第35話


「一体何がどうなってるんだ!」


 セントラルエリアにある高級ホテルのスイートルームで、セイウスのヒステリックな怒声が響き渡る。


 せっかくの豪華なスイートルームだというのに、苛立つセイウスのせいで室内の雰囲気が悪く、アカデミー都市を一望できる大きな窓にはカーテンが閉められていた。


 リクトの囮となって周囲の信用を得るセイウスの計画だったが――最後の最後でそれが失敗してしまった挙句、疑いの目が向けられてしまってさらに自身の信用を落としてしまったことにセイウスは苛立っていた。


 それに加えて、自分が酔い潰れている写真が鳳グループに撮られてしまい、セイウスはもう何が何だかわからなくなって、半ばパニックになって周囲に当たり散らしていた。


 そんなセイウスの情けない姿を酒の肴にして、足を組んでソファに深々と腰かけているアリシアはジェリコがワイングラスに注いだワインを優雅に飲んでいた。


「ねえ、セイウス。せっかくこんな良い部屋を取ったのだから、カーテンは開けないのかしら?」


「ふざけるな! 状況をわかってるのか! どこに小賢しいハエのような連中がいるのかわからないんだぞ!」


「フフフ、そうね。ごめんなさい」


 苛立つセイウスを落ち着かせるつもりと、からかい半分でアリシアは冗談を言ったが、余裕がない今のセイウスには冗談は通用しなかった。


「アリシア! どうしてあそこで僕を庇わなかった! 君と僕は一蓮托生のハズだぞ! 僕が疑われれば、君が疑われることになるんだぞ!」


「最初から良からぬ腹積もりとしていたあなたには言われたくはないわね」


 利用して裏切るつもりだったセイウスの考えを完全に見透かしていているアリシアは、セイウスに氷の刃のような冷たく鋭い目を向けると、悔しそうな表情を浮かべたセイウスは彼女に強気でいられなくなってしまう。


「捕まったレイズも喚いているようだけど、それも無駄。疑われるだけで、私につながる証拠は何一つない――まあ、あなたの不祥事の証拠は残ってるけど……まさか、鳳グループがこんな写真を撮ってるなんてね」


「クソッ! 鳳グループめ! 虫の息だというのに、今更何をするつもりだ!」


 自分から鳳グループへ怒りの矛先を向けたセイウスの都合の良さに心の中で苦笑を浮かべながらも、予想通りの態度だったのでアリシアはあえて指摘することはしなかった。


「簡単なことよ。鳳グループは立て直そうとしている、そのために今回の件に御柴克也が関わって事件の解決の協力をした。どうせ、教皇庁にその事実を握りつぶされると思って、あなたの情けない姿を収めた写真でこちらを脅してきた――多分、御柴克也、それと萌乃薫もえの かおるの仕業かしらね? あの二人は抜け目がないから」


 鳳グループ上層部であり、忌々しいほど優秀な御柴克也と、萌乃薫の名前をアリシアは吐き捨てるように口から出した。


 今回の件で一番得をしたのは鳳グループだった。


 鳳グループトップの秘書である御柴克也が事件に介入し、人手が足らなかった制輝軍の指揮をして事件解決に導いた。その結果、僅かだが鳳グループの信用が回復した。


 普段なら、教皇庁は鳳グループの活躍したことを握りつぶすが、今回はそれができなかった。


 理由は、鳳グループはリクトの囮となった枢機卿が、自分だけ安全な場所にて情けない姿を晒している写真を差し出してきて、これを世間に公表しない条件として、自分たちが活躍したことをもみ消すなと言ってきたからだ。


 もちろん、条件を提示されて不満な教皇庁だが、教皇庁と縁が深い大道共慈も御柴克也とともに現場を指


 鳳グループの信用が失墜している今、アカデミーを支配できるチャンスだと思い込んでいる教皇庁としては信用を下げることができなかったので、その条件を渋々呑んだ。 


 鳳グループに良いように利用されることに不満を述べる枢機卿はたくさんいたが、教皇庁と縁が深い大道共慈も御柴克也とともに現場を指揮して事件解決に導いたということで、教皇庁にとっても悪いことばかりではないと判断したので、不満を述べても反対することはしなかった。


 結局、今回の事件で教皇庁は多少の痛手を負ってしまい、鳳グループは得をした――ほとんどが、リクトの囮になりながらも自分だけ安全な場所に一番乗りして、リラックスしていた姿を写真に撮られたセイウスの責任で。


 油断しきっていたセイウスに呆れ果てているアリシアだが、唯一評価できるところは、二度も同じような写真を撮られないために、自分を呼び出したこの場所が写真を撮られたホテルとは別のホテルであり、用心深くカーテンを閉めているということだった。


「僕は絶対に鳳グループの好きにはさせない! アイツらに復讐してやる! 僕の立場を脅かそうとする存在は全員排除する」


「あら? 気合十分ね。私も協力してあげるわよ?」


「うるさい! 僕が追い込まれてしまったのは君の責任でもあるということを忘れるな! 僕に何かあれば君も道連れにする! 僕はこのままじゃ終われない……この権力を手放すものか! だから、覚悟しておくんだな! 僕はこれで失礼する!」


「あら? せっかくあなたが予約したスイートルームなのに、もう出て行っちゃうの?」


「勝手に使っていろ! 僕はもう帰る! 君とはしばらく会いたくないんだよ!」


「そう、ならそうさせてもらうわ。それじゃあ、またね」


「いいか! 鳳グループも許さないが、君のことも許していないんだからな! いつか必ずこの屈辱を晴らすから覚悟しておけ!」


 子供のような癇癪を起してセイウスは部屋から出て行くと、部屋が一気に静まり返る。


 残ったアリシアは、自分とともに残っているジェリコに目配せをすると、彼は軽く頷いて部屋から出たセイウスを追いかけた。


 すぐに行動を起こすことはないだろうが、土壇場の裏切りのせいでお冠のセイウスは、自分に対して何をするのかわからないので、アリシアはしばらくセイウスをジェリコに監視してもらうことにした。


 一人残ったアリシアは、セイウスが使うはずだったワイングラスにワインを注いだ。


「今回は色々とお疲れ様。あなたも飲まない?」


「そうだな……いただこうか」


 気配を消していたのに加えて苛立ちの極みにいたセイウスには気づけなかった、自分とジェリコ以外にこの部屋にいた人物に、アリシアはワイングラスを差し出すと、タキシードを着て仮面をつけた男――ヘルメスが部屋の隅から現れて差し出されたグラスを手に取った。


 ヘルメスはアリシアの隣に座って、ワインを一口口に含んで「中々の味だ」と、ワインの味に舌鼓を打っていた。


「それにしても、あのバカ男のセイウス――自分の権力に固執するあまり、周りが見えていないみたい。自分が骨の髄まで利用されているのに気づかないなんて、ホントかわいそう。待ってるのは破滅なのに」


 癇癪を起したセイウスの姿を思い浮かべながら、性悪な笑みを浮かべて好き勝手にアリシアは言っていた。


「わからないぞ。ああいうタイプは意外にも長生きするタイプだ。それに、こちらが想定していない行動を取ることもある……君を相当恨んでいるようだから気をつけた方がいい」


「フフフ……あんな男を気にかけるなんて、あなたって優しいのね」


「人生経験が豊富なだけだ」


「あら? そうなの? ……それじゃあ、どのくらい豊富なのか私に見せてよ」


 自身の足をヘルメスの膝の上に乗せて、彼の首に自身の腕を絡ませたアリシアは、官能的な笑みを浮かべて自身と彼の唇を近づけた。


「……あなたの素顔が見てみたいわ。どんな顔をしているのかしら」


「勘弁してもらおう。顔を見せたら君に利用されるかもしれないからな」


「信用されていないのね、私って」


「お互い様だろう」


「あら、気づいてた?」


 口づけをする振りをしておきながら、自身の仮面を外そうとしていたアリシアを見抜いていたヘルメス。アリシアはいたずらっぽく笑ってヘルメスから離れた。


 幅広く深い知識や、便利な道具を開発する高い技術力を持っている心強い協力者のヘルメスだが、アリシアは完全に彼のことを信用していなかった。


 仮面を被って素顔を隠しているのも信用できない理由の一つだが、アリシアの本能が彼を完全には信用してはならないと警鐘を鳴らしていた。


は裏でコソコソ動くのが趣味だったあなたが、今回は随分と派手に動いたのね。あなたの存在が公になっているわよ」


「その時が来た、それだけのことだ」


 口元を吊り上げて意味深に笑うヘルメスを探るように見つめているアリシアだが、彼が何を思っているのかは窺い知ることができなかった。


「そういえば、あなたの目的ばかりが上手く行っててズルいわよ?」


「君の方も上手く行っているだろう? 今回の騒動で君の目的は次期教皇候補であるリクト君の信用を落とすこと。上手く行っただろう?」


 子供のように口を尖らせるアリシアをヘルメスは柔らかい口調で宥めたが、「それ、皮肉にしか聞こえないわよ」と、返ってアリシアを煽ってしまう結果になってしまった。


「私の最終目的は、今回の騒動で誤った判断をしたリクトの評価を大きく落とすことだった。でも、墜落する飛行機を無事に着陸させたリクトの外部からの評価はさらに上がった。対照的に教皇庁内では、今回の騒動を公にする原因を作った一人だから信用は下がった。結果はプラマイゼロ、そんなに変わらないわ」


「どんなに練った計画でも一つの齟齬で台無しになるから、上手くいことは限らない――教皇エレナの英断が君にとっての大きな齟齬になったようだな」


「エレナ――今も昔も、相変わらず私の邪魔ばかりするのね……」


 今回の件を公にするという判断を涼しげに下して、枢機卿たちを納得させた自身の昔馴染みである教皇エレナをアリシアは忌々しく思い、苛立ったように爪を噛んだ。


 教皇エレナに対して憎悪を抱くアリシアを一瞥して、ヘルメスは僅かに口角を吊り上げていたが、苛立っているアリシアは気づいていなかった。


「勘違いしているから一言言っておくが、私の目的も順調というわけではなかったのだよ。せっかくの実験用の『人形』が台無しになってしまったのだからね。もう少しあの人形で実験をしたかったのだが……」


 自分も計画が上手く行っているわけではないと説明して白々しく自身をフォローするヘルメスに、アリシアは小さく鼻で笑った。


「それでも、良いデータは取れたんでしょ? 良いわね、あなたばかり」


「それなら、君も私と同様表に出ればいい。そうすれば、多少は変わるかもしれないぞ?」


 嫌味を込めたアリシアの言葉に、嫌味で返すヘルメス。


 もっともなヘルメスの嫌味に、何も反論できないアリシアは「遠慮するわ」と、降参の意を示すように大きくため息を漏らした。


「さて……そろそろ、私は戻ろう。今回の実戦データを基に『人形』を調整したいからね」


 ワインを飲み終えたヘルメスは、空のグラスをテーブルに置いてソファから立ち上がって部屋を出ようとすると、「ねえ」とアリシアが呼び止めた。


「人形遊びも大概にしないと、いつか人形に反抗されるかもよ?」


「それについては心配ない。私の人形は常に忠実だ」


 アリシアの皮肉を込めたアドバイスをヘルメスは軽く受け流して、部屋を出て行った。


 部屋を去るヘルメスの後姿を、アリシアは冷めた目で見送った。


「……まあ、あなたが何を考えていようとも、私には関係ないんだけどね」


 一人部屋に取り残されたアリシアは、感情がまったく込められていない声でそう呟く。


 ヘルメスは何か壮大なことを考えていると、ある日突然彼が自分の前に現れ、自分に協力する代わりに提示した条件を聞いた時からアリシアは察していた。


 その壮大な計画のために、自分も利用されているとアリシアは気づいていた。


 だが、アリシアにとってはどうでもよかった。


 ヘルメスはヘルメス、自分には自分の計画があるからだ。


 だからこそ、ヘルメスが何を考えていようがアリシアの目的の前ではどうでもよかった。


 ただ――もしもヘルメスが自分の邪魔をするなら、排除するのみだった。


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