第一章 裏切りの戸惑い

第1話

 心地良さと浮遊感に包まれる中、どこか知らない広い空間に座らされていた。


 目の前が明るくなると、映像が流れはじめる。

 オレが――いや、オレたちが生まれた時の光景だった。


 その次はオレたちの生誕に喜び、興味深そうに見つめる『父』と呼べる存在が映し出されると、父が自分に従うのがオレたちの存在意義だと言った時の音声付きの映像が流れた。


 その次に流れているのは、父に従って任務を遂行するオレの姿だった。

 そして――父の言いつけ通りアイツと出会った。


 アイツを経由して様々な人間と出会い、過ごした日々の映像が流れる。

 計画的に近づいたのに、アイツはオレを友と呼び、オレを信じた。

 アイツだけじゃなく、アイツの周囲にいる人間も同じだった。


 芽生えそうになるものを必死に否定して、押さえ込んでいた時の自分が映し出された。

 そんな自分と比較するように、芽生えそうになったものを肯定し、父から与えられた存在意義を放棄した自分が映し出される。

 任務を放棄して、裏切者の烙印を押されたオレは処分された――それが、最後の映像だった。


 そのことに後悔はないが――


 唯一の後悔は、計画的に近づいたアイツや、自分を友と呼んで信じてくれたアイツらを利用したことだった。


 一言でもいいからアイツらに謝りたい――そう思ってもここから抜け出せない。

 助けを求めようとしても声が出なかった。


 そんな状況に胸に穴が開いたような感覚に支配された。


 それが『寂しさ』であることに気づくのに、時間はかからなかった。




―――――――――




 太陽が一番高い位置に来る頃――アカデミー高等部校舎の空き教室を利用して作られた、アカデミー都市を守る風紀委員の本部内に、気分良さそうな鼻歌が響いていた。


 ソファに座る鼻歌の主――頼りなさそうなくらい華奢な体躯で特筆すべき点がまったくない平凡な少年・七瀬幸太郎ななせ こうたろうは慣れた手つきでカップラーメンを作っていた。


「あ、それこの間発売された『トライオキシンラーメン』だ。245gの特盛の麺で、コールタールのようなドロドロした黒い、醤油ベースのスープが美味しいんだってね」


「売り切れ続出だったけど、昨日ようやく見つけたんだ。大和君も少し食べる?」


「それじゃあ、アーンってしてくれる?」


「もちろん」


 幸太郎の隣に座って軽薄な笑みを浮かべてフレンドリーに声をかけるのは、白を基調としたアカデミー男子生徒用の制服を着ている柔らかそうな黒髪で、中性的で美しい顔立ちの少女・伊波大和いなみ やまとだった。


 自分の冗談にいっさい動揺しないで真に受ける幸太郎に肩透かしを食らいながらも、「それじゃあお願いしようかな」と大和は嬉しそうに笑っていた。


 そんな二人の対面に座る、ショートヘアーの凛々しい顔立ちの少女、セラ・ヴァイスハルトは小さく嘆息して、カップラーメンを食べる準備をしている幸太郎に厳しい視線を送る。


「幸太郎君、即席のものばかり食べると栄養のバランスが偏りますよ」


「ここ数年風邪引いてないよ」


「それでも、長期的に考えれば身体に悪いということです」


「セラさん、心配してくれるんだ……何だか照れる」


 アカデミー都市内で老若男女問わずに人気があり、ファンクラブもあるアイドル的存在のセラが、自分を心配してくれて照れる幸太郎。そんな彼に、何を言っても無駄であろうと判断したセラは諦めたようにため息を漏らした。


 お節介なほど幸太郎を心配するセラに、大和はからかうような視線を送る。


「いやぁ、セラさんは将来良い奥さんになりそうだ。ねぇ、幸太郎君」


「そうなんでしょうか……ありがとうございます」


 からかうつもりで言った言葉に何も考えていない様子で頷いて同意をする幸太郎と、感謝をするセラのあっさりとした反応に想定外だった大和は、「あ、そう」と少しガッカリした。


「卒業式も終わって、もうすぐに春休みなんだけど……セラさんたちは春休み、どうするの?」


 何気なく幸太郎は目前へと迫る春休みの話題を持ち出す。


 アカデミー全体の卒業式も終わり、春休みも目前なので授業はもう午前中で終わっていた。


「短い休みなので、実家には帰らずにアカデミー都市に残るつもりです」


「僕は気ままに一人旅にでも行こうかな? 幸太郎君はどうするんだい?」


「僕は一旦家に帰る」


「それなら、僕は春休みの間幸太郎君の家に泊まらせてもらおうかな」


「母さんと父さん、電話で話した大和君と会いたいって言ってたから是非泊まってよ」


「ご両親公認ってわけか……何だか気合が入るなぁ」


 からかうつもりで言った言葉に想定外の返答をされて、照れる大和。


 和気藹々と春休みの話題で盛り上がる三人だが、セラの隣に座る人物の表情は険しかった。


 セラの隣に座り、三人の和気藹々としたやり取りを厳しい目で眺めていた、風紀委員の設立者であり、アカデミーを運営する巨大な組織の一つである鳳グループトップの娘でもある、一部の髪が癖でロールした金髪ロングヘアーの美しく、高圧的な顔立ちの少女・鳳麗華おおとり れいかはテーブルを思いきり殴りつけた。


 テーブルを思いきり殴りつけた音が室内に響き渡り、柔らかかった雰囲気が張り詰めるが――幸太郎は気にすることなくカップラーメンにお湯を注いで、蓋の押さえに自身の輝石きせきを置き、大和は煽るようにニヤニヤ笑って怒りの形相を浮かべる幼馴染を眺めていた。


 唯一セラだけは小さく、そして、深々と嘆息して隣に座って怒っている麗華に視線を向けた。


「弛んでいますわ! 緩々ですわ!」


「弛んでるって……麗華、また太ったの?」


「シャラップ! そういう意味ではありませんわ!」


 和やかな雰囲気のセラたちに喝を入れる麗華。そんな幼馴染を茶化す大和。


「来たるべき春休みの話題に花を咲かせるのは結構! ですが、今のアカデミーの状況で、アカデミー都市内の治安を守る風紀委員が弛むのは許されませんわよ!」


 ……耳がタコになるほど聞かされたけど、麗華の言う通りだ。

 少し気が緩んでいた。引き締め直さないと。


 一週間前から何度も同じことを麗華は言っているので、少々ウンザリしているセラだが、改めて気を引き締め直した。


 麗華の危惧している通り、今のアカデミーの状況は良くなかった。


 その理由は教皇庁きょうこうちょうと鳳グループ――アカデミーを運営する二つの組織の関係が悪化しているからだ。


 アカデミーの利権を奪い合うために対抗しながらも、ある程度の一線を超えずに水面下で争っていた二つの組織だったが、ここに来て今までにないほどの関係が悪化していた。


 アカデミーの現状を理解して気を引き締め直しているセラとは対照的に、大和は現状を理解しながらも、その状況を心底楽しんでいる様子だった。


「一週間前、アカデミー都市から教皇庁旧本部のある国に向かうアリシアさんとプリムちゃんが襲われたところを鳳グループが救出し、現在保護している状況。罪を犯したけどアリシアさんはまだ教皇庁の人間だし、プリムちゃん本人が次期教皇候補から辞退すると言ってるけど、まだ辞退は受理されてないから次期教皇最有力候補。そんな二人を鳳グループは教皇庁に無許可で一週間も保護しているんだから、険悪ムードになるのは無理ないよね。それに、鳳グループは周りに迷惑をかけたから、ここで一気にその不満が爆発したのかな?」


「だからこそ、春休みの間にアカデミーで何かが起きるのかもしれませんわ! だから、私は前から口を酸っぱくして気を引き締めろと言っているのですわ!」


 教皇庁と鳳グループが険悪になっているのは、嬉々とした表情の大和が説明した通りだった。


 一週間前、教皇庁上層部である『枢機卿』の立場にいながらも、教皇庁のトップである『教皇』エレナ・フォルトゥスを監禁した罪で、アリシア・ルーベリアは処分が決まるまでアカデミー都市を追い出されることになり、彼女の娘の次期教皇最有力候補であるプリメイラ・ルーベリアも、次期教皇候補を辞退して母の後を追って、アカデミー都市から離れた。


 教皇庁が用意したプライベートジェットに乗り込んだアリシアたちはそこで襲撃されたが、間一髪のところで二人を鳳グループの人間が救った。


 アリシアたちは現在鳳グループが保護している状況であり、その報告を受けた教皇庁はアリシアたちの身柄を引き渡すように命じた。


 しかし、鳳グループはアリシアたちの引き渡しを拒否した。


 事件後、何度も会議を開いて教皇庁は鳳グループにアリシアの身柄を引き渡すように命じたが、教皇庁が用意した航空機でアリシアが襲われたので、鳳グループは教皇庁が信用できないとしてその要望を拒否した。そのせいで、鳳グループと教皇庁の関係は悪化していた。


 上層部が一新された鳳グループは教皇庁との関係強化を目的としているため、鳳グループの人間は大悟が何か考えを持って教皇庁を突き放しているのは察しているが、危ういながらも均衡を保ってきた巨大な組織の関係が悪化していることにセラは麗華と同じく不安を覚えていた。


「このままの状態が続けば、お互い悪くなる一方なのに……教皇庁を信用できないのは理解できるけど。もう少し、鳳グループは教皇庁に歩み寄るべきだと思う」


「その通りだとは思いますが、お父様にはお父様なりの考えがあるということですわ」


 セラの言葉に同意を示しつつも、麗華は父である鳳大悟おおとり だいごを信じていた。


 不安に思っても麗華はお父さんの大悟さんを信じている。大和君も同じだ――

 それなら、私も二人が信じる大悟さんを信じよう。


 麗華と大和が信用する大悟をセラは信用して、胸に纏わりつく不安を拭った。


「とにかく! 春休みであろうとなかろうと、しばらくの間風紀委員の活動は強化しますわ! 鳳グループと教皇庁が険悪な仲で、何か大きな事件が起きれば混乱は必至! だからこそ、気合入れますわよ!」


 改めて檄を飛ばす麗華に、素直に力強く頷くセラと、「暑苦しいなぁ」とやる気がなさそうに頷く大和、そして、カップラーメンが茹で上がるのをジッと待っている幸太郎だった。


 麗華の話が終わってすぐに風紀委員本部の扉が控え目にノックされると、「失礼します」と鈴の音のような澄んで声ととともに二人の少女が現れた。


 一人は風紀委員である鈴の音のようなきれいな音の声の主でありながらも、強面で褐色肌の赤茶色の髪をセミロングにした、アカデミーの中等部に通う少女、サラサ・デュールだった。


 そんなサラサの傍で不承不承といった様子で立っているのはプラチナブロンドの髪をショートボブにした、折れそうなくらい華奢で静養に人形のように可憐な外見の少女だが、大きな瞳には冷めた光を宿している、サラサと同じく中等部に通っているアリス・オズワルドだった。


 カップラーメンに集中している幸太郎以外の視線が、風紀委員本部に訪れたアリスに集まる。


「珍しいですわね、制輝軍せいきぐんのアリスさんが風紀委員本部に訪れるなんて」


「えっと……アリスさんが、話したいことがあると言ったので、案内しました」


 アカデミー都市の治安を守る風紀委員と同じ役割を持つ、国から派遣された制輝軍と呼ばれる組織に所属しているアリスが風紀委員本部に現れたのを意外に思っている麗華に、サラサは彼女がここに訪れた理由を話した。


 サラサの説明を聞きながら、セラはアリスの様子を見ると――普段感情を露わにしないアリスの表情に不安、衝撃、怒り、焦り、様々な感情が表に出しており、そんな彼女から強い覚悟をセラは感じていた。


「それで、話したいこととは一体何でしょう。あなたほどの人物がここに来たということは、かなり重要な話であると思うのですが?」


「これを見て」


 さっそく麗華は話をはじめると、アリスはポケットから携帯端末を取り出した。


「この前の事件でアルバートを捕まえた時に奪った」


 アリスの口から出した、アルバート・ブライト――一週間前にアリシアが起こした教皇エレナ誘拐事件に関わっており、アカデミーで過去に起きた事件にも関わっていた人物だった。


 輝石以上に不思議な力を持つ『煌石こうせき』を扱う素質を持つ人間を部品に使って、輝械人形きかいにんぎょうと呼ばれる輝石で動くガードロボットを作り出したマッドサイエンティストだった。


 一週間前の事件でアリシアとともに捕えられたアルバートだが、制輝軍と教皇庁主導で行われた取調べでは何も語らず、捕まった際に所持品も持っていなかったので、それから深く調べることもできなかったのだが――そんな彼の所持品を持つアリスを大和はねっとりと見つめる。


「そんな報告はなかったと思うけどなぁ」


「当然。誰にも言っていないから」


「悪い子だね、アリスちゃんは。内緒でそんなことをしてもいいのかな?」


「別に構わない」


 意地の悪い大和の言葉に、アリスはいっさい動じることなく真っ直ぐと彼女を見つめ返した。


 自分を見つめるアリスから強い覚悟を再び感じ取った大和はニヤニヤと満足そうに笑う。


「高度なロックが掛けられていたけど、私とあの男――ヴィクターと数日かけてロックを解除して……中身ももう見た」


 制輝軍を率いる白葉ノエルを尊敬し、仲間意識の強い制輝軍の仲間たちに秘密で、アルバートの持ち物を勝手に持ち出して、父であるヴィクター・オズワルドと一緒に解析したアリスに改めてセラは強い覚悟を感じるとともに、嫌な予感を感じていた。


「……中身は自分たちで見て」


 俯き加減に放ったアリスの言葉にさっそく大和は端末を操作して、セラたちと中身に眠る情報を見ると――風紀委員たちの間に衝撃が走る。


 そんな中一人至福の表情で幸太郎はカップラーメンをズルズルと食べていた。

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