第39話


「ほう――……


「『妹』? ――……なるほど、そういうことですか」


 この場所に来て父が傷ついて倒れ、教皇エレナが息子であるリクトと、ティアたちと交戦していることに驚き、乱心したと思ったノエル。


 ティアストーンのある場所から感じられる嫌な気配に、エレナが土壇場で父を裏切ったということまでは想像していたが、息子のリクトを傷つけることは想像していなかったので、想定外の状況に驚きながらも、アリシアたちが攻撃されるのを見ていられなかったノエルは、身体が勝手に動くままに二人を守った。


 そして、教皇エレナ――の顔をした人物の一言でノエルはすべてを察する。


 目の前にいるのが教皇エレナではなく、自分たちよりも以前に創られたイミテーション――ファントムであると。


 何らかの理由でファントムがエレナと同じ顔になっていることに気づくと、大勢の人間から慕われており、アカデミーや教皇庁のために行動してきた人物が急に周囲の人間を裏切って父に協力したことに納得できた。


「『お兄様』――とでも呼んだ方がいいですか?」


「見ない間に随分と冗談が上手くなったようだ」


 予想外のノエルの一言に不意を突かれたファントムは、『妹』の冗談を愉快そうに笑う。


 しかし、笑みを浮かべていても目は鋭く、妹の様子を隙のない目で窺っていた。


「それで? お前が来たということはセラに勝利したということかな?」


「……いいえ、私が負けました」


「それは残念だ。それを聞いたら親父はさぞかしガッカリするだろうな」


 傷ついて倒れているアルトマンに視線を向けながら、煽るような笑みを浮かべるファントム。


 ファントムの一言で、改めて父の期待を裏切ってしまったことを思い知るノエルの胸に突き刺さるが――不思議と不快感はなかった。


「さあ、お前はこれからどうする。俺としては『弟』のように抵抗しないのであれば、かわいい妹と戦いたくないのだが?」


「……リクト様はアリシアさんと、プリム様のフォローをしてください。クロノは三人を守りなさい。後は私とティアリナさんと、久住さんで何とかします」


 アリシアとプリムがティアストーンとアンプリファイアの力をファントムに流し込んでいるのを肌で感じ取り、今までファントムと交戦していたクロノたちの様子を見て、クロノとリクトが一番消耗していると判断したノエルはクロノに命じた。


 突然のノエルの指示に戸惑いながらもクロノはリクトとともにアリシアの元へと向かう。


 忠告をしても自分とぶつかり合う気の『妹』にファントムはわざとらしくため息を漏らす。


「結局は親父に忠実な犬か――残念だよ。まあ、お前にとっては都合の良い状況か。アリシアとプリムは今、アンプリファイアの力とティアストーンの力を使っているんだ。下手をすればティアストーンを暴走させるかもしれない状況だからな」


「……そういえばそうでしたね」


 父の目的達成が目の前であることにファントムの一言で気づいたノエルだが、すぐにそんなことはどうでもよくなった。


 今は目の前の敵――弟と父を傷つけた敵を倒すことに集中する。


 この空間に入ってすぐに弟と父が傷ついている姿を見たノエルは、身体が一気に熱くなり、今すぐにでもその熱さが外に漏れそうになっていた。


 普段から冷静沈着で感情を表に出さないノエルから熱を感じたファントムは、意外そうに彼女を見つめながらも狂気と期待に満ちた笑みを浮かべる。


「親父の最高傑作で、あの忌々しいセラの遺伝子から生まれたお前をずっと痛めつけたかったんだ――お前を見る度にあのセラの顔が浮かんでいたからなぁ!」


 二度も自身に決定打を与えたセラへの憎悪、ノエルへの嫉妬が混ざったどす黒い感情を爆発させると同時に、ファントムはノエルに攻撃を仕掛ける。


 武輝の大鎌を怨敵を彷彿とさせるノエルに向けて力任せに薙ぎ払うが、ノエルは身体をそらして回避し、反撃を仕掛けるが――反撃の手をノエルは止めた。


 アカデミーでもトップクラスの実力を持つティアたち四人と交戦しても、ファントムに傷一つついていないことに、ファントムがエレナの身体を人質取っていたと判断した。


 反撃しそうになるのを咄嗟に中断したノエルに、ファントムは嫌らしく笑う。


 反撃できず、咄嗟に距離を取ろうとするノエルの首を掴み、そのまま床にたたきつけようとするファントムだが――横から飛んできて飛び蹴りを放つティアがその行動を止めた。


 ファントムはノエルの首を掴んでいた手を放し、ティアの蹴りを回避。


 着地と同時に武輝を逆手に持ったティアは踏み込んで拳を突き出し、ファントムに追撃を仕掛ける。


 全身に輝石の力を纏っている輝石使いならば、体術を受けても身体にダメージがそんなにないと判断したティアは武輝を持ちながらも体術でファントムを攻めた。


 ティアに倣って、ノエルも左右の手に持った武輝を逆手に持ち替え、体術による攻撃を開始する。


 ノエルは涼しい顔で軽く跳躍して宙を舞うような動きで足技を主体にして攻め、ティアは武輝である大剣を薙ぎ払う要領で身体を勢いよく捻って拳を突き出し、蹴りを放っていた。


 そして、後方で優輝は光の刃を飛ばして反撃しようとするファントムの行動を止めていた。


 優輝とティアははじめてノエルと一緒に戦っても違和感なく、息を合わせた連携でファントムを攻めていた。まるで、セラと一緒に戦っているようだと二人は感じていた。


 それはノエルも同じであり、付き合いがそんなにないのに、相手がどのように攻撃を仕掛けるのか、どうフォローするのかが把握できて、無意識に息を合わせて連携できた。


 息があった三人の連携攻撃に防戦一方になるファントムの目に、ノエルの姿がセラにダブって映り、身を焦がすような憎悪が赤黒い光となって全身を包み、それを衝撃波として周囲に放つ。


 ファントムの放った衝撃波にノエルとティアは吹き飛び、勢いよく武輝を振って発生させた赤黒い光の刃を吹き飛んでいる最中の二人に向けて発射する。


 すぐに優輝は二人を守るために、光を纏った武輝を振って光の衝撃波を飛ばし、ファントムが放った赤黒い刃にぶつける。


 一瞬の拮抗の後、二人の放った攻撃は相殺される。


 相殺された瞬間、ファントムは赤い閃光を残して消え、優輝の背後まで瞬間移動すると、大鎌を振り下ろす――が、左右に持った武輝を交差させたノエルが受け止める。


 更なる追撃を仕掛けようとするファントムだが、その前にティアが力任せに投げ飛ばした。


 投げ飛ばされながらも体勢を立て直して華麗に着地するファントムだが――彼の表情は憎悪と苛立ちに歪んでいた。


 ティア、優輝と息の合った連係を見せるノエルの姿が、完全にセラにしか見えなくなり、ファントムの中で強く残る一度目の敗北――セラに決定打を与えられた時の記憶が蘇っているからだ。


 今のファントムの意識は二度目の敗北をする前にティアストーンに潜り込ませたため、二度目の敗北の記憶がないが、言伝で聞いた二度目の敗北の様子で、一度目と同じく二度目もセラの一撃が勝利につながったと聞いたため、ファントムの中にあるセラへの憎悪が強くなっていた。


 そんな時に現れたセラの遺伝子から生まれたノエルの登場に、ため込んでいた憎悪が抑えきれないほどに膨れ上がり――ノエルとセラの姿がファントムの目に完全に重なって見えた時、膨れ上がった憎悪は一気に爆発した。


「セラがいなくて残念だが――この際どうでもいい! お前たちに俺の存在を嫌というほど刻みつけてやる!」


 怨嗟に満ちた声を上げ、炎のように滾らせた赤黒い光を身に纏い、力任せに武輝を振り上げるファントム。


 これまでで最大級の攻撃をノエルたちに仕掛けようとするが――ここで、ファントムが身に纏っていた赤黒い光が消滅し、苦悶の表情を浮かべて膝を突いた。


「ば、バカな……め、目覚めようとしているのか……」


 自分の中にいるエレナが目覚めようとしていることに気づいたファントムはノエルたちから、リクトたちに視線を向けると――


 リクト、プリム、アリシアの三人の力によって慣れないアンプリファイアの力を安定させ、ティアストーンの力を極限まで引き出し、二つの力をファントムにぶつけていた。


「俺の身体だ……これは俺の身体なんだ! セラに! ティアに! 優輝に! 親父に! そしてアカデミーに復讐するために得た俺の身体なんだ!」


 怨嗟の声を上げて、目覚めようとしているエレナの意識を必死に抑え込もうとするファントムだが、抵抗むなしく徐々に青白く、緑白色の光が彼の全身を包む。


 ティアストーンとアンプリファイアの光に包まれた瞬間、ファントムに戦慄が走る。


 目覚めようとしているエレナがティアストーンとアンプリファイアの力で自分の意識を消そうとしているのを感じ取ったからだ。


「俺はまだ復讐を終えていない! 自分の身体を取り戻していない! だから消えるべきじゃないんだ!」


「エレナ様の身体はお前の身体じゃない。お前の肉体はもう滅んでいるんだ。意識だけになったお前はもう過去の亡霊であり、この世のものではない……大人しく、あるべき所へ還れ」


 自分の意識がエレナの意識によって消されるのを必死で堪えようとするファントムを――自分から生まれた存在を憐れむように、そして、突き放すように優輝は見つめていた。


「黙れ! 俺はまだ終われないんだ! 俺の存在を周りに刻みつけたいんだ! 俺の存在を感じさせたいんだ! まだ、俺は俺になれていないんだ!」


「大人しく消えろ。そして、二度と私たちの目の前に現れるな」


「嫌だ……嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 消えたくない! 消えてたまるかぁあああああ!」


 冷たく突き放すティアの言葉を遮るように、消えたくないとファントムは切に願う。


 そして、その強い想いがファントムの身体を包んでいたティアストーンとアンプリファイアの光を消し去り、代わりに狂気にも似た執着心を表すように赤黒い光が身を包む。


 同時に、ファントムの中で目覚めそうになっていたエレナの意識が途絶える。


 リクト、アリシア、プリムは再びアンプリファイアとティアストーンの力をファントムに向けてぶつけるが――先程のようにエレナの意識は何も反応しなかった。


 そして、アリシアが手に持っていたアンプリファイアの塊にひびが入り、アンプリファイアから放たれる光が弱々しくなる。


「どうやらアンプリファイアがティアストーンの力に耐え切れなかったようだな! 今度は深い場所にエレナは再び眠りについたぞ!」


 エレナの意識が再び眠りについたことを察し、声高々にそう宣言するとファントムは安堵したように、そして、勝ち誇ったように高笑いを上げる。


 そんなファントムをティアと優輝は悔しそうに眺めることしかできない。


 ――アンプリファイア側の力が足りていない……

 それなら――


 ノエルは気分良さそうに高笑いをしているファントムに向けて疾走する。


 ――まだ、手段はあった。


 幸太郎のおかげで消滅は免れたが、それでもアンプリファイアを使ったばかりのノエルの身体にはアンプリファイアの力が残っていた。


 自分の中で沈殿しているアンプリファイアの力を引き出すノエル。


 大人しく眠っているアンプリファイアの力を引き出せばどうなるか――ノエルは理解していたが、それでも構わなかった。


 父と弟を傷つけ、父の計画を崩し――そして、せめてもの罪滅ぼしになるなら、自分の身を犠牲にしてファントムを消し去ることに何の躊躇いもなかった。


「やめろ! ノエル!」


 ノエルが何をしようとしているのか察したクロノが悲鳴に似た声を上げ、ノエルの元へ駆け出そうとするが――それよりも早く、ファントムとの間合いを詰めたノエルは、ファントムの胸倉を掴んだ瞬間自身の中に眠るアンプリファイアの力を引き出した。


 ノエルから放たれるアンプリファイアの力に、リクトたちから放たれるティアストーンとアンプリファイアの力が増大する。


「ま、待て! そんなことをすれば俺諸共お前も消えることになるぞ!」


 自分の身を犠牲にしたノエルの凶行を制止させようとするファントム。


 クロノに続いて、ティアたちもノエルを止めるため、彼女に向かって走る。


 ――七瀬さんの言った通りだ。

 大勢を裏切った私の味方はもういないと思っていた。

 ……でも、こうしてクロノや他の人たちが私を止めようとしてくれている。


 自分を止めるためにクロノたちが動いていることを感じて、ノエルは自分はまだ一人ではないことを感じ――力と勇気をもらった気がして、強引に自分の中に眠るアンプリファイアの力を絞り出した。


 瞬間、ヘルメス、そして自分の中で決定的な何かが砕け散って壊れる音がノエルの耳に響き渡る。


「俺は……俺は、また消えるのか……俺は――まだ、何も――……」


 自分はまだ何もしていなければ、自分の存在を知らしめていない――それを口に出そうとしたファントムだったが、最後まで言えなかった。


 エレナの身体から赤黒い光が抜ける――すると、エレナは糸の切れた人形のように倒れる。


 その赤黒い光は救いを求めるように、ティアストーンの元へと向かうが、アンプリファイアとティアストーンの光に呑まれて霧散してしまった。


 ――これで、ファントムは消えた。


 霧散した赤黒い光を見て、ファントムの意識が消えたことを感じ取ったノエルは前のめりに倒れそうになるエレナを受け止め、そっと彼女を床の上に寝かせた。


 憑き物が取れたかのような慈愛に満ちた優しい表情で寝息を立てているエレナを見て、ノエルは深々とため息を漏らすと――アリシアが持っていたアンプリファイアが砕け散る音が響き渡る。


 同時に、ノエルの全身からひび割れる音も響き渡る。


 ――終わった。


 ティアストーンを暴走させるアンプリファイアの塊が砕けたことで、父の計画の失敗と自分の消滅を感じ取ったノエルは脱力したように後ろのめりに倒れる。


 そんなノエルをクロノがそっと抱き止めた。

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