第四章 怒りのバレンタインデー
第33話
「……流れが変わった」
ついさっきまで意見の相違で激しくぶつかり合っていたというのに、ティアがリクトに先へ向かうように促した急展開の場面を遠巻きから眺めていたアリスは呟いた。
今、アリスの視線の先にいるティアは、突然現れた謎の輝石使いたちを同じく突然現れた刈谷たちに任せ、聖輝士グラン・レイブルズと睨み合って対峙していた。
「そうだな」
アリスの傍で状況を眺めていた無表情のクロノは小さく頷いた。
任務から外されても事件の結末を見たかったアリスは、ただでさえプリム護衛に失敗して立場が悪いのに、これ以上立場を悪くさせないために大人しくしていろというクロノの制止を振り切って、遠巻きからティアたちとリクトたちの様子を眺めていた。
アリスに無茶をさせないように見張るため、クロノもついてきたのだが――目的をを忘れてクロノはリクトたちの様子に見入ってしまっていた。
わからない……どうしてだ?
お互い考え方の相違で本気でぶつかり合っていたのに、どうしてこんなことになったんだ。
ティアたちとリクトたちがぶつかり合った結果に、クロノは理解できないでいた。
「……なぜ、ティアリナたちはリクトに味方をしたんだ」
口に出すつもりはなかったのに、胸に抱いていた疑問を無意識に口に出してしまい、クロノは無表情だが戸惑ってしまっていた。
ふいに口に出したクロノの疑問に、アリスはボロボロになって倒れている幸太郎に視線を向けた。
輝石の力を扱えないただの落ちこぼれだというのに、あれだけティアの激しい攻撃を受けても倒れず、逃げようともしないで、真っ向から立ち向かって返り討ちにされたのに、幸太郎は駆けつけてきた麗華と大和に笑みを向ける元気もあり、自分の身体を抱き起した麗華の胸の感触に酔いしれている別の元気もあった。
スケベ心を見抜かれて麗華に殴られて悶絶している幸太郎の気の抜けた無様な様子を眺めて、アリスは小さく呆れたようにため息を漏らした。
「……あの七瀬幸太郎がティアリナたちを変えたのかもしれない」
「オマエが冗談を言うなんて珍しいな」
クロノの指摘に、「そうね」とアリスは自嘲を浮かべた。
アリスの言葉をありえないと内心否定しているクロノだったが、ティアとぶつかっている時の幸太郎を見て、クロノは不思議と身体から高揚感に似た何かが生まれ、何かに突き動かされる熱い衝動に駆られてしまった。
込み上げてくる衝動のままに動きたいクロノだったが、ノエルから待機と言い渡されたことを思い出すと同時にその衝動はすぐに沈静化した。
「クロノ……リクト、先に向かったけど大丈夫?」
「先にはノエルが待機している。問題ないだろう」
「でも、セラがリクトを追った。もしかして、ノエルとセラが戦うんじゃないの?」
「そうかもな」
「ノエル、大丈夫?」
「ノエルは負けるつもりはない――特に、セラには」
「……私たち、ノエルの応援に行かなくてもいいの?」
任務を外されているというのに、ノエルの元へと向かおうとするアリスに、クロノの胸の中にあるものが一瞬僅かに揺れたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。
「オレたちの今の任務は『待機』だ。それに、任務を外されている立場で勝手はできない。オマエが勝手な真似をしないように、オレがここにいるということを忘れるな」
「……わかってる」
自分の立場を思い知らせる厳しいクロノの忠告に、自分の立場を思い知らされたアリスは苛立っている様子で恨みがましく無表情のクロノを一瞥した。
「それなら結構だ。まあ、勝手な真似をしたところで今のオマエはただの足手まといになるのは目に見えている」
「……そうかも」
ノエルの応援に向かいたい気持ちと同時に、プリムを助けたいという気持ちが僅かに存在している自分をクロノに見透かされて、アリスは何も反論できずに認めることしかできなかった。
会話が止まり、二人の間に沈黙が流れる――が、「ハーッハッハッハッハッハッハッハッ!」と陽気で狂気な笑い声が響き渡って、簡単に沈黙を打ち破った。
高笑いとともにどこからかともなく、派手なポーズを決めて登場するのはアリスの父であるヴィクター・オズワルドだった。
耳障りなほどのハイテンションな笑い声とともに突然現れた父に、アリスは小さく忌々しげに舌打ちをして、嫌悪感がたっぷり込められた目で一瞥した。
そんな娘の冷たい視線を無視して、ヴィクターはティアたちの様子を「おおー、やってるなぁ!」と興奮気味に眺めていた。
「大勢の実力者たちと交戦して、輝械人形たちは中々良いデータが取れそうじゃないか」
「輝械人形? ……あの輝石使いたちのこと、何か知ってるの?」
刈谷たちと交戦している黒衣を身に纏った輝石使いたちを見て、『輝械人形』と呼んだ父を、不審をいっさい隠していない目でアリスは睨むように見つめた。
「あれは輝械人形と呼ばれる、機械と輝石が融合した素晴らしい発明品だよ」
「あの輝石使いたちは機械だっていうの? ……そんなのありえない」
誇らしげに輝械人形について語るヴィクターに、機械と輝石が合わないものだということをよく知っているアリスは、クールな表情を崩して驚いていた。そんな娘の様子を見て、ヴィクターはやれやれと言わんばかりに肩をすくめて、仰々しくため息を漏らした。
「固定概念に縛られては柔軟な発想はできないんだぞ、我が娘よ」
「ウザい。さっさと説明して」
余計な会話を無視して輝械人形についての説明を求めてくる娘に、ヴィクターは意味深な笑みを浮かべる。
「悪いがそれはまだできないのだ。しかし、一つだけ言えることは――輝械人形が動き出せば、プリメイラ・ルーベリアの命に深く関わるということだ」
「何よそれ、ちゃんと説明しなさいよ! またアンタの傍迷惑な実験や発明品のせいで誰かに迷惑がかかるっているの? もうそんなの絶対に許さない!」
何かを抑えるように小さな拳をきつく握り締めて、普段冷静なアリスからは信じられないほどの怒声を張り上げているのを、クロノは無表情ながらも意外そうに見つめていた。
娘の怒声を浴びせられた父であるヴィクターは、力のない微笑を一瞬だけ浮かべた。
「……アリス、柔軟な君の思考を縛っている固定概念と同様、君は自分の立場に縛られている」
「余計なこと言って誤魔化さないで! さっさと説明しろって言ってるのよ!」
語気を荒くして、肩を震わせるほど怒気に満ちている娘に説明を求められても、ヴィクターは淡々とした調子で自分の話を続ける。
「悩んでいるのなら自分の立場として物事を考えるのではなく、心で考えて行動するのだ。アリス、今の君は何をしたい、君の心は何を思ってる――この私に詰問することではないだろう?」
知ったような口で自分を諭してくるヴィクターに苛立ちながらも、やるべきことはヴィクターを追求することではないと理解しているアリスは、不本意だが父を追求するのを中断した。
「もしも、一ナノ――いや、もう一アトでもいいだろう。心の中で何かを想っているのなら、それに従うべきだぞ。そうしなければ、一生後悔する羽目になる」
「……余計なお世話よ」
珍しく真剣で、厳しい面持ちの父の忠告を受けて、心底不服そうな表情を浮かべながらも自分の心に従うままにこの場から離れようとするアリス。
「待て、アリス。勝手真似をするな」
「ごめん、クロノ……多分、今動かないと私、後悔する」
待機の指示が出ているのにもかかわらず、勝手な真似をしようとするアリスを引き止めるクロノだが、彼女は構わずに先へ進む。
バカが――勝手にしろ。
先へ進むアリスに何を言っても無駄だと判断した、クロノはもう止めなかった。
ノエルの指示を無視してこの場から離れるアリスの小さな背中を軽蔑するようにクロノは眺めていたが――
徐々にアリスを見るクロノの目が変わる。
相変わらず彼の目には『任務は絶対』だという不動の意思を宿していたが、自分の心のままに行動するアリスを羨んでいるようだった。
離れ行くアリスの背中を眺めていたら、ティアと幸太郎との戦いを見ていた時と同じように、クロノの胸の奥から自分を突き動かす何か熱いものが再び芽生えはじめた。
しかし、任務が何よりも優先だという自分の中の声が芽生えたものを覆い隠した。
「クロノ君、君の心はどうしたいのだ?」
……オレの心?
そんなの決まっている――任務第一だ。
任務が何よりも優先だ……そうに決まってる。
そうに決まっているんだ。
暗い思案顔で離れ行く娘の背中を眺めているクロノの心を問うヴィクター。
ヴィクターの問いかけに、すぐに任務が何よりも優先だという答えが出るが――その答えを口に出そうとすると、正体不明の何かがそれを阻み、言葉が出なくなって戸惑うクロノ。
「いいか、クロノ君。君には心があって人形ではない。人形でない君には自分の心に従う権利がある――少しでも今の状況に疑問を抱いているのなら、それを晴らすために心に従うべきだ」
……疑問?
オレは『疑問』を抱いているのか?
任務は何よりも重要だ……そう教えられた。
任務以外に重要なものはないはずなのに……どうして疑問が浮かぶんだ。
どうして――リクト、プリム、お前たちの顔が浮かぶんだ。
疑問を浮かぶ自分自身に疑問を抱くクロノ。
そんな自分に何よりも任務が重要だと自分に言い聞かせるクロノだが――自分のことを友人だと思い込んでいるプリムとリクトの顔が頭に過った。
その瞬間、クロノの足が離れ行くアリスへと向かって走り出した。
突然の自分の行動に戸惑うクロノだが、無意識に行われた自分の行動に身を任せていたら、妙に胸の中が晴々とした悪くない気分になってしまった。
……オレの心がプリムを助けろと訴えているのか?
だが、オレには任務があるのに……
――でも……もう止められない。
必死にクロノは止めようとしても、動き出した足は止めることができなかった。
そして、数分経って足を止めようとする意思すらもクロノの中から消え去ってしまった。
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