第17話

「……それは本当なの?」


 教皇庁本部にある客室にいるアリシアは、聞いたばかりのジェリコの報告を、感情を無理矢理押し殺しながらも、動揺を抑えきれていない声で聞き返した。


「間違いありません。プリメイラ様はセイウスの手によって攫われました」


 娘がセイウスの手によって誘拐されたこと再びジェリコが淡々と説明すると、一瞬の間を置いて、ようやくアリシアは状況を理解することができた。


 教皇庁本部の大会議室で開かれた退屈な会議が終わって、一息ついていたアリシアだったが、教皇庁はもちろん自分に何も言わず、僅かな護衛だけで勝手にアカデミー都市に来た挙句、護衛の隙をついて一人で勝手に行動した結果、娘が大事に巻き込まれたことを知って、激情が爆発しそうになる。


 しかし、今は感情が爆発するのを抑え、冷静になって状況を把握することに専念した。


 今回の件は前代未聞の事態であり、これから緊急で会議が開かれると考えれば、今は激情に身を任せている場合ではなかった。


「枢機卿が次期教皇最有力候補を誘拐したという前代未聞の事件よ。確実にこれから教皇庁は対応を練るために会議を緊急に開くわ。その前に詳しい状況が知りたいの。教えてちょうだい」


 苛立ちを無理矢理押さえて平静を装うアリシアだが、声は刺々しく不機嫌なものだった。


 そんなアリシアの機嫌の悪さを気にすることなく、ジェリコは淡々と説明を続ける。


「まだ制輝軍による詳しい報告は上がっていませんが、誘拐の現場に居合わせた目撃者の情報によると、どうやらプリメイラ様はリクト様と、風紀委員二名と、制輝軍二名と一緒に行動していたようです。しかし、途中セイウスが現れ、信じられない力を発揮したセイウスの手によってプリメイラ様は連れ去られたということです」


「なるほど……リクトと一緒にいたのね」


「ええ。今、制輝軍本部で取調べを受けているようです」


 娘が攫われた時にリクトと一緒にいたということを聞いて幾分アリシアの機嫌が直ったのか、余裕そうに微笑んだ。機嫌が直ると同時にアリシアにだいぶ冷静さが戻ってきた。


 冷静さが戻ると同時に、今回の事件についての多くの疑念が生まれた。


 今回の事件は前回の事件で自分がセイウスを裏切ったことによる復讐だとアリシアは確信していた。だが、次期教皇最有力候補を誘拐するという事件は、腰抜けのセイウスにしては大胆過ぎると思っていた。


 それに加えて、セイウスの輝石使いとしての実力は低く、リクトたちが傍にいたのにもかかわらず、彼らを一蹴してプリムを誘拐したのはありえないと思っていた。


 それらから推測すると、セイウスに協力者がいることは間違いなかった。


 問題はその協力者のことだが――冷静になったアリシアの頭の中に一人の人物が過った。


 顔半分を覆い隠す仮面を被った正体不明の男であり、自分の協力者――『ヘルメス』と名乗る男のことを。


 自分の協力者が裏切ったかもしれなという疑念に、治まった苛立ちが焦燥感とともにアリシアの胸の中から沸いて出てきた。


「……今回の件、どう対処しますか?」


 事件の対応を尋ねるジェリコに、アリシアは抱いた疑念を胸の中に無理矢理しまい込んで、目の前の問題を片付けることに集中する。


「枢機卿が関わっている前代未聞の今回の件――鳳グループの信用が失墜している今、周囲の信用を得るために躍起になっている教皇庁は対処に手間取る。教皇庁の判断を待ちたいところだけど、時間がかかれば取り返しがつかないことになる可能性が大いにある。『あれ』を傷モノにはできないわ」


 セイウスに誘拐された娘を忌々しく思いながら、アリシアはそう吐き捨てた。


「今回の件はリクトも関わってる……これを上手く利用するわ」


 冷酷な笑みを浮かべて、アリシアはリクトを存分に利用することに決めた。


「幸い、リクトはあれと仲が良いわ。それに加えて、リクトは昔のような腰抜けじゃなくて、今では勇敢な性格になった。それを上手く利用して、あなたには上手くリクトを煽ってもらうわ。方法は問わない、あなたの好きにしなさい。私もできる限りはあなたのサポートをするわ」


 アリシアの命令に、ジェリコは「了解しました」と従順に頭を下げた。


「上手くリクトを煽ることができれば、リクトは教皇庁の判断を待たずに勝手に暴走してセイウスと対峙する。そうなれば、枢機卿に手を出したとしてリクトは次期教皇候補としての立場を悪くして、最悪の場合次期教皇候補から外されるかもしれない――事件も解決するし、私の目的も果たせるし、一石二鳥だわ。さっそく行動しなさい」


 気分良さそうな笑みを浮かべるアリシアに急かされ、ジェリコはすぐに部屋を出て、自分の任務を果たしに向かった。


 事件の話を聞いた時は勝手に行動した娘と、娘を誘拐したセイウスに対しての激情に支配されそうになっていたアリシアだったが、ここに来てようやくリラックスしてきた。


 同時に、今回の事件は想定外だったが、上手く行けば自分の目的が果たせるかもしれないということに、アリシアは内心興奮していた。


 自分の協力者に裏切られているかもしれなという疑念と不安があったが、自分が利用され裏切られていようが最終的には自分の利益になればアリシアは構わなかった。


 すっかりリラックスしているアリシアは、これから教皇庁が今回の事件の対応をするために慌てて開くであろう会議で、どんなことを言おうか考えていた。


 だが、アリシアの思考を中断するように、部屋の扉がノックされ、彼女の返事も待たずに「失礼します」と一人の青年が慌ただしく部屋に入ってきた。


 部屋に入ってきた青年――娘の護衛でありながらも、勝手な真似を許して娘をアカデミー都市まで連れてきた聖輝士グラン・レイブルズを見て、アリシアの機嫌が一気に悪くなる。


「今から四十分後に緊急会議が開かれることになりました」


 娘の護衛をまともにできなかったのにもかかわらず、今回の事件について教皇庁が緊急会議を開かれることになったことをわざわざしに報告に来たグランの度胸と、面の皮の厚さをアリシアは心の中で褒めた。


「言い訳をする時間は与えてあげる」


「そのつもりはありません」


「……そう、いい度胸ね」


 言い訳をする猶予を与えたが、言い訳をしないと言ってのけた殊勝な態度のグランに、アリシアは穏やかな笑顔を浮かべた後――たまりにたまった激情を一気に爆発させた。


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