第9話

 ――脱出成功。

 しかし、奥の手を使ったことにより、損傷重大。

 加えて、奥の手の力が身体に残留している――警告、これ以上の活動は危険。


 麗華と大和から逃げることに成功して、セントラルエリアの大病院の裏口に出たノエル。


 相変わらずノエルは涼しげな無表情だが、麗華と大和の戦いで顔に負った擦り傷や、二人の攻撃を掠めたせいでボロボロになった服のせいで全身から疲労感が滲み出ていた。


 自分の状態を冷静に分析する頭の中の声が危険を促すがノエルは休むことなく事前に考えていた脱出ルートを使って制輝軍たちが囲む大病院から淡々として機械的な足取りで離れていた。


 想定外の大和と麗華の実力に苦戦をしてしまい激しく二人とぶつかり合ったことが原因、異変を察知した制輝軍たちが病院内に向かい、周辺を警戒していた制輝軍たちの動きが活発化しているからだ。


 運良く病院内に殺到した制輝軍たちに見つかる前に病院から抜け出せたが、ここで安心して足を止めれば見つかるのは確実なので、ノエルは消耗しきった身体に鞭を打って病院から離れようとしていた。


「ノエル」

 ――緊急事態発生。


 もうすぐ制輝軍の包囲網から抜け出せることができるというのに、自分を呼び止める声の主が誰であるのかすぐに理解したノエルの頭の中が警告を促す。


 即座に輝石を武輝に変化させて声の主に視線を向けると、予想通りの声の主である、武輝である身の丈を超える銃剣のついた大型の銃を持ったアリス・オズワルドが立っており、彼女の横には武輝である二本の短剣を左右の手に持ったサラサ・デュールがいた。


 二人の手には武輝がきつく握られているが、全身に纏う戦意は弱々しかった。


「鳳麗華から報告を聞いた……ノエルがクロノの始末に動いているなんて信じたくなかった」


 どうやら、鳳麗華が最後の力を使って私のことを報告した模様。

 ――囲まれる前にこの場から離脱することを推奨。


 感情を抑えた声でアリスが口に出した言葉から、すでに自分が動いていることを制輝軍たちに知られていることを冷静に悟るノエルはすぐに逃走を考えるが――アリスの失望と怒りと、それを覆い隠すほどの悲しみを宿した瞳を見て、胸が疼くとともに思考が一旦停止する。


 だが、すぐにフリーズしていた頭が再起動して、逃げる手段を考える。


「ノエルさん……お願い、します。これ以上アリスさんを――みんなを傷つけないでください。だから、大人しく捕まって、ください」


 ノエルに裏切られたことが辛いアリスや、制輝軍たちの傷ついていることを理解しているサラサがノエルを説得するが、ノエルは人形と思えるほど無表情で逃げる手段を考えていた。


 ――アリス・オズワルドの精神状態が不安定。

 その隙を突けば逃げることが可能。

 行動を開始――開始、開始、開始、カイシ、カイシ――


 動揺しているアリスを利用して、ノエルはこの場から立ち去ろうとするが――それを実践させようとする頭の中の声にノイズがかかる。


 動こうとしているのに身体が動くことができず、先程から疼いていた胸がさらに疼く。


 重大なエラーが生じている自分の身体に、ノエルは戸惑い、動けなくなるが――


 


 ノイズがかかった頭の中の声が、動けないノエルの身体を無理矢理突き動かす。


 ノエルの身体に毒々しい緑色の光が見に纏うと同時に、緑白色の光を纏った武輝を薙ぎ払うように振い、纏った光をアリスに向けて放った。


 突然の攻撃に対応できなかったアリスは、迫る緑白色の光を呆然と眺めていることしかできなかったが――そんなアリスの目の前にサラサが現れる。


 サラサは武輝である短剣を交差させ、全身に身に纏った輝石の力をフルに使ってアリスを守るため防御に専念するが――ノエルの攻撃に耐え切れず、武輝を手放して勢いよく吹き飛んだ。


 受け身も取らずにアスファルトの地面に叩きつけられたサラサは、容易にガードを崩すノエルの強烈な一撃を受け止めたせいで怪我をしたのか、立ち上がらずに苦悶の表情を浮かべ、手から離れた武輝は一瞬の輝きとともに輝石に戻った。


「……任務を遂行せよ」


 機械的にそう呟いたノエルは、自身の逃走の邪魔をするアリスを排除するために近づく。


 突然の事態に動けなくなり、何の感情を宿していないノエルの目を見たアリスは背筋に冷たいものが走り、恐怖した。


 覚悟を決めていたのにもかかわらずノエルと戦えない自分自身への不甲斐なさ、そのせいでサラサを傷つけてしまったことに自己嫌悪し、信頼していた人間が容赦なく自分を排除しようとしていることの絶望に押し潰されているアリスだが――


 邪魔者を排除しようとするノエルの頬に、どこからかともなく飛んできた光が掠めた。


「そこまでよ……ここからは私が君の相手をする」


 凛とした声とともに現れるのは、鳳グループトップの秘書を務める御柴克也の娘であり、武輝である十文字槍を手にした艶のある長い黒髪を後ろ手に結った美女――御柴巴みしば ともえだった。


 突然現れた巴の背中を、脱力したようにアリスは呆然と眺めることしかできなかった。


 ――警告。消耗している状態では圧倒的に不利――逃走を推奨。

 だが、逃げることは困難――交戦は避けられない。


 アカデミー都市でもトップクラスの実力を持つ輝石使いの登場に、状況を冷静に分析する頭の中の声が逃走を促すが、射抜くような目を向けている巴からは絶対に逃れられないと思わせるほどの迫力があり、麗華と大和の時と同様簡単には逃げられないとノエルは判断した。


「君がアンプリファイアを使うとは想定外だった麗華と大和の不意を突いたようだけど――タネを知っている私には通用しない。最初から問答無用に本気で行くわよ」


 使用後のリスクは大きいが、使うことによって輝石使いの力を一時的に増減することができる、煌石・『無窮むきゅう勾玉まがたま』の欠片であるアンプリファイアの力をノエルが使っていることを報告を受けて知っている巴は、さっそく飛びかかる。


 静かでありながらも力強い一歩を踏み込むと同時に黙視できない速度で繰り出される鋭い突きにノエルは反応して、最小限の動きで回避しながら武輝を振って反撃する。


 素早いノエルの反撃に即座に反応した巴は武輝で受け流すと同時に、踊るような足運びで彼女のバランスを崩そうとする。


 バランスが崩れるのを堪え、ノエルはもう一方の手に持った剣を振り上げる。


 無駄のない動作で自身の顎めがけて向かってくるノエルの攻撃――だが、消耗している彼女の一撃を巴は容易に回避。


 軽く顎をそらして回避と同時に巴は流れるような動作で十文字槍を薙ぎ払う。


 咄嗟に後方に向けて飛び跳ねたノエルは巴の反撃を回避するが、流れるような動作でありながらも素早い彼女の反撃が自身の身体に深く掠め、ノエルは膝を突く。


 舞うような足運びで緩急をつけた攻撃を仕掛ける巴に、アンプリファイアの力を使って消耗しきっているノエルは対処できるはずがなかった。


 緊急事態発生! このままでは敗北は必至!


「何か手を考えているようだけど――もう、これで終わりにしましょう。君のためにも――そして、アリスさんたち制輝軍のみんなのために」


 追い詰められながらも逆転の一手を考えるノエルに敗北を突きつけるため、輝石に変化した武輝から絞り出した力を穂先に光として纏わせ、巴はトドメの一撃を放とうとする。


「そーはさせないんだな♪」


 気の抜けた声と同時に巴の背後から強大な力を宿した気配が襲いかかってくる。


 ノエルに集中していた巴は突然背後から聞こえてきた声に反応できなかったが、アリスだけは聞き覚えがあり過ぎるその声に誰よりも早く反応していた。


 背後からの襲撃に巴は咄嗟に武輝で防いだが、衝撃に耐え切れずに軽く吹き飛んでしまう。


 空中で身を翻して華麗に着地した巴に更なる追撃を仕掛けようとする襲撃者だが――巴の前に颯爽と現れたティアが襲撃者の追撃を武輝である大剣で受け止め、巴を守った。


「……まさか、お前もヘルメスたちに協力していたとはな」


「まあ、色々思うところがあってね♪」


 巴に追撃を仕掛けた襲撃者のティアは氷のように冷たく、刃のように鋭いが、驚きを宿している目で睨んだ。


「ふざけないで……今がどんな状況なのか、君もわかってるでしょう?」


「ごめんねー、巴ちゃん。これには深―い理由があってね♪」


 静かな怒りが満ちた巴の顔と、激情を抑えながらも十分すぎるほどの迫力がある彼女の声に、襲撃者は気圧されながらも軽薄な笑みを浮かべていた。


 ティアと巴の視線の先には――武輝である身の丈を超える斧を手にした銀城美咲がいた。


 普段通りの軽薄な笑みを浮かべている美咲だが、級友であるティアと巴に対してぶつけている敵意は本物であり、巴に不意打ちを仕掛けた攻撃にも躊躇いはなかった。


「……サボっていると思ったら、美咲もどうしてなの?」


「サボってる前提はちょっとショックだなぁ……でも、ごめんね、アリスちゃん」


 ショックを受けているせいで今まで動けず、声も出せなかったアリスは喉の奥から絞り出した声で、自分たちを裏切ったノエルに協力している美咲に問いかける。


 軽薄な笑みを浮かべている美咲だが、状況を何も理解できずに呆然と、そして、厳しい現実に打ちひしがれている表情を浮かべる彼女から逃げるように目を背けた。


「悪いけど、ここは一旦退かせてもらうね☆ じゃあねー❤」


 場違いなほど明るい声でそう告げると、ニンマリとした笑みを浮かべる美咲。


 その瞬間、乾いた破裂音とともに眩い閃光が周囲を包みアリスたちの目が眩む。


 その隙に膝を突いているノエルを背負い、美咲はこの場から離れる。


「待って――美咲! ちゃんと説明して!」


 美咲がノエルとともに遠ざかる気配を感じ取ったアリスは、悲鳴のような声が美咲を制止させるが、美咲は振り返ることなくこの場から離れた。


 しばらく経って、アリスたちの視界が元に戻ると美咲とノエルの姿はもうなかった。

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