第7話
夜のアカデミー都市を走り回るワゴン車の中には運転手である萌乃と、倒した後部座席の上に寝かせている意識不明のままのクロノ、そんな彼を囲むように風紀委員のセラと幸太郎、そして、協力者であるリクトがいた。
教皇庁の人間であるリクトがいるのは、鳳グループと協力しない教皇庁――教皇エレナの判断に強い不満を抱いているリクトは、自分が正しいと思うことをするため、麗華に連絡をした。
そんなリクトを快く仲間に引き入れた麗華は、教皇庁の動きを逐一報告してもらい、クロノの移送を悟られないための根回しをしてもらった。
リクトのおかげで教皇庁にも、そして周囲にも悟られることなく、病院内の監視カメラも避けてクロノを病院から連れ出すことができた。
「あの、萌乃先生……まだ到着しないんですか?」
「気持ちはわかるけど待ちなさい、リクトちゃん。焦らない、焦らない」
意識不明のクロノの身体を思い、必死な様子で自分に話しかけるリクトの焦りを見抜いた様子の萌乃は、彼をやんわりと諌めた。
「一直線に目的地を目指したら周りに不審に思われるし、それで居場所が気づかれる可能性が大いにあるから遠回りしてるの。少しはドライブを楽しみなさい♪」
鼻歌交じりに呑気に運転している萌乃だが、意識不明の状態で病院から無理矢理移動させているクロノの姿を見て、リクトの不安は消えなかった。
そんなリクトの不安を悟った萌乃は、バックミラーに映るリクトに向けて優しく微笑む。
「意識不明のクロノちゃんだけど、一週間前に負った外傷も完治しているし、身体の中も異常はないみたい。一週間以上意識不明の状態が続いているけど、身体の衰弱はいっさいないみたいね。意識不明というよりも、眠っている状態に近いということ、かしらね。だから、すぐに大事に至るってことはないみたい。安心しろとは言えないけど、すぐに目を覚ますわ」
「お気遣いありがとうございます。それと……すみません、こんな状況で焦ってしまって」
「謝らなくてもいいの。友達を心配するのは当然なんだから」
バックミラーに映る、気遣いに感謝するとともに、冷静になれなかったことの謝罪をするリクトに向けて、チャーミングに萌乃はウィンクをした。
しかし、リクトの表情は暗いまま、意識不明のままのクロノを複雑そうな顔で見つめていた。
戸惑い、不満、怒り、失望――それらの感情で表情に影が差しているリクトは、尊敬していたノエルに裏切られたアリスと同じく、友人であるクロノに裏切られたことに動揺していた。
……当然だ。
リクト君は前に子供の頃から信頼していた人物に裏切られたんだ。
あの騒動で人間不信になってもおかしくなかったのに、リクト君はすぐに復帰した。
そして、クロノ君という友達に出会い、彼を信用していたんだ……
でも、クロノ君は打算的にリクト君に近づいたんだ。
子供の頃から信頼していた人物に裏切られたことがあるリクトを知っているからこそ、友人であるクロノに裏切られたも同然の傷ついたリクトを見て、改めてセラはノエルたちに対しての怒りを覚えると同時に、彼になんて声をかけていいのかわからなかったが――
「よかったねリクト君。クロノ君無事だって」
萌乃からクロノの容態を聞いて安堵の息を漏らす幸太郎は、空気を読まずに暗い表情を浮かべているリクトに何気ない調子で話しかけた。
特に何も考えていなさそうな幸太郎の言葉を受けて、リクトは暗い感情を無理矢理抑え込んで、「え、ええ、そうですよね」とぎこちない笑みを浮かべて頷く。
空気の読まない幸太郎に、セラは改めて幸太郎の無神経さに呆れた。
もちろん、クロノが無事であるのはよかったが、リクトにしてみれば打算で自分に近づいた相手なので手放しに喜ぶことはできないのだろうとセラは思っていた。
「クロノ君、改め見るとお姉さんのノエルさんにそっくりでかわいい……頭撫でよ」
呑気な様子で幸太郎は意識を失っているクロノの艶のある髪をふいにそっと撫でた。
空気を読まない幸太郎にさらにセラは呆れ、少し注意をしようと思ったが――そんなセラよりも早く「幸太郎さん」と、暗い声でリクトは幸太郎に話しかけた。
「幸太郎さんは何とも思わないんですか? クロノ君たちが僕たちを裏切っていたことに」
「もちろんショック」
縋るような目を向けながらも、責めるように問うリクトに、特に堪えていない様子で幸太郎は答えた。
何度か事件を一緒に解決したことがある知人のノエル、リクト経由で知り合い、何度かリクトと一緒に遊んだことのあるクロノに裏切られても幸太郎は特に気にしない様子だった。
持ち前の呑気な性格のせいかもしれないが、自分たちや周りの人たちと違い、平然としている幸太郎をセラとリクトは不思議そうに見つめた。
そんな二人の視線に気づかず、「でも――」と幸太郎は何も考えていない様子で話を続ける。
「この前の事件でクロノ君に助けてもらったし、ノエルさんはノエルさんで憎めないから」
「やっぱり、幸太郎さんは強いです。ショックを受けても、そんな当然の事実を忘れなくて、クロノ君たちを信じていられるなんて」
「そう言われると何だか照れる」
ヘルメスとつながり、打算で自分に近づいたことを知った衝撃で忘れていた事実を幸太郎の言葉で思い出し、沈んでいたリクトの表情に僅かに力が戻ってくる。
……確かに、前の事件の土壇場でクロノ君は幸太郎君たちやリクト君の味方をした。
その結果、ヘルメスたちに裏切者とみなされ、クロノ君は命を狙われるかもしれないという結果になったんだ。
リクト君の言う通り、幸太郎君は強い。私なんてまだまだ未熟だ。
セラもまた、幸太郎の言葉でノエルたちへの怒りで忘れていた事実――リクトと同様にクロノが前の事件で幸太郎たちの味方をしたことを思い出し、ョックを受けて当然の事実を忘れていた自分に喝を入れ、改めて幸太郎の心の強さを感じた。
「クロノ君が目を覚ましたら、前に助けてもらったお礼を言わないと」
「そうですね……その後、文句を言いましょうか」
幸太郎の言葉に吹っ切れた様子のリクトは、悪戯っぽく笑いながら力強く頷いた。
よかった、リクト君……少しは元気になったみたいだ。
明るさを取り戻したリクトの表情を見てセラは安堵したが、納得できないこともあった。
前の事件で助けてくれたクロノを憎めないと言うのは理解できるが、そんな彼を弟でありながらも容赦なく倒した冷酷無比なノエルを憎めないと言う幸太郎をセラは理解できなかった。
今もこうしてセラの中には大勢の人間を裏切って心を傷つけ、弟であるクロノに対しても容赦なく痛めつけたノエルに対しての激しい怒りで渦巻いており、そんなノエルと戦ってしっかりとした勝利を収めたい気持ちがあった。
任務のためなら手段を選ばず、冷酷になれるノエルを思い、無意識に険しい表情を浮かべているセラに、幸太郎は何気ない調子で「セラさん」と話しかけた。
「セラさん、やっぱりノエルさん嫌い?」
「別に嫌いというわけではありません。ただ、大勢の人を裏切って傷つけただけではなく、弟のクロノ君も傷つけた彼女を許せないだけです」
ふいの幸太郎の質問に、セラはノエルへの怒りを込めてそう答えた。
「それを聞いたら、やっぱり麗華の言う通り、セラちゃんは病院に待機しなくて正解ね。大嫌いなノエルちゃんが現れたら、セラちゃん大暴れしちゃいそう」
「子供ではないのですから大暴れなんてしません」
運転しながらセラの答えを聞いていた萌乃のふいに放ったため息交じりの一言に、気にしないように努めていたことを刺激されたセラは不機嫌になり、失礼だと言わんばかりに反論する。
バックミラー越しに映る、口を一文字に結んで子供のように不貞腐れているセラに、萌乃はかわいらしくクスクスと楽しそうに笑っていた。
クロノの移送を手伝っているセラだが、本当はクロノの始末に向かうであろうノエルたちを迎え撃つために病院に待機したかった。しかし、麗華はそれを許さなかった。
理由はセラとノエルが激しくぶつかり合った場合の被害を考慮してのことだった。
もちろん、不服を申し立てるセラだが麗華は許さず、もしもの場合を備えてセラには幸太郎とリクトとともにクロノを移送させる係になった。悠長に議論している時間はなかったので不承不承麗華の命令に従っているが、セラは今でも納得していなかった。
だが、クロノを移送するのも重要な任務の一つなので、不満を押し殺していた。
「……病院に残った麗華さんと大和さん、大丈夫でしょうか」
「麗華だけではなく大和君もいるんです。大丈夫でしょう」
「そうそう。セラちゃんの言う通り。何だかんだあの二人は仲良しで、良いコンビだから」
病院に残った麗華と大和を心から心配するリクトに、セラと萌乃は安心させる。
傍目から見れば相性がまったく合わない二人に見えるが、お互いのことを深く理解しあっており、強い絆で結ばれていた。萌乃の言う通り、そんな二人が息を合わせて戦えば、自分でも、もちろんノエルでも敵わないとセラは思っていた。
しかし――相手は与えられた任務を遂行するためには手段を選ばないノエルだった。
それを考えたら、リクトを安心させたのにもかかわらず、セラは自分も不安になってしまう。
「さあ、到着したわよ。準備なさい」
萌乃の言葉と同時に車が停車する。
――今はクロノ君のことに集中しよう。
麗華、大和君、気をつけて……。
セラは心の中でそう言い聞かせて生まれた不安を無理矢理消して、病院に残った麗華と大和を思いながら、セラは自分の仕事に集中する。
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