第2話

 春の日差しが温かい心地良い朝を、一人で暮らすには十分すぎる広さの高層マンション内の一室で、布団の上でスヤスヤと気持ちの良さそうな寝息を立てている特筆すべき点がない地味な顔立ちの少年――七瀬幸太郎は存分に堪能していた。


 登校のために起床しなければならない時間がそろそろ迫っているが、そんなことを気にしないでぐっすりと眠っている幸太郎。


 そんな幸太郎の隣には、白を基調としたブレザータイプのアカデミー女子生徒専用の制服を着た、短めの白髪の髪を赤いリボンで束ね、染み一つない雪のように色白の肌の少女――白葉しろばノエルが彼と一緒の布団の中に入っていた。


 感情を宿していないノエルの瞳は眠っている幸太郎から決して視線を離さない。


 そのままの状態で数分後、ノエルの瞳に映るぐっすり眠っていた幸太郎に変化が訪れる。


 寝ぼけ眼をゆっくりと開いた幸太郎はだらしなく口を大きく開いて欠伸をして目覚める。


「おはようございます、七瀬さん」


「……ノエルさん? うん……おはよう」


 目覚めると同時に自分の隣にいるノエルに挨拶をされ、なぜ自室に彼女がいるのか、どうして一緒の布団で眠っているのか疑問を抱く幸太郎だが、目覚めたばかりでぼんやりとしている頭と、眠気ですぐにその疑問は霧散した。


「後数十分眠れると思いますが、もう起床しますか?」


「……んー、それなら、もうちょっと寝る」


「わかりました。ですが、今日は重要な一件があるので、寝過ごして遅刻をしないように」


「ノエルさん、良いにおいがする」


「……七瀬さん、温かいです」


 隣にいるノエルの花のような芳香を嗅ぎながら心地良い眠りに身を委ねる幸太郎と、そんな彼から感じる体温に僅かに目を細めるノエル。


 傍目から見ればその姿はまるで仲睦まじい恋人のようだったが――


「何をしているんですか!」


 二人の間を引き裂くような怒声が響き渡ると同時に、アカデミーの制服を着た室内に気色ばんだ表情の二人の少女が現れる。


 一人は美しく整った顔立ちを呆れと怒りで満たしている、朝日にも負けないほど美しく輝き、一部の髪が癖でロールしている金糸の長髪の少女――アカデミーを運営する巨大な組織の一つである鳳グループトップ・鳳大悟の娘である自称気品溢れる淑女・鳳麗華おおとり れいか


 もう一人は麗華以上の怒りを全身に纏っている、怒声を張り上げた張本人である、麗華と同い年とは思えないほど大人びていて、凛とした外見のショートヘアーの少女、セラ・ヴァイスハルト。


 セラの怒声のおかげで一気に目が覚めた幸太郎は、呑気にも「セラさん、麗華さん、おはよう」と怒りに満ちている二人に挨拶するが、そんな呑気な挨拶を無視して二人はノエルを睨むように見つめていた。


 セラと麗華の視線の先にいるノエルは無表情ながらも名残惜しそうに幸太郎の体温が残る布団からのそのそと出て、要領を得ていない様子で二人を見つめ返す。


「ノエルさん! こんな朝早くに異性の部屋にいるとは一体何のつもりですの! そ、それも、一緒の布団にいるとは何て大胆な……ふ、不純異性交遊は学則で禁止されていますわ!」


「私はただ七瀬さんを護衛しているだけです」


「い、一緒の布団で眠るのが一体どこが護衛なんですの!」


「事実です」


「そ、それでも、一緒の布団で眠るのは間違っていますわ!」


「寝食をともにすることによって、護衛対象を確実に守れると判断したまでです」


「そうだとしても年頃の、それも学生の身分であるにもかかわらず、異性の! それも、自分の欲求に愚直な獣欲に塗れた色情男と一緒に眠るなど危険すぎますわ!」


「麗華さん、僕そんなにエッチじゃないよ――多分」


 頭の中によぎるアダルティな妄想で恥ずかしそうに顔を赤らめてノエルに注意して、自分に対して散々なことを口にする麗華に幸太郎は空気を読まずに異を唱える。


「鳳さんの言う通り、私は七瀬さんはえっちだと思います」


「否定はできないけど……面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしい」


「おだまり! というか、そもそも幸太郎がだらしないのがいけないのですわ!」


 騒々しいが微笑ましい三人のやり取りを見て、幾分落ち着きを取り戻したセラは呆れた様子でノエルに質問をする。


「護衛のためというのはわかりましたが、どうやってこの部屋に? 幸太郎君以外は私や麗華が持つ合鍵を使わなければ簡単には玄関の扉は開かないと思いますが……」


「ピッキングで簡単に解錠できました。問題ありません」


「ノエルさん、それは犯罪です」


 無表情だが少し得意げに不法侵入の方法を語るノエルに呆れるセラ。


「それで、いつからここに?」


「おおよそ数時間前、まだ日が昇っていない頃でした」


「そ、そんなに早くから……それから、ずっと幸太郎君の傍に?」


「当然です。何か問題でも?」


「た、確かに、ノエルさんの言う通り護衛のためなら問題はありませんけど……」


 自分の質問に当然だと言わんばかりに力強く頷き、自分の行動は間違っていないと確信しているノエルに、何を言っていいのかわからないセラは呆れたように深々とため息を漏らすと――


「朝から騒々しいぞ」


「おおっと、これはよくある幼馴染が朝起こしにくるパターンかな?」


 朝から近所迷惑なほど騒がしい部屋に、新たに二人の人物が入ってくる。


 一人はセラの幼馴染である、騒がしいセラたちを注意する、厳しく、冷たい雰囲気を身に纏った美しく煌めく銀髪の髪をセミロングヘアーにした長身の美女、ティアリナ・フリューゲル。


 もう一人は、ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて麗華の幼馴染であるセラたちの状況を楽しそうに見ている、アカデミー男子専用の制服を着た中性的な顔立ちの柔らかい黒髪の少年――ではなく、少女の伊波大和いなみ やまとだった。


「ティア、それに大和君もどうして幸太郎君の部屋に?」


「今日は重要な件があるだろう。だから、幸太郎が寝過ごさないようにあらかじめ部屋に入っていた。こっちとしてはさっさと起こして訓練をするつもりだった」


「今日という日に幸太郎君を朝から激しい運動をさせたらダメだから、そんなティアさんを抑えるために僕がいるわけさ」


「……訓練メニューを控えめにすればいいだけだろう」


「ティアさんは加減を知らないからさ」


「そんなことはないぞ」


「そんなことあるって、絶対」


 突然現れた二人の登場に驚いているセラの質問に、ティアは大きく口を開けて欠伸をしているまだ眠そうな幸太郎を見て答え、大和はニヤニヤと煽るような笑みを浮かべて答えた。


 二人の返答にセラは、そして麗華も若干不満気な表情を浮かべていた。


「それじゃあ、ティアはノエルさんが幸太郎君の寝室にいるって知っていたの?」


「無論だ。お前たちよりも早くにここに来たのだからな」


「それなら、ノエルさんをちゃんと注意しないと」


「ノエルは幸太郎の護衛のためにいる。何も問題はないだろう」


「そ、それは確かにそうだけど……」


 ノエルと同じように、状況をわかっていないティアにセラは深々と嘆息する。


「大和! あなたは輝動隊きどうたい隊長としてアカデミー都市の治安を守っていたというに、不純異性交遊寸前の状況を看過するとはどういうことですの!」


「何事も不純異性交遊に繋げようとするなんて野暮だねぇ、麗華。いや、エッチかな?」


「しゃ、シャラップ! わたくしは別にそう言うつもりで注意しているわけではありませんわ! ただ、アカデミー都市の治安を守る風紀委員としてアカデミーの風紀を乱さないために注意するべきだと言っているのですわ!」


「青春と不純異性交遊は紙一重。それをわかっていないから麗華は友達ができないんだよ」


「ぬぁんですってぇ! あなたに言われたくありませんわ!」


 クスクスと小悪魔のようにかわいらしく笑う大和に煽られ、怒声を張り上げる麗華。


 朝の静寂に包まれていた室内が一気に騒がしくなった。


 騒ぎを起こした元凶とも呼べる人物であるノエルは、まだ眠そうに欠伸をしている幸太郎の手を引いて、セラたちに気づかれないように騒がしい室内からそそくさと出て行った。


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