第16話

 鳳グループ本社で大暴れしろ――それがヘルメスに命令だった。


 暴れるのが大好きな美咲にとって、願ってもない機会に二つ返事で了承して、どのように大暴れするのか、ヘルメスと軽い打ち合わせをした後にさっそく目的へと向かう美咲。


 ヘルメスの隠れ家を軽い足取りで出ようとする美咲の前に――ソファの上で横になって休憩しているハズのノエルが現れた。


「ダメだよー、ウサギちゃん。まだ顔色悪いんだからちゃんと休んでなくちゃ❤」


「別に問題ありません」


「そう見えないけどなー。言うこと聞かないと、またおねーさんがぺろぺろしちゃうぞー♪」


 問題がないと言いながらも顔色がまだ青白く、体調が悪そうなノエルに美咲を心配して諭すが、ノエルは大人しく聞く気がない様子でジッと美咲を見つめていた。


 感情を宿していないながらも、美咲の目にはノエルが自分に何かを訴えたいように見えた。


 僅かな期待感を込めて、美咲はノエルが何を言うのかをジッと待った。


 無言の状態が一分近く続くと、「……これを」とノエルは横になっていた自分にかけられていた、ボロボロの美咲のコートを差し出した。


「あー、そういえば貸したままだったね。別に使っていてもいいのに。そろそろ買い換えようかと思っていたし、なんならあげようか? おねーさんのスメルがこびりついて離れない、一部の好事家たちには大好評のコート♪」


「結構です」


「もう! 即答で拒否しなくてもいいのに! おねーさんのにおいがそんなに気に入らなかったの? おねーさん傷ついちゃうぞ☆」


 手についた汚いものを振り払うかのようにノエルに投げ渡された自身のコートを美咲はぶつくさと文句を言いながら着た。


「ほらほらー、言いたいことを言い終えたなら休んでなさい、ウサギちゃん」


 まだ体調が戻っていない様子のノエルに休んでいろと美咲は注意するが、ノエルはいまだにジッと美咲を見つめたまま動かない。


 まだ何かノエルが自分に言いたいことがあるのだと思い、美咲は彼女の言葉を待つ。


 再び沈黙が訪れるが、沈黙は先程よりも短かった。


「理解できません……どうして、あなたは私たちに協力を?」


 純粋に抱いている疑問を自分にぶつけるノエルに、美咲は優しく微笑んだ。


 普段軽薄な笑みを浮かべて、子供のように無邪気でふざけている美咲だが、優しく微笑んだ彼女は普段のような子供っぽさはなく、年相応に大人びていた。


「それを理解できたら、きっとウサギちゃんも弟クンと同じ答えに辿り着けるんじゃないかな」


「ありえません……あの裏切者と一緒にしないでください」


「弟クンは自分の心に従ったんだから、ウサギちゃんもそれができると思うんだけどな」


「私たちは人間ではありません。心、感情、そんなものは存在しません」


「……それは、本当なのかな?」


 裏切者――クロノの話題が出て、無表情ながらもノエルは殺気立つ。


 クロノが得たものを否定するノエルに、美咲は意味深に微笑むと、不機嫌そうに自分を睨むように見つめるノエルと視線を合わせた。


 今までに見たことがないほど優しく、それ以上に必死な目をしている美咲から、焦燥感にも似た威圧感を感じたノエルは僅かに気圧されてしまった。


「アタシはね……ウサギちゃんや弟クンが人じゃなくても関係ないの。ヘルメス君の目的も、正体がアルトマンおじさんだってことも興味ない――ただ、アタシはウサギちゃんのためにここにいる……ウサギちゃんは友達だからね」


「理解不能です。私は利用するためにあなたに近づいたのに。それに、私は人ではありません」


「言ったでしょ? ヘルメス君の目的なんてどうでもいいし、ウサギちゃんが人じゃなくても関係ないって――ウサギちゃんが友達だから味方をしてるだけだよん❤」


「理解不能です」


「今はまだ理解できなくても、いつか必ず理解できる時が来ると思ってるよん♪」


「ありえません」


「アタシはそう信じてるから」


 美咲の言葉を理解できず、するつもりもないノエル。


 生み出された時に創造主に命じられた通り、今もこれからも行動するだけだった。


 まったく自分の意思を変えるつもりのないノエルに小さく嘆息しながらも、言いたいことを言った美咲は満足そうな笑みを浮かべて、任務を果たすために目的地へと向かう。


「ご武運を」


「フフン! おねーさんに任せなさい!」


 振り返ることなく戦地へ向かう美咲に対して、ノエルは消え入りそうな声でそう呟いた。


 小さな声だったが、確かに耳に届いた美咲の全身に闘志が漲った。




―――――――――――




「イミテーション、賢者の石、ヘルメスがアルトマン――信じられないな」


「ホント、私もそう思うわぁ、克也さん。あのダンディなアルトマンのオジサマが、若々しさ溢れるナイスガイになって生きていたなんてね」


 鳳グループ本部の社長室で、ヴィクターから報告を受けた克也は深々とため息を漏らし、ヴィクターの報告を聞いて納得していない克也の気持ちを見透かしたように萌乃も同意した。


 大悟、萌乃、巴、そして、居心地が悪そうに部屋の隅にいるアリシアも同感だった。


 目が覚めたクロノから得られた情報はあまりにも突飛だった。


 輝石から生み出されたイミテーションと呼ばれる存在、伝説の煌石・賢者の石が実在すること、実は生きていたアルトマン――今までの常識を覆す事実の連続に、大悟たちは容易に受け止められることができないでいた。


「でも、仲間であった人から始末されそうになったのに嘘は言わないと思う。それに、クロノ君は自分の意思でノエルさんたちに反抗したんだから、嘘なんて言うはずないわ」


「そうねぇ……もしも巴ちゃんの言う通り、クロノちゃんが言っていることがすべて本当なら、あのオジサマならすべてを実行できるかもね……アルトマンのオジサマは輝石や煌石に関して誰よりも理解を深めてたから――ヘルメスちゃんと会ったことのあるあなたはどう思う?」


 ヘルメス=アルトマンという事実をこの場にいる誰よりも早く受け止めつつある萌乃は、ヘルメスと長い付き合いだったアリシアに意見を求めた。


「……まだ信じられないけど、アルトマンがヘルメスなら納得できる点がいくつかある。あの我の強いアルバートを何度かヘルメスが諌めて、アルバートがそれに従っているのを見たわ」


「そういえば、アルバートちゃんはヴィクターちゃんと同じで、オジサマの弟子だったわね……確かに、アルバートちゃんを制するのは、先生のアルトマンのオジサマしかいないわね」


 萌乃とアリシアの会話で徐々にアルトマン=ヘルメスが現実味を帯びてくる。


「アルトマンの目的が祝福の日の再現ならば、目的達成はおそらく目の前だ。世界中の混乱を防ぐために絶対に、全力で止めなければならない」


 長い付き合いの萌乃や克也が今まで見たことがないほど険しく、焦燥感を抱いている大悟の表情に室内の緊張感が自然と高まるが、克也は仏頂面を浮かべていた。


「……だったら、少しはこっちが妥協して教皇庁に協力するべきだったな」


「耳が痛い言葉だが――言っただろう、今の教皇庁は信用できないと」


 呟くようだが、大悟に聞こえるように文句を述べる克也。


 不満気な表情を浮かべての克也の文句を真摯に受け止めつつ、大悟は淡々と返答した。


 切羽詰まってる状況で落ち着き払っている大悟に苛立ちを隠せない克也。


「最悪の事態が起きる可能性もあるのに、仲違いしたままでいいと思ってんのか!」


「わざわざ言われなくとも小父様は百も承知――ゴチャゴチャ文句を言わないでよ、バカ」


 呆れ果てている様子の娘の厳しい一言に、一気に熱くなっていた頭が冷めた克也は居心地が悪そうに一度大きく舌打ちをして、自分を落ち着かせた。


「アカデミーはアルトマンという今までにないほどの脅威に狙われている。そんな危険人物に協力している人間がお前の想像通り教皇庁内にいる可能性も高い――さあ、お前が知る真実を話してもらうぞ」


 克也の言葉に頷いた大悟は、さっそく自分の知ることを話そうとするが――けたたましいノックとともに、返事を待たずに入ってきた鳳グループ社員によって、中断させられた。


「た、大変です! 銀城美咲が鳳グループ本社前に現れ、破壊活動をはじめました!」


「わかりました――美咲は私に任せてください」


 切羽詰まった様子の報告を聞いて、すぐに巴は動きはじめる。


 アカデミーでもトップクラスの実力を持つ輝石使いの銀城美咲を止められるのは、自分しかいないと判断するとともに、何だかんだ友人の美咲を巴は止めたかった。


 そんな巴の気持ちを悟った大悟たちは巴を止めることはしなかったが――「巴」とぶっきらぼうな様子で克也は娘を呼び止めた。


「……気をつけろ」


 短いが自分を心配する気持ちは十分に伝わる父の言葉に、巴は振り返ることはしなかったが、力強く頷いてから友達を止めに向かった。

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