第3話
長年誰にも使われていないせいで散らかり放題の薄暗く埃くさい一室に、短めの白髪の髪を赤いリボンで束ねた、神秘的で冷酷な冷たい雰囲気の色白の少女・白葉ノエルがボロボロのソファの上に腰掛けていた。
「はい、できたよー、『
妙に明るい声とともにハンバーグ、納豆、トンカツ、バニラアイス、苺ジャムが乗せられた見た目がどぎついカレーがノエルに手渡された。
……警告、これはもはやカレーではない。
頭の中で差し出されたカレーの存在を否定するノエルだが、見た目がキツイカレーに表情を変えることなく、淡々と口に運んだ。
口に入れた瞬間辛口のカレーの辛み、ハンバーグとトンカツから溢れんばかりに分泌される不快なほど脂っこい肉汁がボディブローを食らわし、納豆の臭みが鼻を刺激し、最後にそれらを無に帰すアイスとジャムの甘みが口の中を支配した。
差し出されたカレーの存在を頭の中の声が否定しながらも、一応は食べることができるものだとノエルは判断したので、無言で次々と口の中に運んだ。
無表情でパクパクと自作のカレーを口に運ぶノエルを、ボロボロのロングコートを着て、健康的で艶めかしい生足が伸びたホットパンツを履いた、ボサボサでありながらも艶のあるロングヘアーの無駄にスタイルが良い美女・
「どうかなー? 私の自信作なんだけど♪」
「胃に入れることはできます」
「おねーさん、美味しいか美味しくないかで聞いているんだけどなぁ」
「マズいです」
「あ、ひどいなぁ! 結構自信作なんだけどなぁ――んー、美味しいー❤」
胃に入れてエネルギーを補給できること以外、何の役にも立たないカレーと呼ぶに相応しくない物体の感想を素直に口にするノエル。マズいと一刀両断されて、不満気な表情を浮かべる美咲はガツガツと音が出る勢いで食べて、あっという間に食べ終えた。
美咲に遅れてノエルも食べ終えるが、美咲の作った特製カレーが不快に胃にたまり、無表情で色白のノエルの表情から血の気が引いて、気分悪そうにしていた。
「……もう、銀城さんは食事を作らなくて結構です」
「えー? ダメだよ! ウサギちゃんはいつも味気のない栄養食品でご飯を済ませようとするんだから! それでもいいとは思うけど、ちゃんとしたご飯を食べないと!」
「一日に必要な栄養素は摂取しているので問題ありません――それと、『ウサギちゃん』はやめてください」
「それでもいいと思うけど、ご飯はみんなで楽しく食べるものなの! わかった?」
「……わかりました」
……理解不能。
食事は活動するための栄養補給だと思っているノエルにとって、楽しく食事を済ませろと諭してくる美咲を理解できなかったが、反論するとうるさいので一応は素直に返事をしておいた。
素直に頷いたノエルを見て、「わかればよろしい!」と美咲は満足そうに豊かな胸を張って頷いた。
「……それにしても、まだウサギちゃんの正体がバレていないんだから、あの後すぐに隠れなくてもよかったんじゃないの?」
「あの方がここにいるようにと指示をしたので、それを守っているだけです」
「それはそうなんだけどさぁ。おねーさん、見たいテレビとかあったんだけど」
「我々に協力すると決めた以上、我慢してください」
「録画するの忘れたんだけどなぁ……」
軽薄な笑みを浮かべながらも隙のない目で自分を見つめて気だるげに放った美咲の一言に、ノエルは一週間前のことを思い出しながらヘルメスの指示に忠実に従っているだけだと答えた。
――一週間前、教皇が誘拐された事件の後、ヘルメスとノエルが密会しているところに美咲が現れると、彼女はヘルメスの協力を買って出て、ヘルメスはそれを快諾した。
もちろん、協力してもらってもヘルメスは美咲を信用することはなかった。
美咲を四六時中監視して軟禁し、これから計画が本格的に始動する状況で不測の事態に備えて、美咲とともに隠れ家に身を隠すようにノエルはヘルメスに命じられていた。
「ヘルメス君、しばらく顔を見せてないけどどこに行ったのかな」
「計画は大詰めです。その準備のために忙しいのです」
「ヘルメス君の目的の『賢者の石』、本当に作れるのかな? 実在するかも定かじゃないのに」
「もちろんです。そのために、あの方はこれまで様々な準備をしてきました」
「ティアストーンの在り処は教皇以外誰も知らないのに、ヘルメス君は知ってるの?」
「問題ありません」
ヘルメスの目的――教皇庁が持つ輝石を生み出す力を持つ煌石『ティアストーン』の力を使い、多くの古い文献に遺されている伝説の煌石『賢者の石』をヘルメスが作ろうとしていることに、賢者の石の存在に懐疑的な美咲は、それを生み出そうとしているヘルメスを若干バカにしていたが、ノエルは彼を信用していた。
「ウサギちゃんって、ヘルメス君のことを信じてるんだね♪」
「もちろんです」
「おとーさんのこと好きなんだねぇ」
ニヤニヤと含みのある笑みを浮かべた美咲の一言に、一瞬ノエルは頷いてしまいそうになってしまうが、それを堪えて不機嫌そうにソッポを向く。
そんなノエルのかわいらしい反応に美咲はさらに機嫌良さそうに笑うと――「随分と楽しそうじゃないか」と、自分たちの様子を見て微笑ましく思っているようでもあり、嘲笑するようでもある声が響く。
ノエルたちは声の主――無造作に伸びた灰色の髪の、フォーマルな服装でありながらも顔半分を覆う仮面のせいで異様な雰囲気を放っている青年・ヘルメスに視線を向けた。
「うら若き乙女たちのガールズトークを盗み聞きなんて趣味が悪いよー、ヘルメス君❤」
「それは申し訳ない。珍しくノエルが楽しそうに会話をしているから、見入ってしまったよ」
「いつもと同じでクール&ドライな対応のウサギちゃんだったけど、楽しそうだったの? よくわかるね。さすがはおとーさんかな?」
ノエルを娘も同然と思っているヘルメスに、美咲は含みのある視線を向けながら話を続ける。
「それで、突然どーしたのかな? おとーさん?」
「少々マズいことになってしまってね」
「何かあったのですか?」
そう言っても余裕そうに浮かべている軽薄な笑みは崩れなかったが――ノエルの目には、ヘルメスの様子がいつもと違っているように映り、いつもと違う彼から焦りのようなものを感じたので、即座にノエルは緊急事態であると判断した。
「アルバートの端末で私とノエルたちとのつながりに気づいたようだ。捕まった際アルバートの所持品はないとの情報があったので余裕を持って準備をしていたが……余裕がなくなったよ」
「十中八九アリスちゃんの仕業かな? あの子もアタシと同じで一週間前の事件で不自然な指示ばかりしていたウサギちゃんを疑ってたし、みんなに内緒で証拠品を持っていて、調べてたんだろうなぁ」
一週間前の事件――教皇が誘拐された事件で、常に冷静で的確な指示を制輝軍たちに出していたノエルらしからぬ、後手に回るような指示ばかり出して、美咲は不信感と疑念を抱いており、アリスも自分と同じ気持であった。
それを思い出した時、ヘルメスとノエルのつながりに気づいたのがアリスであることを容易に想像ができた美咲は、今の状況を心底楽しんでいるかのように笑い、試すような目でヘルメスを見た。
「さあ、どうするのかな。アカデミー都市内にいるみんなが君を追いかけると思うけど?」
「問題ない。不用意にこの隠れ家から出なければ、居場所も気づかれないだろう」
「その割には結構焦ってるように見えるんだけどなぁ」
「近い内、私とノエルの関係に気づかれるとは思っていたが、まさかこのタイミングで気づかれるとは想定外だったので、少々焦っているよ。これは少し、予定を繰り上げなければならないな。まったく、長年考えた計画も中々上手く行かないものだな」
「世の中そんなものだから、仕方がないよねー?」
ニタニタと性悪な笑みを浮かべる美咲の意地の悪い質問に、ヘルメスの余裕な笑みは崩れることはなかったが、計画に大幅な修正が必要になってしまったことに、やれやれと言わんばかりにため息を漏らし、ノエルに視線を向けた。
「予定よりもだいぶ早くなってしまったが――ノエル、クロノの始末に向かってくれ。今は病院で眠ったままだが、クロノが目を覚まして余計なことを喋った場合非常に危険だ」
「……はい。わかりました」
弟の始末を迎えとのヘルメスの命令にノエルは僅かな間を置きながらも力強く頷く。
白葉クロノ――欠陥品であり、任務を放棄した裏切者である。
処分は妥当。
頭の中の冷酷な声はノエルにクロノの始末を命じていた。
ヘルメスの指示、頭の中の冷酷な声にノエルは忠実に従おうとするノエルだったが――胸に理解不能なざわつきが発生した。
そのざわつきがクロノの始末を命じる頭の中の声をかき消した。
突然の事態に困惑するノエルに「……ちょっと、いいかな」と冷え切った美咲の声が届く。
「弟クンの始末におねーちゃんを向かわせるなんて、随分酷じゃないの? それに、君にとって弟クンは息子のような存在じゃないの?」
冷酷な命令をノエルに下したヘルメスを静かでありながらも激しく滾る怒りを宿した目で睨みながら、激情を抑えた冷え切った声で美咲はそう尋ねた。
良心を揺さぶろうとする美咲に、ヘルメスは口角を嫌らしく吊り上げて嘲笑を浮かべる。
心底美咲を嘲るヘルメスとは対照的に、ノエルには不思議と彼女の言葉がざわつく胸に妙に響き、さらに困惑してしまう。
「……それなら、君がクロノの始末に向かうのかな?」
嫌らしく口角を吊り上げるヘルメスの質問に、美咲は悔しそうな表情を浮かべて閉口する。
「もちろん、息子も同然のクロノを、娘も同然のノエルに始末を任せるのは私も心苦しいが、仕方がない。一週間前、クロノが私の命令に反した段階で、クロノはノエルを始末するべきだったのだが、ノエルはそれに失敗してしまった……その後始末を娘に任せるのは親の躾としては当然じゃないのかな?」
心苦しいと言っておきながら、息子も同然のクロノを始末することに平然としているヘルメスに、静かに怒りを爆発させた美咲は無言で掴みかかろうとする。
しかし、その行動をヘルメスの前に庇うようにして立ったノエルが許さない。
自分を守るノエルに、ヘルメスは満足そうに笑って子供を褒めるように丁寧に頭を撫でた。
無感情ながらも、ヘルメスに触れたら容赦はしないという威圧感に満ちたノエルの目で睨まれ、美咲は悔しそうに歯噛みして何もできない。
そんな美咲を見たヘルメスの口角はさらに吊り上がり、「そうだ!」と無邪気な声を上げた。
「クロノの始末はノエル一人に任せよう。美咲さんと一緒に向かわせたらしくじりそうだからね」
ニンマリと残虐な笑みを浮かべて、ノエルに再び残酷な命令をするヘルメスを無視して、美咲は縋るような目をノエルに向ける。
美咲の視線に映るノエルは今まで以上に無表情で、まるで機械のように映っていた。
「ウサギちゃん、本気で君はヘルメス君の命令に従うの?」
「それが、私の存在意義です」
一々耳に残る美咲の言葉から逃れるようにノエルは自分に、そして、美咲に言い聞かせ、宣言するように言ったが、美咲は納得しない。
「ウサギちゃんの意思はどうなの? 本当に弟のクロノ君を――」
「勘違いしてもらっては困るよ、美咲さん」
嘲笑うようなヘルメスの声が美咲の必死な説得を遮った。
ヘルメスの言葉の意味が理解できない美咲は、説明を求めるように彼を見つめる。
何も理解していない美咲の顔を見てヘルメスの口角が嫌味に吊り上がる。
「ノエルとクロノは姉弟の関係ではないのだよ。厳密には――」
嫌らしく、それ以上に自慢げに笑いながらヘルメスが口に出した、自分の理解の範疇を超えた事実に美咲は絶句してしまい、衝撃のあまりにクロノの始末に向かうノエルを止めることもできなくなってしまった。
自分の正体を知って、自分を見る美咲の目が明らかに変わったことを察したノエルは、不思議と先程まで身体に異常を与えていた胸のざわつきが治まった。
――これより、白葉クロノの始末するため任務を開始する。
同時に、白葉クロノの始末をするための任務の開始を告げる頭の声が響くと、完全に本調子に戻ったノエルはクロノの元へと急いだ。
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