第26話
ティアの手によって強引にノエルから遠ざけられたセラは、最初は自分を引きずるティアに抵抗しようと暴れていたが、血が上った頭に冷静さが徐々に戻ってくるについれてセラは自己嫌悪に苛まれるようになり、最終的にはいっさい抵抗しないほど大人しくなり、ようやくティアに解放された。
……感情的になっている場合じゃないのに。
ティアの言う通り、冷静になるべきだった。
幸太郎君が今も囮になっている状況を考えれば、口論なんてしてる場合じゃなかった。
胸の中にたまった苛立ちをすべて吐き出すように、セラは深々とため息を漏らして感情のままに暴れてしまいそうになった自分を反省していた。
顔を僅かに伏せて自戒している様子のセラを見て、ティアは小さく呆れたようにため息を漏らす。
「……お前らしくないな」
「ごめん……」
ため息交じりのティアの指摘に、セラは返す言葉が見つからなかった。
「幸太郎が心配なのはわかる。あのバカモノは周りを見ずに突き進むからな」
「本人としては一応、前に反省して自重してるらしいんだけどね」
「自重という意味を理解しているのか、あのバカモノは」
呆れ果てたようにもう一度ため息を漏らした後にティアは自嘲気味な微笑を浮かべた。
「幸太郎には大きな借りがある。その借りを返すためにアイツを守ると決めたが……どうにも、最近アイツに気を取られ過ぎていたせいか、アイツに何かあれば不安が押し寄せてくるようになってきた」
「……私も同じ」
ティアと同じく自嘲気味に微笑んだセラは、彼女の言葉に頷いて同意を示した。
セラたちは幸太郎に大きな恩がある。数年前の事件で責任を問われたティアと優輝がアカデミーから永久追放されることになったのを、幸太郎が身を挺して庇い、すべての責任を負ってアカデミーの退学したからだ。
そんな幸太郎が半年前にアカデミーに戻ってくることになったが、半年前のアカデミー都市全体は弱者が淘汰されるという悪い風潮が広まっており、輝石の力をまともに扱えない幸太郎は周囲からどんな目で見られ、どんなことをされるのか想像するのは容易だった。
今でこそ弱者が淘汰されるという悪い風潮は消えつつあるが、そんなアカデミー都市の悪い雰囲気もあって、セラたちは幸太郎に恩を返すため、彼を守ることを決意した。
様々な事件に巻き込まれる幸太郎を、セラは守り抜いてきたが――ティアの言う通り、幸太郎に気を取られ過ぎていたせいなのか、彼に何かあればどっと胸の中にセラは不安が押し寄せるようになり、心が乱れてしまうようになった。
どうしてそんなことになるのか、最初はわからなかったが、少し真剣に考えてみれば理由は簡単だった。
能天気で、空気を読まなくて、一言余計で、ちょっとエッチで、正直で、優しくて、たまにちょっとだけいいことを言う――セラは幸太郎のことを尊敬できる大切な友人であるからだ。
「口には出さないが、麗華も不安なはずだ」
「……うん」
素直ではない性格をしているため絶対に口に出さないが、麗華も幸太郎を守ろうとしている。
前回の事件で大きな借りが幸太郎にできてしまった麗華は、その借りを返すために幸太郎を守ろうと色々と動き回り、お嬢様にとっては慣れないであろう一人暮らしもはじめた。
なんだかんだ言って麗華は幸太郎のことを自分と同じく友人であると思っており、口には出さないがすべては彼のためであり、自分と同じく彼を守ろうとしていることは、セラはもちろん知っていた――麗華のことを考えているセラの心の内を見透かしたようでありながらも、冷たい目をティアは向けていた。
「だが、麗華はお前とは違った。アイツはそれなりに冷静に保っていた」
諭すようでありながらも厳しいティアの言葉に、セラはハッとした。
……そうだ、あの時麗華は私を抑えようとしてくれたんだ。
あの状況なら真っ先に怒り心頭になる麗華が冷静になっていた。
状況を考えれば冷静に努めるべきだって麗華は判断していたし――
何よりも、麗華は我慢していた。
それなのに、私は……
感情表現豊かな麗華にしては珍しく、慌てながらも冷静に感情的になった自分を抑えようとしたことをセラは思い出し、改めて感情的になった自分を深く反省した。
「不安なのは全員同じだ。だが、全員不安に押し潰されそうなのを堪えている……そんな中で、お前が感情的になってどうする」
「……ごめん」
ティアの言う通りだ。
不安なのはみんな同じだ。
ドレイクさんだって、娘のサラサちゃんを残してきたんだ。
それなのに、私と違っては感情的にならなかった。
……情けない。
改めて、全員が不安を抑えている中で感情的になった自分の情けなさを痛感したセラは返す言葉が何も見当たらず、ただ謝罪を口にすることしかできなかった。
だが、深々と反省したことでセラの目には力強い光が宿り、冷静さが完全に戻った。
いつもの雰囲気に戻ったセラに、ティアは満足そうに頷いた。
「私が言いたいことは以上だ……もう戻れるな?」
「うん……ありがとう、ティア」
「気にするな。お前があの時ノエルに掴みかかっていなければ、おそらく私が代わりに掴みかかっていただろう。だから、結局私もお前に偉そうなことは言えないんだ」
「ティアを引きずるのはちょっと厳しいかな? ティア、重そうだし、暴れると面倒だから」
「……お前、幸太郎にちょっと似てきたな」
自分より重そうで、力のあるティアを押さえられる地震がないセラは、思ったことを正直に述べた。そんな幼馴染から幸太郎の面影を感じたティアは呆れていた。
改めて幸太郎やサラサを助けに向かう覚悟を決めたセラは、さっそく麗華たちの元へ戻ろうとすると――
「あ、あの……セラさん、ティアさん……」
罪悪感と後悔に塗れた暗い顔を俯かせたリクトが緊張と怯えで震えた声を出して、重い足取りでセラとティアに近づいてきた。
逃げ出したい気持ちを必死に抑えてセラとティアに近づいたリクトは、二人に何かを伝えようとするが、「あ、あの……その……」と緊張と不安で中々言葉が出なかった。
セラとティアは何も言わずにリクトが自分たちに話しはじめるのを黙って待っていた。
頑張ってください、リクト君――黙っていても心の中でセラは、人前では口には出し辛い何かを必死に吐き出そうとしているリクトのことを応援していた。
気まずい沈黙の中、リクトは必死に二人に伝えたい言葉を、勇気とともに喉の奥から絞り出そうとする。
「……す、すみませんでした!」
一分経ってようやく声を絞り出して、二人に深々と頭を下げて謝った。
「ぼ、僕は……僕は、幸太郎さんを守ろうと思っていたのに……じ、自分が助かりたいために幸太郎さんを囮に利用してしまいました……」
途切れそうになりながらも、必死にリクトは言葉を紡いで自身の過ちを吐露する。
セラとティアは、何も言わずにリクトの言葉を黙って聞いていた。
「こ、幸太郎さんのために得た力を役に立てることなく、僕は……僕は逃げたんです……大勢の人から狙われて怖かったんです! 逃げ出したかったんです! 幸太郎さんを利用してでも、僕はあの場から逃げ出したかったんです!」
臆病で卑怯な自分の本心を包み隠すことなく、正直にセラたちに教えた。
依然、セラとティアは黙ったままリクトの声に耳を傾けていた。
「僕が大丈夫と一言言えば、幸太郎さんを止めることができたかもしれない……だから、セラさんたちが怒りをぶつける相手は、僕なんです!」
自分の過ちと情けない本性を洗いざらい口に出した後、リクトは身体を強張らせる。
何と罵られようが、何発殴られようが、リクトは覚悟ができていた。
輝石の力を扱う資質を持ちながらも輝石を武輝に変化させることができない、一般人も同然な友人の幸太郎を利用して、危険な目にあわせてしまったから当然だと思っていた。
しかし――セラとティアはリクトを罵ったり、殴ったりすることなく、セラはリクトの頭を優しく一度撫でた。
幸太郎のことを大切に思っているセラたちなら絶対に怒ると思っていたので、自分の頭を撫でられたリクトは驚いたようにセラを見つめた。
「正直、ちょっと怒ってますし、文句も言いたいです……でも、幸太郎君がリクト君を守るって決めて、自分から望んで囮になると決めたんです。だから、私がとやかく言う権利はありませし、リクト君も気にすることはありません」
いたずらっぽく笑って「ちょっと怒っていると」前置きしながらも、セラは柔和な笑みを浮かべて、リクトに優しい言葉をかけた。
優しい言葉をかけてくれて嬉しいリクトだったが、セラの言葉は罪悪感と後悔で溢れるリクトの胸に深々と突き刺さり、さらに罪悪感と後悔が強くなり、自分の情けなさを痛感していた。
強くなる罪悪感と後悔だが、不思議とリクトはセラの言葉に耳を背けて逃げ出したくなる気持ちは生まれてこなかった。
罪悪感と後悔が生まれると同時に、怒りに似た熱い感情が自分の内からわき出ているような気がしたからだ。
「……せっかく力を得たのに、その力を幸太郎さんのために振えずに悔しいし、情けないです」
「悔やむということは自分の過ちを十分に理解しているということだ。過ちを理解して人は力を得る。……後悔に押し潰されて前に進むのを諦めたのなら話は別だが」
自分の情けなさを激しく後悔しているリクトに、ティアは厳しい口調で諭した。
その言葉を受けて、リクトは抱いていた罪悪感と後悔を自分の内からわき出た熱い感情で覆い隠して、力の糧にした。
そして、リクトは改めて――今度は忘れないよう自分の頭に刻みつけるように覚悟を決め、力強い光を宿した目でセラとティアを見た。
「今から僕は『教皇の息子』、『次期教皇最有力候補』という肩書き一旦捨てます」
自分の立場などどうでもいいというように、リクトは覚悟を決めたようにそう言い放つ。
「幸太郎さんの友人として、僕は幸太郎さんを助けに向かいます」
肩書きも権力も何もかもを一旦捨て去って、幸太郎の友人の一人として、リクトは幸太郎を助けに向かうことを決めた。
その結果、大勢の輝石使い狙われようが、もうリクトには恐れも迷いもなかった。
「……せっかく幸太郎がお前を助けたのに、それを無駄にするつもりか?」
「僕が決めたことです」
意地悪な質問をするティアに、リクトは言い淀むことなく真っ直ぐとティアを見つめて自分が決めたことだと答え、その答えにはいっさいの迷いはなかった。
改めて気合を入れ直したリクトを見て、ティアは満足そうに頷いた。
「それなら、さっそく幸太郎君を助けに向かいましょう!」
セラの言葉に、リクトは「はい!」と力強く頷いた。
覚悟を決めたリクトを見て、セラもティアと同様に心強さを感じていた。
セラとリクト――改めて気合を入れ直した二人は、共通する大切な人物のために、行動をはじめる。
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