第8話
アカデミー都市の中央に塔のようにそびえ立っている教皇庁本部内にある、豪勢な装飾のされた西洋風の客室に、一人の女性が退屈そうにソファに深々と腰掛けて、数時間後にはじまる教皇が枢機卿を集めて行われる定例会議がはじまるまで待っていた。
真っ赤なルージュを口に塗っただけで後はほとんど化粧をしていない年齢不詳で艶やかな顔立ちで、豊満で形の良い胸元が大きく開いた過激な服を着て、妖艶な雰囲気を身に纏う枢機卿――アリシア・ルーベリアは美しく整えられた艶のあるロングヘアーの毛先を退屈そうに指で弄っていた。
これから開かれる会議の内容は、先月に発生したリクトの命を狙った事件で、首謀者である聖輝士が自分に雇われたと言ったため、大勢の人間から疑いの目を向けられている自分の話が中心になるだろうとアリシアは大体予測していた。
しかし、追及されても無意味に終わると確信しているからこそ、アリシアは動揺することなく、無意味に終わる会議に出席することを面倒だと思い、退屈そうに身体中の力を抜いていた。
自分以外の誰もいない空間で気を張り詰める必要がないため、アリシアは普段の態度を知っている人間からは信じられないほど心からリラックスしてグダグダしていたが――突然扉がノックされ、至福の一時は脆くも崩れ去った。
アリシアは慌てて気を引き締めて、姿勢を正して「入りなさい」と入室を促した。
「失礼します」
余計な感情がいっさい込められていない声とともに、自分の護衛を務めている、張り詰めた空気を身に纏い、長い前髪から鋭い双眸が垣間見え、爬虫類を思わせる顔つきの長身痩躯のスーツを着た男――ジェリコ・サーペンスが部屋に入った。
「あら、ジェリコ。どうかしたの? 無意味な会議が中止になったのかしら?」
吐き捨てるように皮肉を言いながら、クスクスと妖艶だがそれ以上にかわいらしい笑いを浮かべるアリシア。彼女の雑談に付き合うことなくジェリコは淡々と話を進める。
「つい先程、学内電子掲示板から入手した情報ではありますが、プリメイラ様がアカデミー都市に現れたという噂が出回っています。匿名性が高いネットの掲示板のため、信憑性は低いのですが……気になったので、報告をと」
「当てにならない情報だけど……確かに、気になるわね。他に何か情報は?」
「今のところ目撃情報のみです」
「……そう。報告ありがとう」
自分の娘――プリメイラ・ルーベリアがアカデミー都市に現れたという信憑性が低い情報に、アリシアは完全に信用していなかったが、気になっていた。自分の本能が警鐘を鳴らしていた。
芽生えた説明できない嫌な予感が気のせいだと思いたかったが、その嫌な予感を無視することはできなかった。
「あれは海外にある教皇庁旧本部にいる。私がそう命令したから間違いないとは思うけど――念のためしばらく掲示板の様子を見て、情報を収集しておきなさい」
「了解しました」
アリシアの命令に従うため、ジェリコは足早に部屋から出て行った。
再び一人になったアリシアだが、芽生えてしまった嫌な予感のせいで先程のように心からリラックスすることができなくなってしまった。
深々とため息を漏らすとともに、アリシアは自分に忠実な娘――プリメイラを思い浮かべる。
何も知らない純粋で真っ直ぐな目、何も知らない純粋な態度、何も知らない汚れきっていない――娘のことを思うと、平静な心がかき乱され、アリシアは胸の中から苛立ちと不快感がわき上がってくるような気がした。
なので、アリシアは娘のことはなるべく考えないようにした。
すると、幾分リラックスすることができた。
――――――――――――
自室のソファで、セイウスは心の底からリラックスした様子で深々と腰掛けていた。
前回の事件以降、未来への不安に押し潰されそうで、まともに睡眠を取ることができなかったが、昨日は久しぶりに快眠することができたのでセイウスはとても気分が良かった。
すべてはアルバートのおかげ、自分の全身に溢れんばかりに迸る『力』のおかげだった。
アルバートが自分に与えてくれた『力』は、抱いていた不安や失っていた自信をすべて取戻し、今までに感じたことがないくらいの幸福感と興奮に満たされていた。
アルバートの目的が自分の研究成果のデータを取りたいとのことで、自分がそのために利用されているとセイウスは十分に理解しているが――そんなことは気にならないほど、セイウスは自分が得た力に酔っていた。
今すぐにでもこの力を振いたい気分だったが、まだ『力』が完璧に自分の身体に馴染んでいないような気がしたので、セイウスは暴力的に膨れ上がる力を放出するのを押さえ、今は身体中を駆け巡る快楽のような『力』に身を任せていた。
ソファに深々と腰掛けて、自分の中に渦巻く力にセイウスは悦に浸っていると、扉が小気味よくノックされ、すぐにアルバートが入ってくる。
アルバートは調子が良さそうなセイウスの様子を、満足そうに見つめていた。
「聞くまでもないと思うが、調子はどうかな? セイウス君」
「……最高の気分だよ」
全身を駆ける高揚感に震えた声でそう答えると――セイウスの身体が、アンプリファイアから放たれる光と似た、緑白色の淡い光に一瞬だけ包まれた。
そんなセイウスの様子を見て、アルバートは満足そうに何度も頷いた。
「まだ僅かに安定はしていないようだが、調整には成功したようだ。後でデータを取ろう」
「君には大きな恩がある。君の役に立てるなら、データでも何でも好きに取ってくれ」
力を与えてくれた自身に全幅の信頼を寄せるセイウスに、「そうさせてもらうよ」とアルバートは満足そうに微笑んだ。
「そうだ、計画は順調なのかな?」
「順調――と言いたいところだが、さっそく彼女は勝手な行動をしてしまったよ。申し訳ない、こちらのミスだ。まさかあれほど我が強いとは思いもしなかった」
「良くも悪くも母親に似ているということか……まあ、仕方がない」
自分には甘く、他人には厳しい普段のセイウスなら他人が犯したミスは絶対に許さないが、『力』を得られて気分が良いセイウスはミスを犯したアルバートを咎めることなく、仏のような穏やかな表情を浮かべていた。
「まあ、安心してくれ。首輪はちゃんとつけている。すぐに場所は見つかるのだが、どうやら彼女はリクト君と一緒にいるようだ」
目的であるプリメイラ・ルーベリアの傍にリクトがいると聞いて、仏のように穏やかだったセイウスの胸の中に暗い炎が滾る。
前回の事件でリクトに関わらなければ、リクトが自分の思い通りに動いていれば、自分はあんなに追い詰められることはなかった――リクトへの自分勝手な恨みが沸々とセイウスの中でわき上がってくる。
「ちょうどいいじゃないか。君から与えられた僕のこの『力』を試す良い機会だ」
「その意気だよ、セイウス君。君を陥れた全員に、その力を存分に振ってやるんだ」
「もちろんだ。君も自分の研究成果をよーく観察すると良い」
胸に抱いた憎悪の炎を滾らせ、自分が得た素晴らしい『力』を存分に震える良い機会だと思ったセイウスは嬉々としながらも狂気を滲ませた笑い声を上げた。
自分勝手な恨みをリクトにぶつけるつもりのセイウスに、アルバートは想定通りであり、多くの研究データが得られるかもしれないことに期待と喜びに満ちた笑みを浮かべていた。
「個人的には今すぐ出撃したいが――リクト君の戦闘能力はそれなりに高い。万全の準備をしたい。セイウス君もやるからには存分に力を振いたいだろう?」
「もちろんだ。それでは頼むよ、アルバート。焦らなくていい。じっくりとお願いするよ」
リクトへの――いや、自分を裏切り、見下し、自分からすべてを奪おうとしている人間に、確実に復讐するためにセイウスは自分の身体をアルバートに預けた。
すっかり自分に従順になってくれているセイウスに、アルバートは満足そうに微笑んでいた。
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