第二章 アカデミー都市観光ツアー

第9話

 多くのショッピングモールやアミューズメント施設が立ち並ぶイーストエリア――アカデミーに通う生徒が良く利用しているショッピングモールにあるチョコ専門店には、店オリジナルの店主の手作りチョコが売られているだけではなく、チョコレートを作るための材料が多く揃い、カフェも併設されていた。


 普段から店で売られている美味しいチョコを目当てで多くの学生たちが訪れているか、バレンタインデーが目前と迫っているだけあって、休日の内に自分の想い人のためにチョコを作ろうと考えているアカデミーに通う多くの生徒たちが訪れていた。そんな中にセラもいた。


 セラは前からこの日に一緒に買い物に出かけると決めていた、三つ編みおさげで眼鏡をかけた地味だがスタイルが良く、よく見るとかわいい少女――水月沙菜と一緒にいた。


 優輝のためにチョコを作ろうとしている沙菜のために、優輝がどんなチョコを作れば喜ばれるのかアドバイスをするために彼女の買い物に付き合っていた。


 マニッシュな服装のセラと、地味目だがかわいらしい服装の沙菜の二人は、傍目から見れば恋人のようでもあった。


「ある程度作るチョコを決めていましたが……これだけ材料が多いと選択肢が多くなってしまうので、迷ってしまいますね」


「沙菜さんは知っていると思いますが、優輝は甘すぎるお菓子は得意ではないので、ビターなチョコを作るのを前提にして材料を選びましょうよ」


「そうですね。優輝さんには抹茶の生チョコを贈ろうと思うのですが……どうでしょう」


「いいと思います。優輝は緑茶が好きですから、きっと喜びますよ」


「それじゃあ、それに決めます。ありがとうございます、セラさん」


「沙菜さんの手作りでしたら優輝はなんでも喜ぶと思うので、難しく考えなくても大丈夫ですよ」


「も、もう……か、からかわないでくださいよ、セラさん」


 セラのアドバイスで優輝のために作るチョコを決めた沙菜は、さっそく材料を選びはじめる。セラも自分が作るチョコの材料を選びはじめた。


 三十分後、材料を買い終えたセラと沙菜は多くの人で混雑している店から出ると、セラは疲れたように小さくため息を漏らした。


「人混みにいたせいで少し疲れましたね。一旦どこかで休憩しませんか?」


「それなら、この間の優輝さんと一緒に行った喫茶店が近くにあるんですが、そこで休憩しませんか?」


 沙菜の提案に「そうしましょう」とセラは快く応じて、沙菜の案内で喫茶店へと向かう。


「そういえば、セラさんもチョコの材料を買ったんですね……誰に贈るんですか?」


 喫茶店に向かう道中、自分と同様にチョコ専門店でチョコの材料を買ったセラに何気なく沙菜は質問すると、セラは一瞬答えに窮してしまった。だが、すぐにわざとらしく咳払いをして、質問に答える。


「取り敢えず、毎年贈っている優輝や、父、それと優輝のお父様――師匠に贈るつもりです」


「七瀬君には贈らないんですか?」


「え、えっと、そのつもりです。幸太郎君には色々とお世話になっていますし……」


 何気ない沙菜の言葉にセラは素っ頓狂な声を上げてしまい、心が揺さぶられてしまう。


 だが、セラは必死に動揺を隠して平静に努めると、普段内気で自信がない沙菜の表情が小悪魔っぽくなる。


「七瀬君はセラさんにとって特別なんですね」


「べ、別にそういうわけではありませんから!」


 いたずらっぽく微笑んだ沙菜の一言に、セラは慌てて否定する。


「も、もちろん幸太郎君以外にもお世話になった人に贈るつもりですし、別に幸太郎君だけが特別というわけではありません」


「それなら、七瀬君のことをどう思っているんですか?」


「そ、尊敬しているだけあって、それ以上もそれ以下の感情は抱いていません!」


 一瞬答えに窮しながらも、動揺を隠しきれなくなったセラはムキになった様子で声を張り上げて沙菜の質問に答えた。


 沙菜は邪推しているが、幸太郎に対してセラが抱いているのは尊敬の念であることは事実だった。


 輝石使いでありながらも輝石の力を扱うことができない幸太郎だが、自分が弱いことを理由にしないで、自分に襲いかかる困難に敢然と立ち向かい、相手を気遣う優しさを持っている彼を何度も見ているセラは、彼に対して強い尊敬の念を抱いているだけだった。


「もう! 変なことを聞かないでくださいよ、沙菜さん!」


「別に変なことを聞いたわけではありませんよ。少し気になっただけです」


 意地悪な笑みを浮かべている沙菜を、子供のようにむくれた表情で恨みがましく睨むセラ。少しからかい過ぎたと思った沙菜は、「ごめんなさい」とお茶目に笑いながら謝った。


「……あれは、もしかして七瀬君たちでは?」


「じょ、冗談はいい加減に――って、確かにそうですね。そういえば、今日はリクト君と一緒に買い物に出かけると言っていましたが――……彼女は一体――いや、彼女、どこかで……」


「……も、もしかして、あの子は……」


 自分をからかっていると思ったセラだが、確かに沙菜の視線の先には幸太郎がいた。幸太郎の他にはリクトと、安物の帽子を頭ながらも高級そうな服を着ている見知らぬ少女がいた。


 見知らぬ少女だったが、どこかでセラはその少女を見た気がしていた。そして、少女の姿を見て、セラよりも早く少女が何者かに気づいた沙菜は驚いていた。


 セラたちに気づいた幸太郎は、小走りで駆け寄ってきた。同時にリクトと少女も近づいてくる。近づくにつれ、帽子で隠された少女の顔が見えてくると――セラは少女の正体にようやく気づいた。


 まだ十歳という年齢で煌石を扱える高い素質を持っており、リクトと同じく次期教皇最有力候補の一人であるプリメイラ・ルーベリアだということに気づいた。


 ど、どうして彼女がアカデミーに。

 確か、彼女は教皇庁旧本部にいるはずでは……


 プリムの姿を見て、セラは様々な疑問が一気に浮かんでしまった。


「セラさん、水月先輩、おはよ――」


「おお、お前がセラ・ヴァイスハルトか! お前の多くの活躍譚はアカデミーから遠く離れた地でも轟いているぞ! 母様もお前の活躍には目を見張っているとのことだぞ」


 呑気な幸太郎の挨拶とセラの思考を遮るように、興奮した面持ちのプリムは旺盛な好奇心を宿したキラキラ輝く目をセラに向けて、彼女の手を強引に掴んで握手をした。


 色々と聞きたいことがあったセラだが、「はじめまして」と取り敢えずプリムに挨拶をした。


「それに、お前は教皇庁を支援している水月家の人間――水月沙菜だったな! 去年の騒動の時には大活躍だったそうじゃないか! うむっ! 良い働きをしたことを褒めてやろう!」


 尊大で勢いのあるプリムの態度に、気圧されながらも「あ、ありがとうございます」と沙菜は感謝の言葉を述べた。


「……それにしても、サナ、お前はすごいな。一目見た時から大きいと思っていたセラよりも大きいとは驚きだ」


 沙菜の身体――主に彼女が持っている大きい二つの山を見て、感心したようにプリムは呟いた。同意を示すように幸太郎は頷いた。他意がない純粋なプリムの視線と、幸太郎の男らしい反応に、沙菜は羞恥で顔を真っ赤にさせて「やめてください」と潤んだ目でそう訴えた。


「まだ十歳になったばかりとはいえ、私もそろそろ『大人のれでぃー』になってみたいものだ」


「あー、それは難しいかも」


「何だと、コータロー! 貴様は何様のつもりだ!」


 沙菜やセラのような大人の身体つきに憧れるプリムだが、まな板のようなプリムの胸板を見て幸太郎は素直な感想を述べる。そんな幸太郎に怒声を張り上げるプリムだが、幸太郎は特に反省していなかった。


 プリムが幸太郎に怒声を張り上げている間に、この状況を一番把握しているであろうリクトに説明を求めるため、セラは彼にアイコンタクトをする。


 セラのアイコンタクトに気づいたリクトは、申し訳なさそうな表情を浮かべて頷いた。


「え、えっと……色々あって、プリムさんをアカデミー都市に案内することになって、その途中に偶然セラさんたちと出会ったというわけです」


「偶然で多くの事件を解決した英雄たちに会えるとは、これはまさしく天命というものだな!」


 自慢げに薄い胸を張るプリムを放って、リクトの説明を聞いたセラは、幸太郎とリクトがプリムと一緒に行動している理由は理解できたが、海外にある教皇庁旧本部にいるはずのプリムがアカデミー都市に来ている理由がわからなかった。


 プリムはリクトと同じく次期教皇になると確実視されている重要人物であり、そんな人物がアカデミー都市に訪れるとなれば、教皇庁は周囲に大々的に宣伝して、護衛のために大勢の制輝軍や風紀委員を動かそうとするはずだが――風紀委員に所属しているセラだが、そんな話はいっさい聞いていなかった。


 それに加えて、プリムを守るはずの護衛が周囲にいなかった。


 前触れもなくアカデミー都市に現れ、護衛もつけず、変装のつもりなのか安物の帽子を被っているプリムを見て、セラは彼女が教皇庁には秘密で勝手に動いているのだと推測した。


 何か悪い予感がしたセラは、自分の疑問をプリムにぶつけてみることに決めた。


「なあ、セラよ! お前の活躍譚は噂でたくさん聞いているが、お前の口から活躍譚が聞きたいのだ! 是非ともこれから私に聞かせてくれ!」


「構いませんが……それよりも、どうしてプリムちゃんがここにいるんですか? 確か、普段は教皇庁旧本部にいると聞いていますが……」


 セラの疑問に、プリムはしまったという顔になって、答えに窮してしまう。わかりやすい彼女の反応に、思わずセラはかわいいと思ってしまった。


「わ、私としたことが、本来の目的をすっかり忘れていたようだ! リクト、早く次の場所へ向かうぞ! コータロー、お前は早く私を次の場所へ案内せんか!」


 セラの質問から逃げるように、嵐のように現れたプリムは嵐のようにセラたちの前から去った。申し訳なさそうな表情のリクトはセラたちに一度頭を下げ、幸太郎は「またね」と一言別れの言葉を告げてからプリムの後を追った。


 離れ行く幸太郎の背中を、セラは不安そうに眺めていた。


「七瀬君のこと、心配ですか?」


 自分の心の中を見透かしている沙菜の言葉に、セラは素直に頷いた。


 頷いたセラを見て、沙菜は困ったように小さくため息を漏らした。


「最近、セラさん――ティアさんもだと思いますが、七瀬君のことを心配し過ぎではないでしょうか。もちろん、心配する気持ちは理解できますが」


「……そうかもしれません」


 核心を突く沙菜の一言に、セラは認めることしかできなかった。


 ……確かに、沙菜さんの言う通りかもしれない。

 最近、幸太郎君のことが心配――いや、不安に思っている。

 ……でも、仕方のないことなんだ。


 セラの頭の中では今までの幸太郎の行動が過っていた。


 勇敢に困難に立ち向かう幸太郎の姿勢は立派であり、セラは尊敬していたが同時に、強い不安も覚えていた。


 理由は明白だった――七瀬幸太郎という人間は、あまりに勇敢過ぎるからだ。


 輝石の力をまともに扱えないにもかかわらず、幸太郎は勇敢にも輝石使いと立ち向かい、怪我をしても、危機的状況に陥っても決して諦めることをしなかった。


 一度そのことで揉めたことがあり、幸太郎も反省して無茶をする時は他人に頼ると決めてくれて、一旦不安は治まったのだが――幸太郎のことを守ると誓ってから、忘れかけていた不安が一気にわき上がっていた。


「……幸太郎君、プリムちゃんと一緒にいて大丈夫でしょうか」


 質問から逃れるために逃げるように立ち去ったプリムの態度を見て、彼女が教皇庁に黙って勝手に行動していることを確信するとともに、面倒事に巻き込まれるかもしれない幸太郎のことをセラは強い不安を覚えていた。


 セラの抱いている不安を察した沙菜は、彼女に向けて柔らかい笑みを浮かべて「大丈夫ですよ」と言った。


「そんなに心配しなくとも七瀬君なら大丈夫ですよ」


「……そうですよね」


 妙に自信が込められている沙菜の言葉を聞いて、幾分セラの不安が和らぐが――それでも、芽生えた不安は完全に消えることができなかった。


 しかし、近くに実力者であるリクトがいるので、何かあっても彼なら守れるだろうと判断するとともに、プリムに手を出すということは、彼女の母であるあのアリシア・ルーベリアを怒らせるということになるので、下手なことは起きないだろうとセラは無理矢理納得させた。


「……それじゃあ、沙菜さん。私たちは喫茶店に向かいましょうか」


 不安が残る中、セラは沙菜とともに喫茶店へと向かった。


 大丈夫、幸太郎君なら、大丈夫……

 きっと、大丈夫だから……


 沙菜と一緒に行動している最中、セラは心の中でずっとそう自分に言い聞かせていた。

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