第21話
アリスたちがいる秘密研究所がある雑居ビルには、ノエルが率いている大勢の制輝軍たちが囲んでおり、彼女たちがどんな手段で逃げようとしても、対応できるようにしていた。
雑居ビルの正面にいるノエルは、アリスたちが動き出すのをジッと待っていた。
突入しても良かったが、最後で焦って失敗する可能性が大いにあるので、それを堪えた。
――任務達成は目前。
後は、相手の出方次第。
アリスたちを追い詰め、任務が達成されるのを確信するノエルだが――安心はできなかった。
その大きな理由として、クロノと美咲が戻ってきていないことだった。
アリスがこの場所に逃げたという情報を告げて、すぐにこの場所に集合すると思ったが、二人はまだ来ていなかった。
大きな問題を抱えているクロノが戻ってこないことに若干の不安を覚えるノエルだったが――その不安はクロノと美咲が現れたことによって霧散した。
「随分遅かったですね」
「弟クンとイチャイチャしてたから遅くなっちゃった♪ ごめんね?」
「クロノ、状況はどうなっていますか?」
「何も問題はない」
反省の欠片も見当たらない笑みを浮かべた美咲を放って、ノエルはクロノに視線を向けた。
普段と変わらぬ態度のクロノだが――ノエルには彼が自分のよく知る『白葉クロノ』とは異なって見えた。
彼の身に纏う空気には確かな存在感を放つと同時に、漠然としていないが確かな『感情』に包まれており、別人のような雰囲気を身に纏う『白葉クロノ』だった存在に、嫌な予感が込み上げるノエル。
――彼は最早再起不能。
頭の中の冷徹な声が厳しい判断を下すが――ノエルはそっと耳を塞いだ。
「それよりも、こんなにたくさん制輝軍のみんなを呼び出していいの? 教皇庁の人たちからは、教皇の誘拐事件を解決が最優先だって言われてなかったっけ?」
「もちろん、そちらの方にも人員を回しています。しかし、今は追い詰めたアリスさんたちを捕えて、事件の一つを解決することに専念します。それに、アリスさんがヴィクターさんの指示通りに動いているかもしれないという風紀委員の推測が正しければ、彼女を捕えることで事態は一気に解決できるかもしれません」
「それなら、わざわざ大層な包囲網を張らなくて、アタシたちが歩み寄ればいいんじゃないの?」
「血迷っているアリスさんに何を言っても無駄でしょう」
「……血迷ってるのはどっちかな?」
警告――銀城美咲から、僅かだが確かな不信を感じ取った。
軽薄な雰囲気を身に纏いながらも、鋭い光を宿した目を向ける美咲にノエルは警戒心をわずかに高めた。
「何か銀城さんは私に文句でもあるのでしょうか」
「んー? 別に? 今までウサギちゃんの判断は正しかったから、アタシは信じてるよ」
「それなら結構です。それと、『ウサギちゃん』はやめてください」
美咲から自分に対しての不信を感じながらも、彼女が何か行動を移す気配はなく、気づく頃にはすべてが終わっているので問題はないと悟ったノエルは気にしないことにする。
二人の会話が一段落すると同時に、膠着状態だった状況がようやく動き出す。
雑居ビルの地下から、複数の人影が現れたからだ。
正面から堂々とアリスたちが現れたのかと思った制輝軍たちの間に緊張感が走るが――現れたのはアリスたちではなく、ガードロボットだった。
ガードロボットを操ることのできるアリスが、ガードロボットを囮にして奇襲を仕掛けるか、盾代わりにしながら逃げるか、囮にして別の場所から逃げるかもしれないと、制輝軍の誰しもが思っていたが――ノエルは違った。
――警告!
ガードロボットの姿を見た瞬間、ノエルの脳裏に『ヴィクター』、『卒業式』、『花火』の単語が浮かび上がり、頭の中の声が注意を促した。
周囲に警戒しようとするノエルだが――遅かった。
笛の音のような大音量の打ち上げ音が響くと同時に、空に美しい光の花が咲いた。
突然の事態に、制輝軍たちの視線は宙に釘づけになってしまった。
しかし、ノエルはしっかりと確認していた。
注意が空に向いている制輝軍たちの隙を突いて、包囲網を突破するアリスたちの姿を。
ノエルだけではなく美咲もクロノもアリスたちの姿を捕えていたが――二人は特に行動することも、ノエルに報告することもしなかった。
「行きましょう」
淡々とした足取りでアリスを追うノエルに、美咲とクロノは遅れて続いた。
―――――――――――
「一体何がどうなっているのだ!」
「あの花火は一体なんだ! 制輝軍からの報告はまだなのか!」
「落ち着くのだ。花火が上がっているだけで、何らかの被害が起きているという情報はない」
「アリス・オズワルドはプリム様を連れてこの場所に向かっているという噂があるが――果たして、警備が厳重な教皇庁本部に来るのか……」
アカデミー都市の空に上がり続ける花火に、教皇庁本部の大会議室にいる枢機卿たちは軽くパニックになっていた。
数十分前に上がり、今でも上がり続けている花火について枢機卿たちの要望で緊急会議を開いたアリシアだが――議長席に座るアリシアは、アカデミーの空を灯し続ける花火に嫌な予感を感じていた。
「アリシア、君は花火についてどう思う」
花火について冷静な枢機卿に意見を求められ、アリシアは一瞬の間を置いて反応する。
「ヴィクターは卒業式にガードロボットに花火を仕込んだんでしょ。制輝軍に囲まれていたアリスたちが、研究所内にあった花火が仕込まれたガードロボットを使って逃げるためにそれを打ち上げたの。単なる目くらましよ」
……本当にそうなのかしら?
もし、アリスたちがこの場所に向かっているとしたら、気づかれた?
――でも、どうやって?
都合良く逃げ込んだ先に花火が仕込まれたガードロボットがあり、それを使って制輝軍の包囲網を突破するアリスたちに、アリシアは違和感が拭えなかった。
他の枢機卿が言っていたアリスたちが教皇庁本部に向かっているかもしれないという噂に、エレナの居場所に気づいたのかもしれないと推測するアリシアだが――どうやって、彼女たちがエレナの居場所に気づいたのかわからなかった。
状況を考える度に胸に浮かんだ嫌な予感は大きくなる一方だった。
「アリシアさん……アリスさんたちが、教皇庁本部に向かっている場合、無茶を承知で教皇庁本部に向かう理由は何だと考えられますか」
「さあ、次期教皇最有力候補を誘拐する人間の考えは読めないわ」
考えを尋ねるようでありながらも、自分の反応を窺っている隙がないリクトの目を、アリシアは自身に満ちた目で見つめ返して、取り繕ったような答えを口に出した。
「教皇庁本部の警備状況は、どうなっていますか?」
「アリス拘束とエレナ捜索で動ける人間が出払ってる今、普段と比べて警備は手薄ね。もちろん、手薄と言っても厳重であることには変わりはないけど」
リクトの質問にアリシアは正直に答えると、半数以上の枢機卿たちの表情に怯えが浮かんだ。
情けない枢機卿たちの相手をするよりも、アリシアはリクトが気になっていた。
いや――最初からリクトに違和感があった。
「もしもの場合に備えて、枢機卿の方々を別の場所に移すべきではないでしょうか」
「そうね……そうしましょう」
リクトの意見に、我が身がかわいいほとんどの枢機卿たちは力強く頷いて同調する。
アリシアにとっても邪魔な人間がいない方が好きに動けて都合が良いので許可した。
リクト……あなたは気づいているの?
自分の反応を一々確認するリクトに、嫌な予感の正体が徐々に明らかになるアリシア。
しかし、仮にリクトが気づいていたとしても、確たる証拠がないので一々自分の反応を確認しているのだろうとアリシアは推測して、動揺しなかった。
「もしもの場合に備えて、解散しましょう」
アリスたちが教皇庁本部を目指しているという万が一の事態のために、アリシアは会議を終わらせると――多くの枢機卿は逃げるように大会議室から慌てて出て行った。
手柄を得て自分の立場を守ることから、身の安全を第一にする考えにシフトした滑稽で憐れな枢機卿たちの姿を見て、嘲笑を浮かべるアリシアに、会議室に残ったリクトが「アリシアさん」と話しかけてきた。
相手にしたくはなかったが、庇護欲を駆られる憂鬱そうな目で見つめられ、アリシアは不承不承といった様子で「どうしたの、リクト」と反応した。
「……母さん、大丈夫だと思いますか?」
「あのエレナなら心配する必要はないわ……あの子、ああ見えて昔からタフだから」
「そう、ですよね……」
「心配する暇があったら、事件解決のために動きなさい」
誘拐された母であるエレナの話題をするリクトに、アリシアの頬に僅かな痛みが走ったが、アリシアは気にせずに冷静に受け答えをした。
「アリシアさん……今回は母さんの代わりに教皇庁をまとめていただいて、ありがとうございました。アリシアさんのおかげで混乱は最小限で済みました」
「……感謝の言葉なら事件を解決してからにして。あなたも早く避難しなさい」
自分が犯人であることを気づいているのか、気づいていないのか、何も知らない様子で深々と頭を下げて感謝の言葉を述べるリクトから、無意識に目を離したアリシアは、そのまま逃げるように会議室から――いや、リクトの前から立ち去った。
離れ行くアリシアの背中をリクトは切なそうに眺めていた。
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