第40話

 クロノの腕の中にいるノエルからガラスがひび割れるような音が連続して響くと、ノエルの全身に亀裂が走った。


 消滅――全身がひび割れたガラス細工のようになるノエルの様子を見て、クロノはそれを感じると、身体の中で芽生えた熱が全身に広がり、その熱が瞳を中心に集まり、ノエルを抱えている腕が微かに震え、自然と彼女を抱える力が強くなる。


「……ノエル、消えるな」


 微かに震えた弱々しい声で懇願するようにクロノはそう願った。


「無理です……アンプリファイアの力を使い過ぎました。修復不能です」


「だが、ここにはティアストーンがある。ティアストーンの力で輝石であるお前を反応させれば、お前の傷を癒せるはずだ……絶対にそうだ」


「おそらく、無駄でしょう……先程七瀬さんに癒してもらった時とは違います」


「諦めるな――リクト、プリム、お願いだ……ノエルを助けてくれ」


「すぐに助けてやる! だから、ノエルよ! 絶対に諦めるのではない! やるぞ、リクトよ!」


「もちろんです!」


 ノエルを助けるためにクロノは無表情だが動揺しきった様子で、リクトとプリムに懇願する。


 プリムは気炎を上げてノエルの手を掴み、リクトも力強く頷いてノエルの手を掴み、二人は目の前にあるティアストーンから力を受け取り、その力をノエルに向けて放つ。


 全身に亀裂が走っているノエルの身体にティアストーンと同じ青白い光が身に纏うが――亀裂の入った彼女の片脚が砕け、光の粒子となって消滅した。


 今度は何も言わずにアリシアも割って入り、リクトとプリムとともにノエルにティアストーンの力を注ぐが、今度は片腕が砕ける。


 ……ダメだ。

 ティアストーンの力だけでは無理だ。


 そう思ったクロノは、傷ついて倒れていた父に視線を向けた。賢者の石の力をその身に秘める父なら、何とかしてくれるという希望を抱いた。


 さっきまで倒れていたきアルトマンは立ち上がっており、冷たい目で消えゆく娘の姿を見下ろしていた。


「あなたを裏切ったオレが言うのは的違いですが……お願いします、ノエルを助けてください」


 無表情でありながらも、ノエルの消滅を何とかしたいという必死の思いが宿っているクロノの瞳を見て、落胆したようにアルトマンはため息を漏らし、楽しそうな笑みを浮かべた。


「無理だな」


 軽々と、突き放すように放ったアルトマンの一言がクロノの全身に重くのしかかった。


「間近にティアストーンの力があり、煌石を扱う高い資質を持つ三人がティアストーンの力を流し込んでいるのに修復できず、消滅が進んでいるということは、ノエルの身体を構成している輝石が修復不能なほど傷ついているということだ」


「で、ですが、生命を操る賢者の石の力なら、修復は可能なのでは?」


 賢者の石の力に期待を抱いているクロノに、やれやれと言わんばかりにアルトマンはノエルに向けて掌をかざすと、掌から赤黒い光が放たれ、ノエルを包むが――状況は変わらず、もう片方の足も砕け散った。


「ほら、見ろ。賢者の石の力でも無理なものは無理だ。賢者の石の力は人の生命を操る力であり、イミテーションのように輝石から生まれた生物というよりも、無機物に近い存在には効果はない――本当に残念だが、ノエルは諦めるしかない」


 軽い調子でそう言い放ち、軽い笑みを浮かべるアルトマンはすでにノエルの命を諦めていた。


「ファントムの言う通り、せっかくティアストーンを暴走させるチャンスだったというのにそれをふいにして、消滅の危機をわかっていたのにアンプリファイアの力を使ったんだ――自業自得だ。それに、私の思い通りにならない娘――モノはいらない。今まで良く尽くしてくれとは思うが、所詮はこの程度のモノだったというわけだ。傑作だと思っていたが、お前やファントムと同じく失敗作だったようだ」 


「貴様――」


 今までノエルがアルトマンのために尽くしてきたのに、消え行くノエルを簡単に見捨て、モノとしてしか見ていなかったアルトマンに掴みかかろうとするティアだが――ティアよりも早く、優輝がアルトマンを殴りつけ、胸倉を掴み上げた。


「何かノエルさんを助ける方法があるはずだ!」


「生命を操る賢者の石、輝石の母とも呼べるティアストーンの力でも助けられないということは、ノエルを助けられるのはその二つを超える膨大なエネルギーが必要になる――残念だが、現時点でそんなエネルギーは存在しない。つまり、もう助けられない」


「ふざけるなよ……ノエルさんたちを生み出しておきながら、お前はファントムと同じく見捨てようとするのか!」


「飼い主に手を噛みつく犬や、反抗する可能性が高い犬を私は助けたいとは思わない。むしろ、裏切られたのに賢者の石の力を注いでやって助けようとしたことは感謝するべきではないのかな? ――まあ、蘇生実験は失敗したがね」


 ノエルに賢者の石の力を注いだのも単なる実験のためだということを知り、あまりにも身勝手で、軽々しく命を扱っているアルトマンに怒りの頂点に達した優輝は、再び彼の顔面に拳を叩きつける。今度は何度も。


 ファントムとの戦いで消耗しきっているアルトマンは抵抗できずに殴り続けられるだけだったが、必死な表情を浮かべている優輝を見て笑っていた。


 軽薄な笑みを浮かべているアルトマンを見て、優輝は拳に輝石の力を纏わせる――が、激情のままに凶行に走ろうとする優輝の拳をティアが掴んだ。


「お前まで他人の命を軽々しく扱うつもりか?」


 ティアの言葉で一気に冷静になった優輝はアルトマンの胸倉を掴んでいた手を力なく放した。


「……本当にノエルを助けられないのか?」


「ああ、無理だな」


 静かな怒りを込めた低い声で改めて質問するティアに、アルトマンは軽薄そうに笑いながら再び厳しい現実を叩きつける――が、ティアは諦めずに考える。


「優輝、教皇の具合はどうだ」


「消耗しているが問題ない。すぐに目を覚ます。エレナ様の力があれば、何とかできるかもしれない。だが、他の方法も考えよう」


「アンプリファイアはどうだ?」


「イミテーションのノエルさんにはアンプリファイアは劇物だが――可能性がある以上、そうは言ってられないか。しかし、アンプリファイアの塊は砕けたぞ」


「アカデミー都市中で暴れている輝械人形を止めるために大和が無窮の勾玉を操っている。それを利用しよう」


「大和君なら力の加減ができるか――そうだな、そうしよう。すぐに連絡しよう」


 諦めないティアと同様に優輝も、そして、無駄だと判断されてもリクト、プリム、アリシアの三人はノエルにティアストーンの力を注ぎ続けていた。


 クロノも諦めていないが――抱えているノエルが徐々に軽くなり、確実に消滅に向かっていることをこの場にいる誰よりも感じているクロノは、呆然自失の状態で彼女を見つめていることしかできなかった。


「……クロノ」


 弱々しい声でノエルはクロノに話しかける。


 クロノは声を出せないまま、ただジッとノエルを見つめることしかできなかった。


「セラさんとの戦闘を経て、私は僅かですが感情や意志のようなものが生まれたような気がします――……ですが、私はまったく理解できていません」


「……オレも同じだ」


 感情や意思に芽生えながらもまだ理解できていないのはクロノも同じだった。


 今、瞳を刺激し、全身と声を微かに震わせる身体中に渦巻く熱の正体がクロノは理解できなかった。


「ですが……私よりも先にあなたは感情が芽生え、意思を持った」


「オレはイレギュラーで生まれた欠陥品だからな」


「……私はそうは思えません」


 自虐気味な微笑を浮かべて自分を欠陥品だと評するクロノに、ノエルは小さく首を横に振る。


「感情という複雑怪奇なものを先に理解できたあなたは欠陥品ではありません。あなたは、私以上に完成されたイミテーション――いいえ、『人間』です……」


 完成品であるノエルに認められたことに胸が躍るような気分――『嬉しく』なるが――同時に、ノエルから放たれる生気や存在感が徐々に弱々しくなってきていることにクロノは焦りを抱き、瞳に感じている熱が表に出てクロノの視界を歪ませた。


「……感情が生まれたなら、オレと一緒に理解しよう」


「そうしたいのですが――……多分、無理です」


「オマエが諦めてどうする……みんな、諦めてないんだぞ」


 全身に亀裂が走るノエルの身体が徐々に淡い光が包むと、腕の中にいるノエルが一気に軽くなる。


 ノエルの消滅を悟り、クロノの焦燥はさらに強くなり――歪んでいた視界から零れ落ちた何かが頬を伝って落ちた。


「クロノ、アリスさんと美咲さん、そして、制輝軍の方々に、謝罪を――」


「……それくらい、自分で伝えろ」


 クロノはノエルに喝を入れるように声を張り上げるが、震えて上手く出せず、再び熱を持った瞳から何かが零れ落ちて、頬を伝ってノエルの頬に落ちた。


「……泣いているのですか、クロノ」


「そうか、これが涙か……これが、『悲しい』のか」


 頬を伝った涙の痕を拭って、クロノは自分が泣いていることに気づいた。


 残った片腕で涙を流す弟の頬に触れようとするノエルだが――触れようとした瞬間、もう片方の腕も砕け落ちた。


「ダメだ……消えるな、ノエル……」


「ごめんなさい、クロノ」


「消えないでくれ、ノエル……」


「罪滅ぼしの結果ですから、悔いはありません」


 自分が消滅することを覚悟していて何の迷いのないノエルに、クロノは懇願する。


 ノエルを包んでいた淡い光が粒子となって、宙を舞う。


 ノエルの存在を消さないように、クロノはノエルを抱えている腕を強くする。


 今まで否定したものを肯定してから、短時間でクロノはかけがいのない多くの物を得た。


 クロノはその喜びをノエルにも味わってもらいたかった――一緒に、姉弟で。


 だからこそ、ノエルに悔いがなくともクロノは消滅させたくなかった。


 ……お願いだ。

 消えないでくれ。

 諦めないでくれ。

 ――頼む。


 ノエルを消滅させないために動くティアと優輝、そして、諦めずにティアストーンの力を注ぎ続けるリクト、プリム、アリシアたちと同様に、クロノは諦めずにノエルが消滅しないこと、ノエルの身体が修復することを願う――


「ノエルさん、足速すぎ……」


 クロノの願いに呼応するかのように、息を乱した呑気な声が響いてくる。


 呑気な声の主――七瀬幸太郎は、この場にいる全員の注目を浴びながらも、乱れた息を整えながらノエルとクロノに近づくと、光の粒子となって消えそうなノエルをまん丸の目で見つめる。


 突然現れた幸太郎に驚きながらも、自分の願いを叶えてくれるのなら誰でもよかった。


「ノエルさん、身体ちょっと透けてる」


「ええ」


「スケスケになってる……ちょっとエッチ?」


「消滅するようです」


 緊張感なく驚いている幸太郎に、淡々と自分の状況をノエルは説明した。


「アリスちゃんと美咲さんはどうするの?」


「クロノに言伝を頼みました」


「自分の口で言わないと」


「もう無理です」


「諦めるの?」


「……悔いはありません」


「本当に?」


「罪滅ぼしは済みました」


「本当?」


「ええ」


「ホントのホント?」


「しつこいです」


「……本当?」


 しつこすぎる幸太郎の言葉に、消滅しかけていることを忘れて、ノエルは無表情ながらも不機嫌そうにムッとして、幸太郎の言葉を無視する。


 ノエルが消滅しようとしているというのに、能天気なやり取りで場の雰囲気を弛緩させる幸太郎だが――クロノは確かに感じ取っていた。


 幸太郎の言葉で、ノエルが確かに揺らいだのを。


 自分が消滅するのを悔いがないと言っておきながらも、ノエルは幸太郎の言葉で揺らぐ。


 自分をじっと見つめる幸太郎の視線から逃れようとするノエルだが、胸の中を見透かすような彼の目から逃れられなかった。


「消えたくない……」


 一瞬の沈黙の後、震えた声で呟くように放たれたノエルの一言で――無表情だったノエルの表情が徐々に崩れる。


「本当は消えたくない!」


 泣き出しそうな表情でノエルは、常に冷静沈着な彼女からは信じられないほどの感情的な声で、泣き叫ぶように本音を口にした。


 本音を口に出すと、もうノエルは止まらなかった。 


「アリスさんたちと、銀城さんと――みんなにまた会いたい! だから、消えたくない!」


 溢れ出す感情のまま、駄々をこねる子供のようにノエルは本音を口にする。


 それを聞いた幸太郎は、深々と頷く。


「僕もノエルさんに消えてほしくない。ノエルさんは友達だから、絶対に助ける」


 本人がカッコつけているつもりでも傍目から見れば不細工な笑みを浮かべ、頼りないほど華奢な胸を張り、助けられる保証も根拠もないのに自信満々にそう言い放つ幸太郎。


 無責任な発言をする幸太郎だが――クロノ、ティアたち、そして、アルトマンでさえも幸太郎なら何とかしてくれるかもしれないという不思議な信頼を感じていた。


「……助けて、七瀬さん」


「ドンと任せて!」


 根拠も、保証もないのに、自分を助けてくれると言った幸太郎をノエルは縋るように見つめ、助けを請う。


 助けを求められた幸太郎は力強く頷くと――突然、場の雰囲気が幸太郎を中心に変わりはじめる。


 幸太郎の雰囲気が教皇エレナのように神秘的なものに変化した。


 そして、近くにあるティアストーンから放たれる光が強くなり、ティアストーンから放たれる青白い光が何本もの帯となって幸太郎に向かい、彼の身体を包む。


 ティアストーンの光に包まれると、出入口や天井部からアンプリファイアから放たれる光と同じ、何本もの緑白色の光の帯が幸太郎に向かい、彼の身を包む。


 青白い光と、緑白色の光に包まれ、圧倒的な力を身に纏って周囲に放つ幸太郎をクロノたちは呆然と見ていることしかできなかった。


 空間がティアストーンから放たれる力で満たされると、その力に当てられて気を失っていたエレナがゆっくりと起き上がり、そして、すぐに幸太郎の様子を見て目を見開いて驚いていた。


 ティアストーンから放たれる青白い光の帯、そして、どこからかともなく現れる緑白色の光の帯の数がさらに増え、次々と幸太郎に集まる。


 幸太郎を中心として膨大なエネルギーが集まるが、そのエネルギーはティアストーンのように心地良い、肌を撫でるようだった。


 そして、幸太郎を包む青白い光と、緑白色の光が幸太郎、ノエル、そして、ノエルを抱えるクロノを包む。


 すると――三人を包んだ光が滾る炎のように、それでいて周囲にいる人間を温かく包み込むような赤に変化する。


「……バカな」


 幸太郎から発せられる赤い光を見たアルトマンは、信じられないと言った様子で目を見開らき、声を出して驚いていた。

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