第三章 不安との戦い
第21話
車の後部座席に無理矢理乗せられ、すぐに目隠しと両腕を拘束されたプリムは、車内で喚くこともせずに落ち着いた様子でジッと待っていた。
しかし、内心では憎悪の炎に身を焦がしたセイウスの手によって攫われたことで、恐怖と動揺に満ちており、恐慌状態に陥って喚き散らしたいのを必死で堪えていた。
きっと、リクトやクロノが助けてくれる……だから、大丈夫だ。
かつて自分の危機を救ってくれたクロノとリクトのことを思い浮かべ、二人なら必ず自分を助けてくれると信じることで、プリムは平静を保つことができた。
しばらく――プリムの体内時計で大体三十分ほどくらい走ると、車は停止した。
「さあ、プリム様。僕があなたを案内しましょう」
「さ、触るな!」
車が停車すると同時に、穏やかで丁寧なセイウスの声がプリムの耳に届くと同時に、彼の手が自分に向けて伸びたような気配がしたプリムは身を引いて拒絶する。
攫われて何をされるかわからない常人ならば恐慌状態に陥ってもおかしくない状況で、気丈に振る舞う自分を見て、セイウスが小さく嘲笑すると同時に、忌々しげに舌打ちをする音がプリムの耳に届いた。
強引に伸びてきたセイウスの手がプリムの細い腕を強い力で掴み、力任せに彼女を車から出して、引きずるようにどこかへ向かった。
段数の少ない階段を上り、重厚な扉を開く音とともにどこかの家の中に入らされた。家の中は埃っぽいにおいがしており、固い床の長い通路を歩く自分を含めて三つの音が聞こえた――目隠しをされて目が見えないが、それでもプリムは視覚以外の感覚を用いて、自分とセイウス以外に誰かおり、どこか大きな屋敷の中に連れてこられたのではないかと推測していた。
再び扉を開ける音が響き、数歩歩くとプリムは突き飛ばされた。
しかし、尻餅をついて倒れることなく、椅子の上に座らされたようだった。
そして、目隠しが取られた。久しぶりに回復したプリムの視界に入ってきたのは、薄暗い広間だった。豪華な装飾のされた椅子やテーブルは端に置かれ、その代わりに部屋の半分はよくわからない機械で埋め尽くされていた。
恐る恐るといった様子で部屋中を見回しているプリムの視界に、満足そうに穏やかに微笑みながらも、狂気を滲ませたセイウスの姿が入ってきた。プリムが自分の姿に気づくと、セイウスは慇懃無礼なほど大袈裟に深々と頭を下げた。
「ようこそ、プリム様。まだ準備に時間がかかるので、くつろいでいてください」
「フン! つまらん冗談だな。それで、セイウス、お前は何が目的だ!」
相変わらず気丈な目を向けてくるプリムを忌々しく思いながらも、両手を縛られて何もできない彼女の姿を気分良さそうに眺めていた。
「前回の事件で、僕はあなたの母親に散々利用された挙句に裏切られたんだ。その復讐をするためにあなたを攫わせていただいたのだが――まあ、簡単に復讐を遂げては面白くない」
そう言って、サディスティックな笑みを浮かべるセイウスを見てプリムは息を呑むが、芽生えた恐怖心を打ち消した。
「大勢の通行人がいる前で堂々と私を連れ去り、ただで済むと思っているのか! すぐにでも、教皇庁の人間、制輝軍がお前を捕えに向かうぞ!」
「確かにあれは不測の事態でしたが、それはどうでしょうね……プリム様も御存知の通り、僕は枢機卿という立場であり、大企業と権力者に太いつながりがある僕は教皇庁に利益を与えている。そう簡単には手は出せないでしょう」
プリムの脅しなどまったく効いていない様子で、セイウスは性悪な笑みを浮かべていた。
「おそらく、これから教皇庁は緊急会議を開いて、あなたを攫った僕をどのような処分を下すのかを決めるでしょう。でも、教皇庁は大きな利益をもたらす枢機卿を簡単に処分はしないでしょう。前例を作ってしまえば、多くの枢機卿たちは自分たちも前例に倣って処分されると考えるから、どうにかして抜け道を作ろうとする。しかし、今回の件は大きくなり過ぎたので、教皇庁としては処分したいと思うはず。話は平行線になり、会議は間違いなく長引くでしょう」
自分のせいで混乱する愚かな教皇庁上層部を思い浮かべ、嬉々とした笑みを浮かべるセイウス。
「その間で僕の復讐は終わることができるし、仮に教皇庁が思い切った判断を下しても逃げる時間は大いにある――だから、教皇庁や制輝軍の人間はもちろん! いくらあなたのご友人であるリクト様や、白葉クロノ、もちろん、おとぎ話で出てくるような『
誰もプリムを助けに来ない状況に、セイウスは哄笑を上げる。
耳障りな哄笑に顔をしかめ、多少の不安を抱きながらも、プリムは前に自分のことを助けてくれたリクトとクロノのことを信じていた。
「何と言おうが私はリクトとクロノを信じる! そして、お前には必ず裁きが下るだろう!」
助けが来ない絶望的な状況にもかかわらず、リクトとプリムを信じているプリムの目にはまだ希望の光が宿っていた。
揺るがぬ希望を抱いているプリムを見て、気分良さそうに笑っていたセイウスの顔から感情が消え、彼女の希望を打ち砕きたいという衝動に駆られていた。
無意識に全身を突き動かす強い衝動のまま、ぼんやりと全身に緑白色の光を纏わせたセイウスはゆっくりとプリムに近づこうとすると――
「傷モノにされるのは困るな、セイウス君。頼むから落ち着いてくれたまえ」
激情に駆られたセイウスを制止させる理性的な声が室内に響くと、不承不承ながらもその声に従ってセイウスは我に返ると同時に全身を包んでいた緑白色の淡い光が消え去った。
セイウスを制止させた声は、プリムにはつい最近聞き覚えのある声だった――アカデミーに出発する前、突然自分に現れ、母の近況を教えてくれた人物の声だとすぐに気がついた。
声のする方へと、プリムは怒りを込めた視線を向けると、そこには落ち着き払った雰囲気の、長い黒髪の長身痩躯の青年が立っていた。
怒り心頭の様子のプリムと目が合うと、青年は彼女の怒りをさらに煽るようにニコリとフレンドリーな微笑みを浮かべた。
「やはりお前はあの時の男か! すべてはお前の仕業だったのだな! よくも私を騙したな!」
「最初から君は気づいていたのではないかな? 騙されていることに」
「母様のことを持ち出して、言葉巧みにこの私を煽るとは――この卑怯者め!」
声を荒げて激しい敵意をプリムは青年に向けるが、彼は薄ら笑みを浮かべて軽く受け流した。
青年の名前はわからないが、プリムは青年のことを知っていた――アカデミー都市に向かう前、海外にある教皇庁旧本部にある自室で会っているからだ。
その時、大勢の実力のある護衛に守られていたプリムの前に、青年は突然現れた。
音もなく突然現れた謎の青年に警戒心を高めて、護衛を呼ぼうとするプリムだったが、青年は武器や輝石を持っていないと言って慇懃無礼にプリムに挨拶をして、自分はアリシアの協力者であり、話を聞いてもらいたいと訴えた。
母の協力者らしい、名前を言わない胡散臭い青年にプリムは警戒心を向けながらも、敵意がなく、すぐにでも護衛を呼べるので彼の話に耳を傾けることにした。
『前回の事件で、あなたのお母様であるアリシア様は非常に立場を悪くなってしまった』――会話の最初に青年はアリシアのことを持ってきた。
胡散臭い青年の話など信用するつもりがないと思っていたプリムだったが、母のことを持ち出されて一気に彼の話に引き込まれてしまった。
表沙汰にはされていないが、前回の事件でリクトの命を狙ったとしてアリシアは多くの人間に疑いの目を向けられていて、立場が悪くなっていると伝え、自分が秘密裏にプリムに会いに来たのは、アリシアを心配したからと言って、自分がこの場所に現れたと知られたら自分はもちろんアリシアの立場も悪くなるかもしれないので、秘密にしてくれと頼んだ。
胡散臭いと思いつつも、前回の事件に母が関わっていないのかを確かめたいと思ったため、母と直に会って直接話をしたい衝動に駆られたプリムは、青年の言葉を信じてしまい、アカデミーに向かうことになった。
だが、セイウスと一緒にいる青年を見て、青年の話はすべて出鱈目であり、自分を誘き出す罠であったことをプリムはようやく悟ると同時に、疑いつつも彼の話に乗ってしまったことに激しい自己嫌悪と後悔を覚えた。
そんなプリムの心の中を見透かしたように、青年は嫌らしく笑った。
「君のような純粋な人間を騙すのは心苦しかったよ。だが、これを教訓として覚えておいてくれたまえ――純粋さは未来に進む原動力でもあるが、時として最大の失敗を招く、と」
どこかで聞いたことがあるような言葉を述べると、青年は懐から香水の瓶のような小さなスプレーボトルを取り出し、プリムの眼前に一度吹きかけた。
突然謎の液体を吹きかけられ、不快そうに顔を背けたプリムはすぐに文句を言おうとするが――喉と舌が痺れて声と息が上手く出せなくなってしまっていた。
声が出せないとともに呼吸困難に陥ったせいでパニックになっているプリムの様子を、青年は観察するように眺めていた。
「安心したまえ、一時的に麻痺させる薬品を君に吹きかけただけだ。ただ、輝石使い専用に開発したものなので、少々威力は高いが」
上手く呼吸ができないせいで朦朧とする意識の中、プリムの霞む視界で映る青年は口角を吊り上げて笑い、ついさっきまで理性的だった彼の顔がセイウス以上の狂気で歪んでいた。
「そろそろ君は意識を失うだろう。安心して身を委ねるんだ。起きる頃には、君は未来への希望になっているだろう! ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
子守唄には程遠い、狂気を滲ませた青年の高笑いを聞きながら、プリムの意識は途切れた。
母様……ごめんなさい……
リクト……クロノ……
意識を失う寸前、プリムは尊敬する母と、密かな想いを抱くリクトと、友人であるクロノを思い浮かべ、自分の勝手な行動のせいできっと迷惑をかけているであろうことに、心からの謝罪をした。
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