第6話
部屋の扉がノックされると、ソファに座って本を読んでいたリクトは「どうぞ」とノックをした人物に向けて部屋に入るように優しく促し、読んでいた本をそっと閉じた。
リクトの隣に座っているクロノは、警戒心を込めた鋭い目で扉を睨んだ。
一拍子間を置いて扉が開かれ、部屋の中に一人の青年が入ってくる。
青年は整った顔立ちをしながらも、乱れた髪、顎には剃り残しの髭があり、身体からは若干の酒のにおいがしているが、多少はマナーを気にしているのかスーツを着ていた。だが、そのスーツもヨレヨレの皺だらけで、シャツの胸元もだらしなく開けていた。
青年は部屋に入ると、リクトに向けてニッと歯をむき出しにしてフレンドリーに笑った後、軽く会釈をして「どーも」と適当に挨拶をした。
軽薄な雰囲気を身に纏っている青年をクロノは不審そうに睨んでいたが、リクトは嫌な顔一つしないで青年を「こんにちは」と笑顔で出迎えた。
「あなたが
「お、自己紹介は必要ありませんね。あの方の命令でアカデミーに戻られるリクト様の護衛を務めることになったので、こちらこそよろしくお願いします」
「いつも僕を守っていただいているボディガードの方々だけでも十分だというのに、聖輝士であるあなたがわざわざ僕の護衛をしていただいてくれたことに感謝をします」
「いえいえ、お気になさらずに。護衛に関してはリクト様専属であるボディガードの方々の指示に従いますので、そうお伝えください」
教皇庁に認められた輝士の中でも、多くの功績を上げて実力のある輝士にのみ授与される『聖輝士』の称号を持っているとは思えないほど、ぎこちない敬語を使ってへらへらとした笑みを浮かべている青年――レイズはリクトに手を差し伸べて、握手を求める。
さっそくリクトは握手に応じようとすると、突然レイズは差し伸べた手から隠し持っていたコインを取り出した。
突然コインを差し出されて小首を傾げて不思議がるリクトと、突然の行動に警戒心と高めるクロノ。
「ニコニコマークがある方が表で、ない方が裏」
そんな二人を尻目に、レイズは歯をむき出しにして笑いながらコインの説明をすると、指でコインを弾き飛ばした。
激しく回転しながら宙に舞うコインを手の甲で受け止め、もう一方の手でコインを覆い隠す。
「裏か表、どっちだと思う? 俺は裏かな?」
突然コイントスを持ちかけられ、戸惑いながらもリクトは「それじゃあ、表で」と特に考えることなく応じた。
「君はどっちかな?」
「どうでもいい」
クロノにもコイントスを持ちかけるが、クロノはまったく興味がなかった。
無愛想なクロノの態度にレイズはわざとらしく肩を落としながらも、手の甲の上にあるコインを確認すると――コインはマークがない裏だった。
「やった、大当りだ。次期教皇最有力候補のリクト様に勝てるとは、やっぱり、占いの通り、今週の俺の運勢は絶好調みたいだ」
嬉々とした表情を浮かべたレイズは満足したのか、「それじゃあ、また今度」とさっさと部屋から出て行ってしまった。自分のやりたいことをやってさっさと帰ってしまうレイズの後姿を、リクトはポカンとした様子で眺めていた。
「……おかしな奴だ」
「し、失礼だよ、クロノ君」
レイズが部屋から出てすぐに、クロノは正直な感想を述べた。そんなクロノを慌てて注意するリクトだが、レイズが変わっていることは否定しなかった。
「あのレイズという聖輝士――かなりの実力者のようだが、あの女の指示でお前の護衛になったということは、信用はできない」
レイズのことをまったく信用していないクロノに、リクトの表情が憂いに満ちた。
……確かに、クロノ君の言う通りだ。
レイズさんが彼女の意思に反して動く可能性だってある。
でも――それでも――……
わき上がる不安と不信を押し殺し、リクトは改めて覚悟を決めて気を引き締める。
「レイズさんは彼女が僕を気遣ってつけてくれたボディガードだから無下には断れないし、彼女のことを信じるって僕は決めたから」
「相変わらずバカな奴だ。どうなっても知らんぞ」
能天気なリクトに、クロノは心の底から呆れて軽蔑しているような目を向けた。
自分に対して呆れ果てているクロノの気持ちを理解できたリクトは、苦笑を浮かべながらも自分の判断に後悔することはなかった。
「その時は、クロノ君に迷惑をかけるかもしれないけど、よろしくね」
「わかっている。オマエを守るのがオレの任務だ。だから、オレは必ずオマエを守る」
事務的なクロノの受け答えだが、何度も危機的状況をクロノに助けてもらったリクトは、彼のことを心の底から信用しており、心強いと思っていた。
そして、同い年であり、思ったことを素直に口にする正直な性格で気兼ねなく接することができるため、リクトはクロノのことを友人だと思っていた。
「オマエがどう思っているかはどうでもいいが、レイズは信用できない。この国を離れて、空港に到着次第、制輝軍と合流する。そして、レイズとはすぐに距離を置いて、早急にアカデミー都市に戻る――その手筈になっている」
アカデミーに到着してからのスケジュールが決まっていることに、リクトは申し訳なさそうに「えっと……」と口を開いた。
「空港に到着したら共慈さんと幸太郎さんが迎えに来てくれて、一緒に夕ご飯を食べようかと思ってたんだけど」
「七瀬幸太郎が? ――……能天気もいい加減にしろ、リクト。いつ、誰が、どうやって襲いかかってくるのかわからない状況でそんな暇はない」
リクトとしては是非ともクロノと同じく正直な性格をしている幸太郎を早く紹介したかったからこそ、クロノに内緒で事前に大道と連絡を取って、幸太郎と迎えに来てもらうように頼んだが――自分の置かれている状況を理解していないリクトに、僅かな苛立ちと呆れが込められた鋭い目をクロノは向けた。
しかし、七瀬幸太郎が迎えに来るということに、クロノは若干の反応を示した。
普段はまったく感情を表に出さない、機械のようなクロノが僅かながらも幸太郎に反応したことを察したリクトは、旺盛な好奇心を宿した目で彼を見つめた。
「もしかしてクロノ君、幸太郎さんのこと興味があるの?」
「……多少は」
「それなら、きっと――いや、絶対に幸太郎さんとクロノ君は仲良くなれるよ!」
「そんなことはどうでもいいが、まあいい……確かに七瀬幸太郎とは一度会ってみたいとは思っていた。少しくらいは話せる時間を設けるように努力しよう」
「ありがとう、クロノ君!」
僅かながらもクロノが幸太郎と会える時間を与えるように取り計らってくれるのに加えて、他人に興味がない彼が自身の友人に多少ながらも興味を抱いてくれていることに、リクトは嬉々とした表情を浮かべてた。
そんなリクトとは対照的に、クロノは冷めた表情を浮かべていた。
「紹介する前に、幸太郎さんがどんな人なのかを説明しましょう!」
「おおよその人物像は姉から聞いている。余計なことに首を突っ込む割には、大して役に立っていない人間だと。顔写真も見たがパッとしない、どこにでもいそうな顔をしていた。凡人、平凡、その言葉が相応しいだろう。だが、中々興味深い人間だと言っていた。だから、多少は興味はある」
淡々とクロノが並べる正直すぎる幸太郎の評価に、リクトは思わず幸太郎のことを憐れんでしまうが、今は何も言わないことにした。
きっと、幸太郎と面と向かって接すれば、クロノの評価が変わるだろうとリクトは確信していたからだ。
きっと、幸太郎ならクロノと仲良くできると確信していた。
そして、きっと幸太郎なら、氷のように冷たく固まったクロノの性格を変えられると信じていた。
「きっとクロノ君は幸太郎さんと気が合うと思います」
期待を込めた笑みを浮かべて根拠のない自信を抱いているリクトを、クロノは怪訝そうに見つめていた。
―――――――――――
セントラルエリアにある制輝軍本部――自室兼仕事屋に集めた二人の人物にノエルは感情の宿していない瞳を向けた。
自室に呼び出したのは制輝軍内でもノエルがそれなりに信用している相手だった。
一人は、部屋に入ってからアカデミー高等部の制服を着ているノエルを見てずっとニヤニヤ笑っている、所々穴の開いたボロボロのロングコートを着て、手入れのされていないボサボサのロングヘアーというみすぼらしい服装だが、スタイルが良くて無駄に美人の
もう一人は、ノエルの言葉をジッと待っている、出るところはちゃんと出ている美咲とは対照的な平坦で華奢な体躯と、染み一つない陶磁器のような色白で滑らかな肌、人形のように整った顔立ちをしているが、全身から冷めた雰囲気を身に纏っている少女――アリス・オズワルドだった。
「聞いていると思いますが、教皇エレナの息子であるリクト・フォルトゥスがアカデミーに戻ります。今や彼は、多数いる次期教皇最有力候補の中でも次期教皇になるのが確実視されている人物です。もちろん、それを良く思わない人間も存在します。なので、教皇庁からの依頼で我々制輝軍が護衛を務めることになりました」
何の感情も込められていない淡々とした口調のノエルの説明を、アリスは真剣な表情で聞いていたが、美咲は相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「リクト様の護衛は責任者として私が数人の部下を連れて向かうので、私がいない間、銀城さんとアリスさんはアカデミー都市内にいる部下たちの指揮をお願いします」
「わかった。でも、リクトは教皇庁内でも大物で、教皇庁も必死に彼を守ろうとする。前の事件で鳳グループの勢いが衰えた代わりに増長している教皇庁は、何かあれば確実に難癖をつけて制輝軍に責任を擦り付けようとする。そんな人を護衛するのに私たちも行かなくて大丈夫?」
上目遣いで心配そうにノエルを見つめるアリスだが、彼女の心配などまったく気にしていない様子で「問題ありません」とノエルは答えた。
「教皇庁内でも多くの輝士たちとボディガードたちがリクト様の護衛をするとのことですので、護衛の人数的には問題ないでしょう。なので、仮に何かあって我々制輝軍に責任を擦り付けようとしても、教皇庁側の護衛にも責任の一端を背負わせます」
「さっすが、ウサギちゃん。容赦がないなぁ。そういうところ、おねーさん好きだぞ☆」
「……『ウサギちゃん』はやめてください」
利用されるつもりは毛頭ないノエルの態度に美咲は満足そうに何度も頷いた。
馴れ馴れしく自分を『ウサギちゃん』と呼ぶ美咲をほんの僅かな不快感を宿した目で睨むように見つめるが、すぐに興味が失せたように彼女から目を離して話を続ける。
「当日に不測の事態が起きるかもしれませんが、リクト様とともに彼もアカデミーに戻ります。彼が戻り次第、彼と合流してリクト様の護衛の任務につきます。彼もいるならば、不測の事態が起きても対応できます」
ノエルが言った『彼』という存在に、美咲とアリスは得心したように頷く。
「そっかー、あの子はリクトちゃんと一緒に行動してたっけ。元気かなぁ」
「彼と一緒なら大丈夫ね。うん、こっちは任せて、ノエル」
「当日の制輝軍の指揮と、銀城さんのお世話もお願いします、アリスさん」
ノエルから与えられた任務に涼しげな表情ながらもやる気満々なアリス。
一方、「ひどいなぁ」と美咲は好き勝手なことを言われながらも楽しそうに笑っていた。
「話は終わりです。仕事に戻ってください」
言いたいことを言い終えたノエルは、二人から視線を外して自分の仕事に集中する。
さっそくアリスはノエルに従って仕事に戻ろうとするが、彼女から呼び出されて終始ニヤニヤしていた美咲は「あ、そうだ」と、ふいに声を上げた。
話を続ける気の美咲にノエルは視線を向けて耳を傾ける。
「学校に戻っての感想はどう? 青春してる?」
「意味がわかりません」
聞く必要のないことだと即座に判断したノエルは美咲の言葉をスルーする。彼女が聞く気がないことを悟りつつも、ニヤニヤした笑みを浮かべた美咲は構わず話を続ける。
「青春は大切だよ、ウサギちゃん。ウサギちゃんはかわいくて、ファンもたくさんいるんだから、もっと青春を楽しまなくちゃ! そうしなくちゃ宝の持ち腐れ、勿体ないぞ!」
「だから、意味がわかりませんから」
「もう! もっとおねーさんのアドバイスをちゃんと聞いてよ! あ、これはアリスちゃんにも言えるからね! 二人ともかわいいんだから、もっとそれを活かして青春を楽しまなくちゃダメだよ! 無愛想だけどかわいくて実はスタイルが良いウサギちゃんと、ドライでサディスティックな性格とペッタンコなスタイルで、特殊な性癖を持っているお兄様方には大人気のアリスちゃんの魅力を存分に振えば、思う存分好きなように青春を楽しめるよ!」
手元にある資料に目を通すことに集中して美咲の言葉を聞き流しているノエルに、ヒートアップする美咲。そんな年上のおねーさんの姿をアリスは冷めた目で見つめていた。
理解していない様子の二人に、美咲は「もー!」と苛立ちの声を上げる。
「何で二人はわからないかなぁ! こうなったら、青春の素晴らしさについて、おねーさんがたっぷり教えてあげるからね!」
ここから小一時間、青春について熱く語る美咲だが、アリスとノエルの心にはもちろん、耳にまったく届いていなかった。
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