第一章 焦る気持ち

第1話

 多くの輝石きせき使いがいるアカデミー都市の中央に、塔のようにそびえ立っている近未来的でありながらも神々しさも感じるデザインの教皇庁本部の建物内には、古めかしい小さな聖堂があった。


 この場所は、不思議な力を持つ石・輝石、輝石以上の神秘な力を持つ煌石こうせきを神聖視している教皇庁の人間がそれらに向けて祈りを捧げる場所であり、教皇庁以外の人間にも自由に訪れることができる場所だが――教皇庁以外の人間はもちろん、今は教皇庁の人間もめったに来ない。


 教皇庁以外の人間には聖堂なんて堅苦しい、宗教くさい場所は来たくはないだろうし、今の教皇庁は輝石や煌石は金儲けのための道具なので、聖堂なんてどうでもよかった。


 教皇庁の上層部である枢機卿の間で、何度かこの聖堂を取り潰そうとする話が上がったが、教皇庁トップである教皇と、いまだに輝石と煌石を神聖視している枢機卿たちが却下した。


 輝石や煌石を神聖視する昔と違い、今の教皇庁は目先の利益を優先させているが、まだ古臭い考えを持つ人間がいるとその時はじめて知った。


 そんなことを思い出しながら、荘厳で落ち着いた雰囲気が漂う聖堂に似つかわしくない、胸元が大胆なほど大きく開き、扇情的なほどスカートのスリットが腰元まで伸びた過激な服を身に纏った、ロングヘアーの妖艶な美女――アリシア・ルーベリアは聖堂に入った。


 普段人がいない聖堂に、スーツを着た一人の女性が祈るような体勢で長椅子に座っていた。


 椅子に座る女性は、栗毛のロングヘアーを三つ編みにした、年齢不詳の神秘的な外見で、全身から神々しい威圧感を放つ、教皇庁トップである教皇――エレナ・フォルトゥスだった。


 聖堂に入った自分に気づいていないエレナを見て、アリシアは心の中でほくそ笑む。


 輝石使いたちを教育・訓練するアカデミーを運営する巨大な組織である教皇庁を、絶大なカリスマ性で束ねているエレナだが、聖堂内に一人でいる彼女の姿は、普段凛として厳しい態度で多くの人間に命令を下す立場とは違い、力を抜いている様子だった。 


 リラックスして一人になりたい時に、エレナは自分の警護を下がらせて、めったに人が来ないこの場所に一人でいることは、昔から彼女の知り合いであるアリシアは知っていた。


 神聖な静寂に包まれた聖堂内の雰囲気を壊すかのような大きな足音を立ててアリシアは通路を挟んだエレナの隣の長椅子に深々と腰掛けて、大きくスリットが開いた足を組んだ。


「相変わらずここでサボってるのね」


 教皇であるエレナを敬う気などいっさいないアリシアの声に、ようやく彼女の存在に気づいたエレナは俯いていた顔をゆっくりと上げた。


「サボっているのではありません。休憩です」


「汗水垂らして教皇庁の人間が働いているのに、教皇の立場のアンタが休憩できる身分なの?」


「休憩できなければ労働基準法違反です」


「教皇庁って組合あるの?」


「……あるの?」


「教皇のアンタが何で知らないのよ」


 久しぶりに一対一で話してエレナの性格を思い出したアリシアは力を抜いた微笑を浮かべた。


 普段は教皇として私情を排して辣腕を振うエレナだが、教皇の時以外はボーっとしていた。


「突然何の用ですか? 今の時間この場所は立ち入り禁止にしたはずなのに」


「アンタ、そんなことで職権乱用してるの?」


「頼んだだけで、職権乱用はしていません――私の質問に答えてください」


 エレナ・フォルトゥスから一気に教皇に変身して、探るような目をアリシアに向けるエレナ。


「……そろそろ新年度が近づいて、枢機卿たちは躍起になってるわよ」


 アリシアの言葉を「そうですか」の冷めた一言で、エレナは突き放すように受け流した。


 昔は性格や人間性で判断に判断を重ねて選んでいたが、ここ数十年、先代教皇の指示で教皇庁は利益を得るため多くの大企業とつながっている人間を枢機卿に選んでいた。


 その結果、枢機卿という権力を好き勝手に振う枢機卿たちが多くなった。


 しかし、一月前のとある事件で、エレナは先代教皇が掲げた利益優先主義の枢機卿選出方法を否定し、新年度で枢機卿を一新すると宣言した。その宣言に、今まで自分の権力を好き勝手に振っていた枢機卿たちは自分たちの立場が脅かされて戦々恐々としていた。


 立場を脅かされているのはアリシアも同じだった。


 しかし、他の枢機卿と違って権力を失うことに恐れてはいなかったが――焦っていた。


「まあ、今まで好き勝手にしてきたんだから自業自得ね。それに、消極的で臆病だったアンタにしては珍しく思い切った、良い判断をしたと思うわ」


「泣き言を漏らすかと思っていました」


 憎まれ口を叩きながらもアリシアが意外にも自分の判断を支持したことに、エレナはほんの僅かに嬉しそうな表情を浮かべる。親に褒められた子供のような表情を一瞬だけ浮かべたエレナから、すぐにアリシアは目を離した。


「……でも、もう遅いのよ。何もかも、もう遅いの」


「アリシア、あなたはまだ――……」


 俯きがちの表情で、何かを必死に押し殺した声で呟いたアリシアの言葉に、むなしそうな表情を浮かべたエレナが声をかけようとするが――突然、息を詰まらせ、全身から力が抜ける。


 そして、エレナは長椅子の上に崩れ落ちるようにして倒れた。


 浅い呼吸を繰り返し、思うように声が出せず、助けを求めるような目で自分を見つめるエレナを一瞥して、すぐにアリシアは目をそらした。


「まさかこれほどまでに上手く行くとは思わなかったよ」


「ヘルメス……わざわざあなたがここに来るなんて、大丈夫なの?」


 アリシアは音もなく聖堂内に現れた自身の協力者であるヘルメスに不機嫌な視線を向けた。


 口元を歪ませて余裕そうに笑っているヘルメスは、くすんだ白髪の髪を無造作に伸ばして、スーツを着てフォーマルで紳士的な雰囲気を醸し出していたが、顔半分に仮面をつけているせいで異様さが際立っていた。


「既に細工はしてある。何も問題はない」


「そうだとしても、あなたにしてはかなり大胆で不用心ね」


「君が心配でここまで来たんだ。人一人運ぶのに、男手は必要だろう?」


 意味深な笑みを浮かべてそう答えると同時に、意識が飛びそうになるのを必死に堪え、もうほとんど目が見えていないのにこちらに視線を向けるエレナにヘルメスは気づいた。


 仮面の奥にあるヘルメスの瞳は、いまだに抵抗の意思を見せるエレナを嘲笑っていた。


「安心してそのまま楽にするんだ、教皇エレナ。アリシアが隙をついて君に身体を麻痺させる無味無臭の薬品を振りかけただけだ――輝石使い用のため、少々効き目が強いが」


 煽るような笑みを浮かべたヘルメスのその言葉を最後に、エレナの意識は失った。


 意識を失って長椅子から倒れ落ちたエレナを見下ろし、仮面で覆われていない口元を歪ませて笑みを浮かべるヘルメスと、冷めながらもどこか複雑そうな面持ちのアリシア。


「さあ、時間がない。さっさとはじめよう」


 落ちない汚れのように耳に妙にこびりつくヘルメスの言葉に、力強く頷くアリシア。


 ――もう、戻れない。

 後は、やり遂げるだけ……


 決して戻れないところまで来たことを悟りながらも、アリシアには迷いはなかった。


 そんなアリシアを一瞥して、ヘルメスは口歪めて満足そうな笑みを浮かべていた。

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