第8話
教皇庁本部内にある、高級ホテルの一室のような広く、豪華な装飾のされた控室でソファに深々と腰掛けているアリシアは熱い紅茶を優雅に飲みながら、自身のボディガードであるジェリコ・サーペンスの報告を聞いていた。
張り詰めた雰囲気を身纏い、長い前髪の合間から見えるいっさいの隙のない切れ長の双眸と、爬虫類を思わせる細面の長身痩躯の黒いスーツを着た男――ジェリコ・サーペンスからアリシアは娘であるプリメイラ・ルーベリアが誘拐されたことを聞いた。
最初に簡単に娘が誘拐されたことを聞いてすぐに枢機卿に連絡し、制輝軍にアリスを捕え、プリムを保護するように命令して、ゆっくりジェリコの口から詳しい報告を聞いていた。
娘が誘拐されてもアリシアは騒ぐことなく余裕そうな笑みを浮かべてジェリコの報告を聞いていた――が、僅かに頬に微弱な電流が走り、痛みとして伝わった。
プリムを娘ではなく、道具として見ているアリシアには、娘が誘拐されても動じない。
「――以上があの男たちから得た情報です」
淡々としたジェリコの説明を聞き終え、「ありがとう、ジェリコ」とアリシアは妖艶でありながらも子供のように無邪気な笑みを浮かべて感謝した。
「さすがはヴィクターの娘ね。すぐに私を疑って、私の判断を鈍らせるつもりであれを誘拐したのね。制輝軍に追われることになるけど、次期教皇最有力候補を人質にすれば、制輝軍は簡単に手を出せない――考えたわね」
「何か手を打ちますか?」
「放っておきなさい。今回の計画が上手く行けばあれはもう必要ないわ。それに、自己保身に必死な枢機卿と、勝手に暴走しているヴィクターの娘を上手く利用すれば、私の目的だけ果たして、ヘルメスたちの計画を潰せるわ」
自分の娘であり次期教皇最有力候補を誘拐したことで、制輝軍や自分の動きを封じたと思い込んでいる愚かなアリスのことを思い浮かべながら、アリシアは嘲笑を浮かべていた。
アリスの大胆な行動が自分にとって都合が良く、漁夫の利が狙えると思って嬉々とした表情を浮かべるアリシア。
余裕そうな笑みを浮かべているアリシアは、ふいに「それにしても――」と自身の傍らに立っている余計な感情を表に出さないジェリコに、ハッキリとした不審を宿した目を向けた。
「流れを読めるあなたなら、今の私は不安定で、間違いなく破滅に向かっていると見えるんじゃないの? どうして沈みそうな船にまだ乗っているのかしら?」
「流れを読んでいるからこそ、私はあなたについて来ている」
「あなたがそう言うなら、私はまだまだ大丈夫ってことかしら?」
自分に対しての疑念を隠そうとすることなく、意地悪な質問をするアリシアを真っ直ぐと見据えてジェリコは淀みのない声でそう答えた。
心強いジェリコの言葉に、クスクスと子供っぽく笑うアリシアだったが、「でも――」と無邪気な笑みを消し、真剣な目で見つめて話を続ける。
「今回の計画、成功率は低いわ。それに、今回の計画が失敗したら私は終わり。だから私は最後まで足掻く。その覚悟でいるの――つまり私は泥船なの。だから、あなたは無理に付き合わなくてもいいのよ?」
自虐気味に笑って自分を泥船だと揶揄するアリシアだが、ジェリコの意思は変わらない。
「私は教皇庁を強引でありながらも積極的に変えようとするあなたの思い描く未来に同調している――あなたがここで終わるのならば、教皇庁はそれまでということだ。それならば、私はあなたとともに沈もう」
「あなたはバカよ――……でも、感謝するわ」
自分の思想を盲信しているジェリコを愚かだと思いながらも、それを口に出すことをしないで、心強い味方にアリシアは感謝の言葉を述べた。
普段の凛としていて妖艶な態度では考えられないほど、力を抜いた子供のような笑みを浮かべて自分に感謝するアリシアに、無表情のジェリコでさえも見惚れてしまった。
「それじゃあ、改めてあなたにお願いするわ。ヘルメスの傍にいて、彼の命令になるべく従いなさい。そして、彼の行動を逐一私に報告しなさい――それ以外は臨機応変に対応すること。もちろん、途中で逃げ出していいわよ」
凛とした表情に戻ったアリシアの命令にジェリコは迷いなく頷き、さっそく行動をはじめる。
――――――――――――
プリムを誘拐したアリスは、アカデミー都市中に設置されている監視カメラ、自分を探しているであろうガードロボットや制輝軍の目を避けて、ヴィクターの秘密研究所に向かった。
ヴィクターが勝手に作り、僅かな人間しか場所を知らない秘密研究所ならば隠れるのに最適だとアリスは判断したからだった。
嫌悪感を抱いている人間を頼るのは癪だが、なりふり構っていられない状況なので、不満を押し殺してアリスはセントラルエリアの小さな公園付近にある秘密研究所に向かった。
プリムが暮らす屋敷に近いからこの研究所を選んだという理由もあるが――それ以上に、放課後に断られるのを承知でヴィクターがこの研究所の清掃を頼んできたのに疑問を感じたからアリスはこの場所をしばらくの隠れ家として選んだ。
断られるのを承知でヴィクターが研究所の清掃に自分を呼び出したのを思い出したアリスは、もしかしたらヴィクターが今回の騒動を事前に予期し、何か自分に伝えるために呼び出したのではないかと考え、何か研究所内にヒントが隠されているか、行方不明のヴィクターがいるかもしれないという僅かな期待を抱いていた。
「むー、何だ、ここは! 狭苦しい上に、埃っぽいし、散らかってるぞ!」
秘密研究所に到着するや否や、窓一つないのに加えて僅かな電灯でしか照らされていないために薄暗く、散らかり放題の秘密研究所に文句を言うプリム。
人質にされているのに偉そうに文句を述べるプリムに苛立ちを覚えるアリスだが、それをため息として吐き出して自分を落ち着かせる。
「シャワーとかトイレとか、基本的に生活に必要なものが揃ってるから、文句言わないで」
「そう言う問題ではない! この散らかりようを見て、お前は何とも思わんのか」
「これくらいなら私の部屋と同じ」
「……アリス、お前の部屋は汚そうだな」
「ちゃんとゴミは捨ててる」
「ゴミはなくとも物で溢れているのだろう?」
「……うるさい」
呆れ果てているプリムの言葉に反論できないアリスは、足の踏み場がまともにないほど散らかっている研究所内にもかかわらず、軽快な足取りで普段ヴィクターが仕事に使っているPCや様々な機器が置かれた机に向かい、PCの電源をつけた。
事件に関するヒントか証拠が残されていないのか、アリスはPCを手慣れた手つきで操作していると――「おい、アリス!」といまだに研究所に足を踏め入れずに入口に立ったままの状態でいるプリムが不満気な声を上げた。
「疲れたから座りたいぞ!」
「あそこにソファがあるから、片付けてそこに座りなさい」
「この私が片付けろというのか! 私を誰だと心得る!」
「人質」
「人質になってやったのは誰だ!」
無理矢理人質にしたわけではなく、自ら人プリムが質を買って出てくれたことを思い出させられ、PCを操作する手を止めたアリスは忌々しそうに舌打ちをして、ソファに山積みにされたガラクタを床に置いて座る場所を作った。
プリムは「ご苦労!」と満足そうに頷き、床に無造作に置かれたガラクタのせいでおぼつかない足取りでソファに向かって座った。
「アリス、腹が減ったぞ」
「私はあなたの使用人じゃない」
「だが、腹が減っては戦ができぬぞ!」
「……ちょっと待ってて」
こんな状況でも相変わらずのわがままを言い放つプリムに呆れながらも、今までずっと気を張り詰めて逃げていたせいで自分も僅かにお腹が空いているので、アリスは部屋の隅に置かれた棚と冷蔵庫の中を調べた。
棚の中には多くのジャンクフードとカップラーメン、冷蔵庫の中にはミネラルウォーターと数種類の栄養ドリンクが入っていた。
アリスはゼリー飲料を飲みながら、カップラーメンとミネラルウォーターと、お湯が入っている給湯器とタイマーをプリムの前に置いた。
自分の前に置かれたカップラーメンとミネラルウォーターをプリムは不満気に眺めていた。
「むぅ……これしかないのか?」
「文句言わないで。それとも、一人で作れないの?」
「それくらい、コータローとコンビニに行った時に作り方を教えてもらったから知っとるわ!」
「……つまり、今までは知らなかったということね」
「コータローで思い出したが、あの男は少しだけ美味しくなると言ってカップラーメンの蓋の押さえに輝石を置くという罰当たりなことをしていたな! まったく、あの無礼者め! 輝石を何だと思っているのだ!」
輝石を神聖視する教皇庁の人間にとって罰当たりな行為をする七瀬幸太郎の話しながら、プリムは慣れない手つきでカップラーメンを食べる準備をしていた。
次期教皇最有力候補のプリムが庶民の味方であるカップラーメンを作るというシュールな光景をアリスは眺めながら、少しだけ頭に冷静さが戻ったアリスは勢いのままに行動して彼女を巻き込んだことに罪悪感を抱きはじめていた。
「……ごめん」
「今更気にするな、私もお前と同じで真実を知りたいのだ!」
タイマーをセットして、カップラーメンが出来上がるのを今や今かと楽しそうに待っているプリムに、アリスは謝罪を口にした。
突然のアリスの謝罪に面を食らいながらも、プリムはまったく気にしていないと言った様子で力強い笑みを浮かべた。
「安心しろ、アリス! 私はお前の父親のヴィクターを変な奴だとは思うが、疑っておらぬ!」
ヴィクターを信じている様子のプリムに、アリスは申し訳なさを感じていた。
一か月前、プリムが枢機卿セイウスに誘拐された際、犯人たちに位置がわかるように発信機を彼女に取り付けたのはヴィクターではないかという疑いをアリスは持っていたからだ。
「でも……あの男はあなたの誘拐に関わっていると疑われているわ」
「うーむ……そうは思えぬが。変ではあるが、悪い奴ではないと思うのだがな」
ヴィクターが自分の誘拐に関わっていたとはじめて聞くプリムだが、あまりパッとしていない様子で首を傾げていた。
自分を誘拐した犯人と関わりがあるかもしれないというのに、疑うことなくヴィクターを信用している様子のプリムを複雑な表情で一瞥したアリスはPCの操作に戻った。
……あの男が『悪い奴』じゃない?
違う……あの男には大きな罪がある。
無表情だがアリスの心の中はヴィクターに対しての怒りと恨みが渦巻いていた。
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