エピローグ
授業があるということで、まだ早朝だというのに退院させられた幸太郎は大きく眠そうに欠伸をしながらセントラルエリアの大病院を出た。
もう少し寝させてもらってもよかったのになぁ……
何なら、今日一日くらい行かなくても――
あ、でも学期末テストがあるからな、ちゃんと授業に出なくちゃ。
気持ちよく眠っていたところで起こされたことに不満を抱き、まだ怪我が痛むということで今日一日くらい休もうかという邪心が芽生えたが、迫るテストを考えて甘い考えを捨てた。
朝食が出る前に退院させられたので、コンビニに寄って朝食を買って帰ろうかと思っていると――
「元気そうだな」
「おはようございます、ティアさん」
早朝でまだ寒いというのに、普段訓練の際に来ているぴっちりとした運動着で着替えているティアが病院を出たばかりの幸太郎に声をかけた。
「朝早くからどうしたんですか?」
「お前が早朝に退院すると聞いて、訓練するついでにお前を待っていた」
「わー、わざわざ出迎えてくれてありがとうございます」
朝早くから迎えに来てくれて嬉しいけど――
……もしかして、これから訓練?
訓練のついでに、早朝に出迎えてくれたティアに心から嬉しく思って明るい表情を浮かべる幸太郎。
退院早々ティアの見事なスタイルが強調された運動着が見れたことで喜びを感じて一気に目が覚める幸太郎だが、嫌な予感が頭を過った。
「あの……も、もしかしてこれから訓練をするんですか?」
「そうしたいのは山々だが、退院したばかりのお前にそこまでするほど鬼じゃない」
「そうなんですか?」
「お前は私を何だと思っている」
「鬼」
「そう言うなら、鬼の所業を見せてやろう」
「冗談です」
和気藹々と会話をしていると、ふいにティアは幸太郎の頬に触れた。
幸太郎の顔はまだティアにボコボコにされた跡が痛々しく残ると同時に、痛みも残っており、触れられて思わず身体を強張らせるが――自分の頬に触れるティアの手の感触は優しくて温かったのですぐに身を委ねた。
「痛むか?」
「まだご飯を食べるとき、口の中がちょっとだけ染みます」
「……悪かったな」
「大丈夫です、気にしてませんから」
「お前ならそう言うと思った」
「ありがとうございます?」
謝ったらすぐに予想通りの答えが返ってきて、ティアは呆れながらも安堵したように小さくため息を漏らした。
「本気で殴ったらもっと痛かったぞ」
「さすがに参りました。降参です」
ティアに殴られた時の衝撃を思い出し、あれで本気で殴っていなかったのかと思うと、幸太郎はもう素直に敗北を認めてティアに白旗を上げるしかなかった。
「冗談だ。だが、それなりに本気では殴ったぞ」
「それなりに、ですよね」
無表情で冗談を言っても、それなりにという言葉で、まだまだ本気があることを察した幸太郎は苦笑を浮かべることしかできなかった。
「……お前の勝ちだ」
「そうなんですか?」
「最終的にお前に味方をした時点で――いや、自分の心に従って決して諦めようとしないお前相手に力で無理矢理解決しようとした時点で私は負けていた」
急に敗北を認めたティアを、幸太郎は不思議そうに見つめた。
「強くなったな、幸太郎」
「そう言われると何だか照れますけど、ティアさんの訓練のおかげです」
優しく微笑んで強くなったと認めてくれたティアに、幸太郎は照れ笑いを浮かべた。
嬉しそうに照れ笑いを浮かべる幸太郎を無表情で数秒間ジッと見つめたティアは、ハッとしたように目をそらして、「それよりも――」と話を続ける。
「今回の件、本当にすまなかった」
「だから気にしないでください。僕、気にしてませんし後悔してませんから――あ、でも、事件の後みんな忙しくなったから、バレンタインデーに関しては心残りです」
改めて、頭を下げて謝るティア。
気にしていないと言っても、頭を上げないティアに幸太郎はどう対応していいのかわからず、困惑しきっていた。
過ぎ去ったバレンタインデーのこと以外、ぶつかり合ったことを幸太郎がまったく気にしていないことはティアは理解しており、自分の行動もいっさい後悔していないが――それでも、守るべき相手と激しくぶつかり合ってしまったことは申し訳ないと思っていた。
まるで粗相をした子供が親に謝るように、頭を下げるティアからは、いつものような凛としてクールな雰囲気はいっさい感じられず、弱々しかった。
普段よりも小さく見えるティアをじっと見つめた幸太郎は、ふいに朝日を吸収して煌めく美しいティアの銀髪に向けて手を伸ばした。
滑らかなティアの銀髪の上に何気なく幸太郎は手を置いて、そのままそっと撫でた。
きれいなティアの銀髪に目を奪われた幸太郎は、無意識についティアの頭に触れてしまったが――ティアは文句を一つ言うことなく、彼の手の動きにすべてを委ねた。
子供のように撫でられても、ティアは不快に感じて振り払うことなく――むしろ、心地良さを感じており、気持ち良さで声を上げそうになるのを必死に堪えた。
「――あ、ごめんなさい。つい、ティアさんの髪に触っちゃいました」
「……気にするな」
自分の無意識の行動に気づいて、すぐに幸太郎はティアの頭から手を放した。
自分の頭から離れた幸太郎の手を平静を装いながらも熱く、潤んだ目で名残惜しそうにティアは見つめていた。
「ティアさんの髪の触り心地、気持ちよかったです」
「……そうか」
「後、残り香もいいにおいです」
「嗅ぐな、バカモノ」
自分の髪を触っての感想を素直に述べ、掌に付着した髪の残り香を嗅いで恍惚とした気色の悪い表情を浮かべる幸太郎を、ティアは一歩引いた目で、それでいて気恥ずかしそうに睨んだ。
「まったく……気を遣いすぎた自分がバカに思えてきた」
普段と変わらず能天気な幸太郎の姿を見ていたら、気にし過ぎていた自分がバカバカしく思えてきたティアは、深々と嘆息する。
「さっさと帰るぞ。帰ったらセラの朝食が待っている」
「コンビニのお弁当で済ませようと思ってたんですけど、セラさんの朝ご飯楽しみです」
「期待して良いだろう。今回の件に関しての謝罪の意を込めて腕によりをかけて朝食を作るそうだ」
「それはすごい楽しみです」
「その前に軽い訓練だ。このまま走って帰るぞ」
「訓練はしないって言ったじゃないですか」
「いつも通りの訓練はしないと言っただけだ」
「勘弁してください」
「問答無用だ」
腕によりをかけたセラの朝食を食べることができることに嬉々とした笑みを浮かべる幸太郎だが、軽い訓練をすると言ったティアに絶望する。
問答無用にティアは幸太郎の手を引いて走りはじめる。
幸太郎の手を引くティアの顔はいつものようにクールな無表情ではなく、穏やかで柔らかい少女のような顔をしていた。
数十分後、朝食にしては豪勢なメニューがテーブルに並ぶセラが暮らす部屋に到着した幸太郎は、食事が喉に通らないほど疲れ果ててしまっていた。
そして、ティアはセラに怒られた。
―――――続く―――――
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