第38話
セントラルエリアの高級ホテルにあるスイートルームで、アリシアはあからさまに不機嫌な表情で、長く滑らかな足を組んでソファに深々と腰掛けて、『協力者』を待っていた。
普段、一人でいる時だけはリラックスしているアリシアだが、今日は違った。
アリシアの心は乱れ、焦燥しきっていた。
頭の中には、数時間前に思い切った決断をしたエレナの姿が何度も過っていた。
『私は枢機卿を一新させるつもりです』
先代教皇が掲げた利益優先の枢機卿選出方法を否定したエレナの覚悟は本物であり、誰が何と言おうとも止められないとアリシアは確信していた。
全員思っていても、教皇庁の利益になると考えて利益優先の枢機卿選出方法を否定できなかったが、大勢の枢機卿がいる場でエレナが思い切った決断をしたことによって、エレナを支持する枢機卿、熱い正義感を持ちながらも燻っていた枢機卿に発破をかけた。
もちろん、強引で急過ぎるエレナの判断に枢機卿たちは待ったをかけるだろうが、間違いなく、近いうちに教皇庁は変わることになるとアリシアは確信するとともに、それによってもたらされる世間への影響と、悪くなる自分の立場を予測していた。
……確実にエレナは私から枢機卿の立場を奪い取る。
あの時のように、私からすべてを奪い取る……
私からすべてを奪っても、まだアンタは満足しないの?
エレナとの因縁が焦燥に満ちたアリシアの心をさらに刺激し、アリシアを不機嫌にさせるとともに苛立たせた。
「随分と不機嫌そうじゃないか」
焦燥しているエレナを嘲笑うかのような声が響くと、くすんだ白髪の髪を無造作に伸ばし、タキシードを着て紳士的な風貌だが、顔半分を仮面で覆っている異様な外見の青年が現れた。
「……遅かったじゃないの、ヘルメス」
「すまない、色々と立て込んでしまったんだ」
仮面で隠れていない口元を軽薄な笑みで歪ませて登場した自分の協力者――ヘルメスに、苛立ちをぶちまけたい衝動に駆られるアリシアだが、それを堪えて激情を抑えた穏やかな声で挨拶をした。
「随分機嫌が良さそうね――今回、輝械人形が実践で得たデータを確認するのに忙しかったのかしら?」
「まあ、そんなところだ」
怒りを宿した不機嫌そうな目を向けて、ストレートに嫌味を言ってくるアリシアに、嫌な顔することなくご機嫌な様子のヘルメス。
今回の一件で明るみになった輝械人形の存在をアリシアは以前から知っていた。
もちろん、アルバートやヴィクターが輝械人形を構想し、開発しようとしていたのはずっと前から知っていたが、今回の件で輝械人形が実在する大勢の人間に知られるよりもずっと早く、アリシアは輝械人形が実在することを知っていた。
その情報源は、目の前にいる協力者であるヘルメスからだった。
ヘルメスと協力関係を結んでから、彼が輝械人形の存在をアリシアに紹介した。
「輝械人形の話を聞いてから、あなたの傍にはアルバートがいるとは思っていたけれど――……もしかして、あなたの正体はアルバート・ブライトなのかしら?」
「……さあ、どうだろうな」
顔半分の仮面に覆われたヘルメスの正体がアルバート・ブライトであることを推測するアリシアだが、彼女の言葉にヘルメスは何も答えずにただ意味深な笑みを浮かべるだけだった。
余裕そうな笑みを浮かべているヘルメスの姿を見て、アリシアの苛立ちはさらに上がる。
「それで? 今回の件は一体どういうことなのかしら?」
「今回の件はアルバートが仕組んだことだ。私は関知していない」
いけしゃあしゃあと自分は関係ないと平然と言ってのけるヘルメスに、アリシアは苛立ちを忘れて呆れ果てていた。
「今の言葉から察するにアルバートはあなたの仲間なんでしょう? それなのに、関知していないとは変な話ね」
「我々は同志であるが、目的は各々違う。つまり、厳密に仲間という関係ではないんだ。君と同じ、協力者と言った方がいいかな? いや、協力者という関係よりも多少はお互いを信頼しているから――……何と表現したらいいのか迷うってしまうよ」
「随分複雑な関係みたいね。それなら、今回アルバートはどんな目的でこんな小賢しいことをしたのかしら?」
「今回、アルバートは煌石を扱う高い資質を持つ次期教皇最有力候補が輝械人形を操ったら、輝械人形の状態がどう変化するのかを観察すること、輝械人形の戦闘データを集めること、量産化を意識して全体のコストを削った輝械人形がどう動くのかの確認――そして、アンプリファイアを利用した装置で力のない人間が、どこまで実力のある輝石使いと戦えるのか観察することだったんだ」
「それにあなたが関知していないとは、随分虫の良い話ね」
「虫の良い話でも、それが事実だ」
アルバートとは仲間であることを認めたが、自分は今回の件にいっさい関わっていないと言ってのけるヘルメスに、アリシアの疑念と苛立ちが晴れることはなかった。
「まあ、正直な話、君には悪いがアルバートの実験は中々面白かったよ。『部品』が違うだけで、輝械人形の動きは前回とは比べ物にならないくらい劇的に向上した。認めるのは少々むなしくなるが、やはり質の良い部品でなければ、結果は出ないようだ」
アリシアへの不信感を拭うために、今回の件で思ったことを正直に述べるヘルメスだが、アリシアの疑念は変わらなかった。
「おっと――部品ではなく、君の娘だったな。訂正しよう」
「少しは役に立ってもらえたようで何よりだわ」
プリムのことを部品としてしか見ていないヘルメスに対して、アリシアは怒ることもなく、素っ気ない態度でそう返した。
「さて、それよりもどうする……さっそく記者会見を開いた教皇エレナが、先代教皇が掲げた利益優先の枢機卿選出法を否定し、枢機卿を一新すると宣言したぞ」
エレナ……普段は遅いのに、今回は随分と早い対応ね
――まあ当然か。
腐った枢機卿はきっと、今回のエレナの決断を破棄しようと躍起になる。
何か裏で手を打たれる前に、先手を打ったのね。
エレナ――あなたはそこまで、先代教皇が憎いのね。
そこまで、私が憎いのね。
さっそく行動を移したエレナに、アリシアの焦燥がさらに強くなると同時に、諦めにも似たむなしさを感じていた。
「アリシア、教皇は確実に君から枢機卿の資格を剥奪して、権力を奪うだろう。このままでは君の目的を果たせなくなるぞ」
「言われなくともわかっているわ」
「それなら、私の計画に協力してもらえないか? 成功すれば君は自分の目的を遂げられると同時に、今以上の立場を得られるぞ」
協力を持ち掛けてくるヘルメスだが、彼が自分を煽って利用しようとしていることはアリシアには十分に理解できた。
そして、ヘルメスも自身の魂胆に自分が気づいているだろうことも、アリシアは察していた。
自分の立場が危ぶまれ、自分の目的が果たされないことに焦りを感じはじめているアリシア。
しかし、同時に諦めにも似た感情も抱きはじめていた。
焦り、苛立ち、怒り、憎悪、荒れ狂う様々な暗い感情がアリシアの全身を駆け巡っているが、頭だけは冷静だった。
だからこそ、ヘルメスの協力に乗ってしまえば、逃れられぬ闇に引きずり込まれて永遠に這い上がることもできなくなると確信していた。
しかし、それでも――
「いいわ。何をすればいいの?」
利用されることを十分に承知の上で自分に協力することを決断したアリシアを、ヘルメスは口だけを歪めて嘲るように、それでいて、満足そうな笑みを浮かべた。
その笑みを見て、アリシアは自分が決して逃れられない底なし沼にはまったような感覚を覚えた。
だが、ここまで来てもう退くことはできなかった。
そして、好き勝手に利用されるつもりはないと、心に決めた。
そんなアリシアの暗い決意と気迫を感じ取ったヘルメスは、口を歪めて嬉々とした笑みを浮かべていた。
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