第30話
幸太郎とティアがぶつかり合って数分経った頃――誰もが予想していた通り、ティアが幸太郎を圧倒していた。
休むことなく終始ティアに殴られっぱなしの幸太郎は、見ていて痛々しいほど顔が腫れ、腫れた鼻から無様に鼻血を垂れ流し、分厚くなった唇からもだらだらと血の混じった涎を情けないほど大量に垂れ流し、時折膝から崩れ落ちそうになるほど消耗して満身創痍だが――決して倒れず、諦めることなくティアに立ち向かっていた。
フラフラとした足取りで、木の棒をきつく握った幸太郎はティアに近寄る。
諦めの悪い幸太郎を一瞥したティアは忌々しげに一度小さく舌打ちをすると、きつく握り締めた拳を武器にして、ボロボロの幸太郎を容赦なく殴りつけた。
固い肉を叩くような生々しく、痛々しい音が響き、ティアの拳が幸太郎の頬にめり込むが――幸太郎は怯むことなく負けじと手にした木の棒で反撃する。
しかし、ティアには届くことなく返り討ちにあう。
ボロ雑巾になっても自分の考えを貫こうとする幸太郎と、そんな彼を無慈悲な攻撃を仕掛けて迎え撃つティア――そんな二人の姿をセラは何も言わず、決して目を離さずに眺めていた。
何かに堪えるようにセラは拳をきつく握りしめ、無表情でただただジッと幸太郎の姿を見つめていた。
「いい加減にしたらどうだ、幸太郎」
「まだまだ、これからですよ」
「それくらいの気概をいつもの訓練で見せろ」
「ぐうの音も出ません」
「……まったく、呆れた男だ」
「ありがとうございます?」
降参を促すティアの言葉に、息を大きく乱しながら満身創痍の幸太郎は軽口を叩いて、腫れた顔で力強くも不細工な笑みを浮かべて、木の棒を振り上げておぼつかない足取りでティアに向かう。
ハエが止まりそうなほどのゆったりとした動きで幸太郎は振り上げた木の棒をティアに向けて振り下ろす。
ティアは避けることなく、自分に攻撃が届く前に勢いよく幸太郎の顔面を殴って怯ませると、前蹴りで蹴り飛ばした。
幸太郎の細い身体は後方に向けて大きく吹き飛び、受け身も取らずに地面に叩きつけられた。
地面に叩きつけられた幸太郎は、仰向けになったまま動かなかった。
しかし、すぐに口から血が混じって真っ赤な涎をだらだらと垂らしながら、ヨロヨロと幸太郎は起き上がった。
そんな幸太郎に近寄ったティアは、起き上がろうとする彼の足を払い、頭を地面に押しつけた。
強い力で押さえつけられた自分の身体を起こすことができないほど消耗している幸太郎だが、それでも精一杯の抵抗として、なけなしの力を込めて地面に押しつけられた頭を上げようとする。
だが、ティアが幸太郎の頭を押さえる手に軽く力を込めただけで、簡単に幸太郎は地面に突っ伏してしまった。
「お前に勝ち目はない」
「まだまだです」
「起き上がれないほど満身創痍の身体で、それ以上に力のない何ができる」
「それなら、今から起き上がります」
そう言って、消耗し、痛む身体に喝を入れて、身体を捻りながら幸太郎は手に持っていた木の棒をティアに向かって振う。
不意打ち気味の一撃だが、余裕をもってティアは幸太郎から離れて回避するが、棒の先端が頬を掠めた。
はじめて自分の攻撃が僅かでもティアに掠ったということに、幸太郎は自慢げに笑う。
「まだまだ、僕は平気ですよ」
「いい気になるな」
全身で息をしながら、ズタボロの状態で力強い笑みを浮かべて強がる幸太郎に向けて、きつく握った拳で体重を乗せた無慈悲なストレートをお見舞いするティア。
咄嗟に木の棒で防ごうとする幸太郎だが、ティアの拳は棒をへし折り、そのまま幸太郎の顔面に一直線に向かった。
妙に生々しい、固くもあり柔らかい肉を叩く音が響き、強烈な一撃を食らった幸太郎は膝から崩れ落ちそうになる――だが、踏ん張ってそれを堪えると、鼻からぽたぽたと血の雫が地面に流れ落ちた。
無様に鼻血を垂らした幸太郎は力強い笑みを浮かべ、即座にへし折れた木の棒を武器にしてティアに立ち向かうが、返り討ちにされる。
それでも、何度も、何度も、何度も幸太郎はティアに立ち向かう。
立ち向かう度に返り討ちにされ、鼻血や血で染まった真っ赤な涎を周囲に撒き散らしながら吹き飛び、ヨロヨロと起き上がり、また立ち向かう。
ティアに向かって走ろうとする幸太郎だが、足がもたれて惨めに派手に転んでしまう。だが、すぐに立ち上がっておどけたような笑みを浮かべて立ち上がった。
もうまともに歩くことも、攻撃する体力もないというのに、それでも幸太郎は何度も立ち向かってくる。
そんな幸太郎の姿を見て、ティアの静かに滾っていた闘志が微かにだが、確実に揺らいだ。
「お前の覚悟は痛いほど理解できた」
諦めもせずにしつこく立ち向かってくる幸太郎に、ティアはため息交じりにそう呟いた。
ティアの拳は幸太郎の返り血で赤く染まり、それ以上に、彼を殴り過ぎて拳が腫れてしまって痛みを感じていた。
そのせいで、揺らいでいた闘志がさらに揺らいでしまうとともに、若干ティアのきつく握られた拳が震えていた。
頑固だとは思っていたが、まさかここまでとは……
バカモノめ。
もう、とうに限界を超えているだろう。
今すぐにでも気絶してもおかしくないだろうに……
満身創痍の身で自分に立ち向かい続ける幸太郎を相手にして、ティアの心に僅かな焦燥感が芽生えてしまっていた。
ふいに、ティアはセラを一瞥した。
険しい表情のセラは血塗れの幸太郎を見て、感情を溢れ出しそうになったが、それを堪えて約束通り黙って見届けてくれていた。
感情のままに動こうとする自分を必死で抑えるセラの姿を見て、ティアは僅かに揺らいだ闘志と意思を奮い立たせる。
「だが、お前に私は倒せない。プリメイラを助けに向かわせることはさせない」
「僕は、プリムちゃんを助けたいです」
幸太郎に、それ以上に自分に言い聞かせるようにティアはそう宣言する。
しかし、幸太郎は自分の意思を曲げることなく、まだティアに立ち向かう。
小さく忌々しく舌打ちをして、ティアは痛みを感じはじめている拳で容赦なく幸太郎を殴りつけた。吹き飛び、仰向けになって幸太郎は倒れた。
いい加減降参しろ。
いい加減、倒れろ。
もう、いいだろう。
倒れたまま動かない幸太郎を見ながら、祈るように心の中でティアはそう呟いた。
「もういい加減にしろ。お前がそこまでする意味はあるのか? 結果的に、私たちとお前の考えはプリメイラを助けることに一致している……お前がそんなに身体を張らなくてもいいはずだ」
無駄だと理解していても、説得のような言葉をティアは無意識に口に出してしまった。
「結局、そうですよね……でも、まだまだです」
「……頑固者が」
再び立ち上がって自分に立ち向かおうとする幸太郎に、業を煮やすティア。
痛々しいほど満身創痍の幸太郎に向けて、ティアはトドメを刺すつもりで拳を何度も彼に叩きつける。
避けることも、防ぐこともできない幸太郎はただティアに殴られ続けることしかできない。
拳だけではなく、ティアの身体にも幸太郎の返り血に染まった。
そして、ティアの拳で潰された鼻や、切った口から噴き出した血が周囲に飛び散った。
周囲に血をまき散らしながら、痛々しい姿の幸太郎が殴られ続ける凄惨な光景に、麗華たちは戦う手を止めて、呆然とした様子で固唾を呑んで幸太郎とティアの様子を見ていることしかできなかった。
「よせ、ティア! もう勝負はついているだろう!」
見かねたグランが幸太郎を殴りつけるティアの拳を掴んで制止させるが、その手を振り払ったティアは幸太郎を殴りつけ、吹き飛び、地面に突っ伏した。
「まだだ――……まだ、勝負はついていない」
ティアの言葉通り、幸太郎はすぐに起き上がった。
起き上がり、立ち上がった幸太郎は、ボロボロの状態でありながらも強い光を宿した目でティアをじっと見つめていた。
自分を見つめる幸太郎に、ティアは鋭い眼光を飛ばした。
勝ち目がないのに、ズタボロになってもティアに立ち向かおうとする幸太郎の姿から威圧感のようなものを感じ取り、グランは思わず気圧されてしまった。
「大丈夫ですよ……僕、まだまだやれます。ティアさんの訓練を受けて、少しは頑丈になりましたから……」
「どうして……どうして、君はそこまで……」
「僕、結構強くなりましたから」
得意気に胸を張ってそう言うと、自分を心配してくれるグランに向けて、腫れあがった顔と唇を歪めて不細工な笑みを浮かべる幸太郎。
強くなった?
バカモノめ。
反撃する間もなく、攻撃を受け続けるのに何を言っている。
お前は……お前は――
圧倒的な力でボロボロにされているというのに、強くなったとグランに言ってのけた幸太郎をティアは否定しようとするが――否定できなかった。
力の差は歴然なのに、ボロボロになっても諦めずに立ち向かい続ける幸太郎は、『弱く』はなく、『強い』とティアは認めざる負えなかったからだ。
自分の意思を曲げない心の強さを幸太郎が持っていることは認めていたが――殴られ続けて、ボロボロになってもいっさいの弱音を吐かずに立ち向かう幸太郎は強かった。
それに気づいた途端、ティアの中に違和感が芽生えた。
幸太郎は強い……
なのに、私は――
――今は避けなことを考えるな。
目の前のことに集中しろ。
芽生えた違和感を振り払うように、歪でありながらも健気な笑みを浮かべている幸太郎に向かってティアは走り、きつく握った拳で殴りつける。
体重を乗せたストレートを顔面に受ける幸太郎だが――今度は吹き飛ばなかった。
そんな幸太郎に無慈悲にもティアは次々と拳を突き出した。
幸太郎は避けることもしないで全部受け止めていたが、仁王立ちしたまま動かない。
ティアの拳はきつく握られており、体重も乗せられていて、威力もあるが――先程までとは比べ物にならないくらい弱くなっていた。
大きく拳を振り上げて、幸太郎の顔面に向けて拳を叩きつけようとするティア。
とどめを刺すつもりの一撃を、幸太郎はジッと見つめていた。
勢いよく自身に向かってくるティアの拳に向けて、幸太郎はそっと両手をかざす。
かざした両手で幸太郎はティアの拳を優しく包んだ。
受け止められてすぐに振り払おうとするティアだったが――幸太郎の両手から伝わる優しく、温かい感触に振り払おうとする意志が失われてしまった。
ティアの拳を受け止めた幸太郎は自慢げに、それ以上に優しく微笑む。
幸太郎がティアを見る目は、優しく、そして、ティアのことを見透かしているようだった。
「僕、ティアさんのおかげで結構強くなりましたよ。……多分」
そう言って、血塗れの歯をむき出しにしてニカッと笑う幸太郎。
幸太郎の言葉を聞いて、弱々しくも力強い彼の笑みを見たティアの胸に切ない痛みが走ると同時に、熱くなった。
それと同時に、幸太郎の手の中にあるティアのきつく握られた拳が徐々に力を失ってくる。
「だからティアさん、安心してください」
普段通りの能天気な笑みを浮かべて、幸太郎はティアにそう告げた。
その言葉を聞いた途端、長い間ティアの胸の中に沈殿していた重いものが一気に軽くなった。
「……そうだな」
……そうか、そうだったんだな。
私はずっと勘違いをしていたのか。
幸太郎が言った短いその一言に、すべてを理解したティアは一瞬だけ力を抜いた微笑を浮かべた。
プリムを助けるために動いている幸太郎だったが、幸太郎には別の魂胆があることをティアは察した。
それに気づいたティアは、自分が今まで大きな勘違いをしていたことに気づいた。
ティアの頭には、刈谷に言われた『幸太郎を信じろ』という言葉が過った。
もちろん、刈谷に言われずとも幸太郎を信じていたティアだが、勘違いに気づいた時、自分はそこまで幸太郎を信用していなかったと改めて感じていた。
そして、長い間――幸太郎を守ると言った日から抱え、日が経つにつれて強くなってきた不安がきれいに晴れたような気がした。
……幸太郎。
私はお前を理解していたつもりで、結局理解していなかったんだ。
わかった……私は――
ゆっくりと、幸太郎の手の中にある拳が完全に開かれようするが――その瞬間、周囲が無機質な気配に包まれる。
ティアが周囲を見回すと、大勢のフードを目深に被った黒い服を着た謎の人物たちが周囲を囲んでいた。彼らの手の中にある輝石は、一瞬の煌めきとともに武輝に変化する。
フードを目深に被っているため表情はわからないが、黒衣を着た大勢の輝石使いたちの目が不気味に赤く輝いていた。
ティアたちを囲む大勢の輝石使いたちは、武輝に光を纏わせて攻撃準備を整える。
攻撃準備を整えた輝石使いたちに、咄嗟にティアは庇うように幸太郎を抱きしめた。突然の柔らかい感触に、身体中の痛みを忘れて至福の表情を浮かべる幸太郎。
グランたちはひとまず、突然現れるや否や攻撃しようとしてくる輝石使いたちの対応をしようとするが――
夜空に煌めく流星のように、空から無数の光球が黒衣の輝石使いたちに向かって降り注ぐ。
突然の攻撃に、黒衣の輝石使いたちは行動を一旦中断して飛び退いた。
「誰だか知らねぇが、人様の決闘を邪魔するとはいい度胸じゃねぇか! 全員俺がもれなくぶっ飛ばしてやるよ!」
威勢の良い声とともに、武輝であるナイフを持った刈谷が現れる。
刈谷に続いて、武輝を持った優輝、沙菜、貴原、大道、サラサが続いて現れ、黒衣の輝石使いたちの相手をしはじめた。
黒衣の輝石使いの攻撃を中断させた沙菜は、大道と優輝とともに遠距離から黒衣の輝石使いたちに武輝から光弾を放っていた。
黒衣の輝石使いたちに一気に突撃する刈谷に、貴原とサラサは続いた。
まったく……どいつもこいつも。
中途半端な自分たちは手を出せないと言っておきながらも、心配して遠巻きで眺めていた刈谷たちにティアは思わず微笑んでしまった。
突然現れた輝石使いたちの相手を刈谷たちに任せ、抱き止めていた幸太郎をそっと離した。
柔らかい感触から解放されて名残惜しげな幸太郎だったが、すぐに幸太郎は突然の状況に唖然としているリクトに視線を向けた。
「リクト君、プリムちゃんを助けてあげて!」
全員が黒衣の輝石使いたちの注意が向いている隙に、幸太郎はリクトに向かって声を張ると、力が抜けたように膝から崩れ落ちるように倒れた。
痛々しいほどボロボロの幸太郎をこの場に置いていくことに逡巡するリクトだったが、すぐに本来の目的のために力強く頷いて先へと急いだ。
「そうはさせません」
先に向かうリクトの前に立ちはだかろうとするグランだが、彼の前にティアが現れた。
自分の道を阻み、リクトを支援するティアに困惑しつつもグランは厳しい目で睨む。
「どういうつもりだ、ティア! なぜ邪魔をする!」
「……麗華、大和。幸太郎を頼む」
無様に倒れている幸太郎を一瞥して、麗華と大和に淡々と指示をするティア。
唐突なティアの指示に一瞬戸惑う麗華と大和だったが、すぐに彼女の意図を察した二人は頷いて倒れている幸太郎に駆け寄った。
「説明しろ、ティア」
「すまない、グラン……私は勘違いしていた」
「……どういうことだ」
「お前とぶつかり合うことになるかもしれないということだ」
そう言って、ティアはチェーンにつながれた自身の輝石を、武輝である大剣に変化させる。
グランと対峙するティアを見たセラは、何も言わずにリクトの後を追った。
セラの表情は、ティアと同様、晴れ晴れとしていた。
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