第6話
アカデミーに通う生徒たちが暮らしている寮が立ち並ぶノースエリアには、アカデミーに駐屯している制輝軍たちが暮らしている寮もあった。
アリスの実家はセントラルエリアにあるが、他の制輝軍の隊員と同じくノースエリアにある小さなマンションの一室で一人暮らしをしていた。
制輝軍に入ってから、制輝軍の仲間たちとともに共同生活を送っていたアリスがアカデミーに戻ることになり、父親はもちろん、母親からも実家で暮らさないかと提案されたが、アリスはその提案拒んだ。その理由はもちろん、嫌っている父親と一緒にいたくはないからだ。
放課後、美咲や他の制輝軍たちの監視を受けながら、しばらくアカデミー都市内を当てもなく歩いていたアリスは、日が沈んだ頃に自分が暮らしている部屋に戻った。
部屋に戻ったアリスはリビングに向かって持っていた荷物を投げ捨て、廊下で服を脱ぎ捨て、浴室へ向かってシャワーを浴びた。
熱いシャワーを浴びながら、透き通るような白い四肢を丁寧に洗っているアリスは美咲を思い浮かべた。
結局、寮の部屋に到着するまでずっと美咲はアリスについてきた。
話かけても適当に流されるだけだというのに美咲は飽きもせずにアリスに話しかけ続け、途中見つけた屋台で頼んでもないのに食べ物を買ってきた。
その都度アリスは冷めた反応を返したが――今になって美咲に対して罪悪感が生まれていた。
……美咲に悪いことをしたかもしれない。
美咲は私を気遣ってくれていたのに、それを私は無下にした。
ウザかったのは変わらないけど――ごめん、美咲。
ウザかったが、それでも美咲は四六時中仲間である制輝軍に監視されてささくれ立っていた自分を気遣ってくれていたのだと今更察したアリスは、心の中で美咲に謝った。
シャワーを浴び終えたアリスは、身体を拭いて下着を履き、部屋着であるだぶだぶのタンクトップを着て、キッチンの冷蔵庫から今日の夕食である飲みかけのゼリー飲料と、ジャンクフードを取り出してリビングにあるベッドに向かった。
寝る場所であるベッドの周り以外、PC、ゲーム機、ガードロボットの部品、工具、書類、衣服などが無造作に置かれて散らかり放題のリビング内を軽い足取りで歩きながら、ベッドに到着したアリスはふかふかのベッドの上に勢いよく座った。
夕食を食べながらテレビを眺めていると――ふいに、アリスは先程投げ捨てた荷物の一つである、美咲から強引に手渡された雑誌『月刊背伸びガールズ三月号』が目に入った。
不承不承といった様子で雑誌を拾い上げ、ページを捲って流し読みをするアリス。
最初の数十ページは表紙を飾る、幼いながらも年齢不詳の外見の美少女が際どい服を着て、際どいポーズを決めている写真集だった。
写真集の次は、絶賛背伸び中の匿名希望の思春期ガールズがちょっとエッチな赤裸々に語り、背伸びの仕方を読者にレクチャーする講座だった。その特集を流し込みしながらも、アリスはしっかりと頭に入れていた。
次は、意味もなく生地が僅かなエッチな白衣の特集であり、ボンテージ白衣、水着白衣等が紹介され、セントラルエリアにある販売店も紹介されていた。実験するのに何でそんな服を着なければならないのかという純粋な疑問が浮かんだ。
その次はアカデミー都市内で精がつく料理を出す店の紹介であり、カップルが多いとの情報が満載だった。学生の身分での不純異性交遊は禁止されていると心の中で突っ込んだ。
最後の特集は、思春期ガールズがステップアップした時のファーストインプレッションを紹介する記事であり、あまりにも赤裸々過ぎでアリスは赤面した。
……少しだけだけど、面白かったかもしれない。
ちょっとえっちだけど。
雑誌を読み終え、アリスはちょっとエッチだったが、面白いと思ってしまった。
そして、同い年の同性の子がこの本を読んでいることを考えて、想像した――自分が制輝軍に入らず、もしも普通の女子生徒としてアカデミーに入学したらと。
だが、考えようとしたところで、バカバカしくなったのでやめた。
雑誌の中にいる女の子のように開放的になれないし、かわいげがないし、料理もできないし、趣味も女らしくないし、それ以上に――『ヴィクター・オズワルド』の娘である以上、自分が普通の女の子を過ごす資格なんてないからだ。
制輝軍の任務でアカデミー都市に戻った際、制輝軍ではなく普通の女の子になってほしいという母親の願いに従って、アリスはアカデミー都市にいる間だけ、アカデミー中等部に通っているが――母には悪いが、ヴィクターの娘の自分が普通に過ごせないとアリスは思っていた。
……私には普通になれる資格なんてない。
あの男のせいですべてが変わった。
だから……私にそんな資格はない。
雑誌の中にいる自分と同い年である『普通の女の子』に僅かな憧れを抱きながらも、アリスは心の中でそう自分に言い聞かせて、自虐気味な微笑を浮かべた。
そして、今度は流し読みではなくしっかりと読もうと思い、雑誌を開こうとすると――インターフォンが鳴り響いた。
めったに人が来ないのに、インターフォンが鳴り響いたのを怪訝に思いながら、アリスは億劫そうに起き上がり、風呂場にあったスパッツを履いて玄関を開けると――
「こんばんは、アリスさん」
玄関の扉を開けると、約一か月ぶりに顔を合わせたノエルがいた。
普段と変わらず感情が読めないほど無表情で、何を考えているのかまったく読めないノエルだが――彼女の全身から有無を言わさぬ威圧感が放たれていた。
そんなノエルの背後には顔見知りである大勢の制輝軍たちがいた。彼らの表情は険しいが、僅かな罪悪感も込められており、アリスをジッと見つめていた。
「何が起きてるの?」
異変を感じたアリスは、挨拶を抜きにして単刀直入にノエルにここに来た理由を尋ねる。
「数時間ほど前から教皇エレナの姿が消えたので、教皇庁の人間がエレナ様を探していましたが、一時間ほど前に教皇庁本部内にある教皇の執務室に激しく争った形跡があるのが発見され、教皇の服の切れ端と、エレナ様のものである血痕も発見されました。残されたものから、教皇庁は教皇エレナ・フォルトゥスが誘拐されたと判断しました。容疑者として浮上しているのは――ヴィクター・オズワルドです」
「……そう」
教皇エレナが誘拐され、その容疑者が父であるヴィクターであるという事務的な説明をノエルから聞いて、一瞬の間を置いてその事実をアリスは受け止めた。
本当は声を出して驚きたかったアリスだが、今は状況を把握することが先決であると言い聞かせ、感情を無理矢理押し殺した。
「彼の娘であるあなたから詳しい話を聞くためにここに来ました」
「私じゃなくて、あの男から話を聞けばいい」
「話を聞こうにも彼は現在行方不明です。なので、彼に近しい存在であるあなたや、あなたのお母様に話を聞くことにしました」
「お母さんを捕えたの?」
「ええ。彼女もヴィクター・オズワルドとつながりが深い人物なので、制輝軍本部で取調べを受けています。もちろん、丁重に扱っているのでご安心を」
母が巻き込まれたことに、押し殺していた焦燥感がわき上がってくるアリス。
「……あの男を疑うに足る証拠はあるの?」
「監視カメラの映像で、教皇エレナと最後に会ったのはヴィクター・オズワルドでした。教皇エレナが誘拐されたと思われる時刻に、彼が教皇の執務室に入る姿が映し出されていました。そして、その後、都合良く教皇庁全体の監視カメラに不具合が発生し、すべての映像が残されていませんでした。最近彼は教皇庁に入り浸って、教皇と一緒にいることが多かったので、教皇の行動パターンや、執務室周辺の監視カメラの位置を把握することができます。それ以上に、彼は前回の事件で関与が疑われています。話を聞こうにも彼は行方不明で、教皇庁は彼が何かを知っていると判断して、我々制輝軍に全力を挙げての捜索を命じました」
ノエルの事務的で淡々とした説明を聞いて、納得するアリス。
確かに、ヴィクターならば遠隔操作で監視カメラをジャミングさせる技術力を持っている。それに、理由は不明だが最近教皇庁に入り浸っているなら、教皇庁内の監視カメラの位置を把握することも、教皇庁本部内のセキュリティを把握するのも簡単だ。極めつけは、前回の事件の関与をヴィクターは疑われているし、話を聞こうにも行方不明――疑うに足る理由は十分にある。
しかし――父を庇うつもりはないが、アリスには疑問があった。
「確かに疑うに足る十分な理由はある……でも、本気であの男を疑ってるの?」
「教皇庁がそう判断したので。私はそれに従うだけです」
「教皇庁の判断じゃなくて、ノエルはどう思うの?」
懇願するような目を向け、アリスは無表情で感情を表に出さないノエル個人の意見を求める。
「疑うに足る証拠は揃っています」
「でも、あの男を疑うのは理解できるけど、状況証拠だけ」
「それでも、私は与えられた任務を遂行するだけです」
仲間を捕えろとの命令に躊躇いのなく従う様子のノエルに、彼女が与えられた任務に忠実であることを改めてアリスは再認識して、説得するのを諦めた。
「その任務を与えたのは教皇庁の誰なの?」
「枢機卿アリシア・ルーベリアです。教皇エレナには及びませんが、彼女にはカリスマ性と判断力があります。事件解決のために枢機卿や我々制輝軍に指示を出しています」
――何か妙だ。
アリシア・ルーベリアが事件の指揮を執っていることに、アリスは漠然としないながらも確かな疑念を抱く。
二か月前に発生した、リクトを狙った事件の犯人がアリシアに雇われたと取調べて述べ、一か月前に起きた事件ではアリシアに裏切られたと声高々に宣言した枢機卿セイウス・オルレリアルが暴走してプリムを誘拐した。
すべての事件に、何らかの形でアリシアが関わっていた。
そして、今回の事件も、アリシアは事件の指揮を執って大きく関わっている。
証拠はないが、状況証拠が揃っているヴィクターよりも、アリスはアリシアを疑っていた。
「詳しい話は制輝軍本部でしましょう。さあ、アリスさん。大人しく来てください」
そう言って自分に向けて手を差し伸べるノエルに、アリスは逡巡する。
現段階で揃っている証拠がヴィクターが疑わしき存在であることを示しているが、仮に彼が犯人ならば、証拠を残さないでもっと上手くエレナを誘拐できるとアリスは思っているからだ。
アリスはヴィクターではなくアリシアを疑うべきだとノエルに進言しようとしたが証拠はなく、教皇庁の命令に忠実に従う彼女に何を言っても無駄だと判断した。
はじめからヴィクターを疑う制輝軍に素直に従えば、取り返しがつかなくなる思い、差し伸べられたノエルの手を掴むのにアリスは躊躇った。
制輝軍に頼るよりも、衝動のままに行動するべきだと心が訴えていた。
だが――勢いに身を任せれば、元には戻れないと自制する理性もアリスの中で存在していた。
「どうしたんですか、アリスさん。さあ、行きましょう」
無言のまま、自分の手を取らないアリスを無表情だが怪訝そうに見つめるノエル。
相反する二つの気持ちに迷うアリスだが――感情のない、何を考えているのかわからないノエルの声が耳に届いた瞬間、迷いはなくなった。
「……ごめん、ノエル、みんな」
ノエルと、彼女に付き従う仲間たちに一言謝罪を述べたアリスの表情は、決して揺るがぬ固い意志が込められていた。
そして――アリスは、理性よりも突き動かされる心を選んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます