第34話

 事件の翌日――事後処理を終えた教皇庁は、さっそく今回の件に深く関わっているリクトに説明を求めるために教皇庁本部の最上部にある、重要な取り決めを行う会議などでしか使用されない大会議室に呼び出した。


 あれだけ大きな騒動になったけど……どうせ、今回の件も隠蔽されるんだ。

 これじゃあ、教皇庁は変われない。


 飛行機の胴体着陸騒動からの連絡橋で発生した多くの車を巻き込んだ大きな事故に、さっそくマスコミは食らいついていた。


 しかし、教皇庁は詳しい説明をマスコミにしておらず、自分の話を詳しく聞いた後に、どうやって今回の件を隠蔽するのか話し合うのだろうとリクトは思っていた。


 変わろうとしない教皇庁のことを思い、心の中で憂鬱そうにため息を漏らした。


 沈んだ気持ちのまま、リクトは大会議室前まで到着する。


 昨日のこともあって、ここに来るまで大勢のボディガードに守られていたリクトだったが、会議室の前まで到着するとボディガードたちはリクトから離れた。


 一人になったリクトは、小さく深呼吸をして緊張をしている自分を鎮めて、数回ノックした後「失礼します」と一言言ってから会議室の扉を開いた。


 扉を開くと、大会議室の中央にある大きな長机を過去妙に座っている、教皇庁内で強大な権力を持つ大勢の枢機卿たちの視線がリクトを出迎えた。


 リクトが来る前に話し合いをしていたのか、枢機卿たちは揃って苦い顔をしており、室内の空気は張り詰めていて重苦しく、居心地が悪かった。


 アカデミー都市を一望できる大きな窓がある景色の良い室内だが、誰しもがそんなものに興味はなく、リクトに視線を向けていた。


 興味、安堵、尊敬、失望、侮蔑、不快――様々なプラスとマイナスの感情が入り乱れた視線が自身に向けられて、リクトは居心地の悪さを感じるが、それを気にせずに議長席に座っている一人の女性に視線を向けた。


 リクトと同じ栗毛色の髪のロングヘアーを三つ編みに束ねた、神秘的でありながらも冷たく、厳かな雰囲気を身に纏っているスーツを着た女性だった。


 その女性――自身の母であり、教皇庁現トップであるエレナ・フォルトゥスにリクトは跪いて深々と頭を下げる。


「顔を上げなさい、リクト。色々あったようですが、あなたが無事でよかったです」


 余計な感情が込められていない透明感のあるエレナの声が、張り詰めた緊張感に包まれる室内に響き渡ると、リクトは「ありがとうございます、エレナ様」と一言言ってから立ち上がった。


「さっそく、昨日あなたが体験した出来事を詳しく説明してください。昨日の騒動について早急にマスコミに説明しなければならないので」


 さっそく昨日の騒動についての説明をエレナに求められ、リクトは「わかりました」と深々と頷いから、話をはじめる。


 聖輝士でありながらもレイズが事件に深く関わっていたこと、大勢の輝石使いに狙われたこと、爆発した黒衣の輝石使いのこと、そして、仮面をつけた謎の人物・ヘルメスのことを――簡潔かつ丁寧に説明終えると、室内は騒然としていた。


 ある程度事件の概要については聞いていた枢機卿たちだが、巻き込まれた張本人であるリクトの話を聞いて改めて驚いてしまっていた。


「まったく、何てことだ! これでは二年前と同じだ!」

「今回の騒動は大きくなりすぎた。これでは上手く隠蔽できないぞ!」

「何てことだ……これからは教皇庁がアカデミーを先導するはずだったのに、これでは鳳グループと同じ轍を踏むことになる!」

「いや――二年前と同様の事件なら、墜落する飛行機を無事に着陸したリクト様の力を大々的にアピールすることで、どうにかなるかもしれない」

「だが、二年前と同じ手が通用するとは思えないぞ! ここはあえて、正直に話すことが重要なのではないか?」


 二年前に起きた『蒼の奇跡』騒動と同じ、教皇庁内部の人間による犯行に、どう対処するのか好き勝手に話し合って騒ぎはじめる枢機卿たち。


「静まりなさい」


 ざわついていた室内に響くのは、エレナの冷え切った厳しい声。


 その一声で枢機卿たちは黙り、室内が水を打ったように静かになった。


 室内に静寂が戻ると、エレナは二人の枢機卿に視線を向けた。


 一人は、焦燥感に満ちた表情を浮かべて落ち着かない様子のセイウス・オルレリアル。


 もう一人は、美しく整えられたロングヘアー、枢機卿という教皇庁内の幹部であり周囲からの尊敬を集める存在にもかかわらず、胸元が大きく開いた過激な服を着て妖艶な雰囲気を身に纏い、腕と足を組んで深々と椅子に腰かけて横柄な態度を取っている女性の枢機卿だった。


 アリシアさん……


 教皇であるエレナに視線を向けられ、反抗的な目で睨むように見つめ返している女性の枢機卿――アリシア・ルーベリアの姿を見て、リクトは複雑そうな表情を浮かべていた。


 セイウスや他の枢機卿と同様、悪い噂が絶えない人物であるが――リクトはアリシアのことが憎めなかった。


 母と古い知り合いであり、子供の頃に何度か遊んでもらった記憶があるからだ。


 それに、アリシアの娘とは次期教皇を争う立場でありながらも友人であり、母親の良いところを何度も聞かされたからこそ、リクトは悪い噂ばかりあるアリシアを憎めなかった。


「聖輝士レイズ・ディローズ――彼は、あなたが用意した聖輝士であると聞きましたが?」


「娘が教皇庁旧本部を出立するリクト様を気遣って用意した聖輝士よ。私には関係はないし、娘がレイズを選んだ理由は実力が高い聖輝士だったから――何か文句でもある?」


 アリシアはエレナの追及に恐れることなく、あらかじめ決めていかのような答えを淡々とした口調で説明をするが、それを聞いてエレナはもちろん、ほとんどの枢機卿は納得しなかった。


「今回の事件はたまたまレイズ・ディローズをリクトの護衛につけて、たまたま起きた騒動であるとあなたは思っているのですね?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれなわね」


「では――偶然の騒動を引き起こしたレイズ・ディローズが取調べであなたに雇われたと供述していることについて、アリシア・ルーベリア、詳しい説明をお願いします」


 自身の思わせぶりな言葉に反応したエレナを待っていたと言わんばかりに、アリシアは弾みそうになる声を押さえながら淡々とした様子で話をはじめる。


「今回の騒動でリクト様を狙った輝石使いは、全員リクト様が不正を暴いて失脚させた次期教皇最有力候補に仕えていた輝士。それに、聖輝士レイズ・ディローズは、聖輝士クラウス・ヴァイルゼンと古くからの友人だと聞いているわ。今回の一件は娘がリクト様の護衛にレイズを選んだのは偶然だったのかもしれないし、レイズが事前に仕組んでいたことだったのかもしれない――すべては今後の調査次第。言えることがあるとすれば、私がレイズを雇ったという決定的な証拠はないし、今回の騒動はリクト様への復讐のために起きた騒動ということよ」


「つまり……あなたは今回の騒動はリクトの自業自得であると?」


「言い方が悪いけど、そうなるわね」


 教皇エレナに対しての不遜な態度、そして、自分とレイズが関わっているという決定的な証拠はなく、今回の騒動の責任はリクトにあると平然と言い放つアリシアに、周囲の枢機卿たちは非難するが、アリシアはまったく気にしないし、彼女の言う通りレイズの証言だけで証拠が何一つなかったので枢機卿たちは強く出れなかった。


 それでも、アリシアへの強い疑惑の視線が集まるが、そんな視線を一身に受けてもまったく気にしていない態度でアリシアはやれやれと言わんばかりにわざとらしくため息を漏らした。


「私を疑うよりも、疑うべき人間が他にいると思うんだけど?」


 思わせぶりな態度でリクトを一瞥するアリシアに、再び枢機卿たちはざわつき、不安と疑念に満ちた目をリクトに向けた。


 慌てて弁明をしようとするリクトだが、アリシアの出方を窺うために堪えた。


「今回の一件で一番目立ったのはリクト様であり、不自然なほど空港に多く集まってリクト様が起こした奇跡を目撃したマスコミたちによって改めて次期教皇に相応しいと周囲に印象付けた。つまり、リクト様はマスコミとレイズたちの復讐心を利用して、自分の評価を上げた――そう考えることだってできる」


 リクトに疑いの目が向けられる推測を述べて、アリシアはエレナの反応を探るように見つめた。


 自分の息子が疑われても、エレナはいっさい動揺することなくアリシアを見つめ返した。


「リクト様を疑うよりも、君たち母娘を疑った方がしっくりくるのだがな」

「それは確かにそうだ。君には色々とよくない噂があるからな」

「結局、君は自分への疑いをリクト様に向けさせようとしているだけではないのかな?」


 リクトに味方する枢機卿たちの厳しい非難など、アリシアはまったく気にしていなかった。


 アリシアの眼中にはエレナしか存在していなかった。


 アリシアへの非難で室内が賑やかになると、再び「静まりなさい」とエレナが一言注意をして、室内を静寂に戻した。


「……確かに、リクトを疑うあなたの意見も一理あります」


 自分の息子を庇うことなく、あくまで教皇としての意見をエレナは述べた。


 自身を疑うアリシアの意見を肯定したエレナに、一抹の寂しさを感じるリクトだが、教皇として中立でなければならない母の立場を理解しているからこそ、気にしなかった。


「しかし、評価というのは流動的で絶対的なものではありません。卑怯な真似をして評価を得た外面だけの人物ならば、いずれ醜い内面が明かされてしまう」


 この場にいる枢機卿一人一人を見ながら、エレナは淡々と諭すようにそう言うと、教皇の言葉に耳が痛い多くの枢機卿たちは顔を伏せてしまった。


「それに、自身に恨みを持つ人間を利用するということは、相応のリスクも生じます。つまり、自身の命も危ぶまれる可能性も十分にありえます。――次期教皇採油力候補の不正を暴いた一件で評価上がっているにもかかわらずそんなリスクを抱えてまで、自身の評価を得ようとするのでしょうか」


「……確かに、それもそうね」


 もっともな疑問を口にするエレナに、アリシアは何も反論できなくなる。


 中立的な立場でありながらも自身を庇ってくれている母の姿を、リクトは尊敬の目で見つめていた。


「それでは、聞きます。あの空港に大勢のマスコミを呼び出したのは一体誰なんでしょう」


「ここにいるセイウス・オルレリアルよ」


 エレナの質問に、アリシアはため息交じりにセイウスの名前を躊躇いなく口に出した。


 アリシアの隣で落ち着かない様子で身体を揺らしていたセイウスは、自身の名前を平然と口に出したアリシアに驚くと同時に、彼女を怨嗟に満ちた目で睨んだ。


 セイウスの名を聞いて、「なるほど」とエレナは頷いた後、絶対零度の目をセイウスへと向けた。エレナに追従するように、室内にいる枢機卿たちの疑念と失望に満ちた視線がセイウスに集中する。この場にいる全員の鋭い視線が自分に集まっていることに、セイウスは喉の奥から小さくて情けない悲鳴を上げてしまう。


「ま、待ってください、エレナ様! 私は事件とは関係ありません! マスコミを呼んだのは、活躍したリクト様を大勢の人に知ってもらおうとしただけです! それに、私はリクト様の囮として活躍した! そんな私を疑うというのですか!」


 必死に弁解するセイウスを、エレナは心底軽蔑したような目で睨むように見つめた。


「あなたが事件に関わっていたという証拠は現在何一つ出ていませんが――今回、あなたの軽率な行動が教皇庁にとって多くの不利益をもたらしたのは事実。相応の処分は受けてもらいます。そして、もしも今回の事件に関わっているならば――……覚悟してもらう」


 ドスの利いた最後のエレナの一言で、室内の空気が一気に凍てつく。


 セイウスは言い訳するのをやめて、頷くことしかできなかった。


 自身の立場が危ぶまれてしまっている状況に、セイウスは震えながらアリシアを激しい憎悪が込められた睨んでいたが、アリシアは相手にしないで話を続けた。


「今回の一件、ここまで混乱してしまったのは次期教皇最有力候補でありながらも、教皇として必須な冷静な判断力を用いて現場で上手く立ち回れず、鳳グループに恩を売ってしまい、一人の生徒を自分の囮代わりにしたリクト様側にも問題があるのでは?」


 それは違う――と、思いきり声を大にしてアリシアに文句を言いたかったリクトだが、すべてが事実なので何も反論することができず、ただ悔しい思いをするだけだった。


 自分の言葉にどう反応するのか、期待するようにエレナを見つめているアリシア。


 エレナは特に反論することなく、「アリシアの言う通りです」と淡々と話をはじめる。


「今回の一件は我々教皇庁側の不手際があまりにも目立ち過ぎました。おそらく、今回の一件をすべて隠蔽しようとしても、必ず綻びが出てしまい、返って教皇庁にとって大きな痛手になる可能性が大いにありえます。大きな痛手となる前に、勇気ある決断をしなければならなくなりました」


 今回の件を公表するつもりのエレナに、枢機卿たちは複雑な表情を浮かべる。


 鳳グループの信頼が落ちている今、教皇庁がアカデミーの実権を握る絶好の機会だった。そんな状況で、教皇庁内の不祥事は好ましくなかったが、大きな痛手になる前に今回の騒動を公にするというエレナの判断は正しくもあった。


 エレナの判断に、様々な思惑を抱いている枢機卿たちは答えが出ない様子で、考え込んでいて無言だった。


「次期教皇最有力候補であるリクトが襲われてしまったという噂は広く出回ってしまっています。そんな中――提出されたこんな写真が出回ってしまえば、教皇庁は大きな痛手を受けてしまいます」


 エレナの言葉を合図に、会議室内にあるスクリーンに一枚の写真が映し出された。


 その写真は、セントラルエリアにある高級ホテルのスイートルームを映し出した写真であり、その写真には酔い潰れて眠っているバスローブ姿のセイウスの姿が大きく写し出されていた。


 セイウスの寝顔は酔いが回って赤く染まり、リラックスしきっているせいで情けないほど大量の涎を垂らして眠っていた。そんなセイウスの写真に、枢機卿たちは揃って呆れた果てたようにため息を漏らした。


 はじめて見るセイウスの写真に、自分がこの部屋に入る前にこの写真について話し合っていたのだろうと、リクトは察した。


「幸い、鳳グループは交換条件を提示して、それに従えば写真を公表するのは控えると約束してくれましたが――勇敢にもリクトのために囮となった枢機卿が一足先に自分だけ安全地帯に戻って、無様な姿で眠っているということが周囲に知られれば、教皇庁の信用に傷がつきます」


 淡々としながらも皮肉がたっぷり込められたエレナの言葉に、呆れ果てている様子の枢機卿たちの視線がセイウスに集中すると、大勢の視線の先にいるセイウスは居心地が悪そうにしていた。


「それに加え、今回の騒動の裏で動いていたヘルメスという謎の存在がいるという状況で、無暗に混乱を作るわけにはいきません」


 正体不明の敵であるヘルメスについて、エレナは厳しい表情で言及した。


「今回の件を公表すれば、教皇庁は確実に信用が落ちますが、それは僅かであり、鳳グループと比べればまだマシです。それに、鳳グループの信用が落ちて、周囲の信用が教皇庁に集中している今、信用回復は余裕です。鳳グループのように不必要に隠蔽工作を行ってしまって大きな痛手を負うよりも、多少の痛手を負って誠意を見せることが重要なのではないでしょうか――何か意見があるなら、今ここで私を納得させてください」


 言い返す隙を与えない自分の意見を述べた後、エレナは枢機卿たちに意見を求める。


 たとえ教皇庁トップの立場であっても、枢機卿の意見がなければいくら教皇でも勝手な判断はできないので、エレナは枢機卿たちに今回の騒動をどう決着つけるべきか、意見を求める。


 色々と文句がありそうな枢機卿が数人いたが、重要な情報を隠していた結果周囲の信用を失った鳳グループの二の舞にならないために、エレナの意見に従うことにする。


「私は、教皇の指示に従います」

「ええ……今は今回の騒動で混乱している周囲の対応をすることが先決です」

「責任については後々決めることにしましょう」


 一人の枢機卿がエレナの判断を支持すれば、続々と支持者が増えた。


 最終的に、今回の一件は隠すことなく公にすることが決まった。


 取り敢えず……喜んでいのかな?

 これで、教皇庁も少しは変われるんだろうか……

 やっぱり、母さんはすごい。


 どうせ今回の一件を隠蔽するだろうと思っていたが、そうならなかったことをリクトは意外に思い、隠蔽体質だった教皇庁が少しでも変わったことに安堵した。


 そして、勇気ある決断をした教皇であり、母であるエレナをリクトは改めて尊敬した。


 多くの枢機卿がエレナの意見を支持する中――セイウスとアリシアは無言を貫いていた。

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