第39話

 鳳グループ本社内にある、アカデミー都市の景色を一望できる大きな窓がある豪勢で広々とした室内だが、必要最低限なものしか置かれていない質素で寂しい社長室で、緩んだ雰囲気を身に纏って、ウキウキしてそわそわした様子の麗華が、挟んで椅子に腰掛けている鳳グループトップである自分の父と机を挟んで対面していた。


 感情を宿していない無表情で、快活で勝気な雰囲気を身に纏う娘とは真逆に、冷たく落ち着いた雰囲気を身に纏い、長めの髪を後ろになでつけ、スーツを着た年齢不詳の外見である麗華の父――鳳大悟おおとり だいごは、麗華の隣にいる青年の報告を聞いていた。


「事件から二日経過して、目覚めたプリムからようやく詳しい話を聞くことができた。プリムはアルバートに煽られてアカデミーに来たらしい。これで、アルバートが関わっているということが確実になったな」


 だらしなくスーツを着崩した目つきの鋭い青年――若々しい外見だが、大悟と同い年である、御柴巴の父であり、大悟の秘書を務めている御柴克也みしば かつやは報告を終えた。


「アルバート・ブライト……ヴィクターさんと並び称される天才だと噂には聞いたことがありましたが、彼が関わっているとは思いもしませんでしたわ」


 緩みきった雰囲気を身に纏いながらも、麗華は克也の報告はしっかり聞いていた。


「輝械人形の存在のせいでまた煌石を扱える人間の価値が上がったな。煌石を扱える人間が一人いれば、輝械人形で簡単に軍隊が作れるぞ」


「……そうだな」


 輝械人形という新たな脅威を忌々しく思っている克也だが、大悟は関心がなさそうに素っ気ない相槌を返した。


「しかし、悪いことばかりではありませんわ。昨日のエレナ様の英断が、きっと教皇庁に素晴らしい変化をもたらすに違いありませんわ! 緊急に記者会見を開いて思い切った決断をするエレナ様のお姿――憧れてしまいますわ」


 熱っぽい表情を浮かべて、昨夜の勇ましいエレナの姿を思い浮かべる麗華。


 昨夜、エレナは緊急に記者会見を開いた。


 セイウスが起こした騒動についての謝罪をすると同時に、セイウスへの処分――枢機卿の資格を剥奪、特区送りの後にアカデミーから永久追放することを発表した。


 今まで問題を起こしても、教皇庁にとって利益になるために守ってきた枢機卿に下した厳しい処分に会見場はざわついたが、次に言ったエレナの言葉がさらに周囲をざわつかせた。


 先代教皇が掲げた利益優先の枢機卿選出方法を否定するとともに撤廃し、アカデミーの新年度がはじまる前に枢機卿を一新すると発表した。


 その発表が会見場を大いにざわつかせるとともに、世間も大いにざわつかせた。


 その発表を聞いた麗華は、教皇庁は変われると確信していた。


「確かに、腐った枢機卿がいなくなったおかげで、教皇庁との連携が取りやすくなるな」


 これから増え続ける輝石使いに対応するため、アカデミーの未来のために、鳳グループは教皇庁に歩み寄って連携を強めることを目指しているので、克也も麗華と同様エレナの決断を支持していたが――大悟の表情は依然として暗かった。


「急な改革は大勢の混乱と不安を招くのは必至――上層部を一新させた我々の惨状を見れば容易に理解できると思うのだがな」


 自分と同じく教皇庁に歩み寄って連携を強めるべきだと考えているのにもかかわらず、教皇庁を変化させているエレナに対して不満を抱いている様子の大悟を、意外そうに見つめる克也。


「克也さんの言う通りですわ、お父様。この機に一気に教皇庁に接近して、連携を強めるべきではありませんの? エレナ様に倣ってお父様も決断する時ですわ! 自分の利益を考えることよりも未来のことを考えている鳳グループなら、今の教皇庁と良い関係になれること間違いないですわ!」


「お前たちの言うことはもっともだが……もう少し様子を見たい。判断は保留にする」


「随分と慎重だな――いや、腰抜けというべきか?」


「ちょっと、克也さん! 言い過ぎですわよ! これ以上のお父様への愚弄は許しませんわ!」


 息巻いた様子で発破をかける麗華だが依然として大悟の表情は暗く、判断を保留にする。


 絶好の機会に尻込みした鳳グループトップに冷めた目を向ける克也。


「今の教皇庁は信用に値しない」


「その根拠は? 俺だけじゃなく、上層部の若い衆を納得させるための説明を言え」


「エレナの判断が急すぎる」


「それだけで絶好の機会を逃すってのか? いつからそんな腑抜けになった」


「何とでも言え。ただ、今は教皇庁の動向を見守るべきだ」


 決して揺るがぬ意思を見せてくる大悟に、克也は諦めたようにため息を漏らして「……わかったよ」と不承不承ながら大悟の指示に従うことにした。


「――ただ、いつでも教皇庁との連携ができるように、準備はしておく」


「それなら取り敢えずは、お前の言う通りにしよう。すぐに上層部を集めて会議の準備をする」


 教皇庁との連携が重要であることを忘れたわけではない大悟に安堵の微笑を浮かべる克也。


 大悟と克也の会話が終わり、張り詰めていた室内の空気がだいぶ和らいだタイミングを見計らって、「そうですわ!」と弾けるような笑みを浮かべるとともに声を上げる麗華。


「私、お父様たちに迷惑をかけてしまったことを謝罪したいのですわ!」


「好きにしろと言っただろう。それに、教皇庁に恩を作れたんだ。気にするな」


「そういうことだ。それに、俺はもちろん、巴も気にしていない」


「それでも、私は満足しませんわ! ――ということで、これをどうぞ!」


 今回の騒動を引っ掻き回してしまったことを謝罪する麗華だが、思惑通り教皇庁に恩を売れたので二人はまったく気にしていなかった。


 二人が気にしていないと言っても満足できない麗華は、懐から小さくもゴージャスな装丁がされた二つの小包を取り出したが――溢れ出んばかりの邪気のようなものに包まれているのが、大悟と克也に目に映った。


「今日はバレンタインデーですわ! 今日のために、徹夜で私はお父様のためにチョコを作ったのですわ! もちろん、克也さんの分もありますわよ!」


 手作りチョコが入っているとは思えないほどの邪気を纏う小包を弾けるような明るい笑みを浮かべた麗華から渡される大悟と克也。


 邪気のない麗華の笑みを見ていたら、無下に断ることもできずに二人は受け取ってしまった。


 渡された小包を、爆発物を扱うかのように慎重に二人は開けると――邪気を放っている正体である小さなチョコが露わになる。


 邪気を放っている以外、見た目とにおいは普通のチョコだが――普通過ぎるが故に、何ともいえない嫌な予感が二人に襲いかかった。


「……おい、麗華。これ、味見したのか?」


「もちろん大和がしましたわ!」


「その大和は今どうしてんだ?」


「だらしないことですが、私のチョコを味見した後、徹夜でチョコを作ったせいで寝込んでしまいましたわ」


 元気よく克也の質問に答えて、寝込んでしまった大和に対して、麗華は深々と呆れたようにため息を漏らした。


 疲れたのではなく、目の前にあるチョコらしき物質を食べたのが原因で寝込んでいるのではないかと思っている克也だが、麗華の子供のように無邪気で期待に満ちた笑みを見ていたらそれが言えなかった。


「さあ、お二人ともさっそく食べてくださいませ!」


「俺はこれから色々と準備があるから、後でゆっくり食べる。うん、そうしよう」


「そ。そうですか……それなら仕方がありませんわね……」


「まあ、後で感想はちゃんと言うから」


「期待していますわよ! はじめて誰かのためにチョコを作ったのですから、今後のために感想が欲しいのですわ!」


 取り繕った言い訳を並べて絶体絶命の危機を回避した克也。


 しかし、娘の期待に満ちた目を一身に受けている大悟にはいっさいの逃げ場はなかった。


「いただこう」


 娘のために、震えそうになる手を堪えて、チョコらしき物体を口に入れる大悟。


 もちろん、嚥下するのではなく、よく噛んで娘の作ったチョコを味わう大悟。


 まずはじめに大悟の口の中にはチョコの極端な甘さと苦みが襲いかかってきた。


 その次に、酸味が襲いかかり、最後には燃えるような辛さが襲いかかった。


 思わずクールフェイスを崩してしまいそうになる大悟だが、それをグッと堪えた。


「……この後の予定は全部キャンセルだな」


 娘のために身体を張る勇ましい父の姿を眺めながら、克也はため息を深々と漏らした。


 数時間後、鳳グループトップの鳳大悟が食あたりで病院に運ばれるというニュースが報じられた。




 ――――――――――――――




「先程まで行われたプリム様の取調べで、アルバート・ブライトが関わっていることが発覚しました」


 制輝軍本部にあるノエルの自室兼仕事部屋に、集められたアリス、クロノ、美咲に、ノエルは事務的に淡々と報告した。


 相変わらず何を考えているのかわからないほど無表情のノエルだが、冷たく、肌を刺すようなピリピリした空気を放っているため、不機嫌であることはアリスたちにも容易に理解できた。


「アルバート・ブライト……アカデミーに施されたセキュリティを構築した人の一人ね」


「そして、あのヴィクター・オズワルドと並び称されるほどの天才です。輝械人形はアルバートさんとヴィクターさんが構想していたものだったようです」


 アルバートの名前を聞いて反応するアリスに、ノエルは淡々と付け加えた。


 嫌悪する父の名前が出てきて不快感を露わにするアリスをノエルは分析的な冷たい目で一瞥して話を続ける。


「前回の事件で我々を襲った輝石使いの正体が輝械人形であることは明白です。そして、謎の人物・ヘルメスさんとアルバートさんにつながりがあると判断します。もちろん、他に協力者がいる可能性も高い――もっとも、彼らにつながるかもしれない証拠がすべて壊れてしまっているので、確証はありませんが」


 二つの事件につながりがあるのは間違いないが、確証が得られないことに、無表情だがノエルは目を伏せて落胆しているようにアリスと美咲には見えた。


 前回と違って爆発することなく機能停止した輝械人形が数体あっ、これから輝械人形の詳しい調査が開始されるのだが――すべての輝械人形が原形をとどめていないほどボロボロに破壊されており、セイウスの屋敷にあった輝械人形を動かすための装置もリクトの攻撃によって屋敷ごと破壊されてしまったため、輝械人形についての詳しいシステムや構造、屋敷内に残ってたのかもしれない重要な証拠はすべて消えてしまった。


 淡々と説明しながらノエルはアリスを一瞥して、彼女の様子を窺っていた。


「それと、プリム様の身体検査を行った際、彼女の指輪に手製で高性能の壊れた小型の発信機がつけられていました。ごく最近つけられてものであるため、おそらく、アルバートがリクト様たちと行動する彼女の動向を監視するために仕掛けられたものでしょう――以上が報告となります」


 報告を終えると同時に、ノエルはアリスを一瞥して様子を窺う。


 手製で高性能の発信機がプリムの身体につけられたことに、暗い表情を浮かべているアリスは身に覚えがある様子だった。


「どうしました? アリスさん。何か気になることでも?」


「……別に、何でもないわ。報告が終わったなら、もう帰ってもいいよね」


 何かを口に出そうとするアリスだが、ノエルの姿を見てそれを出すのを躊躇い、何も言わずに足早にアリスは部屋から出ようとする。そんなアリスを、「ちょっと待ってください」とノエルは呼び止めた。


「幸いにも教皇庁が混乱しているおかげで制輝軍への処分は保留となりましたが――本来、アリスさんやクロノの勝手な行動は許されるものではありません。あなたたちは待機という任務を放棄して、勝手な行動に走った。命令違反の一つで任務に不和を生み、支障をきたします。そして、相手に付け入る隙を与えることになってしまうことを理解してください」


「ノエルには悪いけど、私は命令違反をしたことに関して後悔してない。ノエルの言う通りに教皇庁の判断を待っていたら、きっと取り返しのつかないことになっていたかもしれないし、制輝軍は何もしなかったとして教皇庁に責任を擦り付けられたかもしれないと思ってる」


「……確かに一理あります」


 淡々としながらも有無を言わさぬ静かな威圧感を放つノエルの警告に、アリスは真っ向から立ち向かった。もっともなアリスの反論にノエルは何も反論できなかった。


「間違ってると思った判断に従えるほど私はバカじゃないし、機械じゃない。機械じゃなくて、心があるから私はそれに従って行動しただけよ。だから、私は今回の件に関して後悔も、謝るつもりもない」


「そんなものに流されて、今尚私情を挟んでいるアリスさんは信用できませんね」


 自分の心に従ったまま行動したアリスを、ノエルは小さく鼻で笑って疑心に満ちた目をアリスに向けた。


 隠すことなく疑いの目を自分に向けながらも思わせぶりな態度を取るノエルに、不快感を露わにするとともに、ノエルが言った今尚自分が私情を挟んでいるという言葉に反応するアリス。


「……それ、どういうこと」


「アリスさんなら言わずとも理解していると思いますが?」


「それならハッキリ言って。アルバートの協力者の候補にヴィクター・オズワルドがいるってことを。プリムと会った時、確かにあの男には発信機を取り付けることができた」


 珍しくまともに父であるヴィクターがプリムに跪いて、彼女の指輪に口づけをして挨拶をしたことを思い浮かべながら、アリスは苛立ちを募らせた目をノエルに向けた。


「わかりました――アルバートの協力者候補であるヴィクター・オズワルド、及び、その血縁者は信用しないことにして、今日から監視対象になります」


「それなら、私はどうなるの?」


「信用できないので、あなたにはしばらくの間すべての任務から外れてもらいます」


 口を開く度に溝が深まるアリスとノエルに、「はいはい、それまでだよ~」と美咲の気が抜けた声が割って入るが、アリスとノエルはお互い無言で睨み合った状態のまま膠着していた。


「色々あったけど、取り敢えず無事に事件は解決したんだから、喧嘩はやめようよ。ね? 今日はパーッとどこかで美味しいものでも食べようよ! 特別におねーさんの奢りだぞ❤」


 能天気な美咲の提案を無視して、アリスは乱雑に扉を開いて無言で部屋から出て行った。


 慌てて美咲は「ちょっと待ってよ~」とアリスの後を追いかけて部屋を出た。


 残されたクロノをノエルは無言でジッと見つめた。


 何も感情が宿されていないノエルの目だが、弟であるクロノを見つめる彼女の目は、アリスとともに勝手な行動をした彼を失望して咎めるようであり、僅かな心配をしているようだった。


「……アリスさんの傍にいて、止められなかったのですか?」


「すまない」


 短い沈黙を破ってノエルはクロノにそう尋ねると、何も言い訳をしないでクロノは謝罪の言葉を口にした。


 謝罪の言葉を口にするクロノはノエルと同じく無表情であったが、俯きがちで戸惑っているようにノエルの目には映った。


「アカデミーに戻ってから、あなたの調子が優れないように見えますが、一体どうしたのです?」


 ノエルの目には、リクトと海外にある教皇庁旧本部から戻ってきてからのクロノの態度が何となく変わっていることに気づいていた。


 自分のことを聞かれて、無表情だがクロノの表情が僅かに暗くなり、答えるのに逡巡しているようだったが――意を決した様子でノエルを見つめて口を開いた。


「最近、おかしい」


「やはり、身体に不調が?」


「いや……胸の中にある何か突き動かされているんだ」


「具体的な説明をお願いします」


「わからない。ただ、胸の中にあるものにオレは最近流されている。アリスを止められなかったもの、それが原因だ」


「まさか、アリスさんのように『心』に従って動いたと?」


「バカな。そんなはずはない――いや、ありえない」


 ノエルが口に出した『心』という言葉に、クロノは小さく鼻で笑って流したが――自分の言葉にクロノが無表情ながらも微かに、しかし、確実に揺れ動いたようにアリスは見えた。


「今回の一件、確かにあなたは勝手な行動をしましたが、リクト・フォルトゥスの信用を得られたという点では大きな成果がありました――しかし、今回の一件で任務はいよいよ最終段階になりました。もう、リクト・フォルトゥスの存在は必要なくなるかもしれません」


「……そうか」


 リクトの存在が必要なくなると聞いたクロノの表情が僅かに曇ったが、それに気づかなかったノエルは話を進める。


「重要な任務のために、あなたはしばらく休んでください」


「了解した」


 ノエルの命令に忠実に従うために、クロノはさっさと部屋から出た。


 自分の命令に、そして、任務に忠実に動くクロノをノエルはジッと観察するように見つめた。


 自分から離れて行くクロノが、遠い存在になっているようにノエルは映っていた。


「まさか、クロノ――あなたは……」


 その判断はありえない。

 我々は任務に忠実であらなければならない。

 クロノに重大なエラーが起きた模様。


 クロノが部屋を出て、一人になったノエルは無意識にありえないことを口に出してしまいそうになるが、自分の中の声が『ありえない』と言ったので、ノエルは口を閉ざした。


 しかし――ありえないと思いつつも、クロノに対して思っていることは、ノエルの中でこびりついたまま離れなかった。


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