第19話

 隠れ家で一人ノエルはソファに深々と腰掛けていた。


 美咲が任務に向かってすぐにヘルメスも用事があると言って隠れ家を出て、一人残ったノエルは特にやることがないので、アンプリファイアを使ったせいで消耗した身体を癒すことに集中していた。


 まだ体に澱んだアンプリファイアの力が残っているが、それでもだいぶ楽になった。


 これも美咲のおかげだ――と思うと、ノエルは胸が絞めつけられるような痛みと、落ち着かない気分になって時間が気になってしまっていた。


 美咲が任務に向かって一時間以上経過しており、そろそろ任務の結果がわかる頃だった。


 結果は目に見えてわかっていた――美咲は確実に敗北して、捕えられる。


 その結果を理解しているのに、ノエルは美咲がどうなったのかを知りたかった。


 無表情だが落ち着かない様子のノエルは、隠れ家に入る気配に気づくのに一瞬遅れてしまう。


 すぐに侵入者に対して警戒心を高めるノエルだが――自分がいる部屋に入ってきたアタッシュケースを持ったヘルメスを見て、それが杞憂だということを悟った。


 普段と変わらないヘルメスだが、彼から焦燥と疲労感が滲み出ていることをノエルは察して、何か非常事態が発生したことを察する。


「困ったことになってしまったよ」


 部屋に入って開口一番に困ったと言っている割にはいつもと変わらぬ余裕そうな笑みを浮かべているヘルメスだが、その言葉で彼が相当焦っているのだとノエルは判断していた。


「鳳グループは我々の正体と目的を掴んでいるそうだ。情報元はクロノだそうだ……――まったく、父の私を裏切るほどの欠陥品とは思いもしなかったよ」


 口調は穏やかだが、クロノを『欠陥品』だと吐き捨てるように言ったヘルメス――アルトマンの声には憎悪に満ちていた。


「この仮面ももう必要なくなってしまったな」


 ため息交じりにそう言って、アルトマンは自身の顔半分を覆っていた仮面を外し、端正な顔を露わにする。


 父を裏切ったクロノへの怒りを静かに高めるノエルだが、同時にクロノの目が覚めたことを知って、胸の中に沈殿していた重い何かが軽くなったような気がした。


 自分たちの正体と目的が知られた以上、相手も対応策を考えるのは確実なので、自分たちもその対策を練るために意見を述べようとするノエルだったが――


「……銀城さんはどうなったのでしょう」


 出そうと思っていたものと違う言葉が口から出てしまってノエルは内心戸惑ってしまい、父に不審に思われると思ったが、彼は嬉々とした笑みを浮かべて特に気にしていない様子で「ああ、そのことだが――」と話を続ける。


「彼女が大暴れしてくれたおかげで、大勢の制輝軍が傷ついて倒れ、鳳グループに動揺が広がり、鳳グループが襲われたことで教皇庁は対立悪化を恐れるとともに内部にいるかもしれない裏切者に疑心暗鬼になっている――いい感じに混乱が広がってくれているよ」


「……それでは、準備は整ったということですか?」


「その通り。彼女は最後の最後で大いに役に立ってくれた。彼女を利用して正解だった」


「私もそう思います」


「銀城美咲も愚かだ……私の娘を懐柔しようとしていたようだが、その想いを利用されていることも知らずに私の思うままに動いてくれるとは」


 嬉々とした声を上げる父に一瞬の間を置いて同意をするノエル。


 はじめからアルトマンは美咲を利用していた。


 アンプリファイアの力で傷ついたノエルを向かわせようとすれば、美咲は必ず割って入ると見越したアルトマンは、彼女を煽って任務に向かわせた。


 結果は大成功であり、計画は大詰めを迎えているのだが――ノエルの胸に正体不明の何かがざわついていた。


「さて、これから協力者と落ち合ってティアストーンの元へと向かい、ティアストーンの元に辿り着いたらこれを使う」


 持っていたアタッシュケースを開くと、中には緑白色に淡く輝く紡錘形の岩のような大きさの――アンプリファイアが入っており、昨夜ノエルが使用した小石大の大きさのアンプリファイアとは比べ物にならないほどの大きさだった。


「無窮の勾玉の力には劣るが、この巨大なアンプリファイアと、私の持つ賢者の石の力を使えば、ティアストーンの力を一気に解放できる――そして、解放したティアストーンから生まれた輝石で二つ目の賢者の石を作ることができるというわけだ」


 期待と興奮に満ちた表情で賢者の石の生成方法を語る父からは、失敗する可能性すら考えている様子はなく自信に満ち溢れていた。


 そんな父を疑うことなく信じているが――彼にアカデミー内部の情報を与えている協力者の正体を知らないノエルは、いまだに知らぬ協力者に対して不信と不安を抱いていた。


 だが、目的が不明な美咲を仲間にした父の判断は間違っていなかったので、ノエルは協力者ではなく、父の判断を信じることにして不信感を消滅させた。


「ノエル、一つ言っておかなければならないのだが――アンプリファイアを使用した際、アンプリファイアの力がイミテーションである君に悪影響を及ぼす可能性が大いにある。アンプリファイアのような輝石の力を極端に増減させる力は、輝石と同等の存在であるイミテーションにかなりの負荷をかけることになる。ティアストーンにアンプリファイアの力を一気に流し込んだ際、君にどんな影響が出るのかまだわかっていないのだ」


「覚悟の上です」


 ――何も問題はない。


 父のためなら自分がどうなろうが構わないノエルに迷いはない。


 どんなことがあっても自分について来てくれる迷いのないノエルの答えを聞いて、慈愛と父性に満ちた笑みをヘルメスは浮かべていたが、隠しきれない悪意が滲んでいた。


「厄介な組織の力をだいぶ削ぐことができたが、まだ油断はできない。念のため、計画実行時にはティアストーンから離れてもらい、不測の事態に備えて侵入者の迎撃を任せてもらいたい」


「了解しました」


「昨夜のようにアンプリファイアを使うのは方がいい。今度使えば消滅の可能性が高い……私は目的達成と同等に娘の君も大切にしているのだ。だから、私を悲しませないでくれよ?」


「……わかりました」


「さすがは私の最高傑作の娘。欠陥品であった息子とは大違いだ。さあ、目的達成は目の前だ。さっそく協力者と落ち合おうじゃないか」


 父の言葉に素直に従うノエルだが、非常事態の際はアンプリファイアを使用する気があった――アンプリファイアを『使うな』ではなく、『控えろ』と言って使用禁止にしていないからだ。


 自分が抱く悪意など気にしていない様子のノエルに、ヘルメスは微かに口角を吊り上げた。


 ――任務開始。


 協力者と会うためにアンプリファイアの入ったアタッシュケースを持って隠れ家を出る父の後に、頭の中の声が任務開始を告げると同時にノエルは追った。


 胸のざわつきがまだ治まっていなかったが――父の目的達成のために与えられた任務のことを考えれば、少しだけざわつきが治まった。

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