第12話
胴体着陸した飛行機から制輝軍たちの手によって救出されたリクトとクロノは、簡単な診察をされた後、休む間もなくターミナル内にあるめったに使用されない、無駄に豪華な装飾のされた貴賓室へと案内された。
貴賓室に入ると、皺一つない高級スーツを着た、整った顔立ちの青年が爽やかな笑みを浮かべてリクトたちを出迎えた。
青年の姿を確認したリクトは一瞬顔をしかめそうになるが、それを堪えて取り繕ったぎこちない笑みを青年に向けた。
「いやぁ、無事で何よりですよ! リクト様!」
「お久しぶりです、セイウスさん」
「あんなことに巻き込まれてお疲れでしょう。さあ、早くお座りください」
愛想の良い爽やかな笑みを浮かべながら熱烈に歓迎する青年――枢機卿セイウス・オルレリアルの勢いに気圧されながらも、リクトは「お、お気遣いどうもありがとうございます」と一言感謝の言葉を述べてから、黒光りする本革のソファに座った。ソファに座ったリクトに追従するように、クロノは彼の隣に座った。
リクトが座ったソファとテーブルを挟んで対面にあるソファに、セイウスはどかりと勢いよく、そして深々と腰かけた。
「ジェリコ、二人にお茶を注いであげなさい」
セイウスは部屋の隅にいる、黒いスーツを着た長身の男に声をかけた。
ジェリコと呼ばれた全身に張り詰めた空気を身に纏う長身の男は爬虫類を思わせるかのような顔をしており、長めの前髪から垣間見える細長い切れ長の目には冷たく鋭い光を宿していた。
セイウスの指示にジェリコは無言でポッドに入っていた紅茶を二つのカップに注いで、リクトとクロノの前にカップを置いた。
紅茶を差し出してくれたジェリコに、リクトは一言「ありがとうございます」とお礼を言って紅茶を一口口に含んだ。生暖かい紅茶を口に含み、香りと味を楽しんだ後に喉に通すと、事件に巻き込まれて興奮と緊張で昂っていたリクトの心に平静が戻ってくる。
「それにしても、素晴らしい! 機体に大きな穴が開いて墜落寸前の飛行機に輝石の力を纏わせ、不安定になった機体のバランスを安定させて無事に着陸させるとは、まさに奇跡だ! あなたが起こした奇跡によって、私を含めた大勢の人間が救われた! そんな奇跡を起こすとは、さすがは次期教皇を確実視されているお方だ!」
紅茶を飲んで一息ついたリクトを、興奮気味な面持ちのセイウスは大げさな身振り手振りを加えて芝居がかった口調で麗句を並べて褒めはじめた。
鼻息を荒くして自身をベタ褒めするセイウスの迫力に気圧されたリクトは、「ど、どうも」と引き気味の愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「教皇エレナ様の御子息であり、それ以上に次期教皇を確実視されているあなたを一目見ようと集まった人々や、マスコミの前で奇跡を起こしたということは、教皇への大きな一歩になること間違いないでしょう!」
興奮しきっているセイウスの様子を見て、リクトは戸惑いつつも取り繕った笑みを浮かべ、クロノは冷めたような目をセイウスに向けていた。
「さあ、これから記者会見をしましょう! そして、次期教皇は自分であることを周知させましょう!」
「大勢のマスコミがいる状況でこんな事件が起きるとはな」
セイウスの白々しいまでのリクトへの称賛に、辟易した様子のクロノは疑心に満ちた目をセイウスへと向けた。
「次期教皇を確実視されているリクト様の姿を撮ろうと彼らも必死なのだよ」
「結果的にリクトが目立つことになって、随分と都合が良いな」
純粋な疑問を口に出すとともに、鋭い眼光をクロノに向けられて一瞬気圧されるセイウスだが、気圧された自身を誤魔化すように余裕な笑みを浮かべて、「そうでもないんだ」と仰々しく肩を落として嘆息した。
「マスコミがいるということは、教皇庁にとって都合が良いことばかりじゃない。聖輝士レイズ・ディローズがリクト様を襲ったという事実のせいで、教皇庁内の不和が取り沙汰される恐れがあるということだ」
「当然だな」
「中々手厳しい意見だが、教皇庁としてはそうも言ってられないんだ。現在、この前の事件で鳳グループのアカデミー内外の評価は地に堕ちている。鳳グループの信用回復は長い時間がかかるだろうと推測されている。その間に、教皇庁としてはアカデミーの覇権を握ろうとしているんだ。だからこそ、そんな状況で教皇庁の不祥事は好ましくないんだ」
「それなら、今回の件をマスコミにどう説明するつもりだ」
今回の件についてセイウス――いや、教皇庁がどう対応するのかを十分にクロノは理解した上で、セイウスの口から説明させるためにあえて質問した。
そんなクロノの質問に、複雑な表情を浮かべて自分の話を無言で聞いているリクトの姿を一瞥した後、口角を一度歪ませて返答する。
「今回の件を事故として処理すると、教皇庁は決定したんだ」
今回の件を隠蔽することを自分ではなく、教皇庁の決定だと強調するように言い放つセイウスは、本性を露わにしたかのように嫌らしい笑みを浮かべていた。
「今回の件を事故として処理した後は、リクト様が起こした奇跡をクローズアップさせる。そうすれば、世間は事故についてではなく、リクト様が起こした奇跡に食いつくことは目に見えている! これは、二年前に起きた『蒼の奇跡』騒動の時に実証されている。今回の事件の首謀者であるレイズ・ディローズに関しては、今回の件の火消が済んだ後に全力を持って捜索する」
「そのためにリクトを利用するというわけか」
疑心と僅かな怒りが込められたクロノの言葉に、セイウスは他人事のように「まあ、そうなるだろう」と素直に認めて、わざとらしくため息を漏らして肩をすくめて見せた。
「だが、これは仕方がないことで、今回の件についての対処は僕を含めた複数の枢機卿の賛成と、教皇であるエレナ様の意思によって決定されたことだ。教皇庁を守るためなのだから、もちろん、リクト様も不満はありませんよね?」
「……そうですね」
口調は穏やかだが反論は許さないという威圧感が込められたセイウスの言葉に、今まで黙っていたリクトは小さく頷いて同調した。
もっともらしいセイウスの言い訳のような言葉を聞きながら、リクトは『蒼の奇跡』が起きた二年前の事件――幸太郎とはじめて出会い、レイズの友人であったクラウスが関わった事件を思い返していた。
……確かに、あの時は結果的に『蒼の奇跡』が目立ったおかげで、教皇庁内の不祥事が表沙汰になる機会はほとんどなかった。
でも、あの事件では関係のない大勢の人が巻き込まれ、傷ついた。
幸太郎さんだって、大怪我を負った。
今回だってそうなるかもしれなかった。
――いや、今回はあの時以上の大惨事になるところだったんだ。
だから――
リクトは改めて心の中で覚悟を決め、強い意思が込められた力強い目でセイウスを見つめると、セイウスは明らかに気圧されてしまっていた。
「今回の件を隠蔽する理由は納得できましたが、今回の件を隠蔽するのは納得できません。事実を隠してしまっては、教皇庁のことを信じる人を裏切ってしまうことになります」
「お気持ちは理解できますが、リクト様、これは教皇庁全体の決定です。それに反しても、何もメリットはありません。貴女の立場を悪くするだけですよ?」
教皇庁の意思に反するリクトを諭すようでありながらも、どことなく脅すようでもあるセイウスだが、リクトの意思は変わらない。
「今回の事件は最悪の場合、飛行機がターミナルに衝突して大勢の人が犠牲になるかもしれませんでした。それに、レイズさんがまだ捕まっていないということは、今後も同じような事態が起きるかもしれないということです。教皇庁が言う『奇跡』はそう何度も起きる保証はありません――だからこそ、今回の件を隠蔽せずに正直に説明し、全力でレイズさんを捜索することが大切なんです」
自分の意思をハッキリと告げるリクトに、セイウスは一瞬忌々しそうに顔をしかめた。本性を表に出すのを堪えて、セイウスはわざとらしく深々と嘆息した。
「僕はこれからマスコミの方々に今回の件を隠すことなくちゃんと話して、レイズさんを追うことに全力を尽くします」
「リクト様、どうか一度冷静になって考えてください。教皇庁の意思に反することは、次期教皇候補としてのあなたの立場が悪くなり、最悪の場合教皇への道が閉ざされることになってしまう。教皇庁のために、そして教皇を目指すあなたのために勝手な真似はさせられません」
「そんな一時的な判断なんて教皇庁のためになるわけがない。それに、大勢の人が巻き込まれるかもしれなかった危険な状況だったのに何の説明もなく、自分の利益しか考えない教皇庁の考えを僕は認められません。長い間真実を隠して信用を失った鳳グループの二の舞になる恐れだってあります」
お互いの主張がぶつかり合い、話が平行線になるリクトとセイウスの二人。
教皇庁の命令という大義名分があるのでセイウスは一歩も退かず、リクトも教皇庁の将来と、教皇庁を信じてくれる人たちのことを真剣に考えているので一歩も退かなかった。
話が平行線のまま、無言で睨み合うセイウスとリクト。
気まずい沈黙が室内に流れるが――そんな沈黙を破るように扉がノックされ、「失礼します」という事務的な声とともに白葉ノエルが部屋に入ってきた。
ノエルの登場に、リクトとセイウスの視線が彼女に集まる。久しぶりに再会する姉だが、クロノは特に何も言うことはなかった。
「お話し中申し訳ありませんが、即刻リクト様はアカデミーに戻っていただきます――クロノ、リクト様を連れ出す準備をしてください」
「了解した――リクト、ノエルの指示に従うぞ」
淡々とノエルはそう告げて、指示を出されたクロノはソファから立ち上がり、リクトの腕を掴んでこの部屋から連れ出そうとすると――「待ってください」とリクトは自身の腕を掴んでいたクロノの手を振り払った。
「ノエルさん、ここを離れる前に今回の件についての真実を告げることが先です!」
「わがままはいい加減にしてください、リクト様。ご自身のためにもあなたは教皇庁の支持に従うべきだ!」
激しく対立し合うリクトとセイウスの主張に、ノエルは心底興味がないと言った様子で「どうでもいいです」と吐き捨てるように言い放った。
「事件の首謀者であるレイズ・ディローズはまだ捕まっていません。レイズさんはまだリクト様を狙っている可能性があります。大勢の人がいる空港が襲われたら大変なことになります。ですので、ここで無駄な会話をするよりも、早急にここから離れるべきだと思いますが?」
淡々と正論を告げるノエルに、大勢の人を巻き込みたくないリクトは何も反論できない。
「リクト様を安全にアカデミー都市まで送るため、制輝軍――そして、枢機卿であるあなたを囮として使わせていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! こっちはそんな話は聞いていないぞ!」
さっさと空港から立ち去るべきだというノエルの言葉に何も反論できないリクトを気分良さそうに眺めていたセイウスだったが、自分が囮に使われることになって彼は明らかに動揺し、整っていた顔立ちが不安と怯えでいっぱいになった。
「未来の教皇になるかもしれない相手を助けることができて、あなたとしては光栄だと思いますが? それとも、リクト様を助けるのは嫌だと?」
「そ、そうは言っていない! た、ただ、急なことで驚いただけだ……い、いいだろう、この僕がリクト様のために囮になろうじゃないか!」
薄気味悪いほど感情がまったくこもっていない声のノエルに煽られ、自身を奮い立たせるように怒声にも似た大声でリクトのために囮になることを宣言するセイウスだが、虚勢を張っていることは一目瞭然だった。
「そんなに気負わなくとも、あなたのやってもらうことは簡単なことです。それに、リクト様から注意をそらすためなら、何をやっても構いません」
「……了解した。任せてくれたまえ」
ついさっきまで囮に使われることで怯えきっていたセイウスだったが、リクトのためなら何をやってもいいと言われて、口角を吊り上げて嫌らしい笑みを浮かべた。
明らかに腹に一物を抱えているセイウスに、不安と警戒を抱くリクト。
邪な考えをセイウスが抱いていることを十分に理解しているノエルだが、何を考えていようが彼女にはまったく興味がないので特に何も言わずに話を続ける。
「万が一のことに備え、囮は――」
淡々と話を続けるノエルだが、彼女の会話を遮るように扉が勢いよく開かれた。
開かれた扉からなだれ込むように慌ただしく部屋に入ってきたのは、転びそうになりながら部屋に入ってきたドレイク・デュールと大道共慈、そんな二人に押し潰されそうになるサラサ・デュール、そして――
先頭にいて誰よりも早く部屋に足を踏み入れたせいで、三人の下敷きになりそうになった七瀬幸太郎だった。
「大丈夫かい、サラサさん」
「は、はい……大道さんこそ、大丈夫ですか?」
部屋に入ってすぐに、大道は押し潰しそうになってしまったサラサに謝罪する。
「まだ入るのは待てと言っただろう、幸太郎。サラサが危なかったぞ」
「大道さんとドレイクさんが扉に耳を当てて盗み聞きしていたからバランスを崩したんです。みんなに押し潰されるところでした」
「……人聞きの悪いことを言うな」
「それなら……盗聴?」
「もっと人聞きが悪い」
呑気な幸太郎のペースに呑まれてしまっているドレイク。
緊張感に支配された室内の雰囲気にまったくそぐわない、呑気で和気藹々としている幸太郎たちの登場に張り詰めていた室内の空気は一気に弛緩した。
突然の来客に驚くセイウスと怪訝な顔をするジェリコ。
自分が合図して部屋に入ってもらう予定だったのに、勝手に入ってきた幸太郎たちに、無表情だがノエルは若干不機嫌そうになった。
クロノは初対面である幸太郎を興味深そうに見つめていた。
そして――戻ってきて早々命を失いかけたという最悪な状況で、待ち望んでいた再会に、リクトは事件に巻き込まれて緊張と警戒と焦燥に溢れていた心が真の平穏を取り戻し、不謹慎だが喜んでしまっていた。
……幸太郎さん。
ずっと――ずっと、僕は幸太郎さんに会いたかった……
一日千秋の思いで待ち続けた再会、そして、リクトの目には逞しく成長したように映る幸太郎の容姿と、相変わらずの柔らかい雰囲気に、感激のあまりリクトは声も出せずにウットリとした表情で幸太郎を眺めていた。
「あ、リクト君。久しぶり」
久しぶりの再会に感激しているリクトとは対照的に、部屋にリクトがいることに気づいた幸太郎は、久しぶりに再会したというのに短く、簡単に挨拶をした。
そんな幸太郎の調子にリクトは肩透かしを食らいながらも失望することはなく、むしろ、彼らしさを感じて、改めて幸太郎と再会したという実感がわいた。
「お久しぶりです、幸太郎さん」
久しぶりの再会に、緊張で僅かに声を震わせながらも、リクトは心の底からの満面の笑みで幸太郎に挨拶をすると、幸太郎も笑みを返した。
「リクト君、元気にしてた?」
「はい……あの、幸太郎さんは元気でしたか?」
「うん、安全健康第一に元気にしてた」
「よかったです……その、幸太郎さん、なんだか……その、少し逞しくなりました?」
「そう言われると何だか照れる。リクト君の方こそ相変わらずかわいい」
「えっと……あ、ありがとうございます?」
ずっと会いたかった幸太郎に色々と話をしたかったリクトだが、今は再会の感激で頭が真っ白になってしまって頭に浮かんだ様々な言葉を上手く口に出すことができなかった。
「何なんだ、君たちは! ここは関係者以外立ち入りを禁じられているハズだぞ!」
突然の来客に驚いていたセイウスは我に返り、和気藹々としている室内にセイウスの怒声が響き渡る。しかし、突然の来客たちは彼の怒声に気にすることなく、幸太郎との再会で頭がお花畑になっているリクトも聞いていなかった。
「……とにかく、彼らも私とクロノとともにリクト様の護衛に協力してもらいます」
セイウスの怒声に一人だけ反応したノエルは、呑気に和気藹々としている幸太郎たちを放って淡々と話を進める。
「何を利用しても構わないので、あなたはリクト様の囮として役に立ってください」
「わ、わかっている! こちらとしても精一杯努力するつもりだ。それより、僕のことよりも、よくわからない奴らを君の独断で利用して、リクト様護衛に失敗したら、すべての責任は君に負ってもらうぞ! 覚悟しておけ!」
改めて自分が囮になることを実感してセイウスは忘れかけていた不安が蘇ってきて、八つ当たり気味な怒声を上げてノエルを脅す。
しかし、相変わらずノエルは冷静な態度で「ご自由にどうぞ」と感情を宿していない声で吐き捨てるようにそう言って、怯む気配はなかった。
「それと、今回の件の事実を知る者に教皇庁は箝口令を敷いた。今回の件について他言無用、それを犯した場合は相応の処分が下されることになると肝に銘じてくれたまえ!」
そう言い残し、ドタドタと大きな足音を立ててセイウスはジェリコを率いて部屋を出た。
部屋を出る寸前、ドレイクはセイウスを睨むように見つめていた。
仄かな怒りが込められたドレイクの鋭い眼光に自分が囮になってしまうことで心にゆとりがないセイウスは気づかず、そのまま部屋を出て行った。
そんなセイウスの後に付き従うジェリコは一瞬ドレイクと目を合わせると、軽く会釈をして部屋を出て行った。
セイウスに付き従うジェリコの後姿をドレイクは懐かしむように、それでいて、どこか不審そうに見つめていた。
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