第33話

 ……お腹空いた。


 空腹を告げる腹の音が響き渡ると同時に、幸太郎は目覚めた。


 大きく欠伸をして、身体を伸ばしながら幸太郎は上体を起こした。


 昼寝を三時間した後に、軽く運動をして夜から朝まで八時間の睡眠をとった時のように、爽やかな目覚めだった。


 僅かな明かりにしか照らされていない薄暗い空間をキョロキョロと周囲を見回し、今自分が病院にいることに幸太郎は気づくと同時に、身体に凍えるような寒さが襲って身震いした。


 毛布にくるまった幸太郎は窓の外を見ると――空は真っ暗であり、月光と星々と建物のライトで照らされたアカデミー都市は雪で染まっていた。


 雪化粧された幻想的なアカデミー都市の光景に、情けなく口を開けて「おー」と、感嘆の声を上げていると――


「おはよう――といっても、深夜だからこんばんはかな?」


 軽薄な声とともに病室が明るくなり、伊波大和――ではなく、天宮加耶が入ってくる。


「こんばんは。えーっと? なんて呼べばいいかな」


「今は一応大悟さんからもらった名前の伊波大和って名乗ってるんだ」


「本名じゃなくていいの?」


「両親からもらった名前も大事だけど、もう一人の親からもらった名前も大事だから――それに、その方が色々と面白いし」


「面白いの?」


「周りの人が僕が女だって知った時の顔がすごく面白いんだ。刈谷君とか、村雨君とかで試したら、すごい面白かった。だから、これから男装して過ごすつもり」


「あ、それは見たかったかも」


「携帯でその時の写真を撮ったから後で見せてあげるよ」


 そう言って、天宮加耶――ではなく、伊波大和はいたずらっぽく微笑んでいた。


 周囲の反応が面白いという理由で、男装して過ごすという大和らしい理由に、思わず幸太郎も笑ってしまった。


 ひとしきり笑い終え、幸太郎は改めて大和に挨拶をする。


「それじゃあ、こんばんは、大和君――大和さんって呼んだ方がいいのかな?」


「好きにして呼んでも構わないよ?」


「今更呼び方変えるのもわかり辛いから、大和君で」


「うん、わかった。それじゃあ改めてよろしくね、七瀬幸太郎君」


 ……女の子か……

 かわいいし、良いにおいもするし、髪もサラサラだし……

 確かにそう見えるけど――……


 大和が男性ではなく女性であることを改めて知った幸太郎は、中性的な彼女の顔立ちをジーッと見つめた。


 旺盛な好奇を宿した目で幸太郎に見つめられ、大和はいたずらっぽく笑う。


「僕が女の子だって信じられない?」


「かわいいとは思ってたけど、女の子だとは思わなかった」


「こう見えて、結構スタイルは良い方なんだよ?」


「……そうなの?」


 スタイルが良いと言ったので、反射的に幸太郎は大和の肢体を眺めた。


 ジャケットを着てジーンズを履いている大和の服装は、セラやティアの私服とどことなく似ているが、中性的な顔立ちをしているために大和は女性だが、男性のように見えた。


「サラシを巻いているからわからないと思うけど――そうだな……麗華みたいに規格外じゃないけど、セラさんと同じ、もしくはそれ以上はあると思うよ?」


 戦う時にいつも揺れているセラの双丘と同じくらい、もしくはそれ以上あるかもしれないという大和の母性の象徴に、自身の気持ちを正直に視線で表す幸太郎だが――


 ジャケットの下に着ているシャツはペタンとしていた。


「……そうなの?」


 疑いの眼差しで見る幸太郎を見て、大和はからかうような笑みを浮かべる。


「普段はかなりきつくサラシを巻いているんだ。そのせいで、胸の筋肉が刺激されてそれなり育ったんだ――触ってみる?」


「いいの?」


「君には救われた恩があるんだ……それくらい、構わないよ」


「それじゃあ、遠慮なく――いただきます」


 許可をもらったので、遠慮なく幸太郎は手を伸ばして隠された秘境へと向かう。


 小悪魔のような笑みを浮かべていた大和だったが――まったくの迷いなく伸びてくる幸太郎の手に、徐々に彼女の表情から余裕がなくなり、ほんのりと頬を紅潮させる。


 咄嗟に「ちょ、ちょっと待って」と大和は身を引こうとした瞬間――


「これ以上の狼藉は許しませんわ!」


 病院内を揺るがし、幸太郎の登山を邪魔する怒声とともに麗華が現れる。


 麗華は怒り心頭といった様子で男の欲望に正直な幸太郎と、幸太郎をからかおうとして失敗した大和を睨んだ。


「病院という神聖な場で破廉恥な真似は許しませんわよ!」


 深夜の病院内で『破廉恥』という言葉を叫ばれて、さすがに幸太郎は恥ずかしかった。


 だが、その恥ずかしさを吹き飛ばすほどの冷たい気配の持ち主が病室に入ってくる。


「幸太郎君が心配だったので実家に帰るのを遅らせましたが――元気そうで何よりです」


 冷たい気配の持ち主の一人であるセラが、麗華に続いて病室に入ってきた。


 口調は丁寧だったが、張り付いた笑みを浮かべているセラは明らかに怒っていた。


「時間を無駄にしたな」


 セラ以上の冷たい空気の気配の持ち主であるティアも病室に入ってくる。


 そんなティアの背後にはサラサと巴がいた。


 二人は恥ずかしそうに顔を僅かに紅潮させながらも、幸太郎を見る目は冷たかった。


「そうそう、みんな君のことを心配して病院に寝泊まりしていたんだよ。あーあ、せっかくいいところだったのにみんなに邪魔されちゃったね――かわいそうに、幸太郎君。だから、抱きしめてあげるね」


「大和君……あ、ちょっと柔らかい」


 さっきまで恥ずかしそうにしていた大和だったが、セラたちの反応を見ていたずら心を再燃させて、幸太郎の頭を自身の胸に押してて抱きしめた。


 セラたちの視線が冷たかったが、それでもサラシに包まれた固い胸の感触の中にも、若干の柔らかさがある大和の膨らみを堪能していた。――無事、登山は成功した。


 だが――ここで、幸太郎は大和の膨らみよりも、重大なことに気づいた。


「セラさんとティアさんが実家に帰るのを遅らせたってことは……クリスマスは?」


「つい十分前にクリスマスは終わりました。残念でしたね」


 嫌味たっぷりでセラはクリスマス終了を告げると、幸太郎は項垂れて絶望する。


 せっかくのクリスマスフード……

 せっかくのクリスマスケーキが……

 ローストチキン、ローストビーフ、ピザ、ケーキ……


「フン! 自業自得ですわね!」


 項垂れている幸太郎に向けて、麗華は容赦なく冷たくそう吐き捨てた。


 ソッポを向いて幸太郎に冷たい態度を取る麗華を見て、大和は意地悪な笑みを浮かべる。


「素直じゃないなぁ麗華は。ほら、幸太郎君に何か言うことがあるんじゃないの?」


「しゃ、シャラーップ! よ、余計なことは言わないでいいのですわ!」


 自分の一言に慌てる麗華の様子を、ニヤニヤとした笑みを浮かべて大和は眺めていた。


 クリスマスを寝過ごして項垂れていた幸太郎だが、麗華が自分に何か言いたいことがあると大和が言ったので、幸太郎は麗華のことをジッと見つめて何を言うのかを待っていた。


 そんな幸太郎の純粋で好奇に満ちた目からは逃れられないと思った麗華は、わざとらしく「オホン!」と咳払いをして、偉そうにふんぞり返った。


「今回、珍しくあなたは役に立ったのですわ。そのお礼してあげるのですわ!」


「鳳さんがお礼を言うの? ……何だか気持ち悪い」


「ぬぁんですってぇ! せっかくこの私があなたのような大して役に立たない凡人に、褒美を与えようと思っているというのに!」


 平然とした様子で正直に自分の気持ちを言い放つ幸太郎に、恩着せがましく麗華は怒声を張り上げる。しかし、麗華の怒声などまったく気にしていない幸太郎は、麗華が言った「褒美」という言葉に期待していた。


「それなら、アカデミーに戻ってよ、鳳さん」


「ほ、褒美を与えるというのに、それだけで本当によろしいのですか?」


「それだけで十分」


 何気なく言った幸太郎の言葉に意表を突かれたのか、素っ頓狂な声を上げて麗華の怒りが吹き飛んでしまった。


 呆気に取られている麗華とは対照的に、何も考えていない様子の幸太郎の言葉を聞いて大和は心から楽しそうな笑みを浮かべていた。


「……ざ、残念ですが、私はこれから鳳グループの一員として、そして、お父様の補佐をするつもりなのですわ」


「そうなの?」


 麗華はアカデミーに戻って勉強をする気はなく、鳳グループの人間として、今回の騒動で傷を負った鳳グループのために父の傍で仕事をするつもりだった。


 自分の答えに沈んだ表情を浮かべる幸太郎に、麗華はほんの僅かな罪悪感が芽生える。


 今回の想像で失墜した鳳グループのため、何よりも父のために働きたいという気持ちと同等に、幸太郎の願いを聞き入れたい気持ちもあった。


 褒美を与えると言ってしまった手前、無下に幸太郎の願いを断れなかった。


 何かきっかけがあれば、麗華は決心できるのだが――


「麗華、それが七瀬君にとってのご褒美なのよ。だから、素直に彼の気持ちを受け取ってあげなさい。君の仕事は私が引き継ぐから、好きなようにしなさい」


「麗華が戻るなら、僕もアカデミーに戻ろうかな? ピチピチの高校生の年頃なんだから、青春を謳歌しないとね」


 麗華の気持ちを察した巴と大和にフォローされて、麗華は決心する。


 再び、偉そうにふんぞり返って、ビシッと音が出る勢いで幸太郎を指差した。


「いいでしょう! あなたの願いを聞き入れますわ! 凡人のあなたが過ごす色のないアカデミー生活に、私という気品溢れる華を添えてあげましょう! オーッホッホッホッホッホッホッホッ!」


 気分良さそうな、それでいて、傍迷惑な声量の麗華の普段通りな高笑いが、セントラルエリアの大病院内――だけではなく、外まで響き渡った。


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