第2話

 爽やかな朝日の下で、アカデミーに通う多くの生徒たちは登校していた。


 毎朝生徒たちは友人たちや恋人たちと一緒に和気藹々と会話をしながら登校しているが――今日はいつもと雰囲気が違った。


 お互い意識しながらも素直になれない初々しい関係、後一歩のところで中々踏ん切りがつかない友達以上恋人未満な関係、すでに恋が成就していてこれから更なるステップを踏もうかと思っている関係――十人十色、様々な関係の生徒たちは妙に色めき立っていた。


「それにしても、バレンタインデーが近いせいなのか、みんな浮足立っているのが目に見えてわかるね。甘ったるくて情熱的で、学生の本分を忘れてちょっとエッチな空気も感じ取れるよ」


 バレンタインデーが目前に迫り、全体的にそわそわしている通行人たちを見て、アカデミー高等部男子専用の制服を着ている中性的な顔立ちの少年――ではなく、少女である伊波大和いなみ やまとはシニカルな笑みを浮かべてそう呟いた。


 そんなひねくれた大和の言葉に、「その通りですわ!」と朝っぱらから迷惑なくらい景気が良い大声が同意する。


 声の主――せっかくの気品あふれる整った顔立ちを苛立ちで台無しにした、アカデミーを運営する巨大な企業である鳳グループトップの娘であり、燦然と輝く朝日に負けないくらいの金色の光を放つ見事な金糸の髪を持つ、一部の髪が癖でロールしているロングヘアーの少女・鳳麗華おおとり れいかの表情は、苛立ちに満ちていた。


わたくしたちはアカデミー都市の治安を守る『風紀委員』ですわ! 不純異性交遊の兆しを確認したら、誰であろうと、何であろうと、相手が泣こうが喚こうが、徹底的に排除しますわ!」


 力強くそう宣言する麗華。その宣言にはバレンタインデーに対して明確な恨みが宿っていた。


 そんな幼馴染の姿を見て大和はニヤニヤといたずらっぽく笑うと、自分の数歩後ろにいる、だらしなく大きく口を開けて眠そうに、そして、疲れた様子で欠伸をしている七瀬幸太郎に視線を向けた。


「知っているかい、幸太郎君。去年のバレンタインデーはすごかったんだよ」


「何があったの?」


「それはセラさんが一番よく知ってるハズだよ。ね、セラさん」


「……ええ、まあそうでうね」


 朝早くから起きてティアの厳しい訓練を受けて疲れ果てていたのにもかかわらず、それが吹き飛んだ様子で興味津々な様子で自分の話に食いついてきた幸太郎に、大和は想定通りだと言わんばかりの機嫌が良さそうな笑みを浮かべると、幸太郎の隣にいるショートヘアーのかわいいというよりも、凛々しく、カッコイイ雰囲気の少女、セラ・ヴァイスハルトに視線を向けた。


 いたずらっぽく笑う大和を見て、嫌な予感がしたセラは深々と嘆息して深くは説明しようとしなかった。そんな彼女の代わりに、去年のバレンタインデーに何があったのか興味津々な様子の幸太郎のために大和が説明をはじめる。


「バレンタインデーになった途端に、たくさんの男の子と女の子がセラさんに殺到してチョコを渡したんだ。もう周囲は大パニックになって制輝軍が出動する羽目になったんだ。でも、出動した何人かの制輝軍たちもセラさんにチョコをあげてたよ」


「さすがセラさん」


 ニタニタと楽しそうに笑っている大和の説明を聞いて、素直に感心して心からの言葉を漏らす幸太郎。幸太郎に感心されて、セラは「あ、ありがとうございます」と照れたように笑った。


 人目を惹く凛々しい美貌を持ち、輝石使いの実力もトップクラス、そして学業に置いても優秀であり、その上誰に対しても分け隔てなく接する性格の良さも持ち合わせているセラは、非公式ながらもファンクラブが存在しており、異性同性年齢問わずセラは人気があった。


 大和の説明を聞いて、改めて幸太郎はセラが大勢の人に慕われていることを理解した。


 心から感心している幸太郎を一瞥した後、大和は茶化すような意地の悪い目をセラに向けた。


「あれだけチョコをもらったんだから、処理するのは大変だったんじゃないの?」


「私のために用意してくれたんです。その思いを無駄にしないためにすべて食べました」


「さすがセラさん。真面目だなぁ。僕だったらあれだけもらったら誰かにお裾分けするのに」


「確かに、大量でしたから食べるのは大変でした……おかげで体重が……」


 真面目なセラの返答に、大和は残念そうにため息を漏らした。


 麗華は面白くなさそうに「フン!」と大きく鼻を鳴らした。


「未熟な色恋に惑わされ、学生の本分を忘れているとは嘆かわしいですわね! 前回パニックになったのを踏まえて、これはバレンタインデーを中止せざる負えませんね」


 機嫌が悪そうにそう吐き捨てた麗華を見て、大和は待っていましたと言わんばかりに嬉々とした笑みを浮かべる。そんな彼女の笑みを見て、セラは今までの会話が麗華を煽るためのものだったと理解して、自分の嫌な予感が的中したと感じた。


「一つもチョコをもらえなかったからといって、そんなに拗ねなくてもいいじゃないか、麗華」


「べ、別に拗ねてなんていませんわ! ただ、私は栄えあるアカデミーに通う生徒のみなさんが、様々な業界の利権が絡んでいる行事にうつつを抜かしているのを嘆いているだけですわ!」


「大体モテない人って、バレンタインデーについて『業界の陰謀~』とか、『営利目的~』とか、『チョコなんて嫌い~』って騒ぐんだよね。聞いてるとむなしくなるよ」


「シャーラップッ! というか、あなたも人のことは言えないハズですわ!」


「フフン、残念だけど、男の振りをしていた頃の僕は、顔だけはいいからいくつかはもらってるんだよねー。まあ、セラさんには全然及ばないんだけど」


「な、ぬぁんですってぇ! そんな物好きがいるとは考えられませんわ!」


「あ、それちょっと傷ついたかも」


 バレンタインデーが近づいて甘ったるい雰囲気が周囲に包まれていたが、キンキンに響く麗華の怒声がその雰囲気を粉々にぶち壊した。朝っぱらから元気にギャーギャー喚く麗華と、甘い雰囲気が崩れたのを察した大和は、気分良さそうにしていた。


「鳳さん、チョコ欲しいの? それなら僕が作るよ」


「……フン! あなたのような凡夫にいただいても、何の得にもなりませんわ!」


 空気を読まずに何気なく放った幸太郎の一言に苛立っている麗華だが、機嫌が悪そうな表情を浮かべていても、満更でもないと思っているようにセラには見えた。


 ほんの僅かに麗華の機嫌が良くなったことを察した大和は、ここで更なる燃料を投下する。


「そういえば、幸太郎君って誰かにチョコをもらったことがあるの?」


「小学生になる前は友達の女の子に一個十円の義理チョコをもらってたけど、小学生になってからはもらえなくなってずっと母さんにもらってた。――あ、あれも入れたら別かな」


「まあ、小さい頃のチョコはまだバレンタインデーの意味を理解していない頃だからノーカウントだとして、その反応は何か特別なことでもあったのかな?」


 バレンタインデーに何か特別な思い出がありそうな幸太郎にさっそく食いつく大和。興味がなさそうな振りをしながらも麗華は聞き耳を立てており、セラは少しだけ興味を抱いていた。


「もらえないのは寂しいから男友達同士でチョコを作って交換したよ。僕のチョコ結構評判良かったんだ」


「……何だかそれを聞いたらもっと悲しくなってきた」


 自慢げに華奢な胸を張ってバレンタインデーの思い出を語る幸太郎。だが、大和にとってはその思い出話がチョコをもらえない寂しさを男友達と埋めるという、お互いの傷を舐め合う行為に等しい悲しい話にしか聞こえなかったので、聞くべきではなかった後悔した。


「そうだ、幸太郎君のために僕が腕を振って手作りチョコを作ろうじゃないか」


「それはすごく嬉しくて楽しみ。……でも、大和君って料理上手じゃなさそう」


「それは否定しないかな」


 自分の思ったことを正直に口にする幸太郎に、痛いところを的確に突かれた大和は反論できずに苦笑を浮かべた。


「でも、セラさんの手作りチョコは美味しそう」


「それなら、今度父の分を作るついでに幸太郎君の分も作りますよ」

 

 よしっ!


 アカデミー都市にいる人間にとって憧れの的であるセラから手作りチョコをもらえる栄誉を得た幸太郎は、心の中でガッツポーズをするが――「ちょっとお待ちなさい!」と麗華が強引にセラと幸太郎の間に割って入り、ビシッと音が出る勢いで無遠慮に幸太郎を指差した。


「騙されてはなりませんわ、セラさん! この男はバレンタインの話に乗じてセラさんの手作りチョコをいただく腹積もりですわ! そんな男にチョコを与えるとうのは、猫に小判、豚に真珠を与えるというものですわ!」


「バレちゃった」


「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ! この私の前でそんな邪な考えを持とうなど、気概は褒めますが無駄ですわ!」


 容易に自分の魂胆を麗華に見透かされ、幸太郎は素直に認めた。


 チョコをもらおうとして失敗した幸太郎の情けない姿を嘲るように、麗華はうるさいくらいの高笑いをする。一方のセラは、幸太郎の魂胆に乗ってしまったことを気にしている様子はなく、むしろちょっと嬉しそうだった。


 周りに迷惑なくらいの声量で高笑いを続けている麗華を見て、大和はいたずらっぽく一度笑うと、期待に満ちた光を宿した目を幸太郎に向けた。


「ねえ、幸太郎君。もしも、麗華が君のためにチョコを作るって言ったらどうする?」


「マズそう」


「ぬぁんですってぇ!」


 笑いを堪えながらした大和の質問に、かつて麗華の手料理を食べて後悔したことを思い出した幸太郎は素直に自分の思ったことを即答した。


 そんな幸太郎の答えが耳に入った麗華は気分良さそうな表情から、怒りに満ちた修羅のような表情に一変させて幸太郎に詰め寄った。

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