第10話


 目の前に『手』が現れた。

 見覚えのある、頼りないくらいに細い手だった。


 その手が今までのことを振り返っていたオレを掴んだ。

 そして、その手が力任せに引っ張ると、フワリとした浮遊感とともにオレの身体が浮かんだ。


 心地良い浮遊感をもたらしたその手に身を委ねると徐々に視界に光が広がり、眩い光が視界を支配した瞬間――現実に戻った。


 ……夢、だったのか?

 はじめて見た……


 ガバッと上体を起こしたクロノは、生み出されてから今までを振り返るという、はじめて見る夢に戸惑いながらも、目覚めたばかりでボンヤリとする頭で、キョロキョロと周囲を見回して周囲と自分の状況を確認する。


 まず、クロノは簡易ベッドの上に寝かされていたことに気づく。次は窓がなく、部屋の隅に置かれた長机と椅子を見て、今いる場所が病院ではないことを何となく察し――


「おお、目が覚めたかクロノ! 一週間以上目を覚まさなかったから、心配したのだぞ!」


 ――そして、自分以外の他に人がいることに気づいた。


 目覚めたばかりでボンヤリしているクロノを一気に覚醒させる騒がしい声とともに、クロノに抱きつくのは、長めの髪をツインテールにした、気の強そうな表情の可憐な少女――プリメイラ・ルーベリアであり、普段の高圧的で勝気な瞳を安堵感でいっぱいにさせてクロノを見つめていた。


 一週間以上も眠っていたのか……まあ、無理はない。

 ノエルの攻撃を受けて、重大な損傷を受けて修復に時間がかかったんだろう。

 あの攻撃から無事に生還して、運が良かった。

 それよりも――……


 プリムの言葉で自分が一週間以上眠っていたことを知るクロノだが、それ以上に目覚めるや否や、リクトと同じく友人と認めている相手であるプリムに抱きしめられ、どう反応していいのかわからないクロノは困惑していた。


「そんなに呆けてどうした? ――もしかして、アリスやリクトたちを心配しているのか? それなら安心するのだ! 前の事件でお前が味方をしてくれたおかげで、無事にアリスの父の無実が証明され、エレナ様も救出することができたぞ!」


 教皇誘拐事件の顛末を簡単に説明するプリムにクロノは安堵するが、いまだになんと彼女に声をかけていいのかわからず、彼女から逃れるように部屋にいるもう一人の人物に目を向けた。


 クロノの視線の先にいるのは、せっかくの美しい顔立ちを仏頂面にして、不機嫌そうな空気を身に纏う、ロングヘアーの美女――プリムの母親であるアリシア・ルーベリアだった。


 事件は解決したとプリムは言っていたのに、教皇エレナの誘拐に関わっていた人物が、プリムと一緒にいることに不審を抱くクロノ。


「――それなら、アリシア・ルーベリア、なぜお前がここにいる」


「私だって同じことを聞きたいわよ」


 忌々しく舌打ちをしながら、ため息交じりにアリシアはクロノの質問に答えた。


「母様も色々あったのだ! 少し捻くれているが今は敵ではないぞ!」


「……一々うるさいわね。少しは黙っていなさい」


「だが事実であろう、母様」


 教皇誘拐事件に大きく関わったアリシアがいることに疑問を抱いているクロノに、母は敵ではないことを気分良さそうに説明するプリム。


 娘の純真無垢な瞳を向けられ、アリシアは心底うんざりした様子で、逃げるように娘から目を背けた。


 娘を道具としてしか見ていなかったアリシアから感じられる、諦めと柔らかくなった空気に、クロノは理解できないと言った様子で見つめていた。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! この私が説明しよう!」


 プリムの甲高い声以上に目覚めたばかりのクロノの頭に響く笑い声とともに無意味に派手なポーズを決めた現れるのは、白髪交じりのボサボサ頭で、黒縁眼鏡をかけて薄汚れた白衣を着た男――ヴィクター・オズワルドだった。


 ヴィクターは大袈裟な身振り手振りと表現を加えながら、クロノが眠っている間に起きていた情報を説明した。


 鳳グループと教皇庁の対立、アルバートの端末で自分とノエルがヘルメスとつながりがあることがわかったこと、ノエルが自分の始末に動いたこと――それを聞きながら、クロノは自分も真実を話す覚悟を決めていた。




――――――――――




「あの閃光弾ね、特区で働いていた時に仲の良かった囚人の子から教えてもらったんだー。その子、結構手先が器用で、カンシャク玉みたいな爆弾を友達と作ってたんだって。でも、ある日爆弾作りに失敗して、当時の治安維持部隊だった輝動隊と輝士団の人たちにすごい怒られたんだって。危うく特区送りにされるところだったんだってさ」


 ノエルを背負いながら、美咲は世間話をしていた。


 声を出すのが億劫なほど消耗しているのに加えて、待機を命じられたのに勝手に行動している美咲に対して不満を抱いているノエルは無反応であり、全身から不機嫌で刺々しい空気を放っていたが、それでもお構いなしに美咲は話しを続ける。


「それにしても、ウサギちゃん前よりもちょっとスタイルが良くなったんじゃないの? 少し重くなったけど、背中に伝わる膨らみが大きくなったような気がするなぁ――ねえー、どうなのどうなの? おねーさん気になるなぁ」


 ウットリとした表情で背中から感じる柔らかい感触を心から堪能している美咲の様子を、背負われているノエルは感情を宿していない目でジッと見つめていた。


 ――理解不能。


 ヘルメスに待機を命じられたのに、危険も承知で勝手に動いた美咲をノエルは理解できなかった。


 そして――自分の正体を知って平然としていられる彼女が理解できなかった。


「『どうして命令を無視して動いてるんだコンチクショウ!』って、思ってる?」


 見透かしたような美咲の言葉にノエルは無反応だが、彼女の言っていることは正しかった。


 待機命令を無視して勝手に、そして派手に動けば、美咲が自分たちに協力していると知ってさらに事態が混乱するし、何よりもヘルメスの計画に悪影響を及ぼすかもしれないからだ。


 ヘルメスの計画に悪影響を及ぼすなら自滅する覚悟もあったのに、そんな自分の覚悟を無駄にした美咲にノエルは怒りを感じるとともに理解できなかった。


「まあ、安心してよ♪ 周囲の監視カメラを破壊して逃げ道もちゃんと確保したから、見つかることはないと思うよ――ウサギちゃん、意外って思ってる? 思ってるでしょー! アタシだって、やる時はしっかりやるんだからねー!」


 普段から制輝軍の仕事をサボっている美咲にしては根回しが良いことに意外に思うノエル。そんな彼女の考えていることを見透かした美咲は不満気にかわいらしく頬を膨らませる。


「ウサギちゃんは自分なんか助けなければいいと思ってるかもしれないけどさ、アタシとしては黙って友達を見捨てるなんてできるわけがないんだよね――だから、ピンチの友達を助けられない命令なんてクソ食らえ、なんだよね❤」


 警告――正体不明のざわつきが胸を支配している。

 詳しい原因は不明だが、アンプリファイアの力が身体に残留しているのが原因と推測……?


 ヘルメスから与えられた命令を簡単に無下にするのに加え、自分の正体を知っておきながら『友達』と言ってのける美咲をノエルは心底理解できなかった。


 そして、自分の正体を知っても『友達』だと美咲が言った時、ノエルの胸がざわついた。


 しかし、不快なざわつきだが、不思議と悪い気がしなかったので戸惑うノエルだが――アンプリファイアの力を使ったせいだと無理矢理判断することにした、


。何者であろうと、アタシのだーいじな友達の『白葉ノエル』なんだよねー☆ ……それだけは、決して変わらない事実だから」


「理解できません……まったく、理解できません」


 今まで無反応だったノエルは、ここでようやく思っていたことをそのまま声に出した。


 美咲を心底理解できないノエルは、彼女を深く理解することを諦めた。


 どうせ、理解したところで自分には無意味だと判断したからだ。


 しかし――悪い気がしないような気がした。


 その悪い気のしない何かが胸を中心にして全身に心地良さとして広がった。


「理解できませんが、感謝はしておきます」


「どういたしまして♪」


 胸の中にある心地良さ――それに突き動かされるままノエルは無意識に美咲に感謝をして、彼女の背中に全体重を預けた。


 ノエルの身体の柔らかい感触が背中に広がるが、あえて美咲は何も言わずにノエルを運び、その感触を蕩けきった表情で堪能していた。


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