第一章 もう一人の次期教皇最有力候補
第1話
……どうすればいいんだ。
整った顔立ちに焦燥と激情を宿した青年――セイウス・オルレリアルは後がない自分の状況を打破するために熟考しているが、小一時間真剣に考えても答えが出ない状況にさらに焦燥感と苛立ちを募らせた。
自室のソファに項垂れるように座って苦悩の表情を浮かべているセイウスを、彼の対面にあるソファに座っている黒いスーツを着た一人の青年は、カップに注がれたコーヒーを飲みながら観察していた。
長めの黒髪で長身痩躯の青年は落ち着き払った雰囲気を身に纏い、立ち居振る舞いも優雅で紳士的だが、悩むセイウスを映す双眸は冷たく、嘲笑っているようだった。
「さあ、どうする? 君にはもう選択肢が残されていないハズだ」
小一時間待たされて飽き飽きした様子の青年がため息交じりにそう呟くと、思考の邪魔をされたセイウスは忌々しげに話しかけてきた青年を睨んで、「わかっている!」と声を張り上げた。
「なら話は早い。そんなに悩む必要はないだろう?」
「悪いが、性悪な女狐に騙されたばかりなんだ。君の誘いに簡単に従えない」
つい先月、とある人物に騙されて裏切られた忌々しい思い出が頭に過ったセイウスは、胸の中で滾っていた激情の炎が爆発しそうになるが、感情的になれば目の前にいる人間に巧みに利用されるだけだと思い、それを堪えた。
目の前にいるこの男も、『あの女』と同様信用できない相手だ――そう言い聞かせながら、セイウスは口角を僅かに吊り上げて薄ら笑いを浮かべている青年を睨んだ。
青年の名前はアルバート・ブライト――ある目的のためにセイウスに協力を求めてきた。
アルバートと協力すれば、自分が抱く激しい怒りを解消できるかもしれないが――あのアルバートが仕組んだ計画でも成功するかどうかさえも定かではなく、それ以上に人間不信に陥っているセイウスはアルバートを簡単に信用することができなかった。
だが――ほとんどの人間からの信用を失ったセイウスにはもう道は残されていなかった。
「特に君のような男を簡単に信用することはできない」
「耳が痛い言葉だ。それにしても、君がそんなに慎重だとは意外だよ。もっと考えが浅いと思っていたんだ」
「君はこの僕をバカにしているのか!」
薄ら笑いを浮かべながら煽ってくるアルバートに、苛立ちをぶつけるセイウス。そんな彼を見て、笑みを消したアルバートは「すまなかった」と誠意と僅かな嘲りを含んだ謝罪をした。
「さあ、もう一度聞こうセイウス君。私に協力するか否かを」
アルバートの問いかけに、セイウスは今までの時分の事を考える。
枢機卿になってから、日々を楽しく過ごせた。
枢機卿の権力を好きに振って、自分の好き勝手に過ごしてきた。
枢機卿となって悠々自適に過ごしてきた日々を頭に過らせたセイウスは、権力を振って今まで散々美味しい思いをしてきたのに、それを手放すことはできなかった。
そう思えば、今まで悩んでいた自分がバカらしく思えてきた。
自嘲的であり、開き直ったようなような笑みを浮かべたセイウスは「いいだろう」と頷く。
「……いいだろう、アルバート。君に協力しようじゃないか」
答えを出したセイウスに、「感謝するよ」と、アルバートは思った通りだと言わんばかりの自信と喜びに満ちた微笑を浮かべた。
「君は自分の判断を誇りに思っていい! その判断は未来の礎になることは間違いないだろう! ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
そう豪語するアルバートの端正な顔から理知的な光が失われ、狂気を宿していた。
狂気を含んだ大きな笑い声を上げているアルバートの姿を、セイウスは不審そうに眺め、自分の判断に僅かな後悔を抱いた。
だが、自分のためと思えば、その後悔はすぐに霧散した。
―――――――――――――
そろそろ温かな春が近づいてくる時期であるが、まだ日が昇りきっていない早朝は真冬のような寒さの二月の早朝――だが、アカデミー都市のセントラルエリアにある公園は熱気に包まれていた。
熱気の正体は、公園内で対峙している二人の人物から放たれているものだった。
平凡な顔つきを無理矢理シリアスにさせようとして、力み過ぎて不細工な顔になっている、ジャージを着た少年・
豊かな体躯を強調させるような薄い生地のタイトな運動着を着ている銀髪の美女――ティアリナ・フリューゲルは、圧倒的な威圧感が込められている目で幸太郎を睨み返す。
幸太郎とティア――二人の鋭い眼光がぶつかり合い、火花が散っていた。
「……行きますよ、ティアさん」
「いつでも来い」
「本気で行きます」
「ああ」
「本当に本気で行きますよ」
「構わん」
「ホントの本当に本気で行きますよ」
「くどい」
睨み合ったまま、かかってこない幸太郎の脳天にティアは少し強めにチョップをすると、幸太郎は無様な声を上げて情けなく尻餅をついた。
「これでは訓練にならん。さっさと立ち上がって好きに打ち込んで来い」
尻餅をついたまま脳天の痛みに悶絶している幸太郎をティアは冷酷な目で見下ろし、いっさいの遠慮のない言葉を投げかけると、幸太郎は「はーい」と億劫そうに返事をして立ち上がる。
幸太郎は立ち上がると、重量のある太い木刀を両手で持って何とか振り上げ、足元にある芝生を力強く踏み込んで、振り上げた木刀を力任せにティアに向けて振り下ろすと、力を入れ過ぎたあまり幸太郎はバランスを崩して前のめりに倒れそうになる。
そんな幸太郎を抱き止めることなく、ティアは無情にもふらつく彼の足を払った。
地面に向けてヘッドスライディングをする勢いで盛大に、そして情けなく転ぶ幸太郎。無様に地面に熱い口づけをする姿の彼を見て、ティアは呆れたように深々と嘆息した。
「力み過ぎるなと何度も教えたはずだ。余計な力を入れれば、その分余計な隙が生まれる」
ジャージについた芝生を払い落としながら立ち上がる幸太郎に、ティアは優しい言葉をかけることなく、厳しく容赦のない言葉を淡々と投げかけた。
「ただ相手を負かせるだけなら力は重要だが、本当の勝利は力でもぎ取ることはできない。勝敗に置いて何よりも重要なのは相手が敗北を認めたか否かだ。よく覚えておけ」
二月の早朝の外気よりも冷え切った声で放たれるありがたいティアのアドバイスに、幸太郎は欠伸を必死に我慢しながら聞いて、「はーい」とやる気のなさそうな返事をした。
「取り敢えず、素振り百回」
「さ、さっきやったのにまたやるんですか?」
「どうにもお前は力に頼り過ぎる癖がある。それを矯正するためだ。何か文句でもあるのか?」
きつい、面倒、寒い、眠い、帰りたい、お腹空いた――色々な文句を幸太郎は言いそうになるが、
「ティア、訓練をするのは結構だけど、もう少し七瀬君に合った訓練をするべきよ」
疲労困憊ながらも健気にティアに従って素振りをはじめる幸太郎を見かねて、一人の女性が幸太郎に駆け寄る。
ティアと同等の美貌とスタイルの、艶のある長い黒髪を後ろ手に束ねた、動きやすい服を着ている高貴でお淑やかな雰囲気を身に纏う美女――
最近運動不足気味な巴は鈍りきった身体を鍛え直すために数週間前から同級生であり友人であるティアの訓練に参加して、自由に身体を動かしていた。準備運動をした後、今までセントラルエリア中を一時間休まず走り回っていた巴だが、息切れはもちろんのこと、疲れている様子はまったくなかった。
「お前には関係ない。これは私と幸太郎の問題だ」
自分の訓練に口を出してくる巴を、邪魔だと言って突き放すような目でティアは睨むが、巴は一歩も退かないで、疲れ果てている幸太郎の肩を抱いた。
御柴さん、いいにおい……
巴と密着した幸太郎は、素振りと疲労を忘れて思わず照れてしまうとともに、巴の身体からほのかに香る甘い汗のにおいを堪能していた。
「詰め込み過ぎるのはどうかと思うわ。これじゃあ、七瀬君がかわいそうよ」
「私は幸太郎の実力を鑑みて、適切な訓練をしているだけだ」
「あなたがそう思っていても、訓練を受けている本人はそう感じないことだってある。今年から訓練教官になるのだったら、少しは人の気持ちを考えるべきよ」
痛いところを巴に突かれてティアは反論できないが、すぐにムッとした顔になって言い返す。
「お前は他人にも自分にも甘すぎる。だから、少しの間前線を退いただけで、そんなにだらしない身体つきになったんだ。少しは反省したらどうだ?」
「そ、それは否定しないけど、別にそんなにだらしなくなっていないわよ」
否定はしつつも気にしているのか、巴は少しムキになって言い返した。そんな彼女の心を見透かしたように、ティアは小馬鹿にしたように小さく鼻を鳴らした。
「私の目から見れば、十分にだらしないように見える。筋肉が落ちて体重が増加をしたな」
的確に痛いところを突いてくるティアを巴は恨みがましく睨むように見つめた。何も言い返してこない巴に、ティアは得意気な微笑を一瞬浮かべた。
一方、ティアの言葉の確認をするために幸太郎は巴の身体を舐め回すようにジッと見つめる。
「そ、そんなに見つめてどうしたんですか、七瀬君」
自身の身体を見つめる幸太郎の視線に、巴は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
突き出た胸、引き締まった腰、程よく締まった臀部――男はもちろん、同性でさえも見惚れてしまう巴の身体つきだが――
「ティアさんの言う通りですね」
無邪気な笑みを浮かべて、思ったことをそのまま口にする幸太郎に巴はショックを受ける。
「でも、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。御柴さんは相変わらず美人ですから」
「あ、ありがとうございます……」
残酷な感想に打ちのめされていた巴だったが、次の幸太郎の正直な言葉に幾分巴は救われて、照れたように笑っていた。
「話し込んでいる暇があったらさっさと素振りを再開させろ。後百回だ」
「……十回くらい振ったんですけど」
「何か文句でもあるのか?」
訓練を忘れて巴と和気藹々と話す幸太郎を、平然とでティアは絶望の淵へと叩き落とした。
この後、巴のフォローがあって何とか素振りを五十回まで負けてもらった幸太郎だが――疲れたことには変わりなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます