第三章 後悔と新しい決意

第20話

 リクトたちよりも一足先に、アカデミー都市に無事に到着した枢機卿セイウス・オルレリアルは、セントラルエリア内にある高級ホテルの最上階にあるスイートルームで、熱いシャワーを浴びた後に本革のソファに深々と腰かけて、大きな窓に映るアカデミー都市の美しい夜景を眺めながら、せっかくの高級ワインを味わうことなくがぶがぶ飲んでいた。


 地下トンネルを使ってアカデミー都市に戻る時、リクトを狙う輝石使いたちに襲われてしまったが、自身の周囲を護衛していた制輝軍が早急に排除してくれたので何の問題もなく無事にアカデミー都市に到着できた。


 ついさっきまでリクトの囮になっていたせいで大勢の輝石使いに襲われていたセイウスだったが、そんな修羅場をくぐったとは思えないほど、ソファに深く腰かけて高級ワインに舌鼓を打っているバスローブ姿のセイウスはリラックスしきっていた。


 囮にされるという不測の事態が発生したが、多少危険な目にあいながらも自分に与えられた役目を果たして、無事に安全な場所に戻ってこれたことにセイウスは心からの安堵をしており、アルコールの力も加わって気分が良かった。


 ……最高の気分だ。

 まさか、こんなに上手く計画が進むなんて。

 囮になんてさせられた時は正直どうなるかと思ったが、まさに災い転じと福となすだ。


 不測の事態が起きたが悪いことばかりではなく、それがさらにセイウスを気分良くさせていた。


 今回の騒動で囮として活躍したセイウスは、自身とリクトの中を周囲にアピールするという目的を果たせたのに加え、囮となったことで運良く周囲の信頼を得ることができたからだ。


「ジェリコ、君も一緒にどうだ? 君も面倒なことに巻き込まれたんだ、休んでも誰も文句は言わないさ」


 部屋の隅に立っているジェリコに向けて、セイウスは空のワイングラスを差し出して陽気な声で一緒に飲もうと誘うが、ジェリコは無言のまま首を横に振って断った。


 自身の仕事に忠実な生真面目なジェリコを、セイウスは面白くなさそうに見ていた。


「それにしても、あの女――アリシア・ルーベリアから今回の話を持ちかけられた時は、正直胡散くさいと思ったよ。どこかで必ず裏切られると思っていたが、まさかこうも順調に計画が進むとは、思いもしなかったよ」


 空になった自身のワイングラスに並々とワインを注いで一気に飲み干したセイウスは、自分たちが仕組んだ計画が順調であることに心底愉快そうな笑い声を上げていた。


 今から一か月前――セイウスは自身と同じく枢機卿であるアリシア・ルーベリアに協力を持ちかけられた。


 次期教皇最有力候補であり、教皇の息子であるリクト・フォルトゥスの信用を失墜させ、始末をするために。


 自分以上に悪辣な真似をしている噂があるアリシアとは距離を置きたかったセイウスは協力を断るつもりだったが――ここで、セイウスは自分にとって彼女の計画は都合が良いと感じていた。


 アリシアの計画に協力する振りをして、陰ながらリクトを助けて誠意を見せれば周囲の信用を得られるのではないかと思ったからだ。


 もちろん、地に堕ちている自分の信用が完全に回復できるとは思っていないが、それでも、信用を得ることができればそれなりの地位が確約できるはずだとセイウスは思った。


 だから、セイウスはアリシアに協力することにした。


 アリシアのような強かな女は、他人を利用し尽くした後に必ず切り捨てるとセイウスは確信していたからこそ、リスクは高いが彼女を徹底的に利用して最終的には切り捨てることを決心した。


 ……アリシア、残念だが君はもうおしまいだ。

 君がどんなに不満を持っていようが、君はエレナに負けたんだ。

 その事実は何をしても覆ることはない、絶対に。


 今回の計画の裏側にいて、リクトを始末しようとしているアリシアをセイウスは心の中で嘲笑していた。


 アリシアの娘はリクトと同じく次期教皇最有力候補の一人であり、母親のアリシアも昔は現教皇エレナと次期教皇候補を争った煌石の資格を持つ者だった。


 当時はアリシアかエレナ、二人のどちらかが次期教皇になると考えられており、アリシア派とエレナ派で教皇庁内が大きく分裂するほどだった。


 熾烈な次期教皇争いの結果、エレナが次期教皇になった。


 プライドの高いアリシアとしては、納得できないことだったんだろう。だから、親子二代続いてリクトを教皇にさせるのを阻み、自分の娘を教皇にさせようとしている。


 もちろん、過去の因縁だけではなく、娘を教皇にすれば自分が陰で教皇庁という巨大な組織を操れると思っているからこそ、邪魔者であるリクトを消そうとしている。


 今回の騒動を引き起こした原因は、教皇になれなかったアリシアが現教皇エレナに対して抱いている嫉妬だとセイウスは思っており、いつまでも教皇になれなかったという過去に囚われているアリシアを心から憐れむとともに、嘲笑していた。


「なあ、ジェリコ。君は、今後教皇庁はどうなると思う?」


 アルコールが回って赤ら顔のセイウスは、何気なくジェリコにそう尋ねた。


 突然の質問に、自分の立場を鑑みたジェリコは「さあ」と何も答えようとしなかった。


 自分の仕事に忠実で、自分の意見を言わないジェリコをセイウスは不満を抱いたが、アルコールが入っているせいで機嫌が良いのですぐにその不満は霧散してしまった。


「教皇庁は近いうち、必ず大きな変化が訪れる。必ずだ」


 ほんの少し酔っているセイウスは断定的な口調で、自分の思っていることを言った。


「前回の騒動で鳳グループは周囲からの信用を失い、鳳グループの先代社長時代からいた有能だが、自分の権力を好き勝手に振るっていた年老いた上層部を一新させた。傍目から見れば、正直鳳グループは弱体化したように思える――でも、そうじゃない」


 周囲の信用を失い、有能な上層部を一新させて弱体化している隙をついて、一気にアカデミーの実権を握るという浅はかな考えを持つ多くの教皇庁の人間をセイウスはバカにしていた。


「鳳グループは来るべき新しい時代に備えて、力を蓄えている。祝福の日以降、年々輝石使いの人口は増え続け、国はその対応に追われている。鳳グループはその時代のうねりに対応するために、力を蓄えているんだ。大きな変化には大きな混乱が伴う、まさに今の鳳グループがそんな状態だとということを教皇庁のバカな人間たちは理解していない」


 本格的にセイウスは酔いが回ってきているのか、鳳グループが力を蓄えていると舌足らずな喋り方で説明しながら、再びグラスにワインを注ぎ、ワインを空にさせた。


「そればかりか、ほとんどの教皇庁の人間は現状に満足して優越感に浸ってばかりで、自分たちを変えようとする努力すら見せない。まったく、バカばっかりだよ、ホント」


 嘲笑を浮かべて、現状に満足している教皇庁のほとんどの人間をセイウスは見下し、バカにしていた。


「……教皇エレナは容赦しない。今まで自分の権力を勝手気ままに振っていた枢機卿たちを、鳳グループトップの鳳大悟が上層部を一新したように、教皇エレナも絶対に枢機卿たちも一新する……もちろん、僕を含めてだ――クソッ!」


 容赦なく自分からすべてを奪うエレナの姿が予想できたセイウスは忌々しげに大きく舌打ちをして、グラスに注がれたワインを乱雑に一気に飲み干した。いつかエレナに切り捨てられる想像したくない未来を想像してしまったせいでセイウスの機嫌は一気に下降していた。


「だが、僕は絶対にこの権力を手放さない。誰であろうと、僕の立場を脅かそうとするのならば、僕はすべてを利用して、何をしてでも全力で排除する!」


 舌足らずな喋り方から、ハッキリとした力強い口調でセイウスはそう宣言する。


 そして、ここに来てからずっと無言で自分に付き従っているジェリコに視線を向けた。


「ジェリコ、君も味方をする人間を考えた方がいい。このままアリシアの味方をしても、待っているのは破滅だけだ」


 ジェリコ・サーペンス――彼はセイウスの従者だと周囲は思っているが、実は違う。彼はアリシアの指示でセイウスのボディガードとして動いていた。


 そして、土壇場で自分が裏切らないように監視役としてアリシアが送ったのをセイウスは十分に理解していた上で、アリシア側の情報を得るためにセイウスはジェリコを仲間に引き入れようとした。


 だが、セイウスの誘いに乗ることなく、ジェリコは無言で彼から目を離した。


 自分に協力する気がないことを悟り、セイウスは面白くなさそうに忌々しげに舌打ちをした。


「状況をよく考えて、誰の味方をすれば得をするのか考えるといい……そうすれば、答えは自ずと見えてくるはずだ」


 根拠のない自信に溢れた笑みを浮かべて、セイウスは新たな高級ワインを開けた。


 酒に酔っているだけではなく、自分にも酔っているセイウスの姿を、見下すようにジェリコは冷ややかな目で見ていると、ふいに窓の外に視線を向けた。


 何かを感じ取ったジェリコは足早に、酔っているセイウスを残して部屋から立ち去った。


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