第7話

 教皇エレナ・フォルトゥスが誘拐されたことで、教皇庁最上階付近にある重要な会議が開かれる大会議室には、枢機卿たちを集めて緊急に会議を開いていた。


 教皇が誘拐されるという未曽有の大事件が発生しているが――大会議室内の空気は静かで落ち着いていた。しかし、隠しきれないほどの焦燥感が枢機卿たちから滲み出ていた。


 事件が発覚してすぐに枢機卿を集めた緊急会議が開かれたたが、直後の枢機卿たちは混乱し、室内に怒号が飛び交っていたが――そんな彼らを制したのは、緊急会議を開いた張本人である枢機卿アリシア・ルーベリアだった。


 普段教皇が座る議長席に座ったアリシアは、淡々と落ち着き払った様子で会議を進めた。


 はじめは悪い噂があるアリシアが会議を主導することに枢機卿たちは不満を抱いたが、冷静に話を進めて自分たちや制輝軍に的確な指示を出す彼女に、文句を言う者はいなくなった。


 そんなアリシアの様子を、母であるエレナが誘拐されたということを聞いて、会議に参加させてもらったリクトは感心したように、それでいて、複雑そうに見つめていた。


「ヴィクターとエレナの捜索は制輝軍に任せてるけど、現状で何も二人の行方がわかる手がかりは何一つ残されていないわ……正直、私たちの力でも限界はある」


 教皇エレナと容疑者であるヴィクターの行方を知る手がかりが何一つない現状を突きつけてくるアリシアの言葉に、会議室内の雰囲気が暗くなる。


 しかし、雰囲気の暗い室内でアリシアの表情だけは活気に満ちていた。


「――頼るのは癪だけど、鳳グループの力を借りるべきだと思うわ」


 表向きではアカデミーの運営に協力し合っているが、裏ではアカデミーの利権を奪い合っている鳳グループに協力を求めるべきだと思い切った発言をするアリシアに、暗い雰囲気が漂っていな室内が一気にざわついた。


「鳳グループに借りを作るというのか? 利用されるのが落ちだ」

「しかし、停滞している状況を好転させるには彼らの力が必要だ」

「第一、部屋が荒らされていただけで本当に教皇が誘拐されているのか?」

「行方不明であることには変わりはない。最悪の事態を想像するべきだ」

「だが、鳳グループに協力を求めるということは、こちらの恥部を曝け出すことになる。信用を失っている奴らがこの状況を利用するに違いない!」

「そうだとしても、手段を選んでいる場合ではない!」


 鳳グループに協力を求めるか否かで枢機卿たちの意見が割れている中、一人だけ余裕そうに妖艶な笑みを浮かべたアリシアは淡々と話を進める。


「私は鳳グループに頭を下げて素直にお願いするとは言っていないわ」


 小悪魔のように妖艶で、いたずらな表情を浮かべているアリシアの言葉に、お互いの意見をぶつけ合っていた枢機卿たちはアリシアに注目した。


「鳳麗華が率いている風紀委員を利用すればいいのよ。事件を解決するために鳳麗華はきっと鳳グループの力を借りるわ――つまり、間接的にだけど私たち教皇庁は鳳グループの力を借りることができる。鳳グループが貸し借りについてブツブツ言ってきたら、こう言い返せばいいのよ『我々は風紀委員を頼っただけ』ってね。強引で屁理屈だけど、問題はないわ」


 かなり強引だが、枢機卿たちは不承不承ながらもアリシアの案に従うことにした。


 静まり返り、自分の意見に従うつもりの枢機卿たちをアリシアは満足そうに見つめた。


 アリシアさん……やっぱり、すごい。

 あんな大胆な案を出して、最後はしっかりまとめ上げるなんて。

 さすがは母さんと最後まで次期教皇座を争っただけある。

 それなのに――……


 反目している鳳グループに協力を求めるという、大胆な案で枢機卿たちの意見を割らせた後、彼らをまとまらせたアリシアの力を見て、再びリクトは感心するとともに、複雑な想いを抱く。


「今日は制輝軍たちに任せて、我々は一旦休憩しましょう」


 大体の対策は決まったので、休憩を取るために一旦解散させようとするアリシアだが――「待ってください」と今まで黙っていたリクトは声を上げた。


 突然声を上げたリクトをアリシアは妖艶でありながらも隙のない目で探るように見つめた。


「どうしたの、リクト。何か質問でもあるのかしら?」


「ヴィクター先生を最初から疑い過ぎではないでしょうか」


 正直に思ったことを口にするリクトを忌々しさと威圧感が込められた目で睨むが、恐れることなく真っ直ぐな光を宿した目でリクトは見つめ返した。


「確かに、ヴィクター先生には教皇庁の監視システムを一時的に遮断させる技術を持っていますし、最近教皇庁に入り浸っていたので監視システムを十分に把握する時間もあります。でも、ヴィクター先生が母さ――エレナ様に会っていたのは卒業式の出し物を話し合うためでした」


「それじゃあ、引き連れていたガードロボットについてはどう説明するのかしら?」


「ヴィクター先生はガードロボットに装備されたショックガンに花火を詰めて、それを卒業式に打ち上げるつもりでした。その成果を見せるためにガードロボットを連れたんだと思います。そうでなければ、警備員に止められることなく教皇のいる部屋にガードロボット何て持ち込めるはずがありません」


「リクト、あなたはヴィクターを疑うべきではないということね?」


「重要な情報を握っている容疑者であることには変わりありませんが、アリシアさんははじめからヴィクター先生を犯人だと思い込み過ぎだと思います。思い込みは最大の失敗を招きます。先生を探すよりも、鳳グループとの連携を強めてエレナ様の行方を探すことに人員を割くべきではないでしょうか」


 母が誘拐されているかもしれないという状況に、焦る気持ちを抑えて冷静な意見を述べるリクトに、枢機卿はもちろん、アリシアも何度も頷いて納得していたが――


「一理あるわね――でも、ヴィクターはあのアルバートと旧知の仲で、制輝軍はヴィクターとアルバートにつながりがあると疑っているわ」


 アルバートの名前をアリシアは口に出すと、室内の空気が一気に張り詰め、リクトの心に不安が染み渡った。


 アルバート・ブライト――ヴィクターと同じくアカデミー都市内のセキュリティを構築した人間の一人であり、天才と称される人物だったが、過激な思想と非人道的な人体実験のせいでアカデミーから追われた人物だった。


 輝石と機械は決して相容れぬものだったが、アルバートはヴィクターとともに触れなくとも輝石を反応させることができる煌石・ティアストーンを扱える素質を持つ人間を動力として動き、武輝を扱えることができる、『輝械人形きかいにんぎょう』と呼ばれるガードロボットを開発・設計した。


 アカデミーから永久追放されるとともに、輝械人形の存在も闇に葬られたが――最近になって、輝械人形が現れた。


「アルバートは最近発生した事件に関わっていることは間違いないわ。今回の事件も関わっているかもしれない。もしも、アルバートが事件に関わっているのなら、輝械人形を動かすためにエレナを利用しているに違いないわ――ティアストーンの力を自由に扱えるエレナの力を利用されたら、何が起きるのか想像できないわ」


「アルバートさんとヴィクター先生につながりがあるという証拠はまだないでしょう」


「そうだとしても、ヴィクターは今回の件について何かを知っていることは間違いないわ。そうでなければ、こんな状況で行方不明に何てならないわ」


「でも――」


「ヴィクターを見つけることが、エレナが見つかることにつながるのは間違いないわ。確たる証拠がない切羽詰まっている状況でこれ以上の会話は無駄だわ。やめましょう」


 反論しようとするリクトを許さないアリシアは無理矢理話を切り上げ、会議室を軽快な足取りで出て行った。彼女に続いて枢機卿たちも会議室を出て行く。


 一人取り残されたリクトは、憂鬱そうにため息を漏らした。




――――――――――




 セントラルエリアにあるアリシアが暮らしている屋敷――月明りに照らされただけの薄暗い二階の寝室に、一人の少女が窓際にある椅子に座って夜空を眺めながら、憂鬱そうにため息を漏らした。


 高級感溢れる生地のドレスのようなパジャマを着ている、幼いながらも美しく整った顔立ちの、毛先が若干ウェーブしているセミロングヘアーの少女――プリメイラ・ルーベリアは普段の高圧的で強気の光を宿している目に、不安を宿して暗い表情を浮かべていた。


 暗い表情を浮かべている理由は、教皇エレナが誘拐されたという事件を考えていたからだ。


 教皇エレナを誘拐した容疑者はヴィクター・オズワルドであり、事件の指揮をプリムの母であるアリシア・ルーベリアが執っていた。


 事件を知ったプリムは教皇庁に務めている自分のボディガードに事件のことを尋ねると、ボディガードはプリムを安心させるために、アリシアが的確な指示をして、制輝軍も本気で捜索に当たっているので問題ないと言った――が、プリムの不安は晴れなかった。


 ヴィクターの娘であり、自分の友人であるアリス・オズワルドが、事件の容疑者が父であると聞いてどんな気持ちを抱いているのか心配だからだ。


 それ以上に不安なのは――母であるアリシアだった。


 証拠はないが、プリムは何となく今回の事件に母が関わっているのではないかと感じていた。


 アリスへの心配と、母への不審に、もう眠る時間だというのに眼が冴えてしまい、プリムはベッドに横になっても眠ることができないでいた。


 眠気に襲われるまで、プリムは夜空を眺めていると――夜の落ち着いた静けさに包まれた屋敷内の空気が僅かに変わったような気がした。


 何かを感じ取ったプリムは、部屋から出ようとすると、突然、寝室の扉が開いた。


 開いた扉から焦燥感に満ちた気配を纏わせた何者かが入ってくる。


 薄暗い室内で侵入者の顔は見えないが、何となくプリムは侵入者が誰なのかわかっていた。


「……アリスか?」


 恐れることなくプリムは侵入者に声をかけると、予想通りの侵入者――アリス・オズワルドの顔が月明りに照らされて露わになった。


 武輝である銃剣のついた身の丈を超える大型の銃を携えたアリスは相変わらずクールな表情だが、今の彼女からはハッキリとした焦燥感と疲労感が全身から滲み出ていた。


 そんな様子のアリスを一目見て、プリムは彼女が自分と同じ考えを持っていることを悟った。


「この屋敷にはボディガードがいるはずだぞ」


「悪いけど、全員眠ってもらった」


「……目的は、この私だな」


「話が早くて助かる」


 すべてを理解している様子のプリムに、アリスは自身の武輝である銃口を向けた。


「……プリム、悪いけど人質になってもらう」


 僅かな罪悪感を抱いている様子で、躊躇いがちに放たれたアリスの言葉だが、彼女の目にはいっさいの迷いはなく、固い覚悟を決めていた。


「やはり、お前は母様を疑っているのだな」


「確たる証拠はないけど、私はそう思ってる」


「私を人質にしたら、教皇庁は――いや、アカデミー都市内はさらに混乱するぞ」


「それが目的。あなたを人質にすれば、事件の指揮をするアリシアの気をそらすことができる」


 自分を人質にすれば母の気をそらすことができると思っているアリスに、プリムは自虐気味に乾いた笑いを上げた。


「私を人質にしても、母様は心配しないぞ。お前の立場が無駄に悪くなる」


「それでも、あなたを人質にすれば制輝軍たちは容易に私に手を出せない」


「その間にお前は真実を求めるというのか? 勝算はないぞ。血迷うな、アリス」


「勘違いしないで。私はそれなりに冷静」


「勝算はあるということか?」


「……やってみないとわからない」


「行き当たりばったりというわけか」


 先を考えていないで勢いで行動しているアリスにプリムは呆れるが、覚悟を決めている目を見れば、アリスが自棄になっていないということは一目瞭然だった。


 そんなアリスを見て、「よし、わかった!」と、気合を入れるかのように声を張り上げたプリムは、豪華な装飾のされた髪留めで髪をいつものツインテールに結び、これから人質にされるというのに力強い笑みを浮かべた。


「それならば好きにするといい! 私はお前の人質になってやろうではないか!」


 偉そうに人質になると自分から宣言するプリムに、一瞬ポカンとしてしまうアリスだったが、強張っていた表情を一瞬だけ柔らくさせて「そうさせてもらうわ」と頷いた。


 こうして、プリムはアリスの人質になってしまった――のではなく、自らなった。

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