第3話

 爽やかな昼光に照らされたアカデミー高等部の校舎内にある中庭のベンチに座っている幸太郎は友人と一緒に昼食を食べていた。


「幸太郎さん、これも食べてください。はい、アーンしてください」


 隣に座っている友人――癖がありながらも羽毛のように柔らかそうな栗毛色の髪の、少女と見紛うほどの容姿の少年、リクト・フォルトゥスから卵焼きを差し出され、幸太郎は大きく口を開けて食べると、口いっぱいにトロトロで柔らかな感触が広がるとともに、自分の好みに合った程良い塩加減に幸せそうな表情を浮かべて「美味しい!」と絶賛した。


 リクトの小さな膝の上に乗せられている大きめな弁当箱の中身は、栄養バランスが考えられているとともに、彩も考慮された見るからに美味しそうな弁当であり、すべてリクトの手作りだった。


 手作りの卵焼きを美味しいと幸太郎に称賛され、リクトは微かに頬を染めて嬉しそうな笑みを浮かべた。


「あ、ありがとうございます! 今日は幸太郎さんのためにたくさんおかずを作ってきましたからどんどん食べてくださいね。あ、今度はこれを食べてください。自信作なんですよ!」


 サクサクの衣に包まれたからあげを幸太郎に差し出すと、幸太郎は「いただきます」と一言言ってから迷いもなく食いついた。


 サクサクの食感と、ニンニクと生姜と醤油の下味がしっかりついたからあげの味を堪能した後、眩いほどの笑みを浮かべて幸太郎は「すごく美味しい!」と絶賛した。


「リクト君の手作りのお弁当、どれもすごく美味しい! リクト君は料理上手なんだね」


 昼食としてコンビニで買った酢豚弁当以上に美味しいリクトの弁当に、興奮冷めやらぬと言った様子で幸太郎は絶賛していた。


「前に何度か母さんに教えてもらったんです。教えてもらう回数は少なくて、ほとんど自己流で自信がなかったんですが、幸太郎さんに喜んでもらえてよかったです」


「それなら、エレナさんもきっと料理が上手なんだろうね」


「もちろんです! 最近は仕事で忙しくて料理をする暇はないようですが、今まで僕は母さんの料理の味に飽きたことなんていちどもありません! もし母さんの時間が空けば是非ウチに来て、母さんの手料理を食べてくださいよ」


「それはすごい楽しみ。それにしても、教皇のエレナさんがエプロンを着て家庭料理を作る……ちょっとグッと来た」


 尊敬する母のことを自慢げに、嬉々として説明するリクト。そんなリクトの説明を聞いて、幸太郎は彼の母であり、鳳グループとともにアカデミーを運営する巨大な組織・教皇庁のトップである教皇エレナ・フォルトゥスのエプロン姿を想像して、一人で盛り上がっていた。


「クロノ君もリクト君のお弁当を食べなよ。すごく美味しいよ」


「……遠慮する」


 妄想を終えた幸太郎はフレンドリーな笑みを浮かべて、ベンチに座らずに自分たちの背後に立っている、胸にはアカデミーの治安を守る国から派遣された組織の制輝軍せいきぐんの証である輝石を模った六角形のバッジをつけ、長めの襟足を後ろ手に束ね、染み一つない白い肌と折れそうなほどの華奢な体躯の、リクトと同じく少女と見紛うほどの美しい外見の少年――白葉しろばクロノに話しかけるが、素っ気ない返事をした。


 昼食を食べはじめてからクロノは昼食を食べず、ベンチに座って一息つくことなく、ずっとリクトの背後に立っていた。


 制輝軍に所属しているクロノは、いずれ教皇庁を束ねるかもしれない次期教皇最有力候補であるリクトの警護の任務を受けていたので、彼の傍にいた。


「お昼ご飯食べてないみたいだけど、クロノ君お腹空かないの?」


「慣れているから問題ない」


 昼食を食べていないクロノを心配する幸太郎だが、クロノは平然としていた。


 問題ないと平然と言い放つクロノに、リクトは「ダメだよクロノ君」と注意をする。


「ちゃんとご飯は食べなくちゃ。お腹が空いたら戦はできないよ」


「食事は軽く済ませた。だから問題ない」


「それならどんなものを食べたのか教えてよ」


 お節介なリクトにクロノはウンザリした様子で忌々しげに小さく舌打ちをすると、心底不承不承といった様子でポケットから食べかけの栄養食のビスケットと、飲みかけのゼリー飲料を取り出した。必要最低限の食事しか摂取していない様子のクロノにリクトは呆れていた。


「それだけだとバランスが悪いよ。僕のお弁当を少し食べていいよ」


「……別に問題ない」


「ダーメ! ちゃんと食べないと身体に悪いよ」


 無表情でクロノは問題ないとは言っているが、色鮮やかなリクトの美味しそうな弁当に一瞬目を奪われてしまっていた。


 リクトとクロノは睨み合ったままお互い一歩も退かない様子だったが、ふいに「あ」と声を上げた幸太郎に二人は注目する。


 キラキラした目の幸太郎は、クロノが持っている食べかけのビスケットに目を奪われていた。


「クロノ君のそれ、新商品のラズベリー味だ。美味しかった?」


「それなりに」


「僕はアップル味が好きなんだけど、クロノ君は何味が好き?」


「手短に食事を済ませるから別に味は気にしていないが……強いて言うなら、プレーンだ」


「なるほどなー。ねえ、クロノ君。僕のハムサンドと、それ交換しない? お願い!」


「食べかけだぞ」


「別にいいよ」


「……好きにしろ」


 これ以上お節介なリクトに文句を言われないために、クロノは自身の食べかけである栄養食のビスケットを幸太郎に渡して、幸太郎からハムサンドをもらった。


 そして、クロノはもらったハムサンドの封をさっさと開けて、口の中に放り込んで食べた――というよりは胃に入れた。食事を適当に済ますクロノに、リクトは呆れている様子だった。


「新商品はすぐに食べないと。人気がないと二度と買えなくなっちゃうからね――ん、美味しい。食べかけだから、ちょっとクロノ君の味もする」


「……気色の悪いことを言うな」


「あ、間接キスだったね」


「気色悪い」


 嫌な顔一つすることなく他人の食べかけを食べる幸太郎に、クロノは若干引き気味で見つめていた。そして、リクトはちょっとムッとした表情になっていた。


 一通り昼食を済ませると、「そういえば」と幸太郎は登校中に大和から聞いたバレンタインデーの話が頭に過る。


「そろそろバレンタインデーなんだけど、去年のセラさんすごかったんだってね」


「ええ。セラさんは人気者ですからね。まさか制輝軍が出動する騒ぎになるとは思いませんでした。その後、ちゃんとチョコをもらった一人一人にセラさんはお礼を言っていました。そういう気遣いができるところが、彼女が人気者である所以なんでしょうね」


「チョコレートを渡しても別に何も変わらないというのに、バカな奴らだ」


 当時のことを思い出して改めてセラの人気に感心しているリクトと、バレンタインデーで浮かれている人間すべてを一言で一刀両断するクロノ。


「リクト君もセラさんと同じで人気者なんだから、たくさんチョコをもらったんじゃないの?」


 何気ない幸太郎の一言に、リクトは否定することなく照れたように笑って「ええ、一応」と認めた。幸太郎は「やっぱり」と納得したように頷いた。


 次代の教皇庁トップになるかもしれない次期教皇候補であり、次期教皇になると確実視されているリクトはかなりの人気があった。


 同性であっても見惚れてしまうほどの可憐な外見、教皇庁に認められた輝石使いである『輝士きし』の称号を持つ実力も持ち、何に対しても真面目でひた向きなために男女問わず多くの人から人気があった。


 こうして幸太郎はリクトと一緒に昼食をともにしているが、毎日ではなく前から約束してようやく実現したことだった。普段のリクトはセラと同じく多くの友人たちに囲まれて、和気藹々と昼食を食べていた。


「リクト君もセラさんと同じで、同性の人からチョコをもらった?」


「はい。手作りでいただきました。とても美味しかったですよ」


「それなら、僕もリクト君にチョコを作ってあげようか? もちろん、クロノ君にも」


 何気なくそう提案した幸太郎に、リクトは「本当ですか!」と興奮した面持ちになり、クロノは「必要ない」とウンザリした様子だった。


「何回か作ったことがあって、結構自信があるよ」


「そ、そうなんですか……そ、それなら! 僕も幸太郎さんにチョコをプレゼントします……僕の心と想いをたくさん込めたチョコを」


 自分に言い聞かせるように最高のチョコを作ると宣言して、気合を入れるリクト。


 そんなリクトから並々ならない情熱を感じ取った幸太郎は、「楽しみ」と素直な感想を言った。


「それじゃあ、その……明日の休日にチョコの材料を一緒に買いませんか?」


「もちろん! クロノ君も一緒にどう?」


「明日はアカデミー都市を巡回する任務があるから遠慮する。リクト、オレがいないからといって羽目を外すな」


 明日の休日、幸太郎はチョコの材料を買うためにリクトと一緒に買い物に行くことが決まる。


 バレンタインデーにいっさいの興味がないクロノは二人の買い物に付き合うつもりはなかったが、それでもリクトを護衛する任務を受けているので一言だけリクトに釘を刺した。


「念のため、制輝軍の人間を何人かつけておくか?」


「アカデミー都市内を歩き回るだけだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「お前は少し自分の立場というものを考えろ。……まあ、お前の実力ならば不測の事態にも対応できると思うが」


「クロノ君って、意外に心配性?」


「……うるさい」


 余計な幸太郎の一言に、クロノは僅かに機嫌を悪くした。


 昼休みが終わるまで、幸太郎とリクトは明日の買い物の計画を楽しそうに立てていた。

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