第19話
負傷しながらも幸太郎が目的地までの近道を案内してくれたおかげで、目的地であるセントラルエリアのいかがわしい白衣が売っている店がある雑居ビルに到着したアリスたち。
店があるビルの地下にヴィクターの秘密研究所があることを知っているアリスの案内で、研究所に入ると、すぐにソファに座らせた幸太郎の治療が行われた。
美咲との戦闘の疲労が抜けていない中、ガードロボットが複数置かれ、多くの用途不明の機械で散らかっている狭い研究所を漁った優輝はすぐに救急箱を見つけ、優輝とサラサは幸太郎の傷の応急処置をはじめる。
「幸太郎君、服を脱がすよ」
「優輝さん、強引――イテテッ」
強引に幸太郎を上半身裸にさせた優輝は、処置をはじめる。
「ゆ、ユーキ、サラサ……コータローは大丈夫なのか?」
「きれいな切り口だけど少し深そうだ――サラサちゃん、ありったけの消毒液を傷口にかけて」
幸太郎の怪我の具合を心配する涙目のプリムの質問に答えながら、優輝は冷静にサラサに指示を送り、サラサはすぐに指示通りに動く。
「イタッ! サラサちゃん、痛い、痛いって! 染みるぅ!」
「我慢してください、幸太郎さん……いい子です、から」
「サラサちゃん……柔らかい――イタッ!」
消毒液を傷口にかけられて、あまりの痛みに涙目になる幸太郎を、聖母のような笑みを浮かべてそっと胸で幸太郎の頭抱きしめて、頭を撫でるサラサ。
将来期待が持てる膨らみかけの感触に酔う幸太郎に、サラサは問答無用に消毒液をかけた。
応急処置を手伝うことなくアリスは制輝軍が自分たちの居場所を掴む前に、研究所のPCを操作して、何か事件に関する情報か、次の場所に向かうためにヒントがないのかを黙々調べていたが、チラチラと幸太郎の様子を窺っていた。
怪我をしても緊張感のない顔の幸太郎に、アリスは呆れながらも安堵感を抱いた。
そして、運が悪かったら大怪我だったかもしれない幸太郎に、胸にある罪悪感がざわついた。
胸の中で騒ぐ罪悪感を押し殺し、自分の作業に集中しようとするアリスだが、思うように集中できずに視線が自然と幸太郎たちの元へ向けてしまっていた。
治療をずっと心配そうに眺めていたプリムが、幸太郎のために次期教皇最有力候補としての力を存分に発揮させていた。
「プリムちゃん、君の力で幸太郎君の輝石を反応させてくれないか?」
「ま、任せておくのだ!」
煌石・ティアストーンを扱える力を持ち、教皇や他の次期教皇候補と同じくティアストーンから生まれた輝石を触れずとも反応させることのできるプリムは、優輝の指示で幸太郎の傍で祈るような体勢になって、幸太郎の持つ輝石に意識を集中させて反応させた。
輝石の力をまともに扱えない幸太郎のために、プリムは自分の力で彼の輝石を無理矢理反応させて、身体中に輝石の力を纏わせることによって、傷を癒していた。
「お風呂に入ってるみたいに気持ちいい」
プリムの首にかけたペンダントについたティアストーンの欠片から放たれる青白い光に呼応するように、幸太郎の全身が輝石から放たれる淡い光に包まれると、幸太郎は気持ちよさそうな吐息を漏らした。
……取り敢えず、何も問題はない。
状況は最悪のまま、何も変わってないけど。
幸太郎の治療が順調であることを一瞥して判断したアリスは自分の仕事に戻る。
淡々としているアリスの様子が幸太郎の輝石を反応させているプリムの目に映り、プリムは幸太郎の治療を忘れてアリスに掴みかかろうとするが――幸太郎の患部にガーゼと包帯を巻き終えた優輝が無言で制した。
プリムを制した優輝は研究所に――幸太郎が怪我をしてからずっと自分たちを見ないアリスに近寄って、「アリスちゃん」と話しかけると、アリスは身体を僅かに強張らせた。
「幸太郎君の傷は軽いから大丈夫。すぐに目覚めるよ」
……どうせなら、プリムのように感情的になればいいのに。
その方が、気が楽になれるのに。
危険を承知で幸太郎を利用して不意打ちを仕掛けようとした自分に罵詈雑言を浴びせるかと思っていたアリスにとって、幸太郎の怪我の具合を伝えて自分に心配ないと言ってくれる優輝の態度を意外に思うとともに、苦々しく感じていた。
自分の責任で幸太郎が怪我をしたとアリスは十分に理解しているからこそ、プリムのように感情的になって怒声を張り上げてくれた方がまだ気が楽で、優輝のように優しくフォローをされた方が心にずっしりと響いた。
そんなアリスの心を見透かしように、優輝は優しげに微笑む。
「アリスちゃんならわかってると思うから何も言わないよ」
自分なら言わずとも理解しているという優輝の表面上は優しく聞こえるが、突き放すようにも聞こえる言葉に、降参だと言わんばかりにアリスは一瞬だけ脱力したような微笑を浮かべた。
優輝の言葉に罪悪感とともに、自分の判断が間違っていたことをアリスは改めて実感した。
「あの時は焦ってて、まともな考えが浮かばなかった。いつも危険な真似をする七瀬なら、危険に巻き込んでも問題ないと判断して、七瀬を利用して強引にあの場を切り抜けようとした。最悪の場合、美咲と戦ってるサラサと久住を置き去りにして。でも、今思えば他に方法があったと思うし、勝手すぎたと思う――何を言っても言い訳にしかならないけど」
平気で他人を利用して切り捨てる。
アリシアや他の腐った枢機卿と同じだ。
平気で他人を利用して人体実験をするアルバートと同じだ。
人の善意を利用して他人を無理矢理巻き込むあの男と同じだ……。
追い詰められた状況での自分の本心を口にするアリスだが、何を言っても言い訳にしかならないことを悟ると同時に、幸太郎たちを利用して平気で切り捨てようとした自分が自分の嫌う人間たちと同種であると気づいた自嘲気味な笑みを一瞬だけ浮かべた。
「七瀬が怪我をさせたのは私の責任なのは明らか……ごめん」
自分の罪悪感に素直に従って、アリスは淡々としながらも、治療を終えた幸太郎をジッと見つめて心からの謝罪を口にする。
「別に気にしてないから大丈夫」
……意味不明。
どうして、平然としていられるのよ。
治療を終えて制服を着た幸太郎は、能天気な笑みを浮かべてそう言った。
その一言で室内の空気が一気に弛緩し、理解が追いつかないアリス。
「……あなたはバカなの? 私のせいで怪我をしたのに」
「僕が決めた行動の結果で怪我をしたから、僕の責任」
「自己責任であろうと、あなたは私に何とも思わないの?」
「何とも」
「……謝って損した」
まったく自分を恨んでいない幸太郎に、真面目に謝った自分が心底バカバカしくなるアリスは、これ以上幸太郎を相手にすることも心配することもやめて、自分のすべきことに集中する。
「心配して損したが、お前が思った以上に心が広いということは十分に理解できたぞ!」
「……心が広いんじゃなくて、ただのバカなのよ」
恨み言を漏らさない幸太郎の心の広さを思い知って見直すプリムに、アリスは誰にも聞こえない声でそう呟いて訂正した。
「もう大丈夫ですか? 幸太郎さん」
「大丈夫じゃなかったらサラサちゃん、また抱きしめてくれる?」
「……大丈夫そう、ですね」
怪我の具合を心配するサラサだが、男の欲望を丸出しにする幸太郎に心配ないと即判断して、素っ気ない態度で突き放した。抱きしめてくれないサラサに、少し落胆する幸太郎。
「さて、幸太郎君の治療も終わったことだし、次の目的地のヒントを探そうか」
優輝の言葉に、怪我をしたばかりだというのに幸太郎は「おー」と気合を入れて、サラサとプリムとともに散らかっている研究所内を探しはじめる。
すっかり緊張感が失った幸太郎たちを見てアリスは嘆息しながら――冷静に状況を分析する。
今、私たちはかなり追い詰められている。
……運良く切り抜けても、この情報が正しければ制輝軍や教皇庁の妨害は激しくなる。
久住はまともに戦えないし、プリムは非戦闘員、七瀬は怪我をしている。
……これ以上はもう限界。
冷静に優輝たちや、自分たちが置かれている現状を分析したアリスは心の中でため息を漏らした後、制輝軍に――いや、ノエルに反抗すると決めた以上の覚悟を決める。
「……投降しようと思う」
小さなため息とともに淡々と告げたアリスの言葉に、場の空気が静まり返った。
「外の監視カメラの映像を確認したら、続々と制輝軍が集まってる。囲まれた」
「ならば、ユーキの力で一蹴すればいいだけの話だ! そうだろう、ユーキよ!」
「そうだね。まだ諦めるには早いんじゃないかな、アリスちゃん」
制輝軍にこの場所が囲まれているという情報を説明しても、プリムたちは諦めない。
もちろん、優輝の力で制輝軍に囲まれた状況から抜け出せる可能性もアリスは考えたが――
「久住の力を上手く使えば切り抜けられるかもしれないけど、力を使えば久住は消耗する」
冷静なアリスの指摘に、優輝は反論できずに苦い顔を浮かべていた。
「まともに戦えるのが私とサラサだけなら、これから向かう場所には行けない」
「これから向かう場所? アリスよ、まさかお前はヒントを見つけたというのか!」
プリムの言葉にアリスは頷いて、PCの画面に映し出されたある建物の全体図と見せた。
画面に映し出された全体図を見て、プリムたちの表情は驚愕に染まる。
ある建物とは――教皇庁本部だった。
「教皇庁本部の最上階付近を見て」
アリスの言われた通りに、プリムたちは教皇庁本部の最上階付近に視線を向けると、確かに最上階付近の一室に明滅を繰り返す丸い印が存在していた。
「……この部屋は確か、教皇エレナの執務室だぞ」
「そこに、アリスさんのお父さんが? でも、追われているのに教皇庁本部に、それも、教皇の部屋にいるのでしょうか……」
印の場所が教皇の執務室であることをプリムから聞いて、サラサと同じ疑問がアリスにも生まれるが、彼女の中にある諦めは確かなものになり、そんな疑問はどうでもよかった。
「何にせよ、この戦力で教皇庁本部に行くのは無理」
現実的に、それ以上にプリムたちのことを考えた末の答えをハッキリとアリスは告げる。
現実に考えれば――今いる場所から教皇庁本部までの距離はそう遠くないが、大勢の制輝軍に囲まれている状況で教皇庁本部に辿り着くことは難しかった。
それに加えて、教皇庁や制輝軍に追われている現状で、敵の本拠地とも呼べる教皇庁本部に攻め入り、教皇エレナの執務室にまで向かうことは不可能に近かった。
「こ、ここまで来て私は諦められんぞ! 母様が事件に関わっているかどうか、私は確かめなければならない義務があるのだ!」
「確かに、ここで諦めるのは後味悪いね……どうにかして方法を考えないと」
「わ、私も、ここまで来たら、とことん付き合いたい。です」
厳しい現実を突きつけられても、それでも何とかして方法を考えようとする優輝たちの必死な姿に、ずっと固かったアリスの表情が今日はじめて柔らかくなった。
「強引にあなたたちを巻き込んで、ここまで付き合ってもらったことは感謝する。でも、行き当たりばったりの計画もここまで。もう、投降する他――」
「アリスちゃんは諦めるの?」
優輝たちに遅れて、妙に澄み渡る明るい幸太郎の声が響き渡った
状況を打破するために必死な優輝たちの表情とは異なり、幸太郎の表情は能天気なほど明るかった。
「僕は諦めないよ」
宣言するようにそう言った幸太郎の短い言葉には、決して揺るがない固い意志が宿っていた。
そんな幸太郎の頑固とも呼べる固い意思に、優輝たちの表情から焦燥が消えて明るくなる。
しかし、アリスだけは諦めの悪い幸太郎を冷めた目で見つめていた。
――――――――――――
『お願い、クロノ君。捕まえるんじゃなくて、みんなを守ってあげて』
……そんなの関係ない。
オレは任務を果たさなければならない。
クロノの頭の中に、リクトの言葉が何度も頭の中で反芻していた。
何度も、何度もその言葉を頭の中から消そうとしても、何度も蘇った。
そのせいで、アリスとの戦いに集中することができなかった。
そのせいで、負傷した幸太郎がアリスたちを連れて逃げるのを追うえなかった。
無理矢理頭の中でリクトの言葉を消すと――今度は、言葉の代わりに怪我をした幸太郎の姿が頭の中で何度も再生された。
――身の程を弁えずに出しゃばる七瀬の奴が悪い。
それ以上にアリスが抵抗しようとしたのが悪い。
怪我をする幸太郎の姿が頭の中で過る度に、この場所にいないリクトに責められているような気がしたクロノは自分を正当化させて、怪我をした幸太郎を頭から消した。
消すと再びリクトの言葉が蘇る――それを何度も繰り返した。
「――弟クン!」
リクトの言葉と幸太郎の映像が反芻する中、自分を呼ぶ美咲の声が耳に届いたクロノは、数瞬の間を置いて現実に戻って「……どうした」反応する。
「何度も呼んだんだけど、大丈夫? アタシも幸太郎ちゃんが血を流してるのを見て、ちょっとびっくりしちゃったんだけど、弟クンも同じ?」
「……問題ない。要件を話せ」
何度も呼んだのに反応がなかったクロノを心配する美咲だが、雑談を無視して問題ないと言い張るクロノに美咲はあえて何も言わずに話を進める。
「アリスちゃんの居場所、わかったって連絡が来たよ。セントラルエリアにあるビルの地下にいるみたい。今回は監視カメラの映像にちょっとだけ映ってたんだってさ。幸太郎ちゃんが怪我したから相当焦ってたんだろうね。制輝軍のみんながその場所を囲んでるって」
「……そうか。七瀬の怪我で混乱しているうちに早く攻めよう」
「最後の大詰だし、ここは慎重に行った方がいいんじゃないの?」
「反撃する間を与えるだけだ」
「……それじゃ、弟クンに従おうかな?」
いよいよアリスたちを追い詰め、さっそく彼女たちの居場所へと向かおうとするクロノだったが――普通に歩いているにもかかわらず、足が重かった。
身体は正常なのに胸が絞めつけられるような痛みに襲われ、全身が気怠かった。
そして、再びリクトの言葉と、怪我をした幸太郎の姿が頭に過る。
終わりは目の前なのに、こんな時におかしくなる自分の身体をクロノは心底恨んだ。
そんなクロノの様子を、見透かしたような目で見ていた美咲はやれやれと言わんばかりに深々とため息を漏らす。
「弟クン、ホントはウサギちゃんの指示に従いたくないんじゃないの?」
「ありえない」
「弟クン、ホントはみんなと――」
「黙れ」
わかったような美咲の言葉がざわついている胸に一々響くのが煩わしいクロノは、彼女の言葉を強引に割って入って遮り、黙らせた。
そんなこと絶対にありえない。
――そんなことは許されない。
美咲の言葉で表に出そうになるありえないものをクロノは無理矢理胸に抑え込んだ。
「弟クンがどう行動しようが、アタシは君の味方でいるよ?」
「……オレは任務を果たす」
自分に言い聞かせるようにクロノは重い口調でそう言い放った。
自分がどんな状態なのかを理解しておきながらも、それを頑なに認めようとしない滑稽なほど意固地なクロノを見て、煽るような笑みを浮かべる美咲。
「そんな様子じゃ無理だと思うけどね」
挑発的な美咲の一言を敏感に反応したクロノは、彼女を鋭い目で睨んだ。
普段は感情を宿していないクロノの瞳だが、美咲を睨む彼の目にはハッキリとした激情が宿っていた。それを見て美咲の笑みはさらに挑発的になる。
「さっきアリスちゃんと戦ってるのをチラチラ見てたけど、積極的に攻めてたけど、無駄に力が入り過ぎてるせいで余計な隙が多かったし、肝心なところで決められてなかったし――弟クンらしくない戦い方だった」
先程の自分の戦いを分析する美咲に、クロノは反論できない――すべて事実だからだ。
言い返せないクロノを挑発的に、それ以上に心配するような目で見つめる美咲の表情は、普段の軽薄な美咲では考えられないほど真剣であり、僅かに母性が感じるものだった。
「迷ってるなら迷ってるって言いなさい――任務に忠実であったとしても、君には自分の意思を自由に主張する権利がある」
「……オレにはそんな権利はない。許されていないんだ」
自分に言い聞かせるようにそう言いながらも、頑なな自分を解きほぐすような美咲の言葉に徐々にクロノは抵抗を失ってしまう。
僅かにクロノが揺れ動いたのを確認すると同時に、自分の意思を主張する権利がないと言い切ったクロノに美咲は怪訝に思いながらも、一気に攻める。
「誰が言ったのかは知らないけど、そんなの君には関係ない。君は一人の人間として、自分の意思を主張し、それに従って動く権利もある――さあ、言いなさい、白葉クロノ! 君のホントの気持ちを」
今までに見たことがないほど真剣で、厳しい表情を浮かべる美咲の必死の説得に、ずっと――リクトと出会い、任務中でありながらも彼と友人関係になってからクロノが無理矢理抑え込んで蓋をしていたものが、蓋とともに一気に飛び出してくる。
……ダメだ。
ダメなんだ――でも……
すぐに開いた蓋を閉めようとするクロノだったが、もう遅かった。
決してありえないもの、抱いてはいけないもの――『感情』を溢れ出してしまった。
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