第5話
教皇庁本部一階の奥にある小さな聖堂にリクトは入った。
ここは輝石や煌石を神聖視する教皇庁の人間や、教皇庁の思想に賛同する生徒たちのために一般開放されている聖堂だが、相変わらず聖堂内には誰もいなかった。
普段から誰にも使われていない聖堂だが、一日に必ず聖堂を利用している人がいるのをリクトは知っており、その人物に会うために聖堂を訪れた。
それは自分の母である教皇エレナであり、教皇としてではなく、エレナ・フォルトゥスとして一人になりたい時にボディガードたちを一旦引き払わせていた。
聖堂にいるエレナは、聖堂にある長椅子に座って祈りを捧げたり、聖堂の奥にある『祈りの間』と呼ばれる小さな部屋の中で精神統一をしていたりするのをリクトは知っていた。
つい一週間前にボディガードがいない時を狙われて聖堂内にいるエレナが誘拐されたという事件が起きたばかりになのに、懲りずにエレナは一人で聖堂内にいた。
……聖堂内にいないということは、奥の『祈りの間』にいるのかな?
それにしても、誘拐されたばかりなのに少しは自重すればいいのに……
まあ、一人になりたいって気持ちはわかるけど。
大勢の人の期待と尊敬を一身に受ける教皇という責任のある立場から一旦解放されたい母の気持ちを理解しながらも、一度痛い目にあったのに懲りない母にリクトは少しだけ呆れていた。
聖堂内に母がいなかったので、奥にある『祈りの間』へ進もうとすると、タイミング良くエレナが祈りの間から出てきた。
「リクト……どうしたのですか?」
二人きりなのに、母ではなく、いっさいの感情を排した教皇の態度のエレナ。
雑談を交わしてから本題に入ろうと思っていたが、静かな威圧感が込められて、すべてを見透かしているような母の目に気圧され、リクトはすぐに本題に入ることにする。
「母さん、本当に鳳グループと協力しないんですか?」
「ええ。そのつもりです」
リクトの質問に、迷いのない様子でエレナは頷いた。
「白葉クロノの監視は鳳グループに任せましたが、鳳グループは風紀委員を使って介入するでしょう。それならば、白葉クロノの件は彼らに任せ、我々は教皇庁内にいるかもしれない、アリシアを輝械人形に襲わせた裏切者いぶり出すことにしましょう」
「確かにアリシアさんたちを襲わせた人を探すのも重要ですが、ヘルメスさんを追う方が重要だと思います。彼を追う過程で裏切者も自ずと見つかるハズです」
「お互いに信用できない組織と組んだところで待ち受けているのは混乱だけです」
「後ろ向きに考え過ぎです。鳳グループは上層部が一新されたことで大きく変わりました。前と違って教皇庁との足並みを揃える柔軟性や協調性も持っていると思います」
「その割には、彼らはアリシアたちを一週間以上教皇庁に渡しません。それに、お互い長年こびりついている不信の穢れは中々落とせません。昨年の一件――鳳グループが煌石を隠し持ち、その功績の力によってアカデミー都市全体が混乱したことで、教皇庁が抱く鳳グループへの不信は今までにない以上に高まり、今回のアリシアたちの件でそれが爆発しました」
「た、確かにそうですが……鳳グループトップの大悟さん自ら協力を頼んだのに、母さんは何も感じないんですか? 一部の枢機卿たちの間では母さんの判断に不満を抱いている方々がいます。その方々も僕と同じで、鳳グループと協力すべきだと思っています」
「ですが、私の意見を尊重する枢機卿もいます」
「ほとんどが、枢機卿の称号を剥奪されそうになって母さんの顔色を窺っている、今まで好き勝手に自分の権力を振ってきた、自己保身に必死な枢機卿とは名ばかりの方々です」
「リクト、少々口が過ぎますよ」
「ご、ごめんなさい」
母の口調でエレナに窘められ、リクトは言い過ぎたことを自戒するが、考えは変わらない。
「正直、枢機卿たちを総入れ替えしなければならない時期に余計な混乱は招きたくありません。だからこそ、誰も信用できない状況で私たち教皇庁は独自に動くべきなのではありませんか?」
「……だけど、僕個人としては母さんの判断は返って混乱を招いているとしか思えない」
ずっと母が正しいと信じてきたリクトだが、今回は違う。
母を尊敬し、信じているのは変わらないが、それでも今回の母の判断が間違っていると思っているからこそ、リクトはハッキリと母に間違っていると伝えた。
「そうですか……残念ですよ、リクト」
小さく嘆息するとエレナは息子から視線を外して、聖堂を出るために歩きはじめる。
背後で自分を縋るような目で見つめているリクトの視線を感じ取りながらも、エレナは振り返ることなく重厚な扉を開いて聖堂から出て行った。
振り返ることなくこの場から立ち去った母から、自分を突き放すような空気をリクトは感じ、ショックを覚えていたが、間違った判断を下している母への失望のショックの方が大きかった。
……何とかしないと。
今のままじゃ、取り返しがつかなくなるかもしれない。
尊敬していた母に突き放されて胸が痛みながらも、リクトは現状打破のために動きはじめる。
―――――――――
「納得できませんわ!」
鳳グループ本社内の最上階付近にある、必要最低限のものしか置かれていない質素な社長室に麗華の不満気な声が響く。室内には、熱くなっている麗華とは対照的の冷めた空気を身に纏っている、大悟、大和、克也、そして、制輝軍の代表としてアリスがいた。
鳳グループ内の会議を終えた大悟と克也に、今後のことを話し合うために社長室に呼び出された麗華たちだが、社長室に集まるや否や麗華は不満を口にした。
「去年の
ヘルメスを捕えるために協力し合わない教皇庁への不満に苛立ちの声を上げる麗華に、何も言わなかったが彼女とは対照的に冷めた空気を身に纏っている大悟たちも同意していた。
「アリス、制輝軍の様子はどうなっている」
机を隔ててリグライニングチェアに腰掛けている大悟は、熱くなっている娘の様子を一瞥した後、娘の隣に立つアリスに声をかけた。
「正直、今の制輝軍でヘルメスたちの対応をするのは無理。ノエルとクロノがヘルメスとつながっていたって事実に動揺が広がって、士気が乱れてる」
アリスは制輝軍たちの様子を思い出す――仲間意識が強い彼らは、制輝軍きっての実力者であるクロノ、そして、自分と同じくノエルを尊敬し、アイドルとして拝めている隊員たちが多くいた制輝軍は平静を装っているが、動揺は隠しきれていなかった。そんな彼らにヘルメスやノエルを捕えられないと判断したからアリスは風紀委員に協力を求めた。
「そういえば、アリスさん。美咲さんはどうしていますの? 彼女の姿が見当たりませんが」
「わからない。最近見ていないし連絡にも出ない」
「まったく! 美咲さんはこんな時に何をしていますの!」
「わからない。時々フラッていなくなることがあるから、何も問題はないと思うけど……」
輝石使いの犯罪者や、輝石に関係する事件を引き起こした犯罪者などを収容する施設・『特区』で看守長を務めていたが、ノエルにスカウトされて協力者として制輝軍に所属している銀城美咲がいないことに、麗華の苛立ちはさらに強くなる。
鳳麗華の言う通り、こんな時に何をしてるの、美咲……
……早く帰ってきて。
麗華の意見に心の中で強く同意するアリスは、行方不明の美咲の帰還を切に願った。
自分だけで制輝軍をまとめることはできず、明るくて呑気だが、客観的な冷静さをたまに見せる美咲がいてくれれば、混乱している制輝軍を何とかまとめることができるからだ。
「それにしても、エレナさんにしては珍しく判断を誤ったね。まあ、彼女なりの考えがあるんだろうけど――さて、これからどうなるのか楽しみだなぁ」
エレナの判断に怒り心頭な麗華とは対照的に、ソファに深々と腰掛けている大和は、エレナの判断によって起きる事態を想像して楽しそうな笑みを浮かべていた。
「エレナもエレナだが、教皇庁を不機嫌にさせたのはここにいる頑固な大バカの責任でもある」
大和の対面にあるソファに座る克也は、一人落ち着き払った様子でリグライニングチェアに深々と座る大悟を一瞥して、深々と嘆息しながら嫌味を口にする。
「教皇庁を信用できないのは理解できるが、それをお前は前面に出し過ぎた。そのせいで教皇庁が機嫌を悪くした。俺たちは喧嘩を売ってるんじゃないんだ」
「何度も言われなくともわかっている」
教皇庁との会議を終えてから何度も耳にした克也の文句に、大悟は無表情ながらも僅かに辟易していたが、何も反論はしなった。
アカデミーや輝石使いたち、そして、世界の未来のため、教皇庁との連携を強めるべきと昔から主張してきた克也は、せっかく教皇庁との連携を強めるいい機会だったのに、それがご破算になってしまったことに強い不満を抱いていた。
「教皇庁内に裏切者がいるとハッキリさせるため、入院中の白葉クロノを教皇庁には秘密で移動させるってさっきの会議でお前が無理矢理決めたが、明らかに相手にケンカ売ってるだろ」
「今回の件で教皇庁と情報共有を約束したのに、教皇庁との関係が悪化してる現状でそんなことをすれば、関係はさらに悪化することは明らかだよねー、克也さん」
「詳しいことを語らずにお前は深々と頭を部下たちに下げて、無理矢理納得させたが、俺や萌乃は納得していない。一体どういう了見だ」
「そーだ、そーだ!」
「おだまり! 克也さん、お父様にはちゃんと考えがありますわ! そうですわよね、お父様」
先程終わった会議で、大悟が頭を下げて上層部に頼んだ決定――教皇庁には内密に入院中のクロノを移動させることに克也は納得していなかった。
克也を煽る大和を黙らせ、麗華は縋るような目で父を見る。
……確かに、教皇庁との関係が悪化している状況下で鳳大悟の判断は悪手だ。
教皇エレナの判断も間違っているとは思うけど、鳳大悟の判断も間違ってる。
ここは、教皇庁の判断に合わせて、穏便に済ませるべきだと思うけど――……
アリスも克也と同じく、教皇庁に無断でクロノを移送することは反対だった。
「……お前たちが気持ちは十分に理解している。不信を抱くのは当然だ」
この場にいる全員が自分の判断に不信と疑念を感じていることを、大悟は真摯に受け止めた。
「アリシアたちが襲われた時と同様、ヘルメスはすぐに裏切者のクロノの始末に動くだろう。今まで始末に動かなかったのは、クロノとのつながりをにおわせないためだ。しかし、もしも白葉姉弟とのつながりがあると気づかれた場合、ヘルメスはすぐにでも必ず動く」
「教皇庁内部にヘルメスさんとのつながりがある人がいる場合、ヘルメスさんはクロノ君が入院しているセントラルエリアの大病院に向かい、僕たち鳳グループ内部にヘルメスさんとのつながりがある人がいる場合、クロノ君を移した場所に向かう――まあ、そこまでは誰にだって理解できると思うけど明らかにリスキーな賭けじゃないの? 確かにすぐにでも裏切者がいる組織がわかるけど、鳳グループ内にいる場合、非難は必至で信用はさらにガタ落ちだ」
「私は教皇庁内にヘルメスとの内通者がいると確信している。疑わしい人物がいる」
不安を煽る大和の言葉に動揺することなく、大悟はそう告げた。教皇庁内にヘルメスとつながりがある人間がいると断定している大悟を、麗華たちは不思議そうに見つめる。
「随分と断定的だな――それで? そいつは一体誰だ」
「悪いがそれはまだ言えない。下手なことを言えば無用な混乱を招く」
ヘルメスとの内通者の当たりをつけている大悟に、克也はその人間が誰なのかを尋ねるが、大悟は口を真一文字に閉めて閉口すると、克也は大きく舌打ちをしてソファから立ち上がり、リグライニングチェアに深々と腰掛けている大悟に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「いい加減にしろ! こんな状況で思わせぶりな態度を取るな!」
「か、克也さん、落ち着いてください! 理解はしますが、これ以上の狼藉は許しませんわ!」
「おおっと、御柴克也選手! 花道を走ってリングに一直線! そして、鳳大悟選手と一触即発の状況だぁ! さあ、鳳大悟選手、どう出るんだ!」
「大和! 呑気に実況していないであなたも止めなさい!」
父の胸倉を掴んで一触即発の状態になっている克也を必死で止める麗華と、心底楽しそうに笑いながら煽る大和――そんな彼らのやり取りを一歩引いてアリスは客観視していた。
おそらく……鳳大悟は事件の核心を握っている。
無用な混乱を招くと言っていたけど、それほどまでに意外な人物がヘルメスの内通者?
一体――……もしかして……いや、そんなはずは……――
嫌な予感が頭に走るアリスは、頭に浮かんだ人物を必死で消す。
もしもその人物が裏切者ならば、大悟の言う通り大きな混乱を招いてしまうからだ。
「口に出したら混乱を招くってことは――相当な大物なんだろうね、大悟さんが疑ってるのは」
楽しそうな大和に、アリスは彼女も自分と同じ最悪な答えに辿り着いていることを悟る。
「どちらの組織に裏切者がいるのかはっきりしたら真実を教えることを約束する」
「……その代わり、お前の言う通りにしたらその真実とやらをすべて話せ。わかったな」
「約束しよう。……もう、話しても良い機会だからな」
胸倉を掴まれてもいっさい動じることなく、真っ直ぐと自分を見つめる大悟から、頑として揺るがない意志を感じ取った克也は、自分が何を言っても彼の意思は変わらないと悟り、苛立ちを吐き捨てるように深々とため息を漏らして胸倉を掴んでいた手を離した。
「麗華、大和、アリス――お前たちはこれからセントラルエリアの大病院に向かえ。現場の指揮は萌乃と
「わかりましたわ! 行きますわよ、アリスさん、大和!」
克也との話に決着をつけた大悟はさっそく麗華たちに指示を出す。
麗華は力強く頷き、固い表情のアリスと、やる気がなさそうに欠伸をしている大和を連れてさっそく大病院に向かうために部屋を後にする。
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