第19話

「あなたがいて、どうして勝手な真似をさせたのよ!」


「それについては、先程話した理由が――」


「結局いいように利用されて誘き出されただけなんだから、理由なんてどうでもいいのよ! あなたは護衛なんでしょう? だったら護衛対象が無理をしようとしたら抑える義務があるの! そんな当然なことくらいあなたほどの聖輝士なら理解できるでしょう?」


 部屋の外にいても十分に響き渡るほどのヒステリックなアリシアの怒声を、彼女がいる部屋の近くの壁に寄りかかって立っているティアは聞き耳を立てていた。


 部屋の中からはアリシアの怒声の他に、必死に彼女に訴えかけるグランの小さな声も響いていたが、ヒステリックになりながらももっともな正論を述べるアリシアの言葉に、ほとんど反論することができないでいた。


 まったく……子供のようだな。

 グランも聖輝士の立場でなければ、強く言い返しているだろう。


 感情のままに長時間喚いてるアリシアを子供のようだと呆れるとともに、聖輝士の立場であるグランの息苦しさにティアは憐れみを覚えていた。


 グランがアリシアの部屋に訪れてもう三十分経過しており、その間アリシアは疲れることなく怒声を張り上げ続けていた。そろそろ教皇庁が今回の事件の対応を決めるために緊急で会議が開かれるというのに、アリシアの怒りは止まることを知らなかった。


 アリシアの怒りを抑えるため、それ以上に娘のプリムの想いを知ってもらうため、プリムが母であるアリシアのためにアカデミーに訪れたことをグランは伝えたが、プリムが心配するほど自分の身は危うくないとアリシアは吐き捨てるように言って、プリムは何者かに誘き出された可能性が生まれてアリシアはさらに機嫌が悪くなったようにティアには聞こえた。


 プリムがアカデミー都市に誘き出された可能性は十分にあった。しかし、それでもプリムは追い詰められていると聞いた母を心配してアカデミー都市に訪れたことを話せば、きっとアリシアも理解してくれるとグランは思っていたようだが、アリシアに何を言っても逆上させるだけだとティアは確信していた。


 娘は母に対して尊敬を抱いているようだが、母は違うとティアは感じていたからだ。


 ティアの予想通り、娘がアカデミーに突然現れた理由を聞いて感動することなく、娘が思うほど危機的状況に陥っていないアリシアは、何者かが娘に偽の情報を与えてセイウスに誘き出された可能性があることを察して逆上した。


「事件を引き起こしたのはセイウスとはいえ、事件を引き起こした大きな原因は護衛対象の勝手を許したあなたが原因でもある。この件を鎮静化させる命令と、相応の処分が下ると覚悟しておきなさい!」


「承知しています。責任のすべては自分にあります――自分が巻き込んだ輝士たちにはいっさいの責任はありません」


「いい度胸ね。それならここから出て行って、教皇庁の判断が言い渡されるまで首を洗って待っていなさい!」


 厚い壁を隔てた場所にいるティアの耳に届くほどの力強い声で、グランは相応の処分が下ることを甘んじて受け入れることを了承した。


 巻き込んだ輝士たちの責任を被ることに迷いはなく、覚悟を決めたグランの態度がさらにアリシアを苛立たせたのか、最後に思いきり怒声を浴びせてから彼を部屋から出て行かせた。

 

 アリシアの部屋から出たグランは、ようやくアリシアの説教が終わって深々と安堵したように、それでいて落胆したようにため息を漏らした。


「相当絞られたようだな」


「まあ、覚悟はしていたよ」


 声をかけられてティアがいることに気づいたグランは、彼女に向けて長時間アリシアに怒声を浴びせられていたとは思えないほど明るい笑みを浮かべた。


「それにしても、部屋に聞き耳を立てているとは行儀がなっていないな、ティア」


「子供のようにあれだけ喚けば、聞き耳を立てなくとも耳に入ってくる」


 ヒステリックな声で喚き散らすアリシアを子供のようだと揶揄する怖いもの知らずのティアに、グランは思わず噴き出してしまった。


「言い返せば、少しはアリシアの熱が冷めたぞ」


「勘弁してくれ。俺は聖輝士なんだぞ。立場上そんなことができるはずがないだろう」


「……すまなかったな」


 話の途中で唐突に謝ってきたティアに、目をしばたたかせて一瞬フリーズしてしまうグラン。


「……お前の口から謝罪の言葉が聞けるなんて、珍しいな」


「茶化すな。力になれなかったから本当に申し訳ないと思っているんだぞ」


 自分の謝罪を聞いてからかうような笑みを浮かべるグランを、バツが悪そうな顔になったティアは恨みがましい目で一度睨みつけた。


 責任を感じてくれるティアに、優しく、嬉しそうな笑みをグランは浮かべると、ティアの美しい銀髪を一度撫でた。撫でられたティアは不機嫌そうに頭を揺らして、彼の手を振り払った。


 無言で気安く自分に触れるな、子供扱いするなと訴える不機嫌なティアの鋭い視線に、グランは楽しそうに一度笑うと、真剣な表情でティアをジッと見つめた。


「お前が責任を感じることはない。今回の件の責任はすべて私にある。だから、お前はもちろん、お前の友人や、お前の家族にも何も害は与えない――絶対に守ってやる」


 ニッと力強い笑顔を浮かべるグランを、ティアは複雑そうに見つめた。


「お前は昔から責任感が強すぎる……一人で背負おうとするな。もっと周りをよく見て、誰かに助けを求めることも重要だ」


「ありがたい忠告、痛み入るよ」


 すべての責任を背負おうとするグランに、すべてを背負い過ぎた結果セラを苦しめる形になってしまった以前の自分の姿が過ったティアは忠告をする。


 自分を心配してくれてのティアの忠告に感謝するグランは、力の入り過ぎていた身体を少しだけ脱力させるが――すべての責任を背負うという気持ちだけは変わらなかった。


 グランの気持ちがまったく変わっていないことを悟ったティアは、心の中で嘆息した。


「……それで、これからどうなるんだ」


「今回の事件は枢機卿が次期教皇最有力候補を攫ったという前代未聞の大事件だ。これから行われる会議の決定を待つしか我々にはできない」


 何気ないティアの質問に、心底不承不承といった様子で答えるグランの拳は、すぐにでもプリムを助けに向かうことができない苛立ちと悔しさできつく握られていた。


「今はそれしかできないのか?」


「お前もわかっているだろう。相手は罪を犯しても、腐っても枢機卿だ。それも、セイウスは多くの大企業に太いパイプを持っている。教皇庁にとって大きな利益をもたらす存在だ」


 忌々しげに簡単には手を出せない枢機卿の立場を説明するグラン。


 言われなくとも、実家が教皇庁と関わり深いティアには十分に理解していた。


 理解していながらも、他人の口から現実を聞きたかった――改めて現実を思い知れば、きっと自分の迷いがなくなると思っていたからだ。


 ティアの実家であるフリューゲル家のような古くから熱心に教皇庁に仕えてきた枢機卿を追いやって、先代教皇は利益優先の枢機卿選出方法を掲げ、どれだけ外部の企業と太いパイプでつながれているのかを重視して枢機卿を選んだ。


 その結果教皇庁は大きな組織になったが、利益を優先するあまり枢機卿の人間性を無視した結果、セイウスのように枢機卿の立場を存分に利用する枢機卿が多く現れた。


 セイウスのような腐った枢機卿は、自分たちが教皇庁にとって大きな利益になる存在だと自覚して、簡単には手を出せないだろうと高をくくっていた。


 事実、枢機卿が不祥事を起こしても教皇庁はあらゆる手段を講じて守ってきた。


 これまでと同様、教皇庁の利益となる存在である枢機卿・セイウスが起こした前代未聞の今回の事件でも、組織にとって利益となるセイウスを教皇庁は簡単には切り離さないのはもちろん、最終的には擁護するだろうとティアは容易に予想はできた。


「その場の気持ちに身を任せて、考えもなしに枢機卿に手を出せば、教皇庁はもちろん、枢機卿とつながる大きな企業や組織から狙われることになる」


「……そうだな」


 グランの言葉の一つ一つが、ティアの中に眠っていた不安を刺激した。


「下手な真似をするんじゃないぞ、ティア」


「……わかっている」


「本当にわかっているんだろうな」


 妙に聞き分けが良いティアをグランは不審そうに、それ以上に不安そうに見つめていると、ティアは迷いのない足取りで立ち去ろうとする。


「心配するのは私じゃない……


 今回の件を解決するため、無茶をする七瀬幸太郎のことを思い浮かべたティアは、そう言い残して、グランの前から去った。


 離れ行くティアの背中を眺めていたグランは、ティアから強い不安と、それ以上の決意を感じ取り、彼女の背中が小さく弱々しいように見えたような気がした。


 様子がおかしかったが、強い決意を抱いて他者を寄せつけない威圧感を放っているティアを、グランは引き止めることができなかった。


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