第37話

 ――損傷重大。

 警告! アンプリファイアの力が身体に多く残留している。

 身体は限界を迎えている。


 引きずるようにして歩くノエルの頭に自分の状態を冷静に、他人事のように分析する声が響く。


 そして、身体中からガラスがひび割れるような嫌な音が響き渡った。


 だが、それらを無視してノエルは先へ――父の元へと急ぐ。


 敗北したが、セラという強大な戦力を削いだので、次は異変を感じている父の元へとノエルは向かうつもりだったが、セラとの激しい戦闘で身体はすでに限界を迎え、アンプリファイアを使ったせいで身体は消滅する危険性が大きくあった。


 警告! これ以上身体を動かすのは危険。

 これ以上は消滅の――うるさい!

 ……任務を果たす。


 注意を促す頭の中の声を強引に黙らせ、ノエルは先へ急ぐ。


 ――あなたは何のために任務を果たすの?


 先へ急ぐノエルの頭の中に、いつも冷静に状況を分析する声とは違い、自分の声とよく似た声が質問をしてきた。


 ……任務を果たすため。

 ――誰のために?

 父のため。


 突然響いてきた声に戸惑いながらも、ノエルは当然といわんばかりに答えた。


 間髪入れずに再び質問され、即座に返した時――ノエルは自分の中にあるものが見えてきた。


 与えられた任務をただ遂行しているんじゃない。

 ――私は……ずっと、父のために任務を果たしてきたんだ。

 父から与えられた任務を遂行するのが私の存在意義――でも、本当は違う。

 父のために任務を果たそうとしたんだ。


 自分の存在意義がいつの間にか変わっていたことに気づいたノエルに、再び自分によく似た声が頭の中から響いてくる。


 ――そうだ。


 あなたはずっと気づいていた。

 気づいていながらも、否定していた。

 イミテーションであることに縛られて、すべてを無視していた。

 ――覚えがあるだろう?


 頭の中の声がそう告げると、ノエルの頭に様々な光景が蘇ってくる。


 一週間前の事件でクロノと交戦した時――本当はあの時、クロノを仕留めるのは容易だった。


 クロノがいると思われていた病院で、かつての仲間の制輝軍と対峙し、倒した時に頭が真っ白になったのは、彼らに対して僅かに罪悪感を覚えていたからだ。


 その後、病院内で感じた違和感――本当は病院にクロノがいないことは気づいていた。気づかないふりをして、自分の意思でクロノを見逃した。


 その次はアリスとサラサと対峙をした時――自分を必死で説得するアリスやサラサに、揺るがぬ覚悟が胸の奥に沈殿していた罪悪感で揺らいでしまい、任務を放棄しそうになった。


 そして、美咲――大勢を敵に回しても自分のために味方をしてくれる美咲に感謝して、傍にいてくれて安堵感を得ていた。


 最後はセラだ。セラの言葉は確かに自分のあるはずのない『心』を刺激した。


 そう、それがあなたの――いや、私の本音。

 私の心、感情、意思。


 頭の中に蘇った光景で自分の行動やその時抱いた気持ちを振り返った時、頭の中の自分によく似た声――『本当の自分』は今まで認めなかった存在を認めた。


 それを認めた時、今まで気を張って生きてきたノエルは脱力したようにその場に座り込んだ。


 そして、ノエルは自分の手にふいに視線を向けると――自分の両手に亀裂が走っていた。


 亀裂が走る手が――先程から身体中から響き渡る、ガラスにヒビが入るような嫌な音の正体であり、手だけではなく身体中にも亀裂が走っているとノエルは他人事のように判断した。


 ――もう……限界。


 自分の消滅を悟るノエルの胸に――心に重い何かがのしかかる。


 重い何かがのしかかると同時に寂静感と恐怖感がノエルに襲いかかる。


 助けを求めようにも、周りには誰も、自分には父以外の味方はいなかった。


 ……それが私の敗因。

 オリジナルを超えるために作られたのに、彼女は私にないものを多く持っていた。

 私には何も残っていなかった。


 セラと一緒にいたリクトとクロノ、その後に駆けつけてきたティア、優輝、アリシア、プリム、そして、最後に駆けつけてきた幸太郎と萌乃――自分にはない、仲間や友人を多く持っていた自分のオリジナルであるセラに、ノエルは改めて敗北を叩きつけられた。


 それに気づいた時、ノエルはかつての仲間である制輝軍たち、アリス、美咲、弟のクロノの姿が頭に過り、彼らを裏切ってしまった後悔の念に駆られた。


 そして、彼らにもう一度会いたいと――会って一言謝りたいと願った。


 ――生きたい。

 誰か……誰か、助けて……


 そう願った時――消滅を覚悟していたのにノエルは生きたいと願ってしまう。そして、心の中で助けを求めてしまう。


 もちろん誰も来るはずもなく、このままただ消えるだけとノエルは諦めていたが――


「大丈夫? ノエルさん」


 心の中でも止めた助けを呼ぶノエルの声のない声に応えるように、呑気な声が響いた。


 驚きながらも声のする方へと視線を向けると――純真無垢で瞳で自分を心配そうに見つめている七瀬幸太郎がいた。


 突然の幸太郎の登場に戸惑い、驚くノエルだが、それ以上に消えそうになっていた自分の前に一人の人間が現れたことに、絶望感に押し潰されそうになっていた僅かに胸の中が軽くなり、ジンワリと心地良い熱が生まれる感覚――安堵感を得た。


「立てる?」


「……別に大丈夫です」


 敵同士であるというのに、警戒心も邪心なく手を差し伸べる幸太郎にノエルは強がって拒むが、もちろん一人で立てなかった。


「それで、何しに来たんですか?」


「ノエルさんが心配で」


「捕まえに来たのではないんですか?」


「僕、手錠持ってない」


「あなたは風紀委員でしょう」


「ぐうの音も出ない」


「用がないならどこかへ行ってください」


「でも、ノエルさんが大丈夫じゃなさそうだし」


「……問題ありません」


「本当?」


 何を言っても軽く受け流す幸太郎のしつこさに、ノエルの安堵感を得ていた胸の中が苛立ちで徐々に熱くなってくる。


「これからノエルさん、どうするの?」


「……ティアストーンの元へと向かいます」


「アルトマンさん――お父さんを助けるために?」


「そのつもりです」


 まだ、ノエルの中に与えられた任務を果たしたいという気持ちがあったが、それ以上に父の安否が気になっていた。


 僅かながらにも感情が芽生えて理解し、父にいいように利用されていたことも察しながらも、それでもノエルは自分を生み出してくれた父に尽くそうとしていた。


 だからこそ、消滅しかかっているにもかかわらず、ノエルは無理してティアストーンの元へと向かっていた。


「じゃあ、僕が連れて行くよ」


「……必要ありません」


「おんぶする?」


「結構です」


「じゃあ抱っこ?」


「結構です」


 拒まれながらも、先へ向かおうとするノエルの意思を感じ取って協力しようとするが、一瞬その提案を呑みそうになったがノエルは協力を拒んだ。


「ノエルさん、お母さんのセラさんと似てホント意地っ張り」


「一緒にしないでください。それと、あの人は私の母ではありません」


「違うの?」


「少し違います」


「なら、やっぱり母娘なんだね――ほら、行こうよノエルさん」


 セラと似ていて、親子だと何も考えている様子なく言い放つ幸太郎にムッとするノエル。


 そんなノエルを軽くスルーして、無理して差し伸べられた手を拒んでいる膝を突くノエルを立たせようと、腕に触れた瞬間――頭の中に響いていたひび割れる音が消え、手に走っていた亀裂が一瞬の淡い光とともに消えるとともに、セラとの戦いで消耗していた身体が徐々に回復してくる。


 ――これは……

 そういえば、あの時も――


 幸太郎に触れられた瞬間、消滅の危機を脱したことに驚きを隠せないノエルだが――前に一度、アンプリファイアで苦しんでいた自分を癒したことを思い出す。


 輝石から生まれた存在であるため、手で触れずとも他人の輝石を反応できるティアストーンを扱える資質が持つ者が自分に触れれば、身体を構成している輝石が反応して全身に輝石の力が駆け巡り、体力や怪我を回復させることができるが――今のように消滅しかかっていた自分を修復するほどの大きな力は、教皇や次期教皇最有力候補クラスの力を持っていなければ難しかった。


 煌石の資格持ちながらも、大して力を持っていない幸太郎が今の自分を修復することなどありえないと疑問を抱くノエルだが、消滅の危機を脱したのに加えて体力も徐々に回復しているので、体力が完全に戻るまでの間少しの間幸太郎の好きにさせることにした。


 ノエルに肩を貸す幸太郎だが、非力なためにノエルを肩で抱えて歩くスピードは遅かった。


「……強引ですね、七瀬さんは」


「だって、言っても聞かないから」


「あなたに言われたくありません」


 思ったことをふいに口に出したノエルの言葉に、何も考えていない様子で反論する幸太郎。


 自分のことを棚に上げる幸太郎にムッとするノエルだが――呑気な幸太郎と話していたら、意地を張り続けていた自分がバカバカしく思えてしまっていた。


「どうして私に協力を? あなたたちの目的は私たちを止めることでしょう」


 自分たちを止めようとしていたのに、先へ向かうのに協力しようとする幸太郎にノエルは純粋な疑問をぶつけると、特に何も考えていない様子で幸太郎はすぐに答える。


「アリスちゃんや美咲さんはノエルさんを止めたいって思ってる以上にノエルさんの無事を願ってるよ」


「裏切って、利用したのに……本当に二人はそう思っているんですか?」


「もちろん。二人ともノエルさんの友達だし」


「……そうですか」


「あ、僕もノエルさんの友達だよ」


 ただ自分の思ったことを口にしただけの飾り気のない言葉だが――その言葉がノエルの胸に、生まれたばかりの心に染み渡る。


 もう味方がいないと、一人だと思っていたが、まだ自分の無事を願ってくれている美咲とアリスのおかげで、暗礁に乗り上げていた気持ちが徐々に熱を持つ。


 まだ体の中にアンプリファイアの力が残っているが、幸太郎に触れられてだいぶ体力も戻ってきたノエルは、ここで幸太郎をそっと突き飛ばした。


「……ありがとう、七瀬さん」


 無様に尻餅をついている幸太郎に聞こえるか聞こえないかの声でノエルはそう言って、目にも止まらぬ速さで目的地へ向けて疾走した。


 父の安否を確認するために。


 そして――自分自身の決着をつけるために。


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