第6話

 アカデミー高等部校舎から出た幸太郎は、巴の運転する車で研究所等が立ち並ぶサウスエリアにある、ヴィクターの研究所に向かった。


 人目につかないように行動するため、人込みやアカデミー都市中に設置されている監視カメラを避けたので、かなり遠回りをして目的地へと向かっていた。


 車であるならば一時間もかからないで到着する道程を、一時間以上かけてサウスエリアに入ると、車はサウスエリアの奥にある森へと向かう。


 三十分後、敷地内は草が伸び放題で、建物の壁の所々にヒビが入っているボロボロのヴィクターの研究所に到着して、幸太郎は研究所周辺の警備を行う巴と別れて研究所に入った。


 外観はボロボロでくたびれていたが、中は意外に広く、そしてヴィクターの研究所にして珍しくきれいに片付けられていた。


 ソファが置かれた待合室へ向かうと、そこにはノエルとクロノ、栗毛色の髪の少年がいた。


 華奢な体躯のクロノ以上にたおやかな容姿の、柔らかそうな栗毛色の髪の少年――教皇庁トップである教皇エレナ・フォルトゥスを母に持ち、母と同じくティアストーンを扱える高い素質を持つ時期教皇最有力候補であるリクト・フォルトゥスがいた。


 リクトは待合室に入ってきた幸太郎に、「おはようございます、幸太郎さん」と父性ではなく母性溢れる笑みで出迎えると、リクトを不思議そうに見つめながら「おはよう、リクト君?」と挨拶を返し、彼の隣に座った。


「今日の検査、僕とノエルさんとクロノ君だけかと思ってたけど、リクト君も一緒に検査受けるの?」


「ええ。前回の事件で僕は今までにない以上ティアストーンの力を使ったので、ここで詳しく検査を受けるつもりでいます。後で合流しますが、僕の他にも母さんとプリムさんも検査を受けるつもりです。本当なら、春休み中に受けるつもりでいたんですが、色々と忙しくて」


 不意の疑問に答えてくれたリクトに幸太郎は「なるほどなー」と呑気に納得するとともに、短い春休みの間リクトと一度も遊べなかったのはもちろん、会えなかったことを思い出した。


 春休み中リクトが忙しかったのは、教皇庁が春休みの間に大きく変わったことが原因だった。


 春休みに、教皇庁は幹部であった枢機卿たちを一斉に変え、教皇庁は鳳グループと密に連携を組むことを発表した。


 表面上は鳳グループと教皇庁はアカデミーを共同で運営しているが、考え方の相違、過去の因縁、アカデミーの利権争いなどで裏では対立していた。


 しかし、ついこの間教皇エレナと鳳グループトップである鳳大悟が共同で会見し、好き勝手に権力を振るっていた枢機卿たちを辞めさせて教皇庁を一新し、鳳グループと教皇庁が蜜月な関係になったと世間に公表した。


 このニュースはあっという間に世界中に駆け巡り、春休みの間アカデミー都市は外から来たマスコミたちで賑わった。


 そして、アカデミー都市で暮らす人々はもちろん、世界中が鳳グループと教皇庁の関係が良好になり、これから大きく変わるアカデミーに大きな期待感を抱いていた


 幸太郎もその中の一人であり、今の教皇庁と鳳グループが協力し合えば、アカデミーはきっと良い方向へに向かうと確信していた。


「これからアカデミー、どうなるんだろうね」


 アカデミーの明るい未来を想像して、期待に満ちた表情で不意に幸太郎はそう口に出した。


「当面の目的としては、今も増え続けている輝石使いを保護・育成するために第二のアカデミーを建設します。そして、増え続ける輝石使いと比例して増え続けている輝石に関する犯罪を解決するためにアカデミーは尽力するつもりでいます」


「つまり、これからのために大勢の人間に恩を売る、ということか」


「なるほどー、これからアカデミーは恩着せがましくなるんだね」


「そ、そういうわけでは――あ、違いませんね……」


 今後のアカデミーの目標をリクトの口から聞いたクロノは正直な感想を述べ、そんな二人の感想から幸太郎は思ったことを素直に口に出す。


 二人の正直過ぎる言葉にリクトは反論しようとするが、何も反論ができずに三人の言葉を認めるしかできなかった。


「それにしても――もう限界」


 突然、幸太郎は力尽き果てたようにリクトの膝の上に倒れこむようにして寝転んだ。


「ど、どうしたんですか、幸太郎さん。どこか体調が――って、お腹が空いてるんですね?」


「うん……今日検査だから昨日の夜から何も食べてなくて……」


「だらしがない奴だ」


 突然自分の膝の上に頭を乗せた幸太郎に驚き、嬉しく思うリクトの耳に、彼の腹から鳴り響いた重低音にリクトはすべてを察し、その音を聞いたクロノは小さく嘆息しながら厳しい一言を放つ。


「昨日の夜から何も食べていないんだから仕方がないよ、クロノ君」


「食事を抜いたくらいで情けない」


「ぐうの音も出ない」


 リクトのフォローを無視して厳しい言葉を投げかけるクロノに、何も言い返せないで力なく笑うことしかできない幸太郎。


「……クロノ、確か非常食のゼリー飲料を持っていましたね?」


 見かねたノエルは、クロノが普段から栄養補給のために持ち歩いている栄養ドリンクを幸太郎に渡すように提案するが、クロノは厳しい態度で首を横に振った。


「一つしか持っていないし、飲みかけだ」


「クロノ君の飲みかけ……それ、いいな」


「気色の悪い冗談はやめろ」


「冗談じゃないのに」


 真っ直ぐと見つめて本気で自分の飲みかけのゼリー飲料を求めてくる幸太郎に、は無表情ながらも、彼の言葉にどう反応していいのかわからないクロノは戸惑った様子で目をそらす。


 そんなクロノから何かを感じ取ったリクトは、少しむっとした表情を浮かべて、自身の膝の上にいる幸太郎の頭を撫でた。


「少し我慢しましょうねー、幸太郎さん」


「リクト君、気持ちいい……」


「それじゃあ、もっとよしよししてあげますね? よしよし」


「リクト君、男母おかあさんだね」


「それなら、もっと甘えてもいいんですよ?」


「あまり甘やかすな、リクト。七瀬のためにならない」


「クロノ君がちょっと厳しすぎるから、優しくならざる負えないんだよ」


「人のせいにするな」


 自身の膝の上にいる幸太郎の空腹を告げる音が断続的に響いているお腹を、リクトは聖母のような表情で摩ると、気持ちのいいリクトの手の感触に幸太郎は目を細めた。


 年下に存分に甘える幸太郎と、それを受け入れるリクトの仲睦まじいの様子を見て、無表情のクロノは平坦でありながらも僅かに苛立ちが込められた声でリクトに注意するが、リクトは無視して再び幸太郎の頭を優しく撫でた。


「ノエル、オマエも何か言ってやれ。重度の甘やかしは精神衛生上よくない」


「しかし、リクト様の膝枕はかなり効果的です。空腹で今にも倒れそうになっていた七瀬さんの様態が安定しています。非常時の場合、精神安定剤代わりになるかと」


「確かにそうだが……それなら、膝枕を率先してやるべきなのか?」


「クロノ君の膝枕、リクト君と同じで気持ちよさそう」


「……冗談はやめろ」


「冗談じゃないのに」


 膝枕について真剣に語る姉弟をジッと見つめながら、幸太郎は思ったことを何気なく口走る、


 冗談を言っているつもりはないと断言する幸太郎に、再びどう反応していいのかわからないクロノは無表情ながらも困惑していた。


「クロノ君の膝枕、試してもいい?」


「……断る」


「ダメ?」


「ああ」


「どうしても?」


「しつこい」


「そこをなんとか」


「オマエは毎回しつこい」


 しつこく膝枕をねだる幸太郎を強い拒絶を込めた目で睨むクロノだが、幸太郎は気にしている様子はなく、物欲しそうにクロノを見つめていた。


「素直じゃないクロノ君は放って、幸太郎さんは僕の膝枕で我慢してくださいね? ほら、よしよし、いい子いい子」


「どういう意味だ、リクト」


 母のように自身の膝の上にいる幸太郎の頭を撫でて甘やかしているリクトの一言に、クロノは無表情ながらも失礼だと言わんばかりに反応するクロノ。


「クロノ、本当はあなた……七瀬さんに膝枕をしたいのではありませんか?」


「バカを言うな、ノエル」


「そうなんですか?」


「ああ」


「本当に?」


「ノエル、七瀬並にしつこい」


「失礼なことを言わないでください」


 姉の言葉を淡々と否定しているクロノだが、常に平坦な彼の声がほんの僅かに乱れていた。


「大体、非常時でもないのにどうして七瀬に膝枕をしなければならない」


「非常時にするなら、日常でしてもいいんじゃないのかな?」


「うるさいぞ、リクト」


「非常時のために練習をした方がいいと思うよ」


「膝枕に予行練習も何もない。リクト、オマエもしつこいぞ」


「ごめんごめん。クロノ君がいつまで経っても素直に自分の本音を口にしないから、つい」


「余計なお世話だ」


 茶化しながらも、自分を見透かすリクトの視線から逃げるようにクロノはそっぽを向いた。


「……クロノ君、かわいい」


「――っ! 理解不能だ」


 そんなクロノの反応を見て、幸太郎は思ったことを何気なく口走る。


 特に何も考えていない幸太郎の一言に、クロノは不意を突かれ、無表情ながらも全身から不機嫌な雰囲気を放って待合室から出て行った。


「……少し、からかい過ぎましたね。ちょっと謝りに行ってきます」


「気にしないでください、リクト様」


 不愉快な気持ちにさせてしまったクロノを見て、反省したリクトはクロノを追いかけようとするが、ノエルは制止させた。


「もうすぐ検査がはじまるのですぐに戻るでしょう。それに――頭を冷やしたいのでしょう」


 弟の気持ちを深く理解しているノエルに、リクトはクロノに対して申し訳ないことをしたと思いつつも、ここは彼女の言う通りにすることにした。


「――そうだ、ノエルさん。僕のことを堅苦しく『リクト様』なんて言わないでください。今のあなたにそう呼ばれるとなんだかくすぐったいです」


「ですが……」


「僕はノエルさんのことを友達だと思っていますから」


「……善処します」


 不意のリクトの提案に戸惑いつつも、自分のことを友達だと読んでくれた彼のためにノエルは善処することにした。

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