第4話

 キッチンにある稼働中のオーブンから放たれる、グラタンの上に乗せられた焼けたチーズの香ばしいにおいが充満しているセラが暮らしている部屋のリビングで、セラが夕食の支度をしている間椅子に座っている幸太郎はテーブルを挟んで対面に座っている青年と、昼に食べた絶品だったリクトの弁当の話で盛り上がっていた。


 セラとティアの幼馴染である、爽やかで優しい雰囲気を身に纏う、大人の精悍さが存在しながらも僅かに幼さが残る整った顔立ちの青年――久住優輝くすみ ゆうきは、幸太郎と話している最中に「そういえば――」と何かを思い出した。


「セラが麗華さんと大和君を夕食に誘ったと言っていたけど、まだ来てないようだね」


「二人とも今日は用事があるらしくて来ないみたいです。それよりも、ティアさんはどうしたんですか? いつもならすぐに来るのに今日はまだ来ていないみたいなんですが」


「ついさっき連絡があって、人と会う用事があるらしくてアカデミー都市を出るって言ってたから、今日の夕食はいらないんだってさ」


 それを聞いて、バレンタインデーが間近に迫る今、アカデミー都市から出て人と会う用事があるティアに、邪推が浮かんで「それってもしかして――」と幸太郎はニヤリと笑う。


「バレンタインデーが近いから、ティアさん、すてでーな関係の人と会ってるかも……?」


 ニヤニヤ野次馬根性丸出しの笑みを浮かべた幸太郎の一言に、優輝は真剣に考えた後、すぐに真剣に考えるのがバカバカしくなって脱力したようにため息を漏らす。


「あのティアが誰かと交際しているなんてありえないよ」


「ティアさん美人だから、誰か良い感じの関係の人がいてもおかしくないと思うですけど」


「まあ、顔だけは確かに美人だよ。顔だけはね」


 ティアを美人だと評価する幸太郎に、優輝はわかっていないと言わんばかりに肩をすくめる。


「常にプロテインを持ち歩いて、自分にストイック過ぎる性格のあのティアに、誰か特別な人がいるとは思えないな。それに、輝石の力を使わずとも片手で小玉スイカを握りつぶせるほどのゴリラ並、いや、もしくはそれ以上の握力の持つ女性に、俺は魅力を感じないよ」


 幼馴染であるティアのことを好き勝手に言ってのける優輝に、「なるほどー」と何度も頷いて幸太郎は失礼ながらも納得してしまっていた。


「でも、優輝さんだって、はじめて会った時はティアさんのことを美人だって思ってたんじゃないんですか?」


 何気ない幸太郎の一言に、冗談はやめてくれと言わんばかりに優輝は盛大に噴き出した。


「もちろん、昔は思ってたよ。でも、何日も何年も寝食をともにしていたらそんな感情はすぐに消え去って、代わりに兄妹のような感情を抱いてしまったよ。だから、セラやティアにはあまり恋愛感情のようなものは抱けないし、あまり二人のようなタイプは好みじゃなくなったね」


「それじゃあ、優輝さんの好きなタイプってどんなタイプなんですか?」


「そうだね……ティアやセラのように男勝りじゃないっていうのは前提かな? それと、口喧しいとか、プロテインを持ち歩くとか、獣以上の握力を持つとかは論外。でも、二人のような強い芯を持った女性は大好きだ。お淑やかで、大人し目な女性がタイプかな?」


「御柴さんはどうでしょう。優輝さんのタイプにピッタリだと思うですけど」


「うーん、巴さんかぁ……確かに彼女はタイプにぴったり当てはまるけど、意外に彼女は男勝りな部分があるんだ。もちろん、美しい人だとは思ってるよ。……それにしても、改めて思ったけど、俺たちの周りには男勝りな女性ってかなり多いな」


「あー、なるほど。それじゃあ水月みづき先輩が一番優輝さんのタイプなんですね」


「べ、別に沙菜さなさんとはそんな――……いや、その、なんというか……」


 何気なく幸太郎が言い放った名前に、優輝は思いきり不意を突かれてしまい動揺してしまう。


 幸太郎が口に出した人物の水月沙菜みづきさなは、幸太郎たちの一年先輩での少女であり、とある事件の影響で車椅子生活を余儀なくされた優輝を献身的に支え続けた人物であり、優輝のタイプにピッタリと会う人物だった。


「水月先輩、優輝さんのタイプじゃないんですか?」


「い、いや、そういうわけでは……確かに、沙菜さんはセラやティアのような心身ともに男勝りで内面の女っ気が皆無のゴリラ――いや、それ以上の野獣じゃないし。ティアのようにプロテインを持ち歩かないし、セラのように一々口喧しくて、意地っ張りで子供っぽく――」


 動揺を隠しきれない優輝だったが、乱雑に置かれた出来立てほやほやのグラタンを自身の前に乱雑に置かれると同時に、襲いかかってくる冷たい殺気に、慌てていた優輝の頭が一気にクールダウン――というか、血の気が引いた。


 恐る恐る、優輝は自身に向けられる鋭利な刃のような殺気の正体を確認すると――視線の先には、好き勝手に自分のことを言われて静かな怒りを身に纏う、無表情のセラがいた。


「……あ、相変わらずかわいい妹で、おにーちゃん嬉しいぞ」


 妹分から放たれる殺気と重圧に押し潰されそうになる優輝だが、それを必死に堪え、できる限り愛想の良い笑みを浮かべて震える声で彼女をフォローする。


「まあ、女の子らしくないというのは認めるけどね」


 取り繕ったフォローに機嫌を直さないセラはブツブツと文句を言いながら、出来上がった夕食を次々とテーブルの上に並べた。


「他人のことを言うよりも、優輝はハッキリしないと沙菜さんがかわいそうだよ」


 テーブルの上に夕食を並べながらため息交じりに放ったセラの一言に、痛いところを深く抉られた優輝は再び動揺してしまう。


「だ、大丈夫だ。俺の気持ちはちゃんとハッキリしてるから」


「動揺している時点で信用できないけどね。自分の気持ちを把握しているなら、後はそれを口に出すべきだと思うよ」


「さ、沙菜さんとはこのまま清い関係を――って、そ、そういうセラこそ、どうなんだ?」


 痛いところを突かれて追い詰められた優輝は、咄嗟に話題をすり替えた。


「ほら、貴原たかはら君とかどうだ? 随分セラを慕っているみたいだぞ」


「別に貴原君なんて何とも思ってないから! それに、そ、そういうのはまだ早いし……」


「青春真っ盛りの時期なのに、そんなことを言っていると一生嫁ぐことができないぞ!」


「ひ、人の心配をする前に自分のことを心配するべきだから!」


「ま、まったく……年頃の娘なのに、浮いた噂の一つもないというのが、お前を妹のように思ってきた俺としては不安だぞ」


「余計なお世話!」


 会話の主導権を握らせないためにセラの言葉を無視する優輝と、優輝の言葉に動揺しながらもそれを隠そうと必死なセラ。


 微笑ましいセラと優輝の口論を、幸太郎は「いただきます」と一言言ってから、セラの手作りである普通に美味しいグラタンを食べながら眺めていた。




 ――――――――――――――




 アカデミー都市から、そう遠くない距離にある空港の到着ロビーにある柱に、クールな表情のティアは寄りかかっていた。


 人の往来が激しい場所にいるティアだが、そんな中でも一際ティアの存在は目立っていた。


 何もしなくとも人目を惹くほどの美貌を持つティアに、道行く人は男女問わず見惚れていた。何人かの男が勇気を振り絞ってティアに声をかけたが、ティアはいっさい相手をしなかった。


 自分の美しさに注目を集めてしまっていることに気づいていないティアは、ジッと到着ゲートに視線を向けたまま動こうとしなかった。


 ……アイツと会うのも久しぶりだな。

 だが――どうして急に呼び出したんだ?


 ティアが空港に来たのは、とある人物から呼び出されたからだった。


 数年ぶりに声を聞く昔馴染みの相手から連絡が来て、詳しい説明もなく空港の到着ロビーで待ち合わせだと心底申し訳なさそうな声で言われて、こうしてティアは待っていた。


 詳しい説明もなく、数年ぶりに声を聞く相手から呼び出されて、ティアは久しぶりに会う昔馴染みに懐かしさを感じると同時に、不審とともに嫌な予感が頭に過ったが、呼び出しに応じないという選択肢はなかった。


 今ティアが待っている人物は――優輝とセラと出会う以前からの付き合いで、家族ぐるみの付き合いがあった。


 幼い頃からの付き合いで相手がどんな人物であるのかを理解しているからこそ、ティアは不審を抱いていても呼び出しに応じた。


「久しぶりだな、ティア」


「……久しぶりだな、グラン」


 自身の背後から聞こえた久しぶりに聞く幼馴染の声に、ティアはクールな表情を一瞬だけ綻ばせ、ゆっくりと振り返った。


 振り返ると、長身の青年がティアに向けてニッカリと大きく口を開けてフレンドリーで豪快な笑みを浮かべて立っていた。


 その長身の青年は精悍な顔立ちをしているが強面で、がっしりとした体型で周囲に威圧感を与える風貌をしていた。しかし、青年は爽やかで人当たりの良い雰囲気を身に纏っており、周囲に威圧感ではなく安心感を与えるような雰囲気を醸し出していた。


 青年の名前はグラン・レイブルズ――ティアにとっては友人であり、兄のような存在だった。


 じっくりとグランはティアの身体つき――ではなく、彼女の姿勢や、体型、そして発せられる雰囲気を観察すると、安心したように何度も頷いた。


「鍛錬を怠っていないようで安心したぞ」


「輝石使いとして当然のことだ。だが、グラン。私からしてみればお前は少したるんだように見える。聖輝士せいきしという立場に胡坐をかいているわけではないだろうな」


「お前の父上に似て相変わらず厳しいな。そして、相変わらず母上に似て美しい」


「世辞はやめろ」


「かわいげのなさも相変わらずだな」


 自分の両親のことを言われて、ティアはバツが悪そうな表情になった。


 グランはティアの両親のことを良く知っていた。


 輝石使いを育成させるアカデミーが設立される前に行われていた、輝石使いを鍛える旧育成プログラムをグランはティアの父から受けていたからだ。


 優輝と出会う前に、一時期ティアも父から訓練を受けており、グランと一緒に訓練を行ったこともあるため、二人は長い付き合いであり、ティアにとっては兄も同然な存在だった。


 グランは父の下で長年輝石使いとしての修業を行った結果、教皇庁に認められた輝石使いである『輝士』の中でも、実力と実績が認められた輝士にしか授与されたない『聖輝士』の称号を持っていた。


 数十年前、輝石使いが爆発的に増えた『祝福の日』の際、教皇庁は自分たちが実力のある多くの輝石使いを保有していることを周囲に誇示するため、元々は少なかった聖輝士の数を大幅に増やした。その結果、実力と人間性が伴わない聖輝士が増えてしまった。


 グランも『祝福の日』の騒動と同時に聖輝士になったが――他の有象無象の聖輝士とは違い、実力、実績、人間性ともに聖輝士に相応しく、聖輝士の中ではトップクラスの実力を持っていると自他ともに厳しいティアは認めていた。


「ご両親が心配していたぞ。娘がいい歳なのに男の気配がないことに」


「……余計なお世話だと言っておいてくれ」


「そんなことを言うな。二人とも孫の顔が見たいだけなんだ」


 返答に困る話題に「それで――」と話を無理矢理すり替えて、本題に入る。同時に、友人と久しぶりに再会して柔らかかったティアの雰囲気が、一気に張り詰める。


 グランはティアが雰囲気を変わったことを敏感に察して、深々と嘆息した。


「聞きたいことはわかっている。どうして俺がお前を急に呼び出したのか、だろう?」


「当然だ。詳しい理由もなく突然呼び出されたんだからな」


「……それについてはすまないと思っている」


「お前は教皇庁にとって最重要戦力の一人だ。普段は教皇庁旧本部がある街で父上とともに警備をしながら、有事の際にいつでも教皇庁のために動く準備をしている。そんなお前がわざわざ私一人と会うために、ここに来たわけではないだろう」


 隠すことなく自身に不審な目を向けるティアに、グランは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。下手に嘘を言ってもすぐに見抜かれそうなティアの鋭い眼光に、グランは降参と言わんばかりに正直に、ここに来た理由とティアと再会した理由を話す。


「……今、俺は数人の輝士とともにアカデミー都市に向かおうとしている」


「その割にはお前しかいないようだが?」


「今は待合室で待ってもらっているんだ……騒がれてこの場に俺たちがいると周囲に気づかれると色々と厄介だからな」


「ということは、教皇庁に無断でお前たちは動いているということか?」


 ティアの言葉に、不承不承といった様子で「ああ」とため息交じりにグランは認めた。


 教皇庁に忠誠を誓っている聖輝士と輝士が教皇庁に無断で動いていることに呆れとキナ臭さを感じて、一気に警戒を高めるティア。


 今、ティアの頭の中では、守ると決めている幸太郎に害を及ばせないように何をするべきかを考えていた。


「実は……ある人物の護衛として俺たちは動いている。アカデミー都市には何度か訪れたことがあるが細部までは知らない。だから、長年アカデミーにいて、アカデミー都市の地理に詳しいお前が必要なんだ」


 申し訳なさそうにグランは自身の目的と、ティアを呼び出した理由を話す。


 それを聞いて、幾分ティアは高めていた警戒心を和らげるとともに、あらぬ疑いをかけてしまったグランに心の中で謝り――新たな疑問が浮かぶ。


 実力のある聖輝士と数人の輝士が動かざる負えない護衛対象についての疑問が。


「お前は一体誰を護衛――」


「グラン! グランはどこにいるのだ! いつまで待たすつもりなのだ!」


 疑問をグランにぶつけようとするティアだが――それを遮るようにして、尊大で耳障りなほど甲高く、幼い少女の声が響き渡った。その声を聞いて、グランは深々と嘆息する。


「……『わがまま娘』の護衛だ」


 ティアの疑問にため息交じりにグランはそう答えた。


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