどちらかなのに、エレナさんは衰えるどころか力は増す一方なんじゃないのかな? リクト君たち次期教皇最有力候補が教皇になれるのはまだまだ先だね」


「もう教皇は必要ないかもしれませんが」


「おっと、それは爆弾発言なのかな?」


「あなたも理解しているでしょう? 未来に教皇庁のような古臭い組織は必要ないと」


「確かにそうだけど、滅多なことはあんまり言わない方がいいんじゃないかな? 教皇庁内には古臭い因習にこだわる過激派の人たちがいるんだからさ。教皇庁と鳳グループが協力関係を結んだ時、彼らの当たりが結構強くて大変だったでしょ? 克也さんが愚痴っているのを聞いたよ。その対応に追われて春休みに家族旅行行くつもりが台無しになったって」


「教皇庁や私を強く想ってくれるのはありがたいことなのですが、時として強い想いは諸刃の剣と化します。奥方と一緒に旅行をするつもりだった御柴克也には悪いことをしました」


「まだまだ教皇庁も課題が多いってことだね……――まあ、鳳グループ――いや、大悟さんも同じような状況かな? 明るい未来への道は険しいってことだね」


「険しい道の先にこそ世界にとっての明るい未来があると私は信じています」


「中々口には出せない恥ずかしい台詞だね」


「……そう言われると何だか照れます」


 幸太郎が聞いてもわからない小難しい雑談を交わしつつ、二人は周囲のアンプリファイアやティアストーンの欠片から集めた力を、少しずつ、慎重に幸太郎に向かって流しはじめると、ティアストーンの欠片の青白い光、アンプリファイアの緑白色の光が幸太郎を包む。


「何か異常はありませんか?」


「身体が温かく感じてます」


「二つの力が全身に行き渡っている証拠でしょう」


「お風呂入っているような感覚です」


「羨ましいですね」


「エレナさん、お風呂好きですか?」


「ええ。一日の疲れを癒すには湯船に身体を浸からせるのが一番です。出張先では温泉に必ず入ります」


「温泉――……いいですね」


「予定が合えば、今度リクトと一緒に連れて行きましょう」


「ぜひ! 是非! 是非ともお願いします! セラさんや麗華さんや大和君たちもお願いします!」


「……何か邪な気を感じますが――まあいいでしょう。火照りの他に何か異常は?」


「温かくて眠くなりそうです」


 呑気に自分の質問に答える幸太郎に、無表情ながらもエレナは呆れるとともに、二つの強い力をその身に受けている彼の様子がどのように変化するのか集中して観察していた。


「さっき薫さんのお弁当を食べたから尚更だろうね。立ったまま寝ないでよ?」


「……ちょっとお腹が空いてきた」


「燃費悪いなぁ、幸太郎君は。それでよく太らないね」


「太らない体質だから大丈夫」


「麗華が羨むだろうなあぁ」


「麗華さん、ちょっとまた太ったからね」


「最近インスタントラーメンにハマってるし、ジャンクフード系にも手を出そうとしているから少し心配だよ。まあ、麗華の場合脂肪はすべて胸に行くんだけどね」


「……たくさん食べさせよう」


 大和は幸太郎と楽しそうに雑談を交わしながらも、エレナと同じく注意深く探るように見つめていた。


「そういえば、薫さんのお弁当、美味しそうだったなぁ……僕もあれくらい上手く作れたら、少しは女子力上がるのかな?」


「大和君、料理下手だからね」


「ストレートに言われると傷つくなぁ。花嫁修業中って言ってくれないかい?」


「それなら、エレナさんに教わればいいよ。リクト君から聞いたけど料理上手いんだって」


「へぇー、教皇なんて浮世離れしている立場なのに意外とエレナさんって家庭的なんだ」


「ついでに、麗華さんも教えてもらった方がいいかも」


「無自覚に大量破壊兵器を作り出す麗華はもう末期レベルで今更教えてもらっても無駄だと思うよ――でも、教皇のエレナさんから料理を教えてもらうなんて、恐れ多くて気が引けるよ。それに、協力関係を結んだとしても、まだ完全に鳳グループと教皇庁の確執が解消したわけじゃないからね」


「別に教えるくらいなら構いません。――それよりも、僅かにアンプリファイア側の力の出力が落ちています。集中してください」


 呑気に会話をしている幸太郎と大和の間に入るエレナは、大和に料理を教える約束をするついでに、淡々と雑談に集中し過ぎているせいで集中が疎かになっている大和を注意する。


 エレナに軽く怒られ、大和は舌を出していたずらっぽく笑って話を一旦中断してアンプリファイアの力に集中する。


 大和との会話が途切れると、今度は「エレナさん」と幸太郎はエレナに話しかけた。


 突然幸太郎に話しかけられ、ティアストーンの欠片の力をコントロールしながらエレナは「なんでしょう」と話しに応じた。


「今度リクト君と遊ぶとき、エレナさんの家に行ってもいいですか」


「……ええ、別に構いません」


「それなら、エレナさんの手料理が食べてもいいですか?」


「仕事で忙しくなければ、腕によりをかけて作りましょう」


「よかった、楽しみです。リクト君がいつもエレナさんの料理を褒めてたから、いつか食べたいと思ってたんです」


「……そう、ですか」


 教皇としてではなく、『リクトの母』として接してくる幸太郎の突飛な提案に、エレナは表情を変えなかったが不意を突かれたのか、力の制御が僅かに乱れてしまう。


 それに気づいてすぐに力の制御を元に戻すエレナだが、普段から冷静沈着で感情に流されない教皇から微かだが確かな動揺を感じた大和は楽しそうに、いたずらっぽく笑う。


「幸太郎君、教皇と話す機会なんて滅多にないんだから色々と質問するべきだよ。きっと、面白いことをたくさん聞けると思うよ」


「私のことを聞いたとことで、あまり面白みがないと思いますが」


「そんなことはないよ。僕はエレナさんのことを色々と知りたいな。例えば、普段教皇としてどんな仕事をしているのかとか、リクト君のお母さんとしてどんなことをしているのかとかさ」


 ニヤニヤと茶化すような笑みを浮かべる大和に、「そうですか」とエレナは頷き、小首を傾げて考えた後、力の制御をしながら淡々と教皇について話しはじめる。


「枢機卿と会議をした後に、国に提出するための書類に目を通したり作成したり、それがない時は教皇庁や教皇庁に関係する組織のイベントに参加したり、様々です。あまりないことですが一日で仕事が終われば、リクトの母親に戻ります。母親に戻って空いている時間があれば、家事をします」


「でも、一日中教皇の仕事をしているわけじゃないんでしょ? 休憩時間もあるはずだけど?」


「その時はティアストーンの元へ向かってアカデミーに入学する輝石使いの生徒たちへの輝石を作ったりしています。それ以外は――執務室で甘いものを食べ、仮眠を取ります」


「真面目だなぁ。毎日誰かに見られているし、誰かと一緒にいるんだからもうちょっと緩くしてもいいんじゃないかな」


「そうでしょうか? いつもリクトに怒られていますが一人になりたい時は護衛を下がらせますし、糖分もそれなりに多く取っているので、我ながら緩いと思う時は多々あるのですが」


「なるほどねぇ……うーん、エレナさんと話していると、なんか調子が狂うなぁ」


「それは、感謝をするべきなのでしょうか?」


 普段の凛とした佇まいの教皇エレナを知っているので、いざエレナと喋って感じる気の抜けた空気に、教皇を目の前にして大和の中に僅かに存在していた緊張感が一気に失ってしまうとともに、幸太郎の時のようなリアクションをしなかったので少し残念も思っていた。


「エレナさんって意外に天然系なのかな……幸太郎君と同じで」


「それよりも――伊波大和、私からも質問よろしいでしょうか」


「教皇のエレナさんに質問されるなんて、少し緊張するな。どーぞどーぞ」


「好きな人はいないのでしょうか」


 突拍子のないエレナの質問に、大和は数旬の沈黙の後「え?」と反応した。


「大悟が心配していました。まだ気が早いが、娘二人に男の気配がないことに。特に、普段から男装しているあなたのことを心配していました」


「まったく大悟さんは心配性だなぁ。僕のことなんて別に心配しなくてもいいのに――ああ、そうだ! もしも貰い手がいなくなったら、幸太郎君に貰ってもらおうかな?」


 突拍子のないエレナの質問に、大和は普段通りの軽薄な笑みを浮かべ、茶化すために幸太郎に話題を振る。


 自身の動揺を悟られないように、話を振った幸太郎を動揺させるつもりの大和だったが――エレナの突拍子のない一言が大和を動揺させ、彼女の本来持つ冷静な判断力を曇らせてしまった。


「大和君なら大歓迎」


 茶化すつもりで言った大和の一言に、幸太郎は特に何も考えることなく答えると、大和は「うぇっ!」と素っ頓狂な声を上げる。


 普段の大和なら、容易に幸太郎が自分の質問に何て答えるのか予想ができたのに、動揺で曇っていた判断が、さらなる動揺を招く結果となり、抑えていた動揺が大和の中で溢れ出す。


 その結果、大和の軽薄な笑みは崩れ、困惑しきった表情を浮かべて何て答えていいのかわからなくなり、集中が途切れてアンプリファイアの力の制御が乱れる。


「どうしたのですか? 集中が途切れているようですが?」


「……アリシアさんから聞いた通り、エレナさんは厄介だね」


 大和の動揺にいち早く気づいたエレナに、平静を取り戻しつつある大和は降参と言わんばかりに深々とため息を漏らした。


「アリシアが私のことを何て言っていたのでしょう」


「ピュアナチュラルサディスト」


「……何ですか、それは」


「つまり、幸太郎君と似ているってこと」


 エレナと幸太郎――二人とも天然な性格で、無邪気で無意識に相手を追い詰めるサディストであり、根本的に性格が似通っていることを悟った大和は、この二人を目の前に余計な茶々を入れるのはやめようと学んだ。

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