第1話

 窓一つない僅かな照明で照らされただけの薄暗い一室に、汚れきったシャツを着て、血色が悪い痩せこけた顔、顎には髭が伸びており、髪はボサボサの壮年の男が椅子に座らされていた。


 その小汚い外見の男は深淵を思わせるような暗く淀んだ瞳で対面に座る、長い前髪を後ろ手になでつけた、威圧感が宿した鋭い双眸を持つスーツを着た男を見つめていた。


 スーツを着た男が来て数分間沈黙が続いており、その間小汚い男は今にも掴みかかりそうなくらいの激情を胸の中から溢れ出しそうなっていたが、彼は何もできない。


 下手に動けば体内に埋め込まれた微小な機械で電流が流され気絶するし、それ以上に自分と男の間には分厚い強化ガラスで隔てられているからだ。


 小汚い男は罪人であり、輝石きせきと呼ばれる不思議な力を持つ石を扱える資格を持った人間『輝石使い』が集まるアカデミー都市の地下奥深くにある、罪を犯した輝石使いや、輝石に関係する事件を犯した人間を集めた『特区』と呼ばれる牢獄に収監されていた。


 特区の中にある面会室にいる小汚い男の名前は草壁雅臣くさかべ まさおみ――かつて輝石使いの学生たちを集めて教育や輝石の扱い方を教える学校である『アカデミー』の教頭を務めていた。


 教頭を務めていた頃は神経質そうでありながらも整った顔立ちの草壁だったが、特区に収容されて半年以上経ってその頃が嘘のように今では別人のようになってしまっていた。


「……何のようだ、大悟」


「アルトマンたちについて聞きたい」


 長い沈黙を破り、草壁は目の前にいるアカデミーを運営する巨大な組織・『鳳グループ』のトップであり、自身の野望を潰した憎むべき相手であり――腹違いの弟の鳳大悟おおとり だいごに話しかける。


 草壁の全身から放たれる憎悪の念を感じ取りながらも、大悟は表情をいっさい変えることなく淡々とした様子で単刀直入に要件を話した。


 アルトマン・リートレイド――アカデミー都市内で発生している事件の裏側で暗躍している人物であり、輝石についての研究の第一人者だった。


「アルトマンたちとお前につながりがあったことはわかっている。奴らの目的を聞きたい」


 淡々と質問しながらも、言葉の端々から大悟の焦りを感じ取り、常に冷静で理性的な表情だったアカデミー教頭を務めていた頃とは別人のような、ニタニタとした粘着質で嫌味で挑発的な笑みを浮かべる草壁は何も答えない。


 そんな草壁に特に何も感じていない様子の大悟は淡々と話を続ける。


「アルトマンとお前とのつながりがわかって以降、アルトマンの情報を得るためにお前の取調べは何度も行われたが、お前は何も話さなかった。我々としても時間をかけてじっくりと取調べを行うつもりだったが、状況が変わった。是が非でも話してもらおう」


「先日の脱獄騒ぎで、随分そちらの状況が変化したようだな」


「それならば話してもらおう」


 彼の焦りの理由が先日特区で発生した囚人の脱獄騒ぎだということが、容易に想像できた草壁は他人事のように笑う。


「随分焦っているようだな、大悟」


「アルトマンの弟子であり、あのヴィクターとともにアカデミー都市内のセキュリティを構築したアルバート・ブライト、それに、いまだに目的が定かではなかった北崎雄一きたざき ゆういちの二人が同時に脱獄した。証拠は残されていないが、厳重な警備が施されているセキュリティを外部から簡単に突破して、二人を脱獄させたのは間違いなくアルトマンの仕業だ。近い内必ずアカデミーで大きな騒ぎが発生するのは明らか。焦るのは当然だ」


「確かに、アルトマンの協力者のあの二人なら、騒ぎを起こすことは間違いないだろうな」


「やはり、北崎もアルトマンとつながりがあったのか」


 何も知らず、アルトマンの掌で踊ることしかできない大悟を煽る態度で、近い内に訪れるアカデミーの騒動を想像して楽しそうに口角を吊り上げる草壁に苛立つことなく、大悟は二年前に発生した事件でアカデミーにいる輝石使いたちの情報が眠る『グレイブヤード』と呼ばれる場所に侵入した男・北崎雄一がアルトマンの協力者であることを知って満足そうに頷いた。


「アルトマンたちの目的は?」


「今更知っても遅い。それに、協力者であったアルトマンについてお前に教えると思うのか?」


「北崎やアルバートと違い、かつての協力者であったお前をアルトマンは脱獄させなかったということは、お前は用済みであったから捨てられた――そんなアルトマンに義理はないはずだ」


 挑発のつもりで言った草壁の言葉を無視して、抉るような大悟の言葉に草壁は何も反論できず、胸の中が彼と自分を利用するだけ利用して捨てたアルトマンへの憎悪と屈辱に塗れ、草壁の顔立ちが沸き立つ暗い感情で醜く歪む。


「あの男が私を裏切るのは想定済みだ。お前に協力するつもりは毛頭ない」


 情報を求める大悟に草壁は性悪な笑みを浮かべて拒否の意思を示すと、無表情だが大悟の焦燥が強くなったのを感じた草壁の笑みに優越感が溢れ、先程までの老けこんだ顔立ちから、一気に若々しく、晴々とした顔を浮かべた。


 そんな草壁を冷え切った目で見つめながら、大悟は「それならば――」気にすることなく話を続ける。


「お前は自分の計画が成功して、私に代わって鳳グループのトップになったら、裏切ると予測していたアルトマンにどう対抗するつもりだった」


 淡々とした調子で放たれた大悟の質問に、気持ちの良さそうな笑みを消して黙る草壁。そんな草壁を見ていた大悟の隙のない双眸に鋭い光が宿った。


「……どうやらアルトマンに対して効果的な対抗手段を何も考えていなかったようだな」


「いまだにアルトマンの掌で踊っているお前と一緒にするな。完璧ではないが、それでもしっかりとしたプランは練っていた」


「ということは、お前はアルトマンたちの計画を理解していないということか。結局、お前はアリシアと同様アルトマンにとって都合のいい使い捨ての駒に――」


「黙れ!」


 自分の心の内を見透かす大悟の言葉を草壁の怨嗟に満ちた怒声が遮った。


 草壁の怒声が面会室内に響き渡ると、室内の異常を感じた部屋の外にいた看守たちが慌てて現れるが、大悟が目配せしてすぐに彼らは退室した。


 しばらく、怒りで興奮している草壁の荒い息遣いだけが室内に響き渡るだけで、沈黙が続いていたが、身を焦がすような怒りと屈辱、その他多くの暗い感情で身体を震わせて俯く草壁をジッと感情を宿していない目で見つめていた大悟は口を開く。


「……アルトマンたちの目的を、お前は何も知らないようだな」


 感情が込められていないが僅かな落胆を宿した声でそう呟いた大悟は椅子から立ち上がり、振り返ることなく用事がなくなった部屋から去ろうとすると、草壁は「待て」と呼び止めた。


「教皇庁と鳳グループが協力関係を結ぶとは――すべてはお前の思い通りに進んでいるようだな。自分のためにすべてを利用しているお前は我々の父によく似ているよ」


 嫌味がふんだんに込められた草壁の言葉に大悟は振り返ることはしなかったが、明らかに不機嫌なオーラを身に纏った。


 アカデミーが大悟の思い通りなっていることに草壁は面白く思わなかったが、自分の一言で不機嫌になった大悟の様子を見て幾分気が晴れた。


「散り散りになった天宮たかみや家はどうなっている?」


「……順調とは言い難いが、今は何も問題はない」


 自分たちの一族に古くから仕えていたが、先代鳳グループトップ・鳳将嗣おおとり まさつぐの裏切りによって崩壊してしまった『天宮家』についての話を草壁が持ち出した瞬間、大悟の身に纏った雰囲気が暗く、重苦しいものになる。大悟の様子の変化を敏感に感じ取り、草壁はさらに天宮家の話を続ける。


「天宮と鳳の間で生まれた私がいれば、上手く治められたというのに」


「自身の野望と復讐のために天宮家や周りにいる大勢の人間を裏切って利用したお前では不可能だ」


「目的は違えど、お前も私もすべてを利用するという点では同じだろう?」


「そうかもしれないが、私とお前では大きな違いがある。私はお前のように、利己的な目的のために誰かを利用しない」


「どんなに否定しようとも、根本は同じだ」


 淡々としながらも僅かな怒りが込められた大悟の言葉に、草壁は嬉々とした笑みを浮かべる。


「お前がどんなに償いをしようと、天宮家に滾る復讐の炎は消えない」


「それでも、できる限り償い続けるのが鳳家の当主としての責任だ」


 草壁、そして自分に言い聞かせるようにそう宣言して、大悟は部屋から出ようとする。


 振り返らずに去ろうとする大悟を見て、「そうだ」とわざとらしく声を上げる草壁だが、大悟は無視して立ち去ろうとする。


七瀬幸太郎ななせ こうたろう――特区内で噂になっているが、中々面白い力を持っているそうだな。まさか、落ちこぼれがあの伝説の力を持っているとは思いもしなかったぞ」


 七瀬幸太郎――輝石を扱える資質を持ちながらも、輝石の力をまともに扱えないアカデミーはじまって以来の落ちこぼれの名前を出した時、草壁の目には振り返ることなく立ち去ろうとする大悟が僅かに反応を示したように見えた。


「アルトマン、アルバート、北崎、七瀬幸太郎、賢者の石――これらは確実にアカデミーに、いや、世界に大きな影響を与えるだろう! そうなれば、お前の思い通りに動いていたアカデミーの未来は大きく変わる! お前の希望が潰えるその時を楽しみに待っているぞ!」


 草壁の哄笑を背中に受けながら、大悟は振り返ることなく前を見据えて立ち去った。

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