第14話

 全体的に治安が良いアカデミー都市であるが、不良のたまり場や、怪しげな商品が立ち並ぶ治安が悪いイーストエリアの裏通り付近にある、周囲に香ばしいにおいを漂わせる、寂れているが趣がある開拓時代の酒場のような外観の、知る人ぞ知る名店であるステーキハウス。


 強面で立派な髭を生やした、仏頂面のダンディな店主がマスターを務めているステーキハウスに、一人のバイトがせっせと働いていた。


 そのバイトはこの店の常連客であり、派手に金に染めた長い髪をオールバックにして、訪れる客に対して嫌味のごとく食欲減退色である、上下ともに真っ青な服を着た派手な外見の、かつて存在していて所属していた治安維持部隊の輝動隊で『狂犬』と呼ばれて敵味方双方に恐れられていた青年・刈谷祥かりや しょうだった。


「へい、お待ちー。Tボーンステーキは薫ネエさん、ステーキハウスに来たのにもかかわらず、女々しくヘルシーな豆腐ハンバーグを頼んだのは大道だったな」


 刈谷は熱された鉄板の上で肉汁が激しく踊っているTボーンステーキを、薄い胸元を強調させるように大きく開いたドレスのような蠱惑的な服を着て、手足がすらっと伸びた長身痩躯のポニーテールの妖艶で淫猥な雰囲気漂う美女――ではなく、美男子である萌乃薫もえの かおるの前に置いた。


 そして、ふっくらとした豆腐ハンバーグを、奇抜な服装をしてクレイジーな雰囲気を纏っている刈谷の友人でありながらも、刈谷とは正反対の落ち着いた雰囲気を身に纏う、作務衣を着た穏やかな顔つきの坊主頭の青年・大道共慈だいどう きょうじの前に置いた。


 大道は刈谷が汗水色々なものを垂らして働く刈谷の姿が見たいという萌乃の奢りで、刈谷のバイト先であるステーキハウスに訪れていた。


「もー、待ってたわぁ、お腹空いちゃった。それじゃあ、いただきまーす♪」


「ごちそうになります、萌乃さん。いただきます」


 男とは思えないほど、甘ったるい猫撫でボイスの萌乃は優雅な手つきでステーキを食べはじめる。奢ってくれる萌乃への感謝をして、大道も食事をはじめる。


「んー、相変わらず良い焼き加減。さすがね、マスター」


 萌乃の賛辞とウインクに、自分の仕事をしていて反応できなかったマスターだが、照れたように頬をほのかに紅潮させていた。


「お肉が柔らかくて舌が蕩けちゃいそう……んぁあ! ダメ、ソースが、ソースが口の中を蹂躙するのっ! 抑えられない、食欲と涎が抑えられないのぉ! あっ、あっ、もうダメ、もうダメ! あっ、あっ、ああっ! 美味しすぎてもう蕩けちゃうのぉおおおおおおおお、ああああああああああもうダメぇえええええ!」


 艶めかしく身をよじりながら絶品ステーキを堪能して、男のリビドーを刺激するような絶頂の声を上げて悶える萌乃。突然の甘い嬌声に店内にいる大道と刈谷以外の客が何事かと反応してしまって萌乃に注目が集まった。


「……ネエさん、営業妨害です」


「ごめんね、私、舌が泣き所なの」


「知りたくないっすよ」


 一人快感に打ち震えている萌乃に刈谷はツッコむが、恍惚とした表情を浮かべている萌乃の耳に届かなかった。大道は黙々と豆腐ハンバーグを食べていた。


「まったく……さっさと食って帰ってくださいよ」


「もう、冷たいな。そんな態度だと、今年もバレンタインデーのチョコはもらえないぞ☆」


「よ、余計なお世話ですよ! 今年こそは絶対にもらえる――と思いますから!」


 痛いところを突かれて刈谷は悔しそうに歯ぎしりをしながらも、迫るバレンタインデーの日のために気合を入れた。


 奇抜なセンスさえ身を瞑れば、顔だけはいい刈谷を萌乃は見つめると、照れながらもいたずらっぽく微笑んで「そうだ!」と何かを閃いた。


「私が祥ちゃんのために、愛情と友情とその他諸々色々なものが混ざって、ギューッて詰め込まれたトロトロに蕩けちゃうほどの甘―いチョコを贈ってあげようかな?」


 いたずらっぽく、そして、蠱惑的に微笑む萌乃の魅力的な提案に、刈谷は生唾を呑み込んだ。


 知らない人が見れば萌乃はセクシーな女性だが――彼は『彼女』ではない。


 鳳グループの幹部とアカデミーの校医を兼任して、自由気ままに生活をしている萌乃だが、かつて萌乃は伊波大和が輝動隊の隊長を務める前に隊長を務めており、輝動隊隊長時代に辣腕を振っていた萌乃のことを刈谷はよく知っていた。


 その姿を見ていたので、どうしても刈谷は萌乃のことは男にしか見えなかった。


 しかし、バレンタインデーにチョコをもらいたいという相容れない思いを抱いていた。


 男、チョコ、男、チョコ、男、チョコ、男――刈谷の頭にその言葉がグルグルと回っていた。


 一瞬だが、刈谷にとっては永遠とも思える時間で熟考した結果、刈谷の出した答えは――


「丁重にお断りさせていただきます、薫ネエさん」


「あら、残念。せーっかく祥ちゃんのために腕によりをかけて作ろうと思ったのになぁ」


「ネエさん……俺は自分の力で、いや、魅力でチョコをもらいたいのです。そうでなければ、バレンタインという日は茶番になってしまう」


 かわいらしく口を尖らせる萌乃に、遠い目をして爽やかな雰囲気を醸し出している刈谷は妙にカッコつけたキザっぽい台詞を吐いた。


「もらっておけばいいだろう。どうせ毎年恒例でもらえないのだから」


 豆腐ハンバーグを食べ終えた大道は、強がってカッコつけている刈谷に厳しい言葉を放つ。


 自分の苦悩を嘲る大道の発言に、バイト中であることを忘れて刈谷はヒートアップする。


「うるっせぇんだよインチキクソ坊主! 訓練と称して大勢に媚び売ってもらってたくせに!」


「勘違いするな。私はただ輝士団の古株として、輝士団団員たちの訓練を行っていただけだ。邪心はない。……まったく、憐れな奴だ」


 大道の心底自分を憐れむような視線を向けられ、刈谷の理性の糸がプツリと音を立てて切れそうになる。そんな刈谷を見て、萌乃は止めることなく楽しそうに笑っていた。


 刈谷が激怒する寸前――店内に新たな客が入ってくる。


 新たな客が入ってきて、バイト中であることを思い出して少しだけクールダウンした刈谷は歪んだ愛想笑いを浮かべて不機嫌そうに「いらっしゃいませ」と挨拶して、客に視線を向ける。


 入ってきた客は幸太郎、リクト、サラサ、アリス、クロノ、そして見知らぬ少女だった。


「どうも、刈谷さん、マスター。お邪魔します」


 締まりのない顔で笑みを浮かべて挨拶をする幸太郎に、刈谷はニッと歯をむき出しにして笑って「よお」と挨拶を返し、フレンドリーに挨拶してくれる常連客にマスターは何も言わなかったが軽く会釈をして出迎えた。


「風紀委員の幸太郎とサラサ、次期教皇最有力候補のリクト、そんで、制輝軍の白葉の弟に、ヴィクターの娘――中々変な組み合わせだな。今日はどうしたんだ?」


 風紀委員、次期教皇最有力候補、制輝軍という興味をそそる組み合わせを興味深げに眺めている刈谷の機嫌はすっかり直っていた。


「色々あってアカデミーを案内することになって、ここで昼食を食べることになったんです」


「案内って、もしかしてこのガキンチョにアカデミーを案内してたのか?」


 幸太郎の説明を聞いて、刈谷は安物の帽子を被った見知らぬ少女に視線を向けて、無遠慮に指を差した。すると、帽子を被った少女は不機嫌な表情を刈谷に向けて、睨みつける。


「おい、コータロー! この恥ずかしい服を恥ずかしげもなく着ている恥知らずの無礼者は一体何者だ!」


「随分な言い方だな、おい、幸太郎。このクソ生意気なクソガキは一体誰だ」


 刈谷と少女、責めるようで八つ当たりをするような二人の視線が幸太郎にぶつかると――萌乃がクスクスと色っぽく笑った。


「プリメイラ・ルーベリアちゃんね。その勝気な性格、お母さんにそっくりね」


 意味深な笑みを浮かべている萌乃の言葉に刈谷は訝しみ、大道は驚いていた。


 自分を知っている妖艶な美女――ではなく、男の萌乃薫を見て、帽子を被った少女・プリムは警戒心を高めた。


「このガキンチョがリクトと同じ次期教皇最有力候補? おい、リクト、本当なのかよ」


「え、えっと……は、はい……そうです」


 目の前にいる生意気な少女がプリムだということを信じられない刈谷の質問に、リクトは気まずそうに頷いた。


「次期教皇最有力候補がアカデミーに訪れるという話は聞いていないし、教皇庁から派遣されたボディガードや輝士などの護衛も見当たらない――制輝軍の二人が護衛かもしれないが、護衛にしては少なすぎる……どういうことだ?」


 アカデミーに突然現れたプリムに、何か裏があると察した大道は、事情を詳しく知っていそうなリクト、アリス、クロノの三人に鋭い目を向けて説明を求める。


 説明を求められ、リクトは「すみません」と頭を下げ、「知らないわよ」とウンザリした様子でアリスは答え、「知らん」とクロノは短く突き放すように答えた。


「細かいことは気にするな! それよりも、お前は大道共慈だな! お前の素晴らしい活躍も聞いているぞ! 先月の事件では大活躍だったそうではないか! 褒めてやろう!」


「細かいことを気にするなと言われても、君は――」


「まあまあ、別にいいじゃない共慈ちゃん」


 細かいことを気にするなと言われても納得できない大道はさらに追及しようとするが、そんな萌乃の猫撫でボイスが制した。


「プリムちゃんはお腹が空いてるって言ってたんだし、まずは食べましょうよ。ね? 今日は私の奢りでいいから、たーんと食べていいわよ、たーんと」


 ニヤニヤ笑う萌乃の提案に、幸太郎は「ありがとうございます!」と嬉々とした笑顔を浮かべて、サラサとともに萌乃の近くの席に座った。


 幸太郎とサラサに続いて、リクトは奢ってくれる萌乃に「ありがとうございます、萌乃さん」と深々と頭を下げて感謝の言葉を述べて幸太郎の隣に座り、アリスとクロノは萌乃を不審そうに一瞥した後に席に座った。


 しかし、威嚇する子供の肉食動物のようにプリムは警戒心をむき出しにした様子で萌乃をジッと睨んだまま動かなかった。そんな彼女を見て、萌乃は優しいが、妖しげな笑みを浮かべた。


「そんなに警戒しなくてもいいのよ、プリムちゃん。私は仲良くしたいだけだから」


「萌乃薫! お前は危険な人物だと母様が言っていた! だから信用はできないな!」


「あら、そんなことをアリシアちゃんが言っていたの? ちょっとショック。アリシアちゃんとは仲良くしたかったんだけどな。ねえ、もしよかったら、アリシアちゃんのことを教えてくれない? ……もっと、仲良くなりたいんだけどなぁ❤」


 腹に一物も二物も抱えているような笑みを浮かべて、プリムの母であるアリシアの情報を求める萌乃に、さらにプリムの警戒心が高まり、強い意志が込められた力強い目で彼を睨んだ。


「母様ことを知って何かを企もうとしているのだろうが、お前の魂胆には乗らぬぞ!」


 力強いプリムの目からは、母であるアリシアのことを守るとしている必死さが宿っていた。


 母を大事に思っているプリムを見て、「そうなの」と萌乃は優しく、嬉しそうでありながらも、寂しそうな笑みを浮かべて満足そうに頷いた。


 そんな萌乃の様子に、プリムの敵意が薄れてしまうが、警戒心だけはまだ高めていた。


「それじゃあ、今日はアリシアちゃんのことは聞かないわ。ほら、お腹が空いているんでしょう? 早く座りなさい」


 優しげな萌乃の言葉に、すっかり毒気が削がれたプリムは「う、うむ……」と頷いて席に座った。しかし、高めた警戒心はそのままで、張り詰めた表情で萌乃の様子を窺っていた。


「それにしても、幸太郎ちゃんもこのお店を知ってるなんて知らなかったわ」


「刈谷さんからオススメのお店って紹介されて奢ってもらったんです。すごく美味しかったんで月に何度か来るようになりました」


「あらあら、人に奢るなんてケチな祥ちゃんにしては珍しいわね」


「失礼なことを言わないでくださいよ、ネエさん。俺だってたまには太っ腹になる時だってあるんですからね――おい、お前ら。さっさと注文を言え」


 幸太郎と萌乃の会話に割って入った刈谷は、店員にはあるまじき態度でメニューを尋ねる。


 萌乃の奢りなので、リクト、サラサ、一応アリスとクロノも控え目な値段のステーキを頼んだが、プリムと幸太郎は遠慮なく高いステーキを頼んた。


「実は祥ちゃんがこのお店を知ってるのは、克也さんから聞いたからなのよ」


「それじゃあ、元々克也さんオススメのお店だったんですね」


 意外な事実を萌乃から聞いて、幸太郎は情けなく大口を開けて驚いていた。


 鳳グループトップの秘書を務めている御柴克也の話が出てきて、プリムは警戒心を保ったままだが興味深そうに聞いていた。そんなプリムを萌乃は一瞥して、満足そうな笑みを浮かべた。


「祥ちゃん、昔のやんちゃだった頃の克也さんを知っていて、克也さんを尊敬してるのよ」


「それじゃあ、克也さんって刈谷さんと同じような服を着ていたんですか?」


「……それはないわ。絶対にない。あれは祥ちゃんオリジナルよ」


 科学系廃棄物から垂れ流される廃液のような毒々しい青色の服を着た刈谷を見ながらの幸太郎の純粋な疑問に、克也と刈谷を一緒にするなと言わんばかりに真面目に萌乃は否定した。


「克也さんといえば、リクトちゃんやクロノちゃん、プリムちゃんも海外出張で教皇庁旧本日に訪れた克也さんにお世話になったんでしょ? 公にはされてないけど、次期教皇最有力候補の不正をリクトちゃんたちと一緒に暴いたって聞いたわよ」


「そうだな、確かにカツヤには世話になったぞ! 鳳グループとは相容れないと思っているが、カツヤは信頼に足る男だ!」


 自分の言葉に同意を示してくれるプリム。克也のことを褒めているのに、萌乃は「そうでしょう、そうでしょう!」と自分のことのように喜んでいた。


 萌乃の様子を窺うことを忘れて、彼の話に乗っかってしまったプリムはしまったと言わんばかりの表情になり、すぐに元の張り詰めた表情で改めて彼の様子を窺っていた。


「傍で活躍を見れなかったのは残念だけど、克也さんが活躍した姿が頭に浮かぶわぁ……あぁ、想像すると、抑えきれなくなっちゃうのぉおお!」


 御柴克也を想うと身体中に電撃のような快感が襲う体質の萌乃は、恍惚に満ちた表情を浮かべていた。


「ネエさん、目の前に未成年がいることを忘れないでください。今のアンタは完全に変質者だ」


 幸太郎たちが頼んだステーキを運んできた刈谷は、悦楽に満ちている萌乃のことを一歩引いた様子で呆れたように見ていた。


「あーら、恋する乙女を変質者呼ばわりだなんて失礼しちゃうわね! 乙女心を理解できない冷めた部分があるから祥ちゃんはいつまで経ってもチョコをもらえないのよ!」


「余計なお世話だっての! というか、アンタは乙女じゃないでしょうが!」


「わかっていないわねぇ、祥ちゃん。恋をすればみんな乙女のように純粋になるのよ!」


 乙女心を理解できない刈谷に萌乃は深々と嘆息すると、思い立ったように幸太郎たちに視線を向けた。


「今度のバレンタインデーにみんなは誰かにチョコをもらったり、あげたりする予定はないの?」


 ニタニタと笑みを浮かべた萌乃の質問に、興味のないアリスとクロノは相手にせず、リクトとサラサは照れたように頬を紅潮させ、プリムはチラチラとリクトを見ていた。


 様々な想いを抱いている中、誰もその想いを口には出さなかったが――「予定ありますよ」と深く考えている様子なく幸太郎は答えた。


「僕がリクト君に手作りチョコをあげて、リクト君が僕に手作りチョコをくれるんです」


 幸太郎の言葉を聞いて、クロノは興味なさそうにして、アリスとサラサはほんの少しだけ興味ある様子で、プリムは不機嫌になり、リクトは照れ笑いを浮かべていた。


 照れ笑いを浮かべるリクトを見て、萌乃は仲間を見つけたような嬉々とした顔になった。


「それなら、私も幸太郎ちゃんにシタが蕩けちゃう手作りチョコをプレゼントしようかな?」


「是非お願いします」


「本気か? わかってると思うがネエさんは男だぞ? 男にチョコをもらって嬉しいのか?」


 何の躊躇いもなく萌乃からチョコをもらおうとしている幸太郎に少し引いている刈谷。


「薫先生、この中で一番女子力高くて、料理も上手そうだから楽しみです」


「あら、どこかの誰かさんみたいにカッコつけて変な意地張らないで、嬉しいこと言ってくれるなぁ、幸太郎ちゃんは。純粋な態度の子はおにーさん、大好きだぞ☆ 幸太郎ちゃんの期待に応えちゃうから楽しみにしていてね❤」


 何気なく放った幸太郎の言葉に、アリスとサラサは不満気な表情になり、萌乃は嬉しそうな笑みを浮かべて気合が入ったようだった。


 新たなライバル? の登場にリクトも気合が入っていた。


 そして、一人刈谷は自分の決断は間違っていたのかもしれないと、少し後悔していた。


 肩を落として後悔している刈谷を、大道は何も言わずに憐れむように見つめていた。

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