第10話

「博士、どこにいるんだろう」


「取り敢えず、昨日の掃除の続きをするはずだった、研究所に向かいましょう。もしかしたら、私たちが来ることを悟って、先生が何かを残してるかもしれません」


「なるほどー、そこまで考えているなんてサラサちゃん、すごい」


 風紀委員本部を出てすぐに、さっそくサラサは目的地を決めた。


 年上の自分が考えもつかない判断をしたサラサに、幸太郎は素直に心から感心していた。


 素直な幸太郎の褒め言葉に、サラサは頬を僅かに紅潮させて照れた。


「博士も心配だけど、アリスちゃんも大丈夫かな」


「私も心配、です」


 プリムを誘拐するという暴挙に出たせいで、ヴィクターと同じく追われている身のアリスを心配する幸太郎に、強面の表情を曇らせて同意するサラサ。


「アリスちゃん、どうしてプリムちゃんを連れ出したんだろう」


「アリシアさんを疑ってるからだろうと、お父さんが言っていました。それに、プリムさんと一緒にいれば、制輝軍の人たちが不用意に手を出せないらしい、です」


 アリシアを疑うアリスは、娘のプリムを誘拐すればアリシアの判断を遅らせると同時に、人質に利用すれば制輝軍は下手に手を出せなくなると考えての行動だと父のドレイクが考えていたことをサラサは幸太郎に教えた。


「アリシアさんが犯人なのかな」


「まだ、わかりません」


「サラサちゃんはアリシアさんが犯人だと思う?」


「正直、思います……でも、プリムさんが尊敬しているお母さんなので信じたくはありません」


 幸太郎の質問に肯定しながらも、最近よく遊んでいるプリムのことを思い浮かべるサラサ。


 麗華のようにわがままで、世間知らずのプリムだが――母であるアリシアのことを尊敬しているということは、つい一か月前に知り合ったばかりだがサラサはよく理解していた。


 だから、プリムが尊敬するアリシアのことをサラサは疑いたくなかった。


 アリシアが犯人である思いながらも、アリシアを信じようとするサラサに、幸太郎は嬉しそうでありながらも安堵したような表情を浮かべた。


「なら、博士とサラサちゃんだけじゃなくて、アリシアさんの無実も証明ようよ」


 締まりのない顔に僅かに気合が入れてそう提案する幸太郎に、サラサは力強く頷いた。


 ヴィクターやアリスだけじゃなく、アリシアのために、幸太郎とサラサは事件解決につながる情報を得るため、校舎を出て目的地へと早歩きで向かう。


 セントラルエリアにある小さな公園の近くにあるヴィクターの秘密研究所に向かうため、校門を出ようとすると――「幸太郎君、サラサちゃん」と二人は呼び止められた。


 聞き慣れた声の方へ視線を向けると、重厚な校門の前に久住優輝がいた。


 声をかけてくれた優輝に挨拶をしながら、幸太郎たちは彼に駆け寄った。


「もしかして、博士の掃除を手伝う件ですか? それなら、博士がエレナさんを――モガッ!」


「あの、えっと、その……ごめんなさい、言えないんです」


 無用な混乱を避けるため、今回の事件を麗華から他言無用であると命令されているサラサは、特に何も考えている様子なくあっさりと優輝にエレナが誘拐されてヴィクターが容疑者にされていることを漏らそうとしている幸太郎の口を慌てて両手で塞いだ。


 そんな二人のやり取りを優輝はクスクスと楽しそうに笑いながら眺めていた。


「大丈夫、今回の件、俺とティアは大道さんと沙菜さんから聞いているから。俺たちも君たちに協力することに決めたんだ」


「そ、そういえば、そうです、よね……ごめんなさい、早とちりでした」


 実家が教皇庁とつながりが深い大道と沙菜なら今回の件を知っており、それを優輝が聞いていてもおかしくないことに気づいてすぐに頭を下げるサラサに、「気にしないでいいよ」と優輝は優しく微笑みかけた。


「それよりも、秘密を守ろうとするサラサちゃんは偉いね」


 優輝に褒められ、サラサは強面の表情をさらに鋭くさせて照れた。


「ヴィクターさんは僕のリハビリに親身にアドバイスしてくれたから放ってはおけないし、エレナ様を誘拐したとは思えない。だから、僕も彼の無実を証明するために協力するよ」


「優輝さんが協力してくれるなら心強いです。制輝軍はセラさんたちに任せて、これから僕たち博士を探すために、秘密研究所に向かうつもりです」


「それなら、俺も一緒に付き合うよ。さっそく向かおうじゃないか」


「……でも、優輝さん、お身体は大丈夫、ですか?」


 自分たちと同じ考えを持つ優輝が協力してくれることに、幸太郎は頼り甲斐のある仲間を得られて嬉々とした笑みを浮かべていたが、対照的に本調子ではない優輝の身体を心配しているサラサの表情は暗かった。


 自分の力を頼りにしてくれる幸太郎と自分の身体を心配してくれるサラサの優しさに、嬉しそうでありながらも、どこか自虐気味な笑みを浮かべる優輝。


「実は、まだ本調子じゃないから今回の件に関わらない方がいいとティアや大道さんや沙菜さんから忠告されたんだ。だから、僕を連れてくると足手まといになるかもしれないよ?」


「でも、優輝さんがいれば頼りになることは間違いないよね、サラサちゃん」


 優輝の力を信頼しきっている幸太郎の言葉に、サラサは迷いなく頷いた。


 伝説の聖輝士である久住宗仁を父に持つ優輝は、セラやティアとともに宗仁から旧育成プログラムと呼ばれる、アカデミーが設立する以前に教皇庁が行っていた聖輝士が輝石使いを育成する、実戦的な訓練を受けており、戦闘経験が豊富だった。


 それに加えて不測の事態に陥っても冷静でいられることができるため、幸太郎の言う通り優輝は頼りになる存在だとサラサは心から思っていた。


「……優輝さん、無茶はしないでください……何かあれば、私が何とかします」


「僕にもドンと頼ってください」


 優輝を頼ることを決めると同時に、優輝のフォローをすることに決めたサラサに倣って、輝石をまともに扱えないというのに、頼りない暗いか細い胸を張って気合を入れる幸太郎。


 そんな二人を見て、優輝は嬉しそうに笑って「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。


「……あ、そういえば、ティアさんたちに無理するなって忠告されてるなら……優輝さんを連れて、ティアさんに怒られませんか?」


「あー、えっと――……多分、大丈夫だと思う……多分」


 ティアに怒られることを想像してビクビクする幸太郎と、怒るとティアよりも怖い沙菜を思い浮かべてビクビクする優輝。


 沙菜の怒りを想像して一瞬、大人しくするべきだという声が頭に響いたが――その声に従いそうになる自分を堪えて、優輝は幸太郎たちとともに目的地へと向かうことにした。




―――――――――――




 制輝軍本部の会議室には、多くの制輝軍の隊員たちがPCを操作して情報収集をして、現場に出ている隊員たちから電話で報告を聞いていた。


 教皇、そして、次期教皇最有力候補の人間が誘拐されるというアカデミー設立以来の大事件に不眠不休で事件の対応に追われている制輝軍たちの表情は僅かに疲労が滲み出ていた。


 しかし、それでも疲れを表に出さないようにして必死に捜査を続けていた。


 そんな部下たちを、深々と椅子に腰掛けているノエルは分析的な目で眺めていた。


 ――事件から一夜が過ぎている。

 隊員たちは疲労している様子だが――精神が高ぶっているため、まだ問題はない。

 精神が高ぶっている理由は、アリス・オズワルドのために事件を解決しようと必死になっていると思われる――これは、制輝軍特有の仲間意識の強さに由来するものである。


 アリスのために動いている制輝軍を、感情を宿していない冷めた目で眺めながら、ノエルは視線を彼らから、長机を隔てた対面に立っているクロノと美咲に視線を向けた。


 早朝からアカデミー都市内を歩き回ってアリスを探して、一旦報告に戻ってきたが――気まずそうな美咲の表情を見たノエルは報告に期待しないことにした。


 それでも、僅かな期待に縋って一応報告を聞くことにするノエル。


「エレナ様とヴィクターさんの居場所は掴めましたか?」


「それに関しては全然わかんなーい」


「アリスさんの居場所は掴めましたか?」


「うーん、それも残念だけどわかんなーい。でも、ヴィクターちゃんたちよりかはマシかも」


 淡々とした調子でノエルに報告を求められると、大きく身体を伸ばして眠そうに欠伸をしながら美咲はお手上げだというように答えた。


「エレナ様と、ヴィクターちゃんの居場所に関しては全然わかんない。アカデミー都市中の監視カメラを確認したんだけど、事件が発覚してから二人の姿も形も映ってないし、目撃情報も何もない。まるで、突然二人の姿がアカデミー都市から消えちゃったみたい」


 姿を消したヴィクターとエレナの情報がまったく見つからなかったことを開き直ったかのように美咲は、今度はアリスについて気まずそうに報告する。


「二人とは違って、アリスちゃんの姿は監視カメラの映像に映ってたんだけど、肝心の居場所までは全然わからなかったんだよね。まあ、当然だよねー、アタシと違ってアリスちゃんはアカデミー都市内にあるカメラの位置を全部把握してるし。でも、セントラルエリアから抜け出していないのは確実なのかな? アリスちゃんが逃げてすぐに制輝軍のみんなが、他のエリアにつながる出入口はもちろん、裏口だって、秘密の抜け道にいてセントラルエリアは実質封鎖状態になってたからね。だから、セントラルエリアのどこかには隠れてると思うよー」


 普段不真面目な美咲にしては珍しく、しっかりと調べて、ちゃんとした報告をしていることにノエルは意外に思いながらも、ノエルはクロノに視線を向けた。


「おそらく、ヴィクターがアカデミー都市内に勝手に作った秘密研究所に逃げ込んだんだろう」


「その場所はわかりますか?」


「すべてを知っているアリスほどではないが、いくつかは知っている」


「うーん。厄介だなぁ。これじゃあ、アリスちゃんの居場所を簡単に見つけられないね」


 アリスの逃げ場所が無数にあるという話をクロノから聞いて、美咲は仰々しいが心底困り果てているようなため息を深々と漏らした。


 何も進展していない、停滞している状況に室内の空気は沈むが――


「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!」


 不眠不休で事件を調べる制輝軍たちの眠気を吹き飛ばす、ありがたくも耳障りな、笑っている本人は大層気分が良さそうな高笑いが外から響き渡り、徐々に会議室に近づいてきた。


 その笑い声の主を知っている制輝軍たちは、頼れる味方が現れたことに疲れている表情を明るくさせるが、味方でもあると同時に厄介な人間なので辟易していた。


 高笑いが会議室の扉の前で止まると、「失礼しますわ!」と勢いよく扉が開かれた。


 壊さんばかりの勢いで開かれた扉から現れたのは、風紀委員である鳳麗華とセラ・ヴァイスハルト、そして、風紀委員には所属していないが風紀委員に協力している伊波大和だった。


 教皇庁から風紀委員と協力して事件を解決するようにと命じられているため、彼女たちが突然現れても他の制輝軍と同様に動じることはなかったが――セラの姿を見て、僅かにノエルの胸の中にある正体不明の何かがざわついた。


 そして、無意識にセラを睨むように見つめてしまったノエルは、すぐに目をそらしたが――ノエルに見つめられていることに気づいたセラは、不思議そうな顔をしていた。


 警告――集中が乱れた。

 原因はセラ・ヴァイスハルトである。

 理由は――理由は、不明。


 胸のざわつきの正体を探るため、ノエルは冷静に自分を一瞬だけ分析したが――原因はセラであることは理解できたが、セラが自分の胸をざわつかせる理由は不明だった。


「フフン! この私が来たからにはもうご安心を! 事件は解決したも同然ですわ!」


「それでは、さっそく情報の共有をしましょう」


「強力な助っ人が来たのに随分淡白ですわね。もっと感謝をしてもいいのではありませんの?」


「感謝します」


「全然心がこもっていませんわ!」


 得意気に鼻を鳴らして大見得を切る麗華を軽く流し、さっそくノエルは話を進める。


 淡々と話をはじめるノエルに嫌味をぶつける麗華だが、ノエルは適当に相手をして話を進める。そんなノエルの冷たい態度に麗華は声を荒げるが、ノエルはもう相手にしなかった。


「我々は昨夜からヴィクターさんやエレナ様、そしてアリスさんの居場所を調べましたが、結局居場所は掴めませんでした。ただ、アリスさんの居場所はセントラルエリア内にある、ヴィクターさんが勝手に建てた秘密研究所にいる確率は高いだろうと判断しています」


「それなら、お互い持っている情報は少ないみたいだね。鳳グループも独自に事件について調べていたんだけど、そっちが持ってる以上の情報を持ってないよ」


 情報不足であることをノエルに告げられ、わざとらしく大和はため息を漏らすが、「ただ――」と軽薄でありながらも不敵な笑みを浮かべた大和は話を続ける。


「そっちと違うのは、ヴィクターさんとアリスちゃんを信じてるってことかな?」


「エレナ様が誘拐されたのはヴィクターさんが何らかの形で関わっているということは間違いないでしょう。彼の行方を追えば、必ずエレナ様の行方につながると判断しています。それに、アリスさんに至っては最早言い逃れができません――二人とも疑うに足る十分な証拠があると思いますが?」


「確かにそうだけど、最初から制輝軍はヴィクターさんを疑い過ぎなんじゃないの? それに、無茶とは言え、アリスちゃんの行動にも何らかの意味があることは間違いないと思うし。もうちょっと、視野を広くして考えたらいいんじゃないのかな」


「視野を広くするべきだという伊波さんの意見はありがたく受け止めますが――情報が少ない状況で、容疑者である人間を疑うことが、そんなにおかしいのでしょうか」


 事務的なノエルの言葉に、「確かにそうだね」と反論できない大和は楽しそうに笑った。


 大和が反論してこないのを確認して、ノエルは淡々と話を進める。


「まずは一つずつ確実に問題を解決しましょう。現段階で我々はプリム様を誘拐したアリスさんがヴィクターさんの秘密研究所を隠れ家として使っている確率が高いと判断しています。アリスさんを捕えるため、ヴィクターさんとそれなりに付き合いがあるあなた方風紀委員には、彼の秘密研究所の場所を教えていただきたいのですが」


「ええ。ヴィクター先生の研究所には何度か訪れたことがありますし、セントラルエリア内にある研究所もいくつか知っていますから、お力になれると思います」


「それは結構。さっそく教えてください」


「その前に、いくつか質問をよろしいでしょうか」


 アリスを捕えるために協力してくれるセラの素直な態度に、ノエルは無表情だが満足そうに頷き、さっそく情報をもらおうとするが――その前にセラに質問を求められてしまった。


 重大な事件が起きているのに、悠長に自分に質問を求めてくるセラを冷めた目でノエルは一瞥しながらも、「どうぞ」と許可した。


「アリスちゃんの居場所がわかったら、ノエルさんはどうするつもりでしょうか」


「プリム様を誘拐したアリスさんを捕えるために、我々はあなた方が知っている情報を教えていただきたいと、言ったばかりのはずですが?」


「プリムちゃんを誘拐したのは理由があっても、ですか?」


「理由の有無は関係ありません。我々はアリスさんを捕えろとの教皇庁の指示に従うだけです」


「……その指示が間違っていたとしても、ですか?」


「指示が誤っていたとしても、最終的に事件を解決できれば問題ありません」


 与えられた指示に忠実に従い、それが間違っていたとしても結果が良ければ気にしないノエルを、怒気と失望を含んだ鋭い目でセラは睨んだ。


 セラから放たれる静かだが確かな怒気に室内にいる人間が息を呑むが、ノエルは相変わらず無表情だった――しかし、僅かに心の中がざわついていた。


「ノエルさんは――アリスちゃんをどう思っているのですか?」


「質問の意図がわかりません。事件に関係のないことを聞かないでください」


「アリスちゃんはノエルさんを尊敬してますよ」


「ありがたいことですが、今は関係ありません」


「そう感じるなら、少しはアリスちゃんを信じてあげるべきだ」


「任務を果たすために私情は必要ありません――質問があるということで、何か重要なことだと思っていましたが時間の無駄でしたね」


「それはこちらの台詞です」


 仲間であるアリスの行動の理由を考えようとしないで、与えられた任務を忠実に果たそうとする非情なノエルの態度に、纏っていた静かな怒気がさらに膨れ上がるセラ。


 事件とは関係のないくだらない質問をするセラに、心底失望するノエル。


 セラとノエル、二人は冷静な態度を取っているが――二人の間には激しい火花が散っていた。


「よーし、それじゃあ風紀委員と制輝軍で協力するために、握手しようか! ね?」


 雰囲気が悪いセラとノエルの間に、割って入った美咲は二人の仲を取り持とうとするが――


「「必要ありません」」


 ――と、ノエルとセラに、異口同音で同時に素っ気なく返されてしまった。

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