第7話

 次期教皇最有力候補であり、教皇の息子であるリクトを運ぶプライベートジェットの機内は、リクトとクロノを含めて警備も最小限で僅かな人数しか乗っていないにもかかわらず、会議室、寝室、個室、キッチン等がある豪勢な機内で、まるで一軒家のようだった。


 そんな広すぎる機内の個室のソファに座っているリクトは、期待に満ちた表情を浮かべて、窓から映る夕焼けを眺めていた。


 もうすぐだ……もうすぐ、幸太郎さんに会えるんだ……

 やっと会える、幸太郎さん……ずっと会いたかった……


 長いフライトの間、多くの国境を越えて徐々に目的地が近づくにつれて、リクトの頭の中には友人である七瀬幸太郎の存在が大きくなってきていた。


「――リクト」


 頬を赤らめてボーっとしているリクトに、テーブルを挟んで対面のソファに座るクロノは話しかけているが、リクトは反応することなく幸太郎を想い続けていた。


 クロノがリクトを呼んで五回目で、ようやくリクトは自分が呼ばれることに気づいて素っ頓狂な声を上げて、「ご、ごめんね、クロノ君」と慌てて謝った。


「そろそろ空港に到着するから、色々と打ち合わせをしたいんだが」


 淡々と言い放ったクロノの嫌味に、リクトは「ごめんなさい」と苦笑を浮かべて謝ることしかできなかった。


「この数時間で色々と段取りが変わった。空港に到着するお前を枢機卿であるセイウス・オルレリアルが出迎えるということになった」


セイウスさんが? ……どうして急に」


「理由は不明だ」


 セイウスという名を聞いて、一瞬リクトの表情が嫌悪と不安で曇った。


 セイウス・オルレリアル――代々枢機卿を輩出している名家出身であり、若くして枢機卿を務めている青年だった。


 リクトはその枢機卿の噂――悪い噂は何度も聞いたことがあった。


 枢機卿になるために家族の人間を陥れ、念願の枢機卿になったら、枢機卿が持つ絶大な権力を用いて良くないことをしているという噂だった。


 リクトはセイウスと何度か会ったことがあった。その時の印象は、外面は好青年であるが、裏ではかなり打算的で野心溢れて、自分本位な人物であると感じていた。そんな人物がわざわざ自分の迎えに来るということが、リクトは理解できなかった。


「セイウス・オルレリアルの噂はオレもよく知っている。確かに、セイウスが急にオマエを出迎えに向かうというのは不自然だ。だが、よほどのことがない限り、枢機卿を捕えることはできない。オマエもそれはよく理解しているだろう」


 自分の不安を見透かしているクロノの言葉に、リクトは暗い表情を浮かべて頷いた。


 クロノの言う通り、枢機卿には簡単に手を出せなかった。


 先代教皇は教皇庁を大きくするために、外部の企業とつながりの深い人間を枢機卿に選んで、資金集めと同時に外部の大企業のコネを利用した。


 その結果、古くから教皇庁に仕えてきた枢機卿を追い出し、教皇庁のことをまったく考えない利己的で強欲な人物ばかりが枢機卿になってしまった。セイウスの家は古くから枢機卿を輩出してきた一族であり、新たな枢機卿選出方法で他の一族と同様に淘汰されるはずだったが、長い間枢機卿を輩出してきた一族だけあって、外部との太いパイプが多数あったので運良く枢機卿を続けることができた。


 新たに入ってきた枢機卿も悪い人たちばかりではないというのが救いだが、それでも、十分に枢機卿の質が下がってしまっていた。


 教皇庁だけではなく、鳳グループも旧態依然とした古臭い考えを持って、自分たちの権力を濫用する上層部ばかりだったが、とある事件で鳳グループはそんな上層部の人間をほとんど一新させて、経験は浅いが若く活気溢れる人たちになったとリクトは聞いていた。


 だから、周囲の信用が失ってしまっているせいで時間はかかるが、鳳グループは必ず変われるとリクトは確信していた。


 でも……教皇庁はこのままだとずっと変わらないままだ。

 このまま、何も変わらなかったらきっと教皇庁はダメになる……


 変わらぬ教皇庁の未来を憂いて、リクトの表情は憂いに満ちて暗くなった。


 項垂れているリクトをクロノはフォローすることなく、室内に暗い沈黙が流れたが――


「悪いことをしていると、『幽霊輝士ゆうれいきし』に狙われちゃうって知ってるかい?」


 突然、軽快な声が暗い雰囲気漂う室内に響き渡り、暗く淀んだ沈黙を打ち破った。


 声のする方へとリクトとクロノは視線を向けると、いつの間にか室内には、相変わらずヨロヨロで皺だらけのスーツというみすぼらしい服装のレイズかニヤニヤとした笑みを浮かべて立っていた。


「ずっと教皇庁にいたリクト様なら知ってるでしょ? 『幽霊輝士』のこと。子供たちならみーんな知ってるよ。悪いことをすれば幽霊輝士が罰を与えるってね」


「幽霊輝士なんて久しぶりに聞きました。子供の頃はよく、悪いことをすれば幽霊輝士が来るって、母さんによく脅かされました」


「へぇー、俺からしてみれば、雲の上の存在なエレナ様がそんな話をするなんて、正直想像できないなぁ。まあ、教皇様もお母さんだってことだよね」


 何気なくレイズが話した『幽霊輝士』の話に、暗く憂鬱な表情を浮かべていたリクトは、子供の頃に尊敬する母と一緒に過ごした楽しかった思い出が頭に過り、陰鬱としていた感情がどこかへ吹き飛んだ。


 表情に明るさが戻ったリクトを見て、レイズは満足そうな笑みを浮かべた。


「クロノ君は知ってた? 教皇庁にいる人間ならほとんど知ってる有名な話なんだけど」


「くだらん。ただの与太話だ」


「実はそうでもないかもよ?」


「そんなことより、いつこの部屋に入ってきた」


「さあ、いつだろうね?」


 人を小馬鹿にしたような軽い態度のレイズを、クロノは鋭い目で睨んだ。


 気配もなくいつの間にかこの部屋に入ってきたレイズに、クロノは警戒心を高めていた。


「まあ、結局悪いことをしてもいつか必ずお仕置きされるっていう教訓として、幽霊輝士の話は昔から伝わってきたんだ。さて、そんなことよりも――」


 意味深な笑みを浮かべて、レイズはスーツの懐をまさぐった。


 高めていたクロノの警戒心が一気に弾けようとしたが――スーツの懐から取り出したものを見て、クロノは昂っていた自身の警戒心を一気に静めた。


 レイズがスーツの懐から取り出したのは、トランプだった。


「到着するまでまだ時間があって暇だから、トランプでもやろうよ」


 護衛としてリクトの傍にいるというにもかかわらず、呑気にゲームを持ちかけてくるレイズに、リクトは「いいですね」と乗り気だったが、クロノは呆れ果てていた。


「そんなことをしている暇はない」


「息抜きも重要だよ?」


「リクトを守ることがオレたちの任務だ。今はその任務の最中だ。お前も同じだろう」


「真面目だなぁ、クロノ君は。仕事第一は結構だけど、それじゃあ、女の子にモテないぞ」


「興味がない」


「女の子に興味がないの? それじゃあ、もしかして、男の子に――」


「ふざけているのか?」


 自分の任務に集中していないレイズを、任務を優先して考えている真面目なクロノは睨んでいるが、レイズはどこ吹く風と言った様子だった。


「ずっと気を張り詰め続けても疲れるだけだから、息抜きしようよ、クロノ君」


「自分の状況をもっと理解しろ、リクト」


 レイズとゲームをする気満々の呑気なリクトを、クロノは苛立ったように睨んだ。


「それじゃあ、コイントスで俺が勝ったら、クロノ君は一緒にゲームをしてくれるかな?」


「断る」


「それとも、俺にカードゲームで負けるのが癪なのかな? 君って意外に負けず嫌いっぽいし、熱しやすくてわかりやすい性格をしてるからカードゲーム弱そうだしね」


 レイズのわかりやすい挑発にクロノは乗ることはなかったが、会って間もないのに自分のことを理解した気でいるレイズに苛立っていた。


「……いいだろう」


 微かな感情の炎を瞳に宿したクロノは、レイズのゲームに乗ることにした。


 まんまと自分の挑発に乗ったクロノを、レイズは気分良さそうに見つめていた。

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